このページではjavascriptを使用しています。JavaScriptが無効なため一部の機能が動作しません。
動作させるためにはJavaScriptを有効にしてください。またはブラウザの機能をご利用ください。

スマートフォンサイトへ移動

三重県議会 > 県議会の活動 > 委員会 > 委員会会議録 > 平成29年度 委員会会議録 > 平成29年10月12日 障がい者差別解消条例策定調査特別委員会 会議録

平成29年10月12日 障がい者差別解消条例策定調査特別委員会 会議録

                                                             資料はこちら
               障がい者差別解消条例策定調査特別委員会

                           会議録
                          (開 会 中)
開催年月日   平成29年10月12日(木) 自 午後1時03分~至 午後3時55分
会議室        601特別委員会室
出席委員    13名
            委員長       杉本 熊野
            副委員長    小林 正人
            委員           芳野 正英
            委員           中瀬古 初美
            委員           岡野 恵美
            委員           倉本 崇弘
            委員           田中 智也
            委員           木津 直樹
            委員           山内 道明
            委員           藤田 宜三
            委員           津田 健児
            委員           三谷 哲央
            委員           中森 博文
欠席委員      なし
出席説明員    出席を求めず
委員会書記
            議事課           主幹  黒川 恭子
            企画法務課    主任  樋口 慎也
参考人        4名
            社会福祉法人三重県視覚障害者協会 会長                    内田 順朗 氏
            三重県自閉症協会 会長                                    中野 喜美 氏
            特定非営利活動法人三重難病連 副会長                      西山 幸生 氏
            一般財団法人三重県知的障害者育成会 理事長               高鶴 かほる 氏
参考人補助者 3名
傍聴議員    なし
県政記者     1名
傍聴者         3名
調査事項
1 参考人からの意見聴取について
 (1)障がい者を取り巻く現状等について
2 その他

【会議の経過とその結果】

〔開会の宣言〕

1 参考人からの意見聴取について

○杉本委員長 本日は、障がい者を取り巻く現状等として、障がい者が日常生活や社会生活において差別を受けたり、配慮がなされなかったと感じた具体例や、差別の解消に向けた政策として望むこと、障がいのある方もない方も共生する社会に向けて課題と考えることなどについて、参考人からの聴き取り調査を行います。
 前回の委員会で決定したとおり、本日は、社会福祉法人三重県視覚障害者協会会長内田順朗様、三重県自閉症協会会長中野喜美様、特定非営利活動法人三重難病連副会長西山幸生様、一般財団法人三重県知的障害者育成会理事長高鶴かほる様、以上4名の方に参考人として出席を求めております。
 なお、出席を求めた社会福祉法人三重県視覚障害者協会会長の内田様、及び三重県自閉症協会会長の中野様から補助者を同席させたいとの申し出がありましたので、これを許可することに御異議ありませんか。

          〔「異議なし」の声あり〕

○杉本委員長 異議なしと認め、補助者の同席を許可することといたします。
なお、参考人からの聴き取りは、質疑を含め、それぞれ40分以内といたしたいと存じますので、御了承願います。また、参考人に御退室いただいた後に、委員間討議を行いたいと存じますので、よろしくお願いいたします。

(1)参考人意見陳述

○杉本委員長 この際、参考人の内田順朗様に一言御挨拶を申し上げます。
 本日はお忙しい中にもかかわらず本委員会のために御出席いただき、誠にありがとうございます。
委員会を代表して心からお礼申し上げますとともに、忌憚のない御意見をお述べ下さるようお願いいたします。
それでは、参考人からの意見聴取を行います。参考人の方からは、障がい者を取り巻く現状等として、障がい者が日常生活や社会生活において差別を受けたり、配慮がなされなかったと感じた具体例や、差別の解消に向けた政策として望むこと、障がいのある方もない方も共生する社会に向けて課題と考えることなどについてお聞かせいただければと存じます。内田順朗様、お願いいたします。

○内田参考人 本日は、参考人としてこういう場を与えていただきましたことに感謝を申し上げます。
 実はこの10月5日に、私どもは毎年行っておるんですけれども、参考資料にも提供させていただきましたけれども、三重県視覚障害者福祉大会というのを、今年は10月5日に鳥羽で行いました。
 その宣言の中にも書いてございますけれども、私たちは視覚に障がいがあるということで、大変不便な生活をしております。
 視覚に障がいがあるということだけで不便な生活をするのは、ある意味仕方のない部分もあるわけですけれども、目が見えないということだけで社会から差別を受けたり、偏見があったりということを日々感じております。
 そういうことを解消するためにはどうすればいいかということも含めて述べさせていただきますけれども、長年、私も自らの視覚障がいということもあって、視覚障がいのことを社会の人たちに理解してもらわなければ、この差別とか偏見ということがなくならないのだろうなということを、最近特に確信するようになりました。
 以前は、視覚障がいといえば、たくさんおられましたし、町には視覚障がい者の多くがあんま、マッサージ、はり、きゅうの仕事をされておりましたので、それほど違和感なく社会に溶け込んでいたということもあったのですけれども、幸いにしてといいますか、視覚障がいを持つ方が少なくなってきましたのと、高齢になって視覚障がいを得るということが、逆に増えております。
 そういうことで、なかなか視覚障がいという障がいを、以前ほどは理解を受けることが難しくなっているのではないかというふうに感じるわけです。
 いろんな配慮とか思いやりとか、あります。
 でも、私たち障がいを持つ者が、まず自立をして、社会参加をするということが基本だとは思います。
 特に、視覚障がいの場合からすれば、それはある意味可能なことではありますので、そういうことを通じてその姿を見ていただいて、社会の方々が視覚障がいとはこういうことなのだな、そうすればどういう配慮とか、バリアを下げるために施策をすべきであるということが、おのずからわかる部分があるとは思うんですけれども、町に出ましても、白いつえを持って歩いている人、なかなか見かけないという今の時代にあって、やはり視覚障がいということを、どういう障がいがあって何が不便なのかということをよくわかってもらうように、施策的に進めることが必要であると思います。
 我々自身も、社会参加、自立、職業訓練等、自らの努力だけではなかなか達成できない部分がありますので、やはり制度的な支援とか、それにかかわる福祉の部分もありますし、そういう後押しがさらに必要なのだろうと思っています。
 具体的に、先ほど委員長から、どういう差別、あるいは思いやりのないことを受けてきたかということについて、具体的な例を述べさせていただきますと、1つは、目が見えないということで、そんな配慮がない、例えば店頭、あるいは役所等に行って、署名、捺印、筆記をしなければいけない場合でも、ここに書いてくださいと堂々と言われるわけです。
 白いつえを持っていて、目が見えないことがわかっていて、とりあえずそういうことを言うわけです。
 そういう場合に、やはりつらいなという気持ちは、皆さん持っています。
 そういう配慮、私たちから言えば、目が悪そうだけれども、目が悪い方はどうしましょうかと言っていただければいいわけですけれども、これ書いてくださいと堂々と言われるということが、まだまだあります。
 障害者差別解消法が昨年できましたから、役所等ではかなり減ってはきておりますけれども、民間とか、公共サービスを行う民間の窓口等では、まだまだあり得ることです。
 最近聞いた話では、2番目の差別事例では、旅行をしたときに、ホテル、旅館あるいは健康ランド等、利用施設で、目が不自由な方は危ないから介助者と一緒に来てくださいというわけです。
 大風呂、みんなが入るお風呂に、視覚障がい者だけで入ってもらっては危ないからお断りするとか、そういう話がまだまだあるようです。そういうことが1つ。
 それから、これが一番問題だと思うんですけれども、視覚障がい者がだんだん高齢化してきて、なかなか健常の家族と一緒に住むということが難しくなっているケースが多くあります。
 そういう場合に、やはり住む場所の確保、借家とかアパート、マンションの賃貸の契約が、視覚障がいがあるとなかなかできないという現実はあります。
 何年か前に、実際に私の知っている方なんですが、視覚障がいで盲導犬を伴って生活したいということで、借家を探していたんですけれども、いや、盲導犬と一緒に暮らしてもらっては困るということで、盲導犬を貸与してもらうのに時間がかかった、家を探すのに時間がかかったという事例はあります。
 視覚障がい者に家を貸すと、危ないとか火を出すとか、ごみはちゃんと出せるのかとか言うわけです。
 それは、家庭で生活している場合に、一定の家事訓練とか、訓練を受ければ、身の回りのことはそれなりにできるし、コミュニケーションもそれなりにできるんですけれども、無理解からなかなか借家を貸してもらえないということがあります。
 次の事例ですけれども、公共交通機関の利用拒否ということがあります。
 介助者がいれば、ほとんど問題はないというふうに言われますけれども、単独で利用すると、危ないからとか言われます。
 特に、私は盲導犬を使っているわけですけれども、盲導犬を連れていると、特にタクシーとか、最近はこの地域ではほとんど私は経験はしておりませんが、盲導犬ユーザーの仲間たちから聞くと、タクシーの乗車拒否というのはまだまだあります。
 それから、無理解というか、心にないというか、私からすれば、そういう言葉遣いをするかというふうに思うんですけれども、恵まれないとかお気の毒というような言い方をされるわけですけれども、不幸だとか恵まれているとかいないとか、気の毒であるとかいうのは、その当事者の思いであって、周りから言われる筋合いのものではないというふうに、私は思うんです。
 お気の毒だからここをちょっと配慮しますねというのは、少し違うなと、最近ではそういう言い方はほとんどされないですけれども、やたらに言葉だけが丁寧であったり、お気の毒だからちょっと配慮してここに、本当はだめなんだけれどもやりますよというような言い方は、それはある意味逆差別で、第三者から見ると、何か障がいがあるゆえに特別の恩恵を受けているというふうに見られることがあります。
 あと5分ぐらいなので、まとめですけれども、これからどうすればいいか。
 1つは、障害者差別解消法で、行政等が障がい者について理解をということで啓発をされていますけれども、単なる啓発ではなくて、障がいを理解するためには具体的にどうすればいいかというところまで踏み込んだ啓発でないと、なかなか進まないだろうと思いますし、当事者にも、やはり社会で生きていく、共生社会で生きていくためには、どのような方法があって、どう仲よくしていけばいいのかという、より進んだ具体的な啓発あるいは事業が必要なんだろうというふうに思います。
 視覚障がいの場合は、社会参加するにはバリアがあります。
 そのバリアを取り除くことが必要なんですけれども、最近、大阪でまたホーム転落事故が起きました。
 必要なのは、周りからの声かけであって、大きな予算を使ってホームドア、なかなかできませんけれども、人の、ソフトの人的な支援、当事者も含めて、そういうことが徹底すれば、あのような事故は防げるのではないかなと思います。
 時間が参りましたので、以上とさせていただきます。

(2)参考人への質疑

○杉本委員長 ありがとうございました。
 ただいま具体的な事例ですとか、これから望むところをお聞かせいただきました。
 ただいまの御意見を受けまして、委員の皆様から御質疑等をお願いをいたします。
 なお、念のため申し上げますが、参考人は委員長の許可を得て発言し、また委員に対しては質疑をすることができないことになっておりますので、御了承をお願いいたします。
 それでは、御質疑があればお願いをいたします。

○岡野委員 2点お聞きしたいと思います。
 わかってもらえることを進めるために、制度的な支援が必要だということで、福祉の後押しがさらに必要と言われましたけれども、具体的にどういうふうなことなのかを、教えていただきたいことが1点です。
 もう1点は、啓発についても、理解をするための踏み込んだものでないと意味がないので、より進んだ啓発というふうにおっしゃいましたけれども、なかなか理解しにくいものですから、そのあたり、具体的にこういったことを言っているということをお示しいただければありがたいと思います。2点お願いします。

