名張市 被弾ピアノ
1945(昭和20)年6月9日の午後、空襲警報のサイレンとともに、北の方から米軍の戦闘機が飛来し、校舎が襲撃されました。子どもたちをシャックリ川の堤防に避難させ、自らも校庭の防空壕に避難した当時の校長は、敵機が去ったあと、シャックリ川の堤防から子どもたちの頭が一つ二つと見え、誰ひとりけが人がなかったことが、終生忘れえぬ喜びであったと手記に記しています。
この時に校舎に撃ち込まれた機関砲の弾丸は、柱をつらぬき壁に大きな穴をあけ、講堂のピアノの右側面の下をえぐっていました。だれもが機銃掃射の恐ろしさに立ちすくんだそうです。
6月5日に米軍のB29爆撃機が日本軍戦闘機の体当たり攻撃で青蓮寺に墜落し、その報復が行われたのです。このあと、6月15日には、新田集落が焼夷弾空襲をうけ、7月24日には赤目口駅が機銃掃射を受け、死者50名と113名が重軽傷を負いました。死者の中には、出征兵士を見送りに来た多くの子どもたちも含まれていました。
このピアノは、1937(昭和12)年の春、地元有志が蔵持小学校に寄贈したアップライト型ピアノで、長い間、小学校で使用されてきました。やがて、ペダルが折れたり、音が出なくなったりして、音楽室の片隅に置かれていました。このたび、市内のピアノ職人さんの手により修繕され、その音色は復活しました。戦争の悲惨さを語り継ぐ「生き証人」として、この名張市武道交流館「いきいき」に展示をいたします。
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