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鈴鹿亀山地域の史跡紹介 


 神戸城跡(鈴鹿市神戸本多町)

信孝(織田信長の三男)は神戸家の養子となり、天正8年(1550)金箔の瓦も用いた五重の天守閣を築きましたが、本能寺の変後、秀吉と対立し自刃しました。文禄4年(1595)には、天守閣も桑名城に移され、江戸時代を通じて天守閣は造られず、現在は野面積みの石垣だけが残り、付近は神戸公園となっています。 

  

 関宿(亀山市関町新所)

亀山市の中央に位置する、東海道47番目の宿場町。東海道で唯一、往時の町並みを色濃く残していることから、昭和59年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。建物の修理や景観の保全が進められ、伝統と現代の人々の暮らしが調和する心地良い町並みが広がっています。 

 

 亀山城多門櫓(亀山市本丸町)

天正18年(1590)、岡本宗憲によって築かれた城。丘陵の上に建ち、白壁の櫓・門・土塀などを連ねる景観が蝶の群れとなって舞う姿にたとえられ、「粉蝶城(こちょうじょう)」とも呼ばれた優美な城でした。寛永9年(1632)、幕府から“丹波"亀山城の修築を命じられた堀尾忠晴が間違えてこの亀山城の天守閣を解体してしまったという伝承があります。その後、天守跡に平時は武器庫として、戦時は防戦用として利用するための多門櫓が建てられました。明治期には士族授産の木綿緞通 (もめんだんつう)工場として使用されたため破壊されずに現在まで残り、三重県で唯一現存する城郭建造物として県史跡に指定されています。