○内田参考人 2点お尋ねですけれども、いろんな障がい者に対する、特に私の場合視覚障がいなんですが、視覚障がい者に対する自立と社会参加を促進するための施策というのは、いろいろなされておりますけれども、まだまだそれだけでは不十分だということです。
 年金とか手当とか、仕事をすればそれなりの収入は得られるわけですけれども、平均的なことを申しますと、どうしても障がいがあったりすると、生活がいろいろ逼迫しているということはありますので、そういう生活を支えるという支援も必要なんですけれども、自立と社会参加、あるいは職業訓練のための、より踏み込んだ施策がさらに必要だろうと思います。
 具体的にといいますと、自立のためには、やはり、人生の中途で失明をされる方が最近増えてきておりますので、日常生活のスキルをアップするための、具体的な生活スキルの訓練、あるいは外出のための歩行のスキルを上達するための訓練と、どうしても自力ではなかなか外出ができないということでありますので、同行援護制度という制度が、数年前から国の制度であるわけですけれども、利用の仕方がハードルが高くて難しいという現状があります。
 それと、職業的には、新しく視覚障がい者ができる職業の開発はされてきておりますし、能力のある人は挑戦をしているわけですけれども、日本の視覚障がい者が従来、それなりに生活を維持してきたのは、私もそうなんですが、あんま、マッサージ、はり、きゅうの仕事が、日本の場合、伝統的に視覚障がい者の仕事ということで、なされてきたわけです。
 この業態が、なかなか難しいような状況になっています。
 それは、自営で業を行うということも難しくなってきていますし、あんま、マッサージ、指圧師、はり師、きゅう師の資格を持っていて、以前は病院であるとか、老人福祉施設であるとか、それなりに勤め口はあったわけですけれども、そこからも排除されているという状況がありますので、自立、社会参加を促進する一つの大きな基本は、やはり職業的に自立することだろうと思います。
 十分、その環境といいますか、技術というかノウハウはあるわけですから、これは政策的に後押しをしていただく必要があるのだろうなと思います。
 それから、啓発の話ですけれども、私どもはよく、福祉の関係者といろんな話をしますけれども、確かに行政とか公共機関では、視覚障がい者の誘導の方法はかなり御存じのようなんです。
 ところが、もう少し踏み込んで、生活上の工夫とかいうことになると、ほとんど御理解がないということです。
 だから、最近では、高齢の運転者に対して、高齢になると危ないよという、かなり詳しい情報の提供とかケアが行政からなされますけれども、それと同様に、障がい者に対する、そういう障がいの特性とか、日常生活上の工夫はこんなことをしているんだよということを、社会の共有財産として持たないと、幾ら差別をなくしましょう、偏見をやめましょうといっても、それは絵に描いた餅にしかならないのだろうなと。そういうことが必要であるということと、それを行政とかそういうところが積極的に推し進めていってもらいたいなと。
 障がい者団体とかで、障がい者個人にその努力を押しつけるのは、それは少し酷ではないかなというふうに感じております。
 以上です。

○岡野委員 ありがとうございました。
 ちょっとイメージ的にわかってきたかなというふうにお話を聞かせていただいて、受けとめられるような感じになってきたんですが、やはり、啓発の部分については、まだまだ、私自身が飲み込めないところもありますので、私自身ももっともっと勉強していかなくてはいけないと、改めて思ったところです。
 どうもありがとうございました。

○杉本委員長 ほかにございませんか。

○中森委員 お話しいただきまして、ちょっと1点、前から気になっているところがございました。
 はり師、きゅう師の職業です。あんま、はり、きゅうの、そういう業をされている方々のところへお伺いする機会がありまして、その時にポスターでいろいろと、我々も知っている、いわゆる整形外科医の治療、それから柔道整復師の骨接ぎ等々の治療、そしてはり師、鍼灸師のそういうような治療と、それ以外の、表現は難しいんですけれども、どういう表現がいいかわかりませんが、例えば整体とかカイロとか、体をよくしようという業をされている方々のお店があるというのも知っていまして、そこには鍼灸師の職を、ややもするとそういうところに、行政としての何か手立てを求めているのではないかなというところを気にしているんですけれども、そういうことはあるんですか。

○内田参考人 御質問を半分ぐらいしか理解していないのかもしれませんけれども、やはりこの業態というか職域に関して、それなりの行政の力による先導的な、保護といいますか、視覚障がい者が自立するための職業として、積極的にカバーをしていただきたいなというふうに思います。
 今までは、社会のそれぞれが職業を持って、それぞれ頑張っているんだから、視覚に障がいがあろうがなかろうが、それはあなたたちでやってくださいよというスタンスであったと思います。
 でも、視覚障がい者の仕事が、先ほど申し上げましたように、この免許があって、それなりのスキルがあれば生活ができるという過去の実績とノウハウがあるわけですから、そこのところを認めていただいて、大変言いにくい、先生、言葉だったと思うんですけれども、いわゆる法律上は取り締まることになっているのに、なかなか取り締まれないという実態がある中で、あなたたちは努力しなさいよというふうな言い方しか、行政の面からはされてこなかったというふうに感じておりますので、あえて踏み込んで、視覚障がい者の職業的自立という観点から、方法はあるのだろうなとは思っておりますので、述べさせていただきました。

○中森委員 わかりました。
 いろいろと法的なことで、新しい行政指導をするということについては承知しましたので、しかるべき所管に、我々のほうからも必要に応じて対応を求めるということと本日はさせていただきたいと思います。
 我々は議会ですので、直接はできませんので、そういう間接的なことをさせていただくにとどめるしかないわけでございます。
 あと、我々は条例をつくることについて、何らかの障がいを持たれている方々のハンデを少しでもクリアしたいという気持ちはあっても、それを具体的に表現するのに若干苦慮するところがあるんですけれども、もし視覚障がい者の方々から、ここに必ずこういう表現であったりコメントをという特記すべき内容がありましたら、今ざっと聞いた中で頭の中に入っていますけれども、表現方法など、いい表現があったらなと思うんです。
 例えば、これは難しいんですけれども、先ほどお話の中で、お気の毒だからとか、かわいそうだというようなことを積極的に言うことによって、サービスをこうしたらどうとか、差し出がましいことを言うことは、かえってよくないというような印象を持たれているということですので、自然と、障がいのある人もない人も、ともに暮らせるような社会を求められている中で、少なからずも、駅のホームなどの危険未然防止については、障がいのない方が、ある方に対する配慮というのは、必ず持っていると思うんですけれども、それを条例で表現するというのは、非常に、どうしたらいいのか、我々が工夫すべきことかなというふうに思ってございますので、この点はまた、我々委員間で協議をすべきことかなというふうに感じました。
 以上でございます。

○杉本委員長 ほかに御質疑はありませんか。

○津田委員 何カ月か前に、この委員会で、千葉県、埼玉県に県外視察に行ってきまして、その時は埼玉県でチェーン店のホテルに泊まったんです。
 率先して、委員長、私、藤田委員もそうだったと思うんですけれども、あんま、はり、きゅう業発展のために貢献しようということで、ホテルに電話をかけて、3人で取り合うぐらいの形で、あんま、マッサージの方に来ていただけるのではないかということで、予約をしたんです。
 後から気づいたことなんですけれども、ほとんどの方が資格を持っていらっしゃらない方だったということを、後から聞いたんですけれども、今、県が、市が設置している相談窓口があると思うんですが、そういったホテル業に対してだとか旅館業に対して、相談をかけるということをしているのかとか、相談かけたときに、どういった対応が、返答が返ってきただとか、そういうのがあれば、ちょっと教えていただきたいなと思います。

○内田参考人 時代とともに、最初の部分で申し上げようと思ったら時間がなくて、視覚障がいそのものは時代とともに変わっていないわけです。
 なぜ、社会の障壁があるかというと、一つの例を申し上げますと、うんと以前、皆が自家用車を使わなかった時代には、皆歩いていたわけです。
 そうすると、視覚に障がいがあっても、目が見えていても、それほど外出に差はなかったはずなんです。
 自動車社会になって、運転ができないと、その差は歴然としたものになって、目が見えないから車の運転ができないんだろうという結論になってしまっていますけれども、じゃ、その目の見えない状況は昔も今も変わらないのに、なぜ障がいが増えたかというと、社会が障壁を高くしているわけです。
 旅館・ホテルで、なかなか正規の資格を持ったマッサージ師が雇用されにくいというのは、これだけの情報化社会ですから、身軽に動きがとれる人でないと、ホテルは雇いたがらないわけです。
 昔のように、のんびりとした時代でしたらいいんですけれども、今は、夜はお部屋でマッサージの仕事をしながら、昼はホテルか何かの、その他の仕事もできる人をどうしても採りたがるわけです。
 そういうことで、視覚障がい者でホテルの仕事をしようと思っても、なかなか臨機にその仕事に行けない、採用もされないということがあったりします。
 先ほど例を挙げました老人健康保健施設もそうです。
 結局、視覚障がい者のマッサージ師、機能訓練指導員という資格なんですけれども、雇っても、その他のことはできないわねと。
 その人も送り迎えもしなければいけないしということになると、なかなかその辺は、配慮というか、配慮という言葉は私嫌いなんですけれども、一定の支援を上乗せしないと、自立と社会参加にはならないんだろうなというふうに思います。
 合理的配慮という言葉がありますけれども、配慮というのは、先ほど言いましたように、気をきかせるとか思いやるということではなくて、具体的にバリアをなくするための施策をするという、もとの国連の条約ではそういう意味なんです。
 それを日本語に訳したときに、配慮という言葉に国はしたわけですけれども、その配慮という言葉、優しい気持ちを持っていて思いやりがあればいいよねということではないわけで、視覚障がい者にすれば、社会参加のために、ユニバーサルデザインのまちづくりをする、それをきちっとチェックをする、違う機会で述べさせていただきましたけれども、そのチェックは、施設を設置したほうがやってもらわないと、私たち当事者に、例えばここの点字ブロックが壊れているとか、ここの交差点は少し危ないよといったことを、私たちから言わなければいけないような社会というのはおかしいと思うんです。
 それはみんなが、先ほど言いましたように、障がいがあることをみんなが理解していただければ、それぞれの施設管理者なり設計する人が、ここはこういうふうにしなければいけないよなと気づいてもらわないと、私たちは見えないですから、なかなか手で触れ、足でさわらないと、障壁がわからないわけです。
 そういうことを、うまく言えないですけれども、条例に組み込んでいただければなと思いますし、ホテルのそういう仕事の状況についても、現実はそういうことなのでというふうに思います。
 少し御質問の趣旨とは違う内容で話をさせていただきましたが、御容赦ください。
 以上です。

○津田委員 相談窓口の充実とは、非常に条例をつくる上でも大事だと思いますし、相談をしたけれども何も変わらなかったとか、あるいはもう相談窓口に言うても仕方ないので相談せんとこうというのではあかんと思うんです。
 ちょっとお聞きしたかったのは、視覚障害者協会からかなり、ホテル業とか旅館街に対して、有資格の者を採用してもらうように要請をしても、やはり返ってくるのはつれない対応なのか、もともとそういうことをしていないのか、そういう状況をちょっと教えていただきたいのですが。

○内田参考人 以前は、旅館とかそういう業界団体に、抽象的な意味で要望は出しておりましたが、最近はなかなかしておりません。
 というのは、一回聞いたんですけれども、御要望は、趣旨はわかりましたので、じゃ、募集をかけてみたと。
 視覚障がいとはいいませんけれども、正式にあんま、マッサージ師、指圧師、はり、きゅうの資格を持っている方で、ホテルでマッサージの仕事をという募集をしても、来ないと言うんです。
 だから、どうしても無資格とわかっていても、そういう人を採らざるを得ないということがあります。
 一つには、大体、ホテルの部屋あるいは旅館で、自室に来てもらってそういう治療を受けるということは、大変、旅行に行ったときにはしてほしい状況ではあるんですけれども、本来ならば、ホテルだったら治療の部屋があって、あるいは町なかの治療院に出向いてもらうというのが本来ではなかろうかなというふうに思います。
 ルームサービスありますけれども、食べるものの、ホテルで、そこでマッサージをするというのは、今の世の中、これから先、少しスマートではないのではないかなと、私個人的には思っています。
 それを現実にあわせて、なかなかそういう人がいないということもあわせて、その辺の社会の考え方というか、ニュアンスを変えていくのも一つの差別解消の方法ではないのかなというふうに思っています。

○津田委員 法律はつくれませんけれども、そういった相談できるような体制をどうやってしいていくかというのがポイントなので、聞かせていただきました。
 生活スタイルについては、改めさせていただきたいと思います。

○杉本委員長 ほかにございませんか。

○田中委員 差別を社会全体でなくしていくということを、我々としてその条例でどうしていくかということをずっと考えているんですけれども、今、いみじくもおっしゃった、どういう差別を受けているか具体例のところで、署名を求められるとか、大浴場での入浴の拒否とか、健常者というか社会側が、障がいがあるということがどういう状況なのかということを、やはり理解していないということが一番根底にあると思うんです。
 そこのあたりを理解するための具体的な行動について、私みたいな発想が貧困な者からすると、意見交換させてもらったり、いろいろふれあう場というものをすぐに思いついたりするんですけれども、それはそれで、障がいがある方たちにとって負担になるんかなというふうにも思うところがあるんですけれども、そのあたりはどうお感じになりますか。
 今、このある社会の障壁を取り除くための、今のプロセスとして、そのあたりを障がいがある方たちにも協力していただくべきかなというふうに思っているんですけれども、どうでしょうか。

