■伊賀の國の成り立ち
伊賀国は、山城国、大和国、近江国、伊勢国に接し、東から南を鈴鹿・布引山系、西を大和高原、北を信楽高原にと四周を山地に囲まれています。また、柘植川、服部川、名張川など伊賀地域を流れる川は、木津川に合流して京都府に至り、さらに淀川となって大阪湾に注がれています。
琵琶湖は約400万年前の大山田湖を発祥地としており、その証左に古琵琶湖層の地層から粘土が産出され、多数の化石が発見されています。
古代においては、都に近いこともあって早くから文化が開け、その後も都との関わりも深く、東大寺の黒田荘、玉滝荘など、伊賀の地のほとんどが貴族や寺社の荘園となりました。その後、武士が荘園を横領することが多くなり、領主側から悪党と呼ばれました。小士豪が割拠し、大名の出現しなかった当国では、戦国末期惣国一揆を形成していましが、1581年、織田信長の伊賀への侵攻(天正伊賀の乱)で荘園も姿を消していきました。近世、徳川家康の信望の厚い藤堂高虎が伊予今治から伊勢・伊賀の大名として移封され、江戸時代260年間に渡って、津と上野の二城制をとり、上野に城代家老を置き統治しました。明治になり、廃藩置県の後、三重県の一部となり今日に至っています。
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