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平成23年9月5日 東日本大震災に関する復旧・復興支援調査特別委員会 会議録 

 

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東日本大震災に関する復旧・復興支援調査特別委員会

会 議 録

(閉 会 中)

 

開催年月日        平成23年9月5日(月) 自 午後1時2分 ~ 至 午後3時29分

会 議 室       601特別委員会室

出席委員        13名

                           委  員  長   藤田 宜三

                           副委員長   村林   聡

                           委       員   粟野 仁博

                           委       員   東         豊

                           委       員   中西   勇

                           委       員   濱井 初男

                           委       員   杉本 熊野

                           委       員   中村 欣一郎

                           委       員   小野 欽市

                           委       員   北川 裕之

                           委       員   中森 博文

                           委       員   日沖 正信

                           委       員   三谷 哲央

欠席委員            なし

出席説明員        なし

委員会書記        議事課副課長            山本 秀典

                           企画法務課主幹        小野 明子

傍聴議員            なし

県政記者クラブ   なし

傍 聴 者       なし

協議事項

 1 県外調査の結果報告について

 

【会議の経過とその結果】

 

〔開会の宣言〕

 

 1 県外調査の結果報告について

〇藤田委員長 それでは、皆さん方全員でお世話になりました宮城県議会の調査でございます。報告をいただいた内容によりますと、地震によって亡くなられた方は3人で、犠牲者の多くは津波による死亡者だったということで、宮城県の、これまでの地震対策、特に、耐震補強を含めての効果が一定あったのではないかということでございました。
 2点目には、ハードには限界があるんだと。過去の経験にとらわれない柔軟な避難行動が必要であると。今後は、まず逃げることを徹底して啓発をし、減災に努めていく方向であるということでございました。
 市役所、役場自体が、職員も含めて被災をしたことから、被害の状況が正確につかめなかった。多重の通信連絡手段の確保が大変重要であるということでございました。
 発災後、燃料不足、それから救援物資が被災者の手元に届かなかった。また、自治体職員では手が足りない、あるいは現物の備蓄を個人、自治体でも数日分準備することの重要性というのが、今回大きな課題として明確になったと。そのリスク分散をするために、備蓄基地を隣の県に設置することも有効ではないかというご意見を賜りました。
 広域での災害の場合、自衛隊や民間の協力は大変有効であると。救援物資の仕分け、搬送は、運送業界を活用し、また、知事は自衛隊出身のため、日ごろから合同訓練を行いながら災害当日もすぐに自衛隊に要請をしたということでございました。
 大震災の経験のある関西広域連合がいち早く現地に入っていただいて、最初は戸惑いましたが、その活動に対しては大変感謝をしておるということでございました。全国知事会にお願いをし、各県市町から物的、人的支援をしていただいた。このことは大変有効で、同じ地域に同じ県が入るように、宮城県の方で、できるだけ調整をさせていただいたということでございました。
 大規模災害に備え、全国からの応援を調整する仕組みやペアリングの支援の検討が必要ではないかというご意見も出てまいりました。
 被災市町から、この時点では、8月の当初でございますが、専門職の職員の派遣要望が大変多いと、そういう時期になってきておるというご意見を宮城県議会の方からはお聞かせいただきました。