○内田参考人 御指摘のとおりなんです。
 私たちの団体とか、三重県もいろんなイベントとかプログラムを組んでいただいて、障がいの理解を一般の市民の方にしていただくようなプログラムを組んでもらっておりますけれども、なかなか、新しいというか、若い障がいのある方が来ないんです、実際の話は。
 私どものような古い者がやっている、こういう活動というか会の役員をしている者たちばかりが集まってということになります。
 なぜかというと、一つは、障がいのある方そのものが減ってきているということもありますし、そういうところに行っても、なかなか物が言えないといいますか、今日も雑談で言っていたんですけれども、正論だと思って指摘をすると逆にひどい目に遭うと、昨日からニュースでありますよね、高速道路上で後ろから追突されてという、そのことなんです。そういうことが、やはり拭い去れていない。
 視覚に障がいがあったりすると、ここで一言言っておくべきかなと思っても、目で確認できませんから、同伴者がいない限り、害がなくてもうまくはぐらかされてしまうということがあったりします。
 それより強く言うと、逆にわからないところで仕返しを受けるのではないかという、そういう観念が、我々当事者のほうに強くあるわけです。
 冒頭に申し上げました、視覚に障がいがあるだけなのに、それ以外の偏見とか差別を受けてきたというのは、そういうことなんです。
 だから、当事者がまともにといいますか、きちんと自分の口で、障がいがあってもなくても、もちろんそうなんですけれども、自分の状況が説明できて、社会に訴えられるという自立心というか、これは基本的人権の、福祉ではなくて人権の問題なんですけれども、そういう人権意識を持たないと、セミナーをやったりイベントをやって、障がい者の方に来てもらっていますが御理解をと言ったって、なかなか本音のところでは進まないんだろうなというふうに思っています。
 国の障害者差別解消法なんですけれども、心の問題には法は立ち入れないはずなんです。
 だから、障害者差別解消法にしても、障がい者差別解消条例にしても、じゃ、行政はどうする、公共的なサービスを提供している民間企業はどうするという、そういうところにしかできないはずなんです、あの規定は。
 隣のおじさんが、あそこの障がい者に対してどういう思いを持っているから、それは間違っているから直しなさいと、そういうことは個人の信条の自由ですから、どうもその辺の誤解があって、この法律なり条例ができると、そういうことまで直してくれるのではないかなという淡い期待が充満しているように思います。
 行政なり、条例なり法律でできることは、具体的に障壁を取り除くことがメーンで、優しい心を持ちましょうなんてことは、それは啓発で言えるかもしれませんけれども、何じゃそんなことということになりかねないのではないかなと思っています。
 具体的にどうするかというと、やはり、最初の話の中でさせていただきましたように、障がいがあるないにかかわらず、いろんなことで行政は情報を流したり、啓発活動をしたり、民間の社会福祉協議会とか団体にいろんなセミナーやら講習会をされています。
 それの力の入れぐあいと同様に、障がいに対する理解というか、具体的には先ほども申し上げていますように、どういうことが必要なのだということを、当事者に、あるいは健常者の人に、具体的に教えていただく機会をどんどん増やしていかないと、最初はそれだと思うんです。
 そうしていかないと、旗振るだけで、効果は出にくいのではないのかなというふうに思っています。
 そのぐらいにします。

○杉本委員長 ありがとうございます。
 まだまだ御質疑をされたい委員の皆さんあろうかと思いますけれども、三重県視覚障害者協会、津市のすぐそこにありますので、また今後、御質問等ありましたら、協会へ直接お尋ねいただくということで、今日は偏見・差別を受けてきた中での現状と御要望等をお聞かせいただきました。
 このあたりで質疑を終了させていただきたいと思います。よろしいでしょうか。

          〔「なし」の声あり〕

○杉本委員長 この際、参考人に対し、委員会を代表して一言お礼を申し上げます。
 本日はお忙しい中、本委員会のために御出席をいただき、ありがとうございました。
 このたび頂戴いたしました貴重な御意見は、今後の本委員会での議論に反映し、役立てていきたいと存じます。本日はまことにありがとうございました。
 ここで参考人が退室されますので、しばらくお待ちください。

          〔参考人及び補助者 退室〕

          〔中野参考人及び補助者 入室〕

(3)参考人意見陳述

○杉本委員長 この際、参考人の中野喜美様に一言御挨拶を申し上げます。
 本日はお忙しい中にもかかわらず本委員会のために御出席いただき、誠にありがとうございます。
委員会を代表して心からお礼申し上げますとともに、忌憚のない御意見をお述べ下さるようお願いいたします。
それでは、参考人からの意見聴取を行います。参考人の方からは、障がい者を取り巻く現状等として、障がい者が日常生活や社会生活において差別を受けたり、配慮がなされなかったと感じた具体例や、差別の解消に向けた政策として望むこと、障がいのある方もない方も共生する社会に向けて課題と考えることなどについてお聞かせいただければと存じます。中野喜美様、お願いいたします。

○中野参考人 よろしくお願いいたします。
 御紹介いただきました三重県自閉症協会の中野と申します。
 本日は、参考人としてお話をさせていただく機会をいただきましたこと、感謝いたします。
 日ごろ私たちが思っていることや願いを、どのくらいお伝えできるか、少々不安ではございますが、よろしくお願いいたします。
 まず、配付していただきました資料の「三重県自閉症協会って???」というのがお手元にあるかと思いますが、私たちの会を紹介したペーパーでございます。
 この会は、自閉症など発達障がいの人たちの保護者の会でございます。
 自閉症児を守る会として発足してから、三重県自閉症協会になり44年目になります。
 会員は、賛助会員を含めて400人近くの大きな所帯になっております。
 主な活動は、自閉症の理解を広げることや、本人たちが穏やかに暮らしていけるように、レクリエーションやら勉強会など行っております。
 また、後ほどゆっくり目を通していただければと存じます。
 自閉症というネーミングから想像されがちなんですが、御存じのように、自分の殻に閉じこもっている人のことではありません。
 自閉症のことは、近年随分研究されておりますが、まだその原因ははっきりしていませんで、50年ほど前に発表された論文では、親の育て方に原因があるといわれて、親たちはつらい思いもしましたが、今はしっかり否定されております。
 現在のところの見解は、先天的に中枢神経の働き、主に認知の機能に問題があり、情報伝達がうまくいかなくて、社会性やコミュニケーション能力など広い範囲に発達の偏りや遅れが出てきていると考えられています。
 条例を策定していただく上で、先生方には勉強していただいているとは思いますが、改めまして特性を知っていただきたくて、簡単に特徴の説明をさせていただきながら、事例や願いを交えてお話しさせていただきます。
 自閉症の診断は、保護者から聞き取りをして行動を観察し、必要な検査を行った上で、3つの特徴で診断されます。
 1つ目は、対人関係の困難さです。社会性の欠如ということもあります。
 2つ目は、コミュニケーションの困難さ。
 3つ目には、こだわりと興味の狭さ。想像力も欠如しているといわれます。
 まず最初に、対人関係の困難さについて。
 相手の気持ちに気づきにくい。集団行動はとりにくくて苦手です。
 会話ができる人も、謙遜とか遠慮した言い方を理解するのは難しいので、例えば、お土産などで、つまらない物ですがと差し出されると、つまらない物をもらいますと言ってしまうように、言葉どおりに受け取ってしまいます。
 共感的な関係を築くことが大変難しいともいわれます。
 どういうことかといいますと、象徴的な特徴なんですが、子どものころから指さしをしません。
 周りの人が指さしをさしたほうを一緒に、その方向を見るということがなかなかできません。
 あれ見てと言うと、指先を見詰めたりするようなところがあります。
 それが、共感的な関係を築くことが難しいという、象徴的な行動です。
 ですから、「あれ」とか「それ」とか「あちらのほう」とか「これ」とかという形のない言葉に出会いますと、どうしていいかわからなくなります。
 また、社会性に欠けるために、人目を気にしないという特性もありますので、格好悪いとか恥ずかしいとかいう気持ちが余りなくて、変な人だと思われることになってしまいます。
 2番目の、コミュニケーションの困難さ。
 言葉の遅れは大きいです。
 言葉を使うこと、理解することだけでなく、身振り手振りなどを含めたコミュニケーション全体がうまくいきません。
 話し言葉がほとんどない人もいますし、言葉は発しても他人に通じるような使い方ができない人も多いです。
 例えば、相手に言われた言葉をそのまま言い返すオウム返しとか、ひとり言、また、自分の興味のあることだけを一方的に話す、コマーシャルなどを繰り返したり、その場に関係のないことを話すとか。
 でも、本人たちは、話さないのではなくて、話せなくて困っているんです。
 これが、脳の認知や情報伝達のところに障がいがあるというゆえんと思います。
 言葉による自己表現が苦手なために、不審者に間違えられたり、実際に変質者と誤解されて、釈明できずに逮捕されてしまった人もいます。
 反対に、自閉症に対する理解者がいてくれたおかげで、不審者リストに載せられずに済んだ人もいます。
 想像力が欠如しているために、抽象的なことや曖昧な表現が理解できません。
 職場でよく言われがちな、きちんとやっておいてとか、適当にやってくれたらいいよとか、ここはきれいにしておいてというような指示をされても、具体的にどうすればいいのかわからず、職場を去らざるを得なかった人もいます。
 また、障がい者雇用についてですが、10年以上前になりますが、県の障がい者枠の職員採用試験の条件として、当時は身体障がい者と明記されておりました。
 この時、私たちの会として、初めて障がい者全体、知的障がいも自閉症も精神障がいの人も、障がい者全体に向けて募集してほしいという要望書を提出したことがあります。
 現在は、皆さんも御存じのように、三重県でも障がい者雇用が随分進んでおりまして、御尽力いただいている皆様に感謝しております。
 ところが、実際には、職場で十分な理解や適切な支援・指導が受けられず、苦労している障がい者もたくさんいます。
 仕事で失敗したときに、今度やったらお母さんに言うよと上司に注意される青年がいます。
 健常者といわれる人には、このような言い方はしないはずです。
 子ども扱いしないで、もっと本人がわかるように指導していただければと願っています。
 また、車社会の中で、運転免許を取るのが難しい障がいのある人たちは、仕事につくことができても、通勤手段に選択肢が少ないのが現状です。
 一般の人が車で通勤する時間の3倍の時間をかけて、電車やバスを乗り継いで出勤しなければなりません。
 実は、うちの息子もなんですが、8時20分に会社が始まりますので、6時半に自転車で電車の駅に向かいます。
 冬はまだ真っ暗です。
 それでも、息子は社会の一員として働くことに誇りと喜びを感じて、生き生きと出かけていきます。
 何が言いたいかといいますと、利用者が少ない公共交通機関の本数がこれ以上減らないように願っているのです。
 電車やバスの時刻表改正のときには、今利用している電車やバスがなくなっていないか、冷や冷やしてしまいます。
 このように、少数派の人たちにも、しっかり目を向けられる社会であってほしいと思います。
 3番目の特徴の、こだわりと興味の狭さというところは、こだわりは人によって様々で、水遊びを始めたらやめられない人、お茶や水はペットボトルでもコップでも一気に全部飲まないと気が済まない人、いつもどおりの道を通って出かけたい人など、多様なこだわりを持っているために、予定にない変化が起こると不安になり、混乱したりします。
 物を置く位置、道順、生活の手順やスケジュールなど、決まったやり方にこだわり、いつもと違うことに対して強い不安や抵抗を示します。
 そしてもう1つ、感覚が過敏なことは特徴として外せません。
 感覚というのは聴覚ですとか視覚、触覚、いろんな感覚がありますが、触覚については、後ろから親しみを込めてポンと突然肩をたたかれると、ハンマーで殴られたような痛さが続いてしまうという感覚過敏の人がいます。
 嗅覚については、社会の中のいろいろなにおいがきつくて、マスクを手放せない人、味覚については、極端な偏食になる人など、いろいろな困難を抱えています。
 感覚過敏で、一つの例としてお話しさせていただくのは、とても優秀な成績の九州の青年が、就職試験に合格して名古屋に来ました。
 ひとり暮らしを始めたところ、名古屋はどこに行っても八丁みそのにおいがしてたまりません。
 それは生活に支障をきたすほどでした。
 とうとう、それが理由で、名古屋での仕事を続けることができなくなり、九州へ帰りました。
 その後、九州で八丁みそのにおいから解放されて、新しい仕事が見つかったそうです。
 このような特徴は、様々な程度の組み合わせであらわれます。
 また、一人の人がこのような特徴を全て持っているとは限らず、一人一人違います。
 そして、発達段階や年齢に応じて、あらわれ方も違ってきます。
 知的障がいのない自閉症は、高機能自閉症と呼ばれます。
 知的には遅れがないけれども、生活していく上では大きな困難を抱えています。
 知的障がいも言葉の遅れもない自閉症の人は、アスペルガー症候群と呼ばれます。
 表面に見られる特徴は人それぞれですが、根っこのところにある障がい特性は似通っていて、生活していく中での困難さは目に見えないだけに、はかり知れません。
 平成16年に発達障害者支援法ができ、19年には特別支援教育が始まりました。
 それで徐々に、自閉症など発達障がいは、社会の中で知られるようになり、認知されるようになりました。
 配付していただいた資料の中で、「セサミストリートのジュリアって」という三重県自閉症協会としてあるセサミストリートの御案内がありますが、セサミストリートはアメリカのテレビ番組で、日本でも放送されている子ども番組です。
 その中のキャラクターの1人が自閉症の女の子でジュリアといいます。
 こんなところにも自閉症の子がいて、優しく自然なやりとりから、自閉症の説明をしてくれます。
 50年前に親の育て方が悪いといわれてから、自閉症の環境はもうこんな時代になりました。
 御存じのとおり、自閉症というのは病気でなく、生まれもっての障がいなので、一生この特性とつき合っていかなければなりません。
 でも、適切な子育てや療育、そして適切な教育や、周りの理解や支援、環境によって状態が改善されていくことは、周りの人たちも保護者たちも実感しています。
 しかし、お話ししましたように、わかりにくい障がいですので、本人たちは誤解されたり、努力してもできないことを指示されて、仕事を続けられなくなったりしています。
 これらを解決するには、やはり理解を広げるのが重要だと考えています。
 真の共生社会の実現に、インクルーシブ教育が大変重要だとも考えています。
 同じ学校に、あるいは同じ学年、同じクラスに障がい児の居場所があって、一緒に過ごすことは、健常の子どもたちの成長にもつながり、大きな啓発にもなると考えます。
 就学前の相談で、知的に重度の障がいがある児童、保護者に対し、学校は学ぶところですからとか、しゃべれない子や身辺自立のできていない子は、特別支援学校が適当ではないですかと、地元の学校への入学を歓迎されないことが多々あります。
 本来、保護者や本人に学校を選ぶ権利があるはずなんですが、現実にこのようなことが起きているのはとても残念なことです。
 また、18歳になると、みんな平等に選挙権があります。
 でも、障がいのある人の保護者の多くは、息子には無理かなと諦めてしまっています。
 でも、最近、自閉症の人の中に、18歳になって選挙に行くことを楽しみにしている人がいました。
 親は子どもの気持ちに寄り添って、投票をする練習を重ね、準備をして会場に出かけました。
 会場に入ると、親切に、名前を書いてくださいねと言われ、自分の名前を書いてしまいました。
 また、練習したのは余り役に立たず、会場も想定していたのとは違っていたのでしょうか、混乱して会場の中を走り回ってしまいました。
 お母さんは申しわけなくて、今日はやめておきますと帰ろうとしましたら、投票所の立会人がせっかく来てくれたんだからとなだめてくださって、無事選挙ができました。
 この人は、楽しみにしていた選挙を実行できて、選挙できたなと達成感を持って、笑顔で帰りました。
 彼はまた一つ経験ができて、ちょっと自信が持てたのかもしれません。
 自閉症の人も、知的障がいの人も、誰でもみんなが選挙に行けるように、投票用紙に名前が全部書いてあって丸をするとか、顔写真があるとか、投票所にもう少し工夫がされて、わかりやすいシステムを御検討いただけるとありがたいなと思います。
 ここまで、面倒な特徴を長々申し上げましたが、自閉症の人たちの中には、社会の一員として税金を払って、社会に貢献したいと願っている人もいます。
 このような自閉症の人たちですが、出会っていただく機会があれば、ぜひゆっくり近づいて、つき合ってみてほしいと思います。
 そうすれば、自閉症の人たちって、とてもチャーミングで、真面目で、素直な人たちだということを感じていただけると思います。
 当事者たちが生きやすい、ありのままで幸せに生きていけるような条例ができますことを願っております。
 御清聴ありがとうございました。

