伊賀の街道風景
 

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64. 石柱道標

嘉永5年(1852)村人により建立。「はせ」「いせ」「不動道」と刻まれている。

 


 

65. 水神碑

慶応3年(1867)のもの。

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66. 道標

「左赤目滝」と刻まれている。

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67. 菅笠日記の碑

名張から雨に降られた宣長が、やっとの思いでここまできた思いがつづられた碑。

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68. 鹿高神社

壬申の乱(672)の際、このあたりを通りかかった大海人皇子が、折からの大水で宇陀川を渡れず困っていると、どこからともなく白鹿が現れ、皇子を乗せて川を渡ったという。皇子は乱ののち、勅使をもって白鹿を祀る神社を建てた。それが鹿高神社であり、鹿高の地名はこのことにちなむという。

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69. 石碑

街道右の崖下の岩窟状になったところに、記念碑、大峰山参拝記念碑、地蔵、供養碑、阿部田村義民碑が並ぶ。

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70. 春日燈篭

正平8年(1353)のもの。春日神社境内。県指定史跡。

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71. 兵頭瀬(ひよどせ)

壬申の乱の際、大海人皇子が白鹿に助けられて、川を渡ったといわれるところ。

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72. 庚申堂

▲お地蔵さん
元禄2年(1689)建立。左横にはかわいいお地蔵さんに花が供えられていた。

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73. 鹿高智護神社跡

思兼神を祀っていた。「鹿高智護大神」の碑が立っている。鹿高小場の産土神で、鹿高権現とも呼ばれた。かつて、初瀬街道を通る人は、たとえ高貴な身分であっても、乗り物から降りて一礼したという。

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74. 石碑

右側から慶応3年(1867)建立の水神碑、慶応3年建立の鹿高渠水碑。権現坂から移設された孝女碑が並んで建っている。

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75. 阿清水橋

橋を渡ると、伊賀忍者・百地三太夫の屋敷があったという滝口への道。

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76. 延命地蔵

唐崖の切り崩した窪地に祀られている薬師さん。

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77. 唐崖(かろがけ)修路碑

明治14年建立。現在コンクリートで固められているこの崖は唐崖(かろがけ)と呼ばれ、番取山から宇陀川へ大きな岩が張り出し、明治時代になっても大変危険な場所であった。
大和と伊賀が接するこの辺りの街道はかつて唐崖道といわれた宇陀川沿いの難所であった。

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78. 牛飼地蔵

元文5年(1740)の日付が刻まれている。むかい地蔵とも呼ばれる。

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皇子を助けた白鹿の伝説
〜安部田 − 鹿高かたか

n64 石柱道標
n65 水神碑
n66 道標
n67 菅笠日記の碑跡
n68 鹿高神社
n69 石碑
n70 春日燈篭
n71 兵頭瀬
n72 庚申堂
n73 鹿高智護神社跡
n74 石碑
n75 阿清水橋瀬
n76 延命地蔵
n77 崖修路碑
n78 牛飼地蔵


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