 皆さん方と宮城県議会の調査を行った後、3班は移動をいたしました。その日の夕方6時半でございましたけれども、岩手県遠野市の静岡県現地支援調整本部へお邪魔をいたしまして、担当の方に、部長級の方でございますけれども、お話をお聞かせいただきました。
 内容といいますか、そこで指摘されました点でございます。静岡県というのは東海地震という想定がございまして、30年前から地震対策に取り組んでおりました。危機管理の鉄則は、情報が入らなければ情報をとりに行くということから、静岡県知事の判断によりまして、先遣隊を大変早い段階で派遣をいたしました。3月26日には静岡県の現地支援調整本部を被災沿岸部に近く、市長の防災意識が大変高い遠野市に設置をしていただいたということでございました。
 岩手県にも、遠野市にも、皆さん方の指揮のもとで、大槌町、そして山田町を応援するという意向を静岡県知事が現地に赴いてお話をさせていただいて、岩手県と遠野市との連携を調整させていただきながら、大槌町と山田町を応援する形で支援に入っていただいたということでございます。その支援の中で得た情報につきましては、絶えず遠野市の方へ報告しておるということでございました。
 実際、現地での、人的支援になりますと市町の業務になるため、静岡県の市町村にお願いをして、支援本部の構成は、県から人員の2分の1、市町村から2分の1という割合で、県が調整をして支援に入っておるということでございました。
 我々が行きました8月の頭には第19次の派遣隊ということでございました。
 岩手県は、少し被災者の立場に立ち切れていなかったんではないかという感想をお持ちのようでございました。被災者の立場に立って、被災自治体の手となり足となった活動をするということを中心において、支援をさせていただいたということでございます。被災自治体が「ありがとうございました。これで我々、自分でやっていけます」という状況になるまで、頑張って支援を続けていきたいということでございました。
 災害のときの原則のお話もされまして、何が欲しいかと被災地に聞くのではなくて、何が何台欲しいのか、あるいは何ができるのかという具体的なメニューを示していくのが重要ではないかというご意見をいただきました。
 それと同時に、支援はばらばらに広く薄くするよりも、集中してやる方が効果的だという判断のもとに、厚生労働省からの保健師の派遣も、違う県を指定されておられたようですが、岩手県に集中的に支援をするという形に変えていただいたということでございました。
 この調査を終わりまして、釜石市に一泊いたしまして、次の日、岩手県の山田町の方へお邪魔をいたしました。それで、初め町長に対応いただいて、そこでお聞きした話でございますが、自治体が被災をして機能していないというふうに県が考えていなかったんではないかと。町からの要望を待っていたのかもしれないけれども、被災した町に状況を把握して、必要なものを明確にして要望をというのは、実際、被災現地では大変難しいんだと。そんな余裕はないんですという話でした。県の方から人を派遣いただいて、被害状況を把握していただく必要があったんではないかと、こんなご意見もございました。
 自治体自身も被災しているという自覚が、職員の方が被災をしているという意識よりも、やらなければならないという意識が前面に立ってしまって、当初は自分たちでやり切るんだという思いがあったということで、静岡県に対しては物資援助、支援を当初お願いしたと。経過の中で状況を把握し、静岡県の皆さん方にいろんな支援をお願いしたということでございました。
 それから、先程申し上げた岩手県の山田町とのかかわりでございます。宮古市に出先機関がありまして、その職員が情報収集に来るという仕組みが当初できていなくて、山田町から県の方へお願いをして、その仕組みができ上がっていった。こういう現地の情報を県が把握する仕組みが重要だというお話でございました。
 それから、一番初めに申し上げたことに関連しますが、何が必要かというような支援のやり方ではなしに、何ができるのか、できることをどんどんやっていただくと。そういうことが被災自治体にとっては非常に重要であると。同時に、物資については被災自治体でそれを配送するというのが非常に難しい状況になるので、被災地まで届けるような体制も含めて対応いただくというのが重要だということでございました。山田町、総じて岩手県に対しては大変疑問を持ってみえる方が多かったという感じがいたしました。