 

(4)参考人への質疑

○杉本委員長 ありがとうございました。
 それでは、ただいまの御意見を受けまして、委員の皆様から御質疑等をお願いいたします。
 なお、念のため申し上げますが、参考人は委員長の許可を得て発言し、また委員に対しては質疑をすることができないことになっておりますので、御了承をお願いいたします。
 それでは、御質疑をお願いいたします。

○芳野委員 ありがとうございました。
 お話をいただきましたし、いろいろ具体的な事例もお聞かせいただいたので、発達障がいに対するありようというのが、少しイメージができるんですけれども、今回この条例をつくる上では、やはり合理的な配慮ですとか、社会的な障壁をどう低くしていくかということを考えていく中で、先ほど聞いていると、例えば働く場所のところで、指示がうまくできていなかったりとか、そういったところでの、やはり働き続け方の困難さというのがあると思うんですけれども、それ以外に、例えば社会の中で、こういう部分が少し改善されれば生きやすくなるのになといったところが、もしあれば。
 どうしても、誤解の部分は結構多いと思います。やはり、初めて見られて、健常者の方も戸惑って、やはりそういう発達障がいの方を、少し特別な目で見てしまうというところがあると思うんですけれども、それ以外に、社会的な制度の中でこういうところを改善してもらえればなというところというのは、何かおありですか。

○中野参考人 制度の中というと、難しいかと思うんですが、やはりたくさんの人に障がいを理解していただく、そういう理解を広げるような制度ですか、先ほども言いましたけれども、教育の中で、特別支援学校にたくさん行ってしまうのではなくて、なるべく地域の小学校で過ごして、その子を小さい時からずっと見てくれている隣のおばちゃんとか、おじさんとかという人が、地域にいてくれるということはとても心強いことだと思います。
 私ごとで恐縮なんですけれども、うちはもう39歳になりますので、当時小学校、そういう配慮がほとんどなかったので、普通学級でみんなに助けてもらいながら過ごしたんですけれども、高等部は特別支援学校に行ったんですけれども、いざ就職する段になって、近くの町内の会社に決まりました時に、同級生のお母さんたちがパートでいてくれたりとか、同級生も同じ会社に入社されたりとかで、随分心強かったですし、助けていただきました。
 そういうのは、やはり地域の学校でいたから、ちょっと背伸びもして頑張ったり、みんなにも迷惑をかけたかもしれないんですけれども、それはとても大きな力になりましたので、特別支援学校でいいんですけれども、地域で頑張ってみるのもと、今も考えています。

○杉本委員長 ほかの委員の皆さん、いかがでしょうか。

○津田委員 ちょっと前に、委員会で視察に行って、障がい者だとか障がい者の親御さんが相談する件数だとか相談の種類を聞かせていただいて、やはり会長おっしゃるように、教育に関係する相談事が非常に多くて、その中でも進路、進級というのがかなりのウエートを占めていたということなんですけれども、親御さんと学校と先生が、何か同じベクトルに向けて協力し合うということは非常に大事だと思うんですけれども、実際問題、言葉足らずで申しわけないんですけれども、子どもの障がいを前向きに捉えるということは、非常に親御さんにとって難しいところであると思うんです。
 それによって、例えば加配を、特に私立であれば加配をつけられる、つけられないという部分も非常に大きいので、ちょっとお聞きしたいのは、親御さんが自分の子どもが障がいであるということを理解する瞬間というのは、学校側の何かのアプローチがあると思うんですけれども、やはりどういう理由というか、どういう理解で捉えるケースが多いんですかね。
 そこの部分で、非常に学校側というのは苦労していると思うんです。親御さんはもっと苦労していると思いますけれども。

○中野参考人 親がもっと早く子どもの障がいを受け入れてくれたら、学校の先生は楽やのにということですよね。

○津田委員 そうです。

○中野参考人 端的に言えばそういうことですよね。
 やはり、親は子どもが生まれた時には、普通に健常ないい子を産んだつもりなんです、みんな。
 それが、日がたつにつれて、あれ、ちょっとよその子と違うなというふうなことを感じ始めるんですけれども、それが感じ方が、保護者のほうもそれぞれいろいろですし、言葉がしゃべれるし、学校の勉強できるという子どもは特に、親としてはなかなか納得しにくいです、障がいのある子どもの枠に入れられるということは。
 同じ保護者として、そういう気持ちもすごくわかります。
 でも、同じような仲間たちが、自閉症の子どもの親って私だけじゃないんやなというふうに思ったときとか、学校の先生にいろいろ、ここの診断を受けてみたらどうですかとか、先輩のお母さんの話聞いてみたらどうですかというようなお話をいただいて、自閉症協会で仲間に出会うということは、腹に落ちるというか、こういう子どももあるんや、仲間と一緒にやっていけるかなというようなことはあります。
 でも、それはその人その人で、なかなか子どもを、ちょっと変わった子どもやけれども、障がいというところには入らんやろという、思いたい親も確かにいることはあります。
 答えになっていないですか。

○津田委員 学校側からの相談とかアプローチではなくて、そういう悩みを抱えるお母さん方の情報交換だとかネットワークによって、前向きに受けとめられるようになっていく親御さんが多いと。
 それぞれの過程もあるんでしょうけれども。

○中野参考人 私たちの自閉症協会では、同じような子どもを持つ親同士は、親同士でなければわからないような気持ちもありますので、ペアレントメンターという制度がありまして、研修会を開いて、ペアレントメンターという資格を得るようなシステムを、自閉症協会でつくりまして、三重県では13人、その研修を受けて、ペアレントメンターという資格を持っているんですけれども、後輩のお母さんたちの話を聞いて、うちもそうやったけれども、やはり加配をつけてもらうためには、こうしたほうがいいんじゃないとかという話をして、先輩のお母さん方が後輩のお母さん方のお話を聞いて、アドバイスしたり情報を差し上げたりというようなこともあります。
 学校の先生がよく見てくださって、言ってくださっても、同じようにお母さんたちで納得できる方はもちろんいらっしゃると思いますけれども。

○津田委員 自閉症協会とかペアレントメンターを含めた、そのいろんな活動というのは、どういうところで知り得たんですかね。自分でインターネットから探して。

○中野参考人 ホームページもありますし、各ブロックに役員がおりまして、特別支援学校に行っていたら、その会員と会員でない人たちの情報交換で知っていただくとか、月2回会議を役員でするんですけれども、そのときにはオープンハウスといいまして、ちょっと自閉症と言われたけれどもどうやろという話をしたいという方を受け入れて、お話したりしています。

○津田委員 診断がされない間は、普通学級に子どもを通わせていると思うんですけれども、やはり親御さんが情報を得ようと思って、そういうところに行く、あるいは調べるというところが今の現状ということですか。

○中野参考人 学校の先生方も、自閉症協会の賛助会員になってくださっている方もありますし、今も、あすなろ学園ではないんですけれども、発達支援センターの職員の方も賛助会員になっていますし、学校の先生から依頼を受けて、特別支援学級のお母さんたちにお話をさせていただくこともあります。

○津田委員 わかりました。ありがとうございます。

○杉本委員長 ほかの委員の皆さん、いかがでしょうか。

○岡野委員 お話を伺いまして、先天的な中枢神経の障がいということで、私どもも知らなくて、なかなか認識が不足しとったことが、改めてお話を伺って、よくわかったような気がします。どうもありがとうございます。
 やはり、個性というふうなことがいろいろあると思うんですけれども、その中の、本人たちが希望されて、学校なんかも選べるようになればいいんでしょうけれども、今はそういうふうになっていなくて、随分、地元の学校になかなか行けずに、特別支援学校というようなところを選ばれる方もいらっしゃるというふうなお話なんですけれども、実態として、比率としてそういったことはどんなふうなことになりますか。
 御希望なさっても、どれぐらいの率で地元の学校に行けて、行けないのかという、そういうところはどうなんですか。
 それが障壁かなというふうに思ったりもするんですけれども。

○中野参考人 済みません。比率というのは、自閉症協会でありましても、自閉症の人が何人あるかとか、そういう統計というのはとれないというか、わからないんですけれども、特別支援学校に行きたいと、御本人たちが、保護者も希望されて行かれる方もかなり多いとは思っています。

○岡野委員 どのようにしたら、それが本人たちの希望がかなうようになるのかというところで、行政が改善していかなければ、どういうところを克服したら、行政が努力をしたら改善できるのかどうかとか、そのあたりがもう少し突っ込んでわかれば教えていただきたいんですけれども。

