このページではjavascriptを使用しています。JavaScriptが無効なため一部の機能が動作しません。 動作させるためにはJavaScriptを有効にしてください。またはブラウザの機能をご利用ください。
各地域名をクリックすると、地域ごとの証言動画、戦争遺跡等をご覧いただけます。
伊勢志摩地域
昭和20年7月伊勢市で空襲に遭う。焼夷弾の炎から逃げる際に家族と離れてしまい、一人で避難した。
昭和20年7月伊勢市で空襲に遭う。焼夷弾の影響により、家族と離れ一人で避難した。
昭和20年6月 13歳の時、伊勢市で空襲にあい、父を亡くす同年7月29日未明 伊勢市で2度目の空襲にあう
準備中
当時、小工業都市地域であった宇治山田市(現在の伊勢市)も空襲による大きな被害を受けています。特に、7月29日の空襲による被害は大きく、詳細は以下のとおりでした。7月29日:死者89名 傷者118名 全焼5,080戸 (参考:『三重県史 資料編 近代2(政治・行政Ⅱ)』(昭和63年))