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おいないねっとコソダテinfo

#先輩からの応援メッセージ  
 


 #H23.11.2に開催された「平成23年度女子医学生、研修医等をサポートする会」(三重県医師会、日本医師会主催)  で講演いただいた白子クリニック小児科の伊佐地真知子先生に応援メッセージをいただきました。

 

   女子医学生の皆様へ

 私には娘が二人います。長女は29歳、北海道で会社員をしています。次女は28歳、一昨年結婚しロス南のアーバインという所に住んでいます。昨年長男が授かりました。

 私は今から約33年前に三重大学医学部を卒業しました。当時は今以上に女医さんに対しては住みにくい時代でしたので、結婚して子どもができた時はそれなりに悩み、迷いました。それでも周囲の理解により何とか仕事も続けることができ、子ども達も一応独立して社会人になりましたので、当時を振り返り、これ#から結婚や子育てをする女医さん達に、少しでも参考になればと思い投稿させていただきました。

 私が小児科を選んだのは、当時若くて意欲に燃えている時代でしたので、何でも勉強したい、救急患者が来ても対応できる医者になりたいと思っていて、それができるところが小児科だと考えたからです。「大人は子どもの大きくなったものだが、子どもは大人を小さくしたものではない」と先輩からいわれていたことや、小児科に入ってから専門分野を深めていけばよいというのも魅力的だったのかもわかりません。当時は今の研修制度とは大分違うのですが、小児科の場合、卒後1年目は大学病院で検査や処置方法を学び、三重病院で腎臓や喘息といった慢性疾患の勉強をすることになっていました。2年目に外の病院に研修医として出て、水ぼうそうやおたふくかぜといった一般的な病気を勉強し、3年目に大学に戻ってきて研究や癌患児を担当するというのが一般的でした。私は、この卒後3年目、研修病院から大学病院に戻ってくる時期に結婚しました。

 大学病院に戻って来てから私の研究が始まりました。当時の教授には、小児科医は結婚して半人前、子どもができて一人前と言われていましたので、結婚して子どもができても仕事をすることが当たり前のように感じていました。私の研究テーマは「小児癌患者における水痘重症化機序の解明」でした。(S61年、学位をいただきました。)研究が始まって2か月くらいしてから妊娠しましたが、特に日常生活は変わったことがなかったため、そのまま仕事と研究を続けていました。つわりの時は顕微鏡を見るだけでムカムカし大変でしたが、何とか長女を無事出産することができました。その後上司とも相談し、伊勢に住む母に、津に来て子どもをみてもらうことにしました。母は小学校の教師をしていましたが、3月で早期退職をし、月曜日朝伊勢から津に来て、土曜日伊勢に帰るという生活をしてくれました。私は昼間病棟で働き、夜家に帰って、あまり出なかったのですが、子供におっぱいをやり、夜は研究棟で実験をするという毎日でした。長女が7か月くらいになった時、夜帰って抱こうとしたら、娘が私の顔を見て大泣きした#時には、母親としてとてもショックでした。人見知りをされたのです。

  そうこうしているうちに2人目が授かりました。2人になって母が大変ということもあり、下の子が6か月くらいの時に保育園に預けました。母は車に乗れないので、私が保育園の送り迎えをし、母に預けてまた夜実験に出かけるというさほど変わらない生活を送ることができました。でも、下の子が1歳くらいになった時、私の弟に子どもができ、母がその世話のために弟の所に行ってしまったのです。それからが大変でした。

  保育園を大学病院附属の保育園に変えました。当時は、看護師さんのための保育園でしたから、総看護部長室に行って頭を下げて入れて頂きました。まだまだ女医さんで預けている人は少なかったのです。でも、看護師さんの夜勤のために、1日おきにお泊まりの日があって、お泊まりの日は夜の8時半まで預かってくれるので助かりました。私は当時、未熟児室の勤務でしたので緊急手術や剖検になることもあり、お泊まりの日に泊まる子どもさんがあると緊急でも宿泊を引き受けてくれましたので、その際にはよくお世話になりました。しかし、お泊まりする子どもさんがいない時は、緊急宿泊させてもらえないので、その時は病棟や研究棟に子どもを連れて、置いておくこともありました。当時大学では、患者さんが亡くなると必ず剖検のお話をしなければならないことになっていました。その日も夜、子ども達を8時半に迎えに行って、医局に2人置いておき、子どものことが気になりながらも親御さんに剖検の話しをしたところ、そういう時に限って快く承諾が得られました。それから解剖の先生に電話をし、私はいろいろ忙しく動いていたのですが、子ども達はあちこち動いたようで(実は下の子がウンチをパンツにつけてしまったようで、それを小児科病棟にいる私に言いに来たようです。)、隣の耳鼻科の医局に間違って迷い込んだのでしょう、耳鼻科の先生から変な子どもがいると電話もかかってきました。剖検が終わって家に帰ると1時半、翌日は朝8時にはたたき起こしておにぎりを口に放り込み、目が痛いという子ども達を保育園に置いてくると言ったこともありました。なんてひどい母親だろうと心を痛めたことも何度かありましたが、今、子ども達に聞いてみても何も覚えていないのです。それよりももっとかわいい洋服を着せてほしかったとか、かわいい髪型にしてほしかったとか(私がマシュマロカットとか言って適当にカットしていましたので)、弟がほしかったとか好きなことを言っています。