○中野参考人 本来、本人や保護者が希望する学校に行けるはずですよね。
 昔のことを言ってもしようがないんですけれども、昔は何もなかったものですから、近くに特別支援学校もなかったですし、1人だけでは特別支援学級もつくれない状況やったものですから、うちなんかも、しようがなくて普通学級でお世話になったんですけれども、それはそれで、みんなにまぜてもらってよかったなと思うんです。
 その時に、うちも学区内の学校には支援学級がなかったんですが、隣の学校には支援学級がありましたので、支援学級、隣の学校に行きますかと言われたんですけれども、幼稚園から一緒に過ごしてくれた子どもたちと、どうしても学区内に行きたいと言って、普通学級でお世話になったので、それはもう、今とは全然違いますよね。
 それなので、希望されるように進級できれば、それはそれでいいと思います。

○杉本委員長 岡野委員、また今の御質問については、行政のほうに確認をさせていただいてから協議させてもらったほうがいい部分がありますので、この点についてはもうこのあたりで終わってもらっていいですか。

○岡野委員 ありがとうございます。
 いろいろと難しい質問をしまして、どうも御迷惑をかけまして済みません。

○杉本委員長 ほかの委員、いかがでしょうか。

○芳野委員 最初に質問したところとちょっとかぶってくるんですけれども、就職をする部分はやはりいろいろとありますが、時間がたてば解決する部分もあると思うんですけれども、それ以外に、例えば、今後大きくなってきた子どもたちが、親がいなくなった後も生活をしていく部分では、やはり大変な部分があって、そこを制度的に保障するような形というのが、行政への要望的な部分、要望というか、こういうふうにしてくれればというようなところというのは、何かありますか。
 もしあればで結構なんですけれども。

○中野参考人 まず、よく言われるのが、グループホームだとか言われるんですけれども、別府市のほうでは、親亡き後の相談所というようなのができているらしいんです。
 やはり、子どもたちを見ておりますと、今住んでいるところで住み続けたいという気持ちは強くあると思うので、その人その人によって本当に違うと思うんですが、今のヘルパー派遣ですとか、送迎のサービスですとか、そういうのが働いている人たちにも使えて、今現在の生活がなるべく続けられるようになるとありがたいかなと思います。

○杉本委員長 ほかにもまだ、お尋ねしたいことがあろうかと思うんですけれども、そろそろ時間でございます。
 三重県自閉症協会も、事務局は津市内にありますので、また委員の皆さんで、今後お尋ねをいただき、さらに調査も深めていただければと思います。
 今日は本当に、一人一人様々違いのある障がい、それから日常生活、社会生活における困難さがあるということをお教えいただきました。
 その中で、幼いころからともに育ったり学んだりすることが大事ということで、教育の課題について深めさせていただけたというふうに思っております。
 本日は本当にお忙しい中、本委員会のために御出席をいただき、ありがとうございました。
 本日頂戴いたしました貴重な御意見は、今後本委員会での議論に反映し、役立てていきたいと思います。
 今日はどうもありがとうございました。
 ここで参考人が退室をされますので、しばらくお待ちください。
 ここで10分間の休憩を挟みたいと存じます。再開は午後2時40分からとさせていただきたいと思います。暫時休憩いたします。

          〔参考人及び補助者 退室〕

          (休  憩)

          〔西山参考人 入室〕

 

(5)参考人意見陳述

○杉本委員長 休憩前に引き続き委員会を再開いたします。
 この際、参考人の西山幸生様に一言御挨拶を申し上げます。
 本日はお忙しい中にもかかわらず本委員会のために御出席いただき、誠にありがとうございます。
委員会を代表して心からお礼申し上げますとともに、忌憚のない御意見をお述べ下さるようお願いいたします。
 それでは、参考人からの意見聴取を行います。参考人の方からは、障がい者を取り巻く現状等として、障がい者が日常生活や社会生活において差別を受けたり、配慮がなされなかったと感じた具体例や、差別の解消に向けた政策として望むこと、障がいのある方もない方も共生する社会に向けて課題と考えることなどについてお聞かせいただければと存じます。西山幸生様、お願いいたします。

○西山参考人 三重難病連の西山と申します。座らせていただきます。
 本日は、参考人招致いただきまして、ありがとうございます。
 この後の意見につきましては、事前にお配りした内容なんですけれども、何かわかりにくいところもあるかと思いますので、それの補足説明と、差別や配慮がなかったことについて述べさせていただきます。
 また、国の制度のことで差別があったと思われることと、配慮を必要としている方の普及、この3つについて述べさせていただきます。
 まず、三重難病連は、県から三重県難病相談支援センターを委託されておりまして、難病、小児慢性疾病の患者の相談支援と就労を行っています。
 昨年、難病相談支援センターの相談件数は約1700名ありました。
 それに、就労に関する相談、これについてはこの中の30%、429名の中から、差別を受けた、配慮がなされなかったと感じられた事例につきまして、ここに記載してあることについて、ちょっとわかりにくいところもあろうかと思いますので、これについて説明させていただきます。
 まず、退職者4名なんですけれども、多発性嚢胞腎の27歳の女性の方なんですけれども、職場の配慮があったが、時間に縛られる業務なので退職したということで、職場の配慮があったと書いてありますけれども、これについては配置転換をしていただいたということなんですが、1時間以上職場を離れられないということで、退職したという内容になっています。
 2つ目の59歳の女性なんですけれども、立ち仕事だしトイレも行きにくく、製造業をやめてしまったということで、この人は派遣社員でありまして、9月末でもうやめるように言われたということです。
 次の、顕微鏡的多発血管炎というのは、この最後の、メールによる相談の5と同じ内容ですので、ここで説明させてもらいます。
 10年間働いていたのに、病気になり休んでいた際、自分の居場所がなくなり解雇になりショックを受けたということで、入院で2カ月ほど休ませていただいて、出勤したらいきなり、もうほかの人がおりまして、もう来なくてええということで、やめなさいという事例です。
 次に、50歳の男性なんですけれども、事務職をしていたがやめさせられたということで、トラックの運送業なんですけれども、事務をしていましたが、難病ということがわかりまして、退職をさせられたというような、差別的な内容があります。
 そして、次に、職についていない方、これ9名となっていますけれども、一応この方は、難病ゆえに働きたいけれども働けないということで、1番目の人は、大学卒業後就職活動中ということですが、これは1年半以上就職ができないということです。
 そして、2番目の43歳の男性、この方は病名がわからず入退院を繰り返して、今社会勉強を、どう就職していいかわからないということで、社会経験がやはり少ないということから、どうしていいかわからないということです。
 46歳の女性なんですけれども、この人は38歳で発症して、派遣社員が9月末で終わるということで、もうそれ以降連絡がないということです。
 次に、48歳の女性ですけれども、これは倒産したので、その後もう就職していないということです。
 次に、54歳の男性なんですけれども、何度か就職の申し込みをしていたが、面接まで行けないと。
 この人は、20回ほどハローワークへ行っていたんですけれども、まだ面接まで対応している企業はないという内容です。
 次に、51歳の男性は、職場でうまくいかないということで、会社側は自分のことを、難病についてどう思っているのかということを思って、なかなか就職に踏み切れないと。
 次の66歳の男性なんですけれども、仕事をしていたが、呼吸器をつけないといけないと。制度とか今後のことを考えたいというのが、この人はバスの運転手でありまして、難病で人工呼吸器をつけなければならないということで、働きたいけれども制度が何かあるのかということで、相談がありました。
 次の8ですけれども、多発性肝硬変となっていますけれども、これは硬化症なんです。間違いです。訂正をお願いします。
 54歳の女性、症状も落ち着いたので働きたいということですが、週1回注射をしていて、注射の時は微熱があるということなんですけれども、今は改善されまして働きたいということです。
 次、最後にパーキンソン病、高齢の方なんですけれども、トラックの運送業を、事務をしていたんですけれども、難病と判断され、退職勧告を受けたという内容でございます。
 次に、電話、メールでの相談ということで、51歳の男性の方は、自分のミスが出てきて作業を外されたと、その後ストレスにより精神的に不安定になってきたということで、この人はほかに脳梗塞から高次脳機能障害があり、興奮状態になることがあるということで、会社側となかなか話がうまくいかないという内容でございます。
 次に、52歳の女性なんですけれども、人に迷惑になるのでやめさせてもらおうと思うということで、経営者から本人が続けられるよう、続けてほしいと後で連絡はありましたということをその人に伝えましたということですけれども、連絡はございません。
 次に、52歳の女性、息子の相談、職場のいじめもあり、やめてしまったということで、この52歳、子どもは聾啞者であって、行く先々の就職先でいじめに遭ったり殴られたということで、障がいに理解のある職場を望むということで相談がありました。
 あと、56歳の男性なんですけれども、クローン病という病気が伝染するとか、通院の休みに買い物をしていると言われ、不信感を抱いてしまったということで、勤務先の同僚、上司から、このような思いの発言をされるということで、難病をよく知らないという内容で、こういった発言がされたという内容で、相談がありました。
 次に、制度的な問題ですけれども、平成23年に障害者基本法が、第2条が改正されまして、難病も障がい者に入りました。
 そこで、障がいのある方なんですけれども、難病は障がい者みたいに失業手当がありません。
 精神障害者、知的障害者、身体障害者、それから刑法などの規定により保護観察になられた方とか、社会的事情により就職が著しく阻害されている方が該当するということで、難病患者は、この中には入っておりません。
 ですから、障がい者は失業保険をもらうと360日あるんですけれども、一般の方と同じ給付日数ということで、これを法的には、私は差別であると考えております。
 申しわけありません、メモってきたのが消えてしまいましたので、私ちょっと独断でしゃべらせていただきます。
 難病患者の就労支援なんですけれども、難病患者というのは、健常者と障がい者の谷間にいるという存在であって、70%の方が自主退職もしくは解雇で退職されている。
 自分で諦めてしまうことと、企業の理解不足が影響しているということで、これはNHKハートネットにより抜粋したものです。
 難病があっても働きたい、自立していきたいということがございまして、配慮があれば働けるということで、これは定期的な通院とか、適度な休憩、そして体調にあわせた仕事、これらの配慮が事業主に必要やということで、条例をつくっていただきたいことは、まずこういった自分主体で配慮ができる職場にしていきたいという内容でございます。
 あと、難病患者に配慮した施策ということで、それにつきましては、ハートプラスという、こういう内部疾患のためのマークということで、ちょっと読んでみます。
 「援助が必要な方のマークです。外見からはわからなくても、援助が必要な方がいます。このマークを見かけたら、電車内で席を譲る、困っているようであれば声をかけるなどの、思いやる行動をお願いします」ということで、配慮を必要としている方へのヘルプマークの普及に取り組んでいますということで、義足や人工関節を使用している方、内部障がい者、難病の方、また妊婦初期などの方、援助や配慮を必要としていることが外見からはわからない方がいます。
 こうした方々が、周囲の方に配慮を必要としていることを知らせることで、援助が得やすくなるよう、ヘルプマークを作成し、普及に取り組んでいます。
 ということで、電車、バスの中で席をお譲りくださいと、駅や商業施設内で声をかけるなどの配慮をお願いします。
 災害時は、安全に避難するための支援をお願いしますということで、これでは、岐阜県健康福祉部が提供しております。
 この提供先につきましては、岐阜県の難病連加盟団体全員と、それから障害者福祉協議会の希望する方、そして会員に入っていない方でも、市役所に行ったら発行してもらえるというように、こういった内部障がい者とわかるマークでございます。
 こういったマークがあれば、かばんにつけていても、すぐにこれは内部疾患の方だとわかるというようでございます。
 そういうことで、今までこの3点述べさせてもらいましたけれども、今回、障害者差別解消法の委員会に、協議会ですか、難病も入れてもらいまして、こういった、多分就労関係でやはりこういった差別があったり、やはりそういった企業が理解していないということがございますので、ぜひ条例の中に入れていただければなと、どうぞよろしくお願いしたいと思います。

 

(6)参考人への質疑

○杉本委員長 ありがとうございました。
 それでは、ただいまの御意見を受けまして、委員の皆様から御質疑等をお願いいたします。
 なお、念のため申し上げますが、参考人は委員長の許可を得て発言し、また委員に対しては質疑をすることができないことになっておりますので、御了承をお願いいたします。
 それでは、御質疑をお願いいたします。

○芳野委員 説明ありがとうございました。
 これは、障害者差別解消法も難病を対象に加えるということになって、そういった部分で言うと、平成28年度の初回の面接者ということは、法律ができてきてもなかなか変わらない現状があるのかなというふうに思うんですが、そこの、やはり本当に変わらないのか、件数が減ってきているのか、やはりまだまだだなと思われているのかという質問が1点と、条例を制定することによって、こういった就職での不利益を解消していかないといけないと思うんですけれども、それに関してはどういう対応策がいいと思われるのかというのを、我々もほかの条例も調べているんですけれども、指導・監督というのはなかなかできないので、その辺を少し、どういう対応策がいいと思われているのかというのが、もしあればお聞かせをいただきたいと思うんですけれども。

○西山参考人 私は実は、本当は難病患者ではないんです。人工透析をしている会の会長をしています。
 そういったことで、ちょっと今日は会長が出席されませんので、ちょっと私にわからないところも結構多いですので、初めのは何でしたか、第1番目は。

○芳野委員 法律が変わっても、やはり現状としてはほとんど全く変わって……

○西山参考人 変わっていません。

○芳野委員 全く変わっていないのかなというのを聞かせていただいたんですけれども、それプラス、こういう部分をこれから条例で変えていけばということなんですけれども、それも今はわからないということですね。

○西山参考人 難病というのは、原因が不明、治療法が未確立、それから希少性が高い、それから長期の療養が必要ということで、内部疾患、調子のいいときは調子がいいですし、体が悪くなると長期に入院とかしていくということで、なかなか企業主に理解が得られないということで、やはり難病への理解をしていただきたいということが第一です。

○杉本委員長 ありがとうございます。
 ほかの委員、いかがでしょうか。よろしいでしょうか。

○芳野委員 これも多分、難病連の方が実際に取り組めないのかなと思うんですけれども、こういう相談を受けた場合に、例えば労働基準監督署とか、そういうところへ相談とか、その指導に入ってもらうとかということもあるのかなと思うんですが、そういうつなぎ方みたいなのは、難病連のほうでそういうことをしているとか、別に労働基準監督署でなくても、ほかのところへ少し、ハローワークとか、そういうところへ相談に行くのについて行ったりとか、そういうことというのはされたりしていますか。

○西山参考人 ハローワークと、それからいろいろ、3社ぐらいあって、そこでどうしたらいいか対応をしていると思いますけれども。

○杉本委員長 ほかにございませんでしょうか。

○岡野委員 先ほどのハートプラスの印ですけれども、それは内部障がい者の方と、それから難病患者がそれを所持しているというような認識でいいのかどうかということと、難病の患者というのは、先ごろ認定もすごく増えて、物すごく種類もたくさんおありだろうと思うんですが、私は難病患者というのは、増えているのではないかなというふうに思っているんですけれども、難病連に加盟している方というのは、どれくらいの方が入っていらっしゃるんでしょうかという。

○西山参考人 三重県全体で、難病患者というのは、1万4889名おります。
 難病連に入っている団体は3000人弱になっておりまして、3割にも満たないような状態であります。
 先ほどのハートプラスなんですけれども、これにつきましては、岐阜県の知事の一声で、これ全部配れということで、難病団体へ全員配ったという内容です。
 そして、ほかの方ももらえるように、市役所、役場、そこで受付したらもらえるという仕組みになっております。
 三重県でいう、おもいやり駐車場、ああいった類のものと同じだと思います。
 岐阜で前、お会いした時に、皆かばんへ、こうつけていましたけれども、こういう細かい、白い赤十字のマークとハートのマークが、わかりやすいようになっていますので、一見もう本当に、内部障がいというところでわかるという内容となっています。

○岡野委員 済みません、私、ちょっと認識不足でして、岐阜県の話ですね、ハートプラスというのは。

○西山参考人 そうです。

○杉本委員長 東京都もございます。

○岡野委員 済みません、ありがとうございます。

○杉本委員長 ほかの委員で、御質問ありませんでしょうか。

○藤田委員 正確にはわからないかもしれませんけれども、難病の対象になっている人は、大体どれぐらいでしょうか。

○西山参考人 平成27年度に難病支援法が改正されまして、その時は58疾患でしたんですけれども、今年の夏、330疾患に増えております。
 そういうこともあって、増えるかわりに、やはり軽症者というんですか、そういう方が特定疾患から外れてしまうということで、毎年9月末で、特定疾患、1年ごとの更新なんですけれども、今年については12月31日までの期限ということで、対象を、軽症な方は外されるのではないかというような、そういう思いでいると思います。

○藤田委員 そうすると、対象外で、原因がわからない病気の方というのは、実際はいらっしゃるけれども、その方については、今回の法律の対象外で進めていくというような状況であると、そのことに対しての要望みたいなものはないんですか。

○西山参考人 今、これ、三重県で対象になっている人が、330疾患のうち136疾患なんです。
 そういうことで、これ以上はおるかどうかわかりませんけれども、一応この330の半分以下という、特定疾患の受給者証を持っている人が136疾患ということです。

○藤田委員 また詳しい話をお聞かせいただきます。

○杉本委員長 わかりました。
 ほかの委員、ございませんでしょうか。よろしいですか。
 今日は難病連さんには、御相談のあった事例、具体的に御紹介をいただきまして、こういったところで非常に配慮の必要さだとか、差別があるというようなお言葉もいただきました。
 ハートプラスのような取組も必要ではないかということで、具体策もお示しをいただいたと思います。
 本日は本当にお忙しい中、本委員会のために御出席をいただきまして、ありがとうございました。
 このたび頂戴いたしました貴重な御意見は、今後の本委員会での議論に反映をし、役立てていきたいと思います。
 本日はどうもありがとうございました。
 ここで参考人が退室をされますので、しばらくお待ちください。

          〔参考人及び補助者 退室〕

          〔高鶴参考人 入室〕

 

(7)参考人意見陳述

○杉本委員長 この際、参考人の高鶴かほる様に一言御挨拶を申し上げます。
 本日はお忙しい中にもかかわらず本委員会のために御出席いただき、誠にありがとうございます。
委員会を代表して心からお礼申し上げますとともに、忌憚のない御意見をお述べ下さるようお願いいたします。
 それでは、参考人からの意見聴取を行います。参考人の方からは、障がい者を取り巻く現状等として、障がい者が日常生活や社会生活において差別を受けたり、配慮がなされなかったと感じた具体例や、差別の解消に向けた政策として望むこと、障がいのある方もない方も共生する社会に向けて課題と考えることなどについてお聞かせいただければと存じます。高鶴かほる様、お願いいたします。