 私の夫は忙しいということもあり、全くあてにならない存在でしたが、私が日直の時にはお弁当を作っておけば、2人の面倒をみてくれました。子ども達は “お父さんにドッジボールをしてもらった” とか言って喜んでいましたし、下の子は大学病院に来た時、たまたま夫の白衣姿を見て、“お父さんかっこいい、握手してくる” と言って握手しに行ったこともありました。その時、私はやっぱりどんな父親であっても、子どもにとって父親は父親なんだと思いました。#

 長女が小学生になった頃、私に、“お母さん仕事やめて” と言ったことがありました。私はビックリしましたが、同時にすごく悩んだ時期でもありました。夫に相談すると、珍しく、“医師を養成するには一人年間200万円くらいかかっている、6年間で1200万円、これで医者をやめたら社会に対して申し訳ないんじゃないか” と言ったのです。(今は、一億円くらいかかっているそうで、もしかして私の記憶違いで、当時もそのくらいかかっていたのかもしれません。夫もこのことを全く覚えていませんので。)妙に説得力があり納得してしまいました。当時夫は大学の助手、私は大学の医員で日給制だったので裕福ではなく、娘に、“お母さんが仕事を辞めると、きれいな洋服も買ってあげられないしおいしい物も食べられないかもしれないけどそれでもいいの” って聞いたんです。今なら小児科医としてこんな強迫めいたことを言うべきではないと思うのですが、でもそうしたら娘が、“お母さん仕事辞めないで” と言ったのです。

 その後もいろいろありましたが、そんな娘達がもう一人前になって独り立ちをしましたので、今、私は小児科医として、赤ちゃんの笑顔に囲まれながら癒される日々を送っています。
 今まで私の子育て記を述べてきましたが、これはあくまでも一例です。今は、多様な社会であり、選択肢は一つではないのです。ただ、仮に子育てで一時職を離れることがあっても、細々とでも勉強を続けていってほしいと思います。また余裕ができれば職場復帰することもできますから。子育ても勉強の一つです。私も自分の子どもでベビーフードの味見や、ミルク、おもちゃや、絵本等いろんな勉強をしました。それが今のお母さんへの助言にも生かされているように思います。
 それから楽しい写真を一杯撮って残しておくのもいいようです。娘が言っていました。結局それを何度も見ることで記憶に残っていくのでしょうね。

 今は、女性が育児をしやすいように社会も変わってきていて、今の人達は非常に恵まれていると思います。保育所や、病児保育、ファミリーサポートシステム等もあります。それに何といっても、男の先生方がやさしいです。小児科関係の学会には必ず託児所がありますし、赤ちゃんや子どもさんを連れた女医さんもよく参加してみえます。今や学会での託児所はほぼ常識になってきているような気がします。社会が子育てしながら働く女医さんをサポートしようとしてきてくれているのです。#

 皆様方はせっかく医学部に入られたわけですので、とにかくまず医師としてしっかりと研鑽をつんでいただきたいと思います。そして、いい人に巡り会って結婚して、子どもができたら、その時改めて考えればいいのです。おじいちゃんやおばあちゃんの協力が得られるなら、甘えちゃってもいいのです。利用できる人や制度は何でも利用すればいいと思います。そして、みんなに感謝しつつ、子どもに愛情を持って、しっかり生きているお母さんは、子どもにとっても眩しい存在なのではないでしょうか。

  子育て中は子どもに振り回され、同級生より医師として遅れていくような焦りを感じることもあるかもわかりませんが、私自身振り返ってみると、今自分に残されている大切なものは、医師としてのキャリアではなく、家族であるような気がします。

 とにかく悔いのない人生を歩んでいって下さい。そして、間違っても、私はあなたのために自分の人生を犠牲にしたということのないようにして下さい。
 あと一つ、できれば三重に残って活躍して頂きたいというのが私の願いです。

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本ページに関する問い合わせ先

三重県 医療保健部 医療人材課 医師確保班 〒514-8570 
津市広明町13番地(本庁4階)
電話番号:059-224-2326 
ファクス番号:059-224-2340 
メールアドレス:iryokai@pref.mie.lg.jp

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