○高鶴参考人 本日はお呼びをいただきまして、ありがとうございます。
 私のほうからは、やはり知的障害者育成会として、まず津久井やまゆり園のことを述べなければ、前へ進めないと思っておりますので、まずそこから入りたいと思っております。
 凄惨な事件を引き起こした犯人が、障がい者が家族にいると、その家族は不幸だというふうに言われました。
 世間一般に子どもが授かりますと、元気な五体満足な子どもが生まれてほしいというのは、これはごくごく普通のことで、誰もこのことについて異議を申し立てることはないと思います。
 でも、障がいの子がいるということで、私たちは不幸を感じたことはありません。
 古くからは、障がいの子が生まれると福子というふうに言われまして、その一家の不幸を一身に背負って、ほかのことは何も不思議な、不都合なこともなく過ぎていく、この子が全てを背負ってくれているんだ、だから私たちはこうして幸せにおれるんだ、中には座敷牢なんかに閉じ込めている御家庭も過去にはありますけれども、ふんわりとした座布団の上で、きれいな服を着せていただいて、家族みんなからあがめられて生活をしていた人たちもたくさんいました。
 仙台のほうにも、あの人がお店を訪れると、そのお店は一日中栄えるといわれている人も、現実にありましたし、そういうふうな不幸な存在というふうに見られることなんて、そうそうはなかったと思うんです。
 私自身も、昭和45年、息子が生まれまして、少しずつ言葉があったのがなくなっていって、様子がおかしいなと思うようになりまして、保育園で御厄介になっていました時に、児童相談所のところに母子教室がありますよというふうに言われまして、母子教室に通いました。
 当時、私たちの母子教室のお世話をいただきましたモリシタ所長に、「障がいがなかったら、その子どもの成長の中でいろいろな出来事を見落としてしまう。でも、あなた方は、子どもが障がいがあるから、障がいのない子どもだったら見過ごしてしまうような小さな成長も、きちんと目の前でスローモーションで成長していきますから、それを全て喜びに捉えられる。こんな幸せなことないですよ」と言っていただいた、その言葉を今も心に残しております。
 みんな大事な子どもだと思っています。
 確かにつらいこともあります。
 まず、障がいの子どもが生まれますと、母親が、うちにはこんな子おらへんけれども、あんたのうちにおるかというふうに聞かれます。
 何かにつけて、母親がそういう子どもを産んだ、産み癖の悪い嫁や、そういう見方もされてきました。
 中には、うちにこんな子どもを産んだと、特別児童扶養手当をもらってくると、そのお嫁さんの目の前で灰皿にうずたかくお金を積んで、一気に燃やして、ああすっきりしたと、2カ月ごとに、それが儀式のように行われて、せっかく国からいただいているお金を、その子のために使うことがなかったということも聞いたこともあります。
 でも、私に対して、うちにこんな子おらへんけれども、あんたとこおったかと言ったしゅうとめは、うちの子が段ボールを結わえてあるひもが大好きで、遊びに行くとそれを集めてくれてあって、はいと渡してくれましたので、亡くなるまで、そこへ行けばそのひもがもらえる、そう思って実家に行っていました。
 母が亡くなりました時に、ほっぺをポンポンとたたいて、それがお別れやったんかなと思うんですけれども、次の週に行きましたところ、いつも母が出してくるところにひもがないということだけを確かめて、母がいなくなったということはすんなりと受け入れていました。
 どんなに重度な子でも、自分の子どもが、自分の人生の中で、瞬間瞬間、わかるわけないと思っていても、何かにつけてきちんと理解しているというのは、それは神様が授けてくれた、その人特有の勘、あるいは能力やと思っています。
 ですから、障がいの子どもがいるということが、不幸なことではありません。
 家族中が、その人を中心に生きてきています。
 そういう中で、あの凄惨な事件で、不幸だ不幸だと言われてしまって、私たちは本当に腹立たしい思いでいます。
 あの人は、精神障害だとか何とかといわれていますけれども、高学歴で、自分にわからないことはないはずだという思い上がりのもとに、自分が理解ができない人の存在を、そういうふうに決めつけて、不要な存在だといった、そのことだけであって、精神障害者の措置入院を厳しくするとか、そういう問題で事を乗り切ろうとすること自体、私はやはり、社会に差別意識があるのではないかなと思っています。
 きちんと理解をするということを、日ごろ、子どものころからしておれば、障がい者とはこういう人なんや、そういう形できちんと教育がなされていたら、ああいうことは起きなかった。
 起こしてみて反応もない、逃げることもできないから殺したと、めった刺しにすることなんかないはずですけれども、そういう行動に移ってしまったというのは、やはりその人にとって理解がしがたいのは、そういう存在が認められないというふうに受けとめてしまったのではないかなと、自分は優秀なのに、優秀な自分以外の人を認められない、他者に対する差別意識を持っている。何も障がい者だけの差別ではないというふうに私は思っています。
 また、この時代ですけれども、私の子どもも自閉症で、重度の知的障がいがありました。
 まだ自閉症がどういうものかというのがわからない時代には、母親が子どもをほったらかしにして、自分中心に生きているから、子どもが成長段階で身につけることもできなく、親子の縁が薄いから、こういうふうな子どもができたんだというふうに言われましたけれども、今もそういうふうな言葉を親にかける人がいます。
 正しく、それぞれの障がい特性を理解していただくということがないと、それはいつまでたっても、何年たっても一緒のことではないかなと思います。
 特に今の時代は、発達障がいという方々がたくさんいらっしゃって、育て方が悪いからこんな子になるんや、こういう言葉をかけられるのは父親ではありません。みんな母親です。
 うちの孫は、障がいはありませんでしたけれども、1年生の時には、落ち着きがない子や、とよく言われました。
 保育園の時にも、泣きながら運動会、生活発表会してくれませんでした。
 何でかなと思って、娘と様子を見ていましたら、完璧主義やったんです。完璧にできないときには手をつけない。
 大きくなって、保育園の高年齢になってくると、みんなの前でよさこいをするんですけれども、ソーラン節をするんですけれども、できないできないと言っていて、娘がしっかり教えたら、クラスで一番の完璧主義で、一番完璧に踊れた。
 そういう子にも、今の時代は、学校の先生方も理解がつかないと、この人発達障がいではないかというレッテルを張ってしまうことがあります。
 何にでもレッテルを張ってしまうということの、やはり不条理というのはあると思います。
 理解を超えてしまう存在として、レッテルを張ってしまったら、もう通常の教育はできないというふうに受け取られるというのもつらい話ですし、障がいがなくてもそういう扱いを受けている人たちはいっぱいいます。
 また、障がい児の兄弟たちが、障がい児の兄弟だということだけでいじめに遭ったり、私もガイジ、ガイジというからかいがあるという、ガイジって何のことやろなと思っていたんですけれども、障がい児の障を抜いてガイジというらしいです。
 障害者虐待防止法ができた時に、どうしても私たちは、学校現場でいじめられるというのも一つの虐待だし、先生方もそういう目で見るというのは、教育を保障される、義務教育を受ける権利がある人たちに対しては、やはり虐待に当たるじゃないか、きちんとした教育を授けてほしい。
 特に三重県は、親が望めば、障がい児学級でなく通常学級で過ごしている人たちがいます。
 4月の参観日の時に、クラスにそういう人がいると、もう参観そっちのけで校長先生のところに飛んでいって、今年1年は我慢するけれども、来年からは二度と同じクラスにしないでほしいという交渉をされる親御さんがたくさんいらっしゃいます。
 知的障害者育成会は、やっぱりこの子らにも教育をということで起きてきた会です。
 この子らにも教育をというのは、ただ教育をしてほしいというのではなく、この子たちにふさわしい教育をしてほしいという思いで運動を進めてきましたので、この子たちが教育を受けるにふさわしい場が設けられないかと。ただその場で静かに、何もわからない授業やのに、一緒に時間を過ごしたら全て問題解決する、そういうふうに思っている親御さんもいらっしゃいます。
 でも、それではその子は、学校を卒業した後どういうスキルを身につけているのか。
 県の職場実習を、県の育成会は受けておりますけれども、一度も障がい児教育を受けずに学校を卒業して実習生の応募、いらっしゃいます。
 でも、私は、親御さんに申しわけないですが、御自分の子ども以外の障がい者への差別意識があるから、同じような友達を持つこともできず、通常学級に行って、通常の小中学校の卒業証書を手にしただけで、その人の人生がきちんと見えていないのではないか。
 そうすると、悪の仲間に引きずり込まれたり、ボーダーラインぐらいの能力のある人は、今度は自分が下級生の障がいの人を悪い道に誘い込んだり、そういうことも起きています。
 全て、その人にとって、学校を過ぎた時に、いかに教育を受けてきたか、どういう教育がなされて、自分の人生を有意義に、自尊感情をきちんと持って、社会へ旅立てる子を育てていくかという場をどれだけ確保してもらえたかということがないと、親御さんがいなくなったときに、その子たちはどうするんだろう。
 やはり、その子その子に合った教育というのは、障がいが重くても軽くても、きちんと自分に誇りを持った人生を送っていく、年齢にふさわしい体験、経験を重ねていく、そういうことがないと、どうしても道を踏み外して、全国に刑務所がありますけれども、その刑務所の中の4割近い人の中に、知的障がいの人がいるというような刑務所もあると聞きます。
 中には、冤罪もありますけれども、やはりそういうところにひっかかっていくというのは、何らかの支援を小さいころから受けて、きちんと一人前の社会人に育っていないからこそ、そういう道に引きずり込まれていくということもあると思っています。
 ですから、差別とか虐待とか、大上段に構えるのではなくて、同じ地域に住んでいる人が、同じように同じその年齢にふさわしい体験、経験を積んで、一人前の大人になっていくという道がきちんとつながっていないと、幾つになっても社会人として自分の存在意義が確認できずに、変なことで人の関心を引かなければ、自分がここにいるということがわかってもらえない。
 絶えずリストカットのようなまねをして、こんなことしてしもうたんや、本当にリストカットする人は傷を隠しますけれども、知的障がいの人でリストカットして、こんなんしたんやわというのは、人の関心を引きたいからで、そんなことで人の関心を引くよりは、まともに働いて、その能力に合った生活を送っていけるような、人生がきちんと踏んでいけるような成長段階を踏めるように、親もきちんと障がい受容をしなければいけませんし、本人も障がい受容をしていかなければいけません。
 障がい受容ができないというのは、申しわけないですが、そういう親御さんは障がいを受け入れていない、障がい者に対する差別意識もお持ちではないかなと思います。
 ですから、私たちは、全国の組織で、親も子も別々の人生だ、そういう人生を歩んでいるんですよという家族支援のワークショップもつくりましたし、親に対する障がい認識のワークショップもつくりました。
 また、東日本大震災の時に、被災地を中心に、新しく本人のための障がい認識のワークショップもつくりまして、東日本中心にお披露目をしましたが、やはり、それぞれ親も子も、自分の障がいを受け入れて、そして全国には本人の会というのがあるんですけれども、そこの代表者が、昔NHKのDVDで、障がいがあると、障がいがあるから助けてほしいと言ったら誰も無視しやへんよ、障がいを隠すから助けてもらえへんのやに、そういうことを堂々と主張された方がいらっしゃいました。
 そこまできちんと育ってきたから、言える人ができ上がるんです。
 今回、障害者差別解消法の中で、合理的配慮という言葉が出てきましたけれども、私たち育成会は、合理的配慮というふうに訳されることについては、少し異議を持っておりました。
 リーズナブル・アコモデーションを合理的配慮というふうに訳しておりますけれども、合理的というのは普通ですけれども、アコモデーションを配慮というふうに訳しておりますが、本来は便宜を図るとか、助けるというふうに訳される単語だということで、やはり、お互い、お金にかかわらず、心が動いて、相手を支えようという気持ちになれるということが大切ではないかなと思います。
 もったいないという言葉が世界を席巻しましたけれども、日本にはそれよりも何よりも、お互いさまという言葉があります。
 私も、今までは、バスをおりるときに、いっぱいの荷物を持っていらっしゃって、おばさん、荷物持ったるでゆっくりおりといで、そういうことでお助けをさせていただく側でしたけれども、目の前を車が疾走してきまして、このまま行ったら車にはねられて死ぬから、坂でハンドルを右に切って、左に切ってもこける、けがする、でも死ぬよりけがのほうがましやと思って、自転車でこけましたら、左のお皿をちょっと骨折してしまいまして、いまだに高いところへ登るというのが大変で、一昨日、バスに乗る時に、走れなくて、目の前を行ってしまって、信号でとまりましたものですから、乗せてと言ったら開けてくれました。
 皆さん待たせるといけませんので、必死になって、慌てて痛いほうの足で踏ん張ってステップに上がろうとしたら、がくっとなって後ろへこけてしまって、そうしたら、私を知っている人が飛んできてくれまして、高鶴さんやないの、大丈夫かと抱き起こしてくれました。
 私も、古来まれという年になりましたものですから、今度は私が助けてもらう番やなとつくづく思った次第ですけれども、やはり人を助ける、助けやんというのは、お互いが立場が変わって、それが人のためならず自分の身に返ってくるというのが、昔からの日本の伝統やったと思うんです。
 そういう気持ちで、無理をせずに、お金をかけるのではなく、お互いが助け合って生きていく社会、障がいがあるなしにかかわらず、男女の別なく、老若の関係もなく、お互いが助け合って生きていく社会であれば、障がいがあろうとも生きやすい社会になっていくのではないかなと思っています。
 そういう社会が、やはり一番いいのかな。
 三重県は、人権が尊重される県という宣言を、全国に先駆けてしていただいて、条例もつくっていただきました。
 また、育成会が請願をさせていただきまして、成年後見人がつくと国家公務員、地方公務員の資格を失ってしまう、受験させてもらうだけやなく、採用されたのに、何も悪いこともしていないのに、失格してしまうということの不条理を、三重県議会は受けとめていただきまして、国へも意見を出していただきましたけれども、やはりそれぞれのときに、それぞれの立場をきちんと受けとめて、応援していただくという、この三重県の土俵、地盤、そういうものが整然とつくられていったら、みんなが生きやすい三重県になるのではないかなというふうに思っております。
 ありがとうございます。

 

(8)参考人への質疑

○杉本委員長 ありがとうございました。
 それでは、ただいまの御意見を受けまして、委員の皆様から御質疑等をお願いいたします。
 なお、念のため申し上げますが、参考人は委員長の許可を得て発言し、また委員に対しては質疑をすることができないことになっておりますので、御了承をお願いいたします。
 それでは、御質疑をお願いいたします。

○芳野委員 ありがとうございました。
 本当に、いろいろ考えさせられるような事例も聞かせていただいたので、非常にちょっと心も重くなるんですけれども、1点、合理的配慮の御指摘がありまして、訳語としていかがかというような御指摘だったので、私も、配慮ということをもう一回、ちょっと辞書で調べていたんですけれども、どうしても配慮というと、それは配慮してもらうという、上下関係を感じるからということなのかなと思うんですけれども、さりとて必ずしもそういう意味だけでもないような、辞書で引くと感じもするので、そのあたりが、今育成会のほうで具体的にどういう議論になっていて、配慮という言葉はふさわしくないのかと思ってみえるのかというのが、詳しく御説明いただければと思うんですけれども。

○高鶴参考人 合理的配慮を求めないと、合理的配慮が受けられません。
 知的障がいの人が、これが差別的な事象だというふうに認識できるかどうか、それを主張できるかどうか、配慮を求められるかどうかというのを、どういうふうに本人たちに説明できるのか。
 助けというと、助けてほしいというので受けとめやすいですけれども、やはり熟語というのが基本になってくると、どうしても理解が伴わない。
 支援というのも、中にはありますけれども、支援というと有償支援と無償支援というふうに分けなければなりませんが、助けというと、お金を伴わない、心が動いて相手をどうにかしてあげたいなと思うことになりますので、配慮、配慮といって大上段に構えてしまうと、どうしても知的障がいの人たちにとってはわかりづらい言葉だなというのが、私たちの思いです。

○芳野委員 ありがとうございます。
 やはり、言葉の受けるイメージというのがあると思いますし、配慮という、漢語ですから、やはりそのかたさがあるので、助けという部分のやわらかさで、そういうイメージが薄らぐのかなという気もしますし、一方でどうしても、私らが法学部出身やもんで、結構そういうかたい言葉のほうがしっくりなじんだりもするところがあったりして、ちょっと、具体的にこれからどういうふうな形にしていくほうがいいのかなとは思うんですが、やはり、確かに配慮の中には、もちろんおもんぱかるという意味もありますから、行政のほうがいろいろ、障がい者の方を考えてという意識はあるんですが、どうしてもそこに一方性があって、一方的な、ちょっと確かに方向性も感じるなと思ったので、少し考えていきたいなというふうに思います。
 ありがとうございました。
 あと、リストカットの部分のお話の中での文脈で言いますと、そこは、障がいを重度であれ軽度であれお持ちの方々を、お子さんたちを、やはり親御さんや地域もそこをしっかりと捉えて、認めながら改善もできる部分もあると思うので、そこをしっかりケアをしていくんだと、そういう文面でお話をされていたんでしょうか。

○高鶴参考人 それぞれの家庭にいろんな事情がありまして、家族中がいろんな障がいがあるというところもありますと、子どもの障がいが受け入れられないというところで、やはり十分に親が面倒を見られない、大きなくくりでいうとネグレクトというふうになってくるんですけれども、ネグレクトまでいかなくても、親の愛情と、それから兄弟の中での生存競争というと大げさですけれども、テレビのチャンネル権だとか、おやつを分けるときにこぼれてしまうとかということで、いつも爪はじきにされているというふうに思ってしまうと、どうしても人の関心を引いてみたい。
 リストカットというたって、本当のリストカットではないんです。手首をかみついてみたりとか、
そんなに血も出ていませんし、でも本人は、そういうと周りがびっくりしてしまうもんで、ついついそういうふうな形でというふうなんで、いや、そんなんと違って、もっと自分を大事にせないかん、そんな傷つけてどうするのというふうな話をしても、結局は、状況を私たちがよくわかっているので、そういうふうに言うと、やはり不満なんです。
 周りが騒いでくれてこそ、自分の存在が認められるみたいな生活を送ってきていらっしゃると、本当にかわいそうです。

○杉本委員長 ほかの委員、いかがでしょうか。

○中瀬古委員 ありがとうございました。
 先ほども少し出ましたけれども、リストカットのお話がありました。
 その中で、なかなか親が受け入れていないというところ、それから被災地で、東日本中心にワークショップを開かれたということで、親も子も別々の人生だからということを先ほどおっしゃいまして、その中で、そういうようなことを、やはり三重県も取り組んでいくといいますか、そういうところのお話から、最後にお話をされた、三重県で地盤や土俵をしっかりつくっていけば、生きやすくなっていくのではないかというふうにおっしゃったんですが、そのあたりの、どのように考えてどうなれば、より生きやすく、三重県は三重県なりのいいものができるというところを、どのようにお考えか、もう少し具体例があれば、教えていただきたいと思います。

○高鶴参考人 今、育成会では、県の委託を受けまして、人権問題研修会というのを実施しておりまして、その中では家族支援のワークショップをしておりまして、親も子もそれぞれ別々の人生を歩きながら、親のたなごころだけで子どもが生きていくのではなく、障がいの子がおるから、私はこの子だけをというふうな縛りの中ではなく、親御さんも人生を楽しんでいけば、子どもも少しずつ手を離しながら大人になっていくのではないかというワークショップをさせていただいています。
 来年度、東海北陸大会では、まだ試案ですので、ここでどういうふうなこととは言えませんけれども、障がい福祉課にも下話をして、承諾もいただいておりますので、一つの仕掛けをしていきたいなとは思っております。

○中瀬古委員 ありがとうございました。
 これからのことになりますので、私たちもそのことを、またしっかりと学ばせていただきたいと思います。

○杉本委員長 ほかにいかがでしょうか。

○田中委員 ありがとうございました。
 これ、やはり障がい特性を広く知らなあかんと、私は思っているんです。
 例えば、身体障がいの方が知的障がいの方の障がい特性を理解しているかというと、そうではなかったりとかと、そういうことも含めて、やはりそのあたり、根っこの部分にはもう基本的人権の話になってくるとは思うんですけれども、ただその中で、障がい者差別解消条例をつくるという三重県の中で、三重県の多くの人々が障がい特性を理解するためには、例えば知的障がいのある方の理解を深めるためには、どういうことをしたらいいと思いますか。
 すごく抽象的な聞き方で申しわけないんですけれども。

○高鶴参考人 障がい特性といいましても、知的障がいがあるから全部一緒だというわけではないんですが、昔でいうと単純精薄といわれて、何の原因もなく知的障がいになる方々もありますし、それからてんかん、それからダウン症候群、いろいろ染色体異常で何番目が傷がついているとこういう症状が出るというのもありますし、自閉症でも知的障がいを伴わない人たちもいます。
 それから発達障がいになりますと、本当に症状が正反対に出てくるということもありますので、なかなか難しいところではありますけれども、やはり、私たちがもう少し情報発信がしていけるようになればなと思いますが、今の時代、全部の障がい団体に若い方が入りにくい。
 支援制度から障害者自立支援法、障害者総合支援法という中で、いろんな支援を受けられるようになりましたものですから、団体の中に入って情報を得ないと、何も支援が受けられないということはなくなりました。
 今の時代は、きちんと計画相談を受けて、1日、1カ月、1年というサイクルで、どういうふうな支援を受けながら生活していけるかというのをできるようになりましたので、そこら辺がかなり、団体に所属しなくても不自由しないというところがあります。
 ただ、やはり、確かに私たちも、身体障がいといわれても、視覚障がい、聴覚障がい、肢体不自由、それから全身性の脳性麻痺とかいろいろありますので、わかっているかといえば、わかってはいないです。
 表面的な姿形とか、そういうところでしかわかっていないと思いますし、県の会議に昔、出させていただいていた時に、聴覚障がいの方が、ちょうちょうはっしで自分は意見を言えないと言われたんです。
 手話通訳の方がいらっしゃって、皆さんの意見は訳してもらえるけれども、その時にその人は何を論拠としているのかという資料を見ながらでは、手話通訳が見られない。
 そうすると、皆さんのように、こういう意見が出たからこう言ってということができないというふうに言われて、初めてわかったということもありますので、なかなかその障がいをひしひしと感じることはありませんし、特に育成会というのは親の集まりですので、私たちに障がいがあるわけではないですから、今の時代は、育成会は障がい団体ではないというふうに言う人たちもいます。
 でも、三重県内で、本人の会を一生懸命やっている市もあるんですけれども、のんびりした県民性で、ずっと昔に県の補助金をもらって、本人の会を立ち上げようと運動しましたけれども、親と一緒にしとったらいいわという本人さんたちが多くて、今、四日市市が中心になって一生懸命やってみえますけれども、そういうものが育ちにくい、のんびり、昔から伊勢湾の幸と山の幸、野の幸に恵まれて、食いはぐれのないのんびりした三重県の県民性かなと思いますけれども、そういう中で、やはりともに育っていく中で、その地域の学校で、きちんとした障がい特性に合った教育を受けながら、目の前でお互いが育っていくという環境がきちんと整備されて、多少はそういうことを理解した子どもたちが大人になっていくと、今みたいなことが少しは緩和されるのではないかなとは思います。

○田中委員 ありがとうございました。

○杉本委員長 ほかにいかがでしょうか。

○山内委員 済みません、2点ちょっと質問させていただきたいんですけれども、1つ目が、先ほど自閉症協会の中野会長からもありましたんですが、選挙権に関することのお話が出ました。
 中野会長からは、例えば、名前を書くのではなくて、名簿があって丸をつけるようなやり方ですとか、あと名前とか顔を拡大をしてもらって、投票しやすいように、選択しやすいようにするとか、いろんな工夫をぜひ求めたいというお声がありました。
 特に知的障がいの方には、それでも投票のできない方、たくさんおみえになると思います。
 もうまさに、自分自身の人権を守ることが自分でできない、なので保護者がきちっと守ってあげる、そういった関係性の中で、保護者が代理投票をさせてほしい、そういったお声を聞いたことがあるんですけれども、そういった考え方について何かありますでしょうか。

○高鶴参考人 全国で、選挙権については、選挙権回復運動の時にアンケートをとりました。
 その中で、私がうちの津市の会員の人、えらいなと思ったのは、よそで一生懸命練習させているんです。この人に入れようと、字を一生懸命練習させたと。
 でも、練習させた人の名前を挙げなかったと。
 他県でそういうアンケートがたくさん出てきました。
 結構、津の人たちは、選挙に連れて行っていらっしゃいますし、選挙のときだけは、皆さん申しわけないんですが、候補者が手振ってくださったり、握手してくださいますので、握手してくれた人に入れると言って、お母さん方が言っていましたが、この人たちも、そんなときは主役になれるので、選挙好きやんなと言ったら、お母さん方が、好きやで行っとんのと違う、ちゃんと入場券が配られてくるで連れてっとんのやと。
 津の人賢いと思ったもんです。
 選挙終わって、うち帰って、誰書いたんや言うたら、その時は好きな人がおらへんだみたい、自分の名前書いてきたわということを言われたりして、ですから、親が書くというのは、幾ら何でもそれは違うと思います。
 私は、自分の子どもを選挙に連れて行ったことないんです。
 選挙のところで連れて行けば、指さしできる人については、立会人がかわりに書いてくれますよね。
 でも、うちの子は指さしできないので、私自身諦めていました。
 でも、それを結局は、成年後見の被後見人になった時に、入場券が配られてこなかった時にすごいショックで、結局は私がきちんと会場へ連れて行かなかったら、もらったものをどういうふうにするかは本人の選択に任す、みんなが白紙のまま投票箱に入れるのを見ていたら、白紙のまま入れたかもわからんやないかというふうに、それを白紙のまま入れるか入れやんかは本人の選択ですので、書けなくても白紙投票でもさせたほうがよかったなというふうに思いました。
 ただ、そこまでいかなくても、字の書ける人に対して、きちんと顔写真と名前、両方示していただいたら、選挙はできる人は出てくると思います。
 実際に、亡くなって1年になりますけれども、選挙権が回復された時に、入場券が配られてきました。
 でも、私が連れて行って白紙投票させるのは、うちの子の選択ではないので、選挙権が回復されても、私は連れて行きませんでした。
 やはり、そういう人に対して、どういうふうな工夫ができるのかというのを、ちゃんと国のほうで検討していただかん限りは、幾ら私が成年後見人であったとしても、それは違うのではないかなと思いました。
 親がかわりに投票というのは、先ほど言いましたように、親は親の人生、子は子の人生で、別物ですので、子どもの選挙権を親が取ってかわるということ自体はおかしいと思います。
 もし、自分で指さしできる、この人をというふうに触れるという人やったら、代理で名前を書いていただく人はきちんといるんですから、それをさせてあげたらいいのであって、本人が選挙権を行使できないから、かわりに親にさせてくれというのは、ちょっと筋が違うと思います。

○山内委員 ありがとうございました。
 もう1点、ちょっとお聞きしたいんですが、なかなかちょっと聞きにくいところなんですが、先ほどのやまゆり園のことに関しての言及があった中で、犯人の言葉等で非常に傷ついたと。
 いろんな憶測が世の中に広がってということもあって、非常に環境が悪化したというお話、はたまた被害者の名前を公表するとかしないとか、当時少し騒ぎになったかというふうに思うんですが、私としては、それは報道の側の理屈であって、どうなのかなという思いがありまして、簡潔に言いますと、この時のこの報道に対して何か思われることがあるとか、そういった津久井やまゆり園のような事件に関しての報道の適正なあり方というのが、何か必要なのではないかなと、個人的にはあるんですけれども、そういったことに関して、何か御意見があればと思いますが。

○高鶴参考人 私たち育成会の中にも、名前は公表すべきだという考えがあります。
 ただ、やはり、警察が、まず親に名前を公表しますかというふうに聞かれました。
 そこにやはり、知的障がいの人の家族が抱えるいろんなものに対するそんたくがあったんだろうなと思います。
 ただ、それに対して、公表したくないということを表明された親御さんを、育成会として責めることはやめてほしいというふうに意見を送りました。
 やはり、長い歴史の中で、私が昭和23年生まれですので、中学のころに伊勢の中学校に行っていまして、障がい児のための教室ができるというふうに話を聞いたんです。
 ですから、私と同じ年ぐらいの子どもが、御兄弟に障がいの人がいた時に、どんな差別を受けてきたかということを思うと、今も、田舎のほうへ行くと、そういう、あのうちは代々大酒飲みがおったでなとかというふうなことを言われる、そのためにああいう子が生まれたんやというふうに言われたりして、ああいううちと縁組をしないほうがいいというふうに言われたという古い歴史の中で、名前を公表したくないというのはあります。
 施設の、うちは入所施設におりましたので、施設の保護者会の役員もしておりましたが、特に女の人が縁遠いです。
 いい人やでと言って、いろいろお世話を焼いてくれるんですが、やはり御兄弟に障がいの人があると言うと、お断りがある。
 お父さん、私にもう結婚せえと言わんといてくれる、あの子のことは私がちゃんと面倒見ていくで、娘にそんなこと言われてどんなにつらかったか。1人やないです。
 ですから、名前を公表しなかった親を責めることはできません。
 でも、1人2人と、やはりあの子が生きたその証がないとつらい、1人ずつ名前を公表するようになってきています。
 そこで決断するのを待ってあげる、そういうことも必要ではないかなと思います。
 私自身は、名前は堂々とフェイスブック上にも、顔写真も載せています。
 やはり、そういうことを、きちんと社会に見てもらわんと、理解は進まないと思っています。
 以上です。

○山内委員 ありがとうございました。

○杉本委員長 そろそろ時間になりましたので、委員の皆さんよろしいでしょうか。
 今日は、津久井やまゆり園のことから、障がい者が家族にいると家族が不幸だ、そんな不幸を感じたことはないということで、御家族の、特に母親、そして兄弟への偏見やいじめの実態についても、詳しく意見を述べていただきました。
 我が子の障がいを受け入れられない、我が子の名前を公表できない、その背景に長い間の偏見や差別がそこにあるということもお教えをいただきました。
 そして、それぞれの障がい特性を正しく理解できるように、そして、ともに育っていく中で、その地域の中でそれぞれに応じた教育が受けられるように、そんなことを求めたいということの御意見も頂戴をいたしました。
 最後に一言お礼を申し上げます。
 本日は本当にお忙しい中、本委員会のために御出席いただき、ありがとうございました。
 頂戴いたしました貴重な御意見は、今後の本委員会での議論に反映し、役立てていきたいと存じます。
 本日はまことにありがとうございました。
 ここで参考人が退室されるので、しばらくお待ちください。

          〔参考人 退室〕

 

(9)委員間討議   なし

 

(10)次回の委員会について

○杉本委員長 次に、次回の委員会ですが、10月17日(火)議員勉強会終了後に開催し、本日に引き続き、参考人からの聞き取り調査を行いますので、よろしくお願いします。

2 その他

○杉本委員長 御協議いただく事項は以上でございますが、ほかに何かございませんか。

          〔「なし」の声あり〕


〔閉会の宣言〕
三重県議会委員会条例第28条第1項の規定により記名押印する。
障がい者差別解消条例策定調査特別委員長  杉本 熊野

 

ページID:000210046
ページの先頭へ