 その次に、山田町の災害ボランティアセンターへお邪魔をいたしました。ご存じのように、三重県からは当初、ボランティアセンターの所長からの聞き取りの中でもありましたように、ボラパックとして、この山田町の方へ週にバス1台のペースで派遣をいただいております。特に、当初はボランティアセンターの立ち上げに運営スタッフとして入っていただいたんですが、緊急雇用が対応になるということで現地で15人のスタッフを雇う体制がとれるようになりました。そのために、今、三重県から来ていただいておるボランティアの方には現場での作業をいただいておるということでございます。
 今後、コミュニティーの再生であるとか生活支援の方へ移っていくという状況になっていく場合、ボランティアの皆さん方にどのように入っていただくかということも含めて、ボランティアという形で専門的なスタッフも含めて重要になってくるのではないかというお話でございました。
 先程お話ししました静岡県は、社会福祉協議会が集中的に支援に入っていただいておりまして、山田町にもボランティアセンターに社会福祉協議会という形で入っていただいて、支援をいただいておるということでございました。
 山田町での調査は終わりまして、この後、静岡県が現地支援本部を置いております遠野市の方へお邪魔をいたしました。遠野市としては後方支援拠点施設ということで、大変、この間、訓練も含めて行っていただいております。というのも、遠野市からは陸路で約1時間で多くの町へ行くことができます。ちょうど扇のかなめの位置にございます。ヘリコプターで行きますと15分で行けるということでございまして、地震、津波災害における後方支援拠点施設整備構想というものをつくっていただいて、この構想のもと、自衛隊を含めた形で訓練をしていただいておったということでございます。
 特に、遠野市長は、阪神大震災の際の岩手県の防災課長であったために、大変、防災に関しては重要視されていて、この後方支援拠点施設整備構想というものを中心になっておつくりになったということでございました。平成20年に先程申し上げました合同訓練をしていただいておって、後方支援については市民の理解も得ていたということでございます。
 今回の地震では、死亡者、倒壊も少ないということで後方支援に徹していただいたということでございます。特に、向こうの方からのお話をお聞きすると、現地に行って生の情報収集をしてくるというのが重要であると。朝夕の朝礼で全職員に情報を共有するような体制をとりながら、後方支援をさせていただいたということです。その内容については、食料の備蓄とか発電機なんかが十分用意できていなかったという問題点もあったということでございます。
 遠野市は人口3万人でございますけれども、3万人の市がすべてをカバーするというのは大変難しい面があって、県で被災市町と支援市町をマッチングしていただいておれば、もう少しいろんな対応ができたのかなというお話もお聞かせいただきました。
 この後方支援には、予算的な措置が県にしても国にしてもないということでございまして、今回の状況を見ますと、ある程度、制度化の必要があるのではないかというご意見でございました。
 それから、現地の対策本部をぜひ置いてほしいというお話を遠野市の方からも県の方へ要望を出したそうでございます。釜石市に設置をいただいたんですけれども、その設置をした責任者にはもう少し権限を持った方がいていただく必要があるんではないかと。情報連絡係にすぎなかったというような指摘もございました。
 以上が、3班の調査地での内容をまとめたものでございます。3班の方で、この上に何か補足しておく内容がございましたら、この際ですのでご意見いただければありがたいと思いますが、いかがでしょうか。
 なければ、全体を含めて何かご質問がございましたら。

〇中村委員 6ページの3番の岩手県山田町ですけど、この発言は全部、町長が言われたということでよろしいですか。

〇藤田委員長 これは、町長と担当の方、両方です。

〇中村委員 それと、そのもう一つ前の5ページの下から二つ目の意見の「岩手県は被災者の立場になっていなかった」というのは、だれが言われたんですか。

〇藤田委員長 これは静岡県の担当の責任者の方です。

〇中村委員 はい、わかりました。だれが発言されたのかが入っていると、もっといいかなと。書いた人なのか、行って聞いた人なのか、向こうの責任者なのか、末端の人なのかによって重みが違って、重みというとあれですけど、解釈が違ってくるかなと思います。
 以上です。

〇藤田委員長 3班の内容を読む限りでは、向こうの皆さん方がおっしゃられたことをそのまま書いてあるというふうにご理解賜って間違いないと思います。
 ほかにいかがですか。
 よろしいですか。
 それでは、次に、村林副委員長の方から1班の調査結果についてご報告を願います。

〇村林副委員長 まず、多賀城市の方からご報告します。
 市長が最初に見えて、冒頭いろいろお話しくださったことをまず申し上げたいと思います。その後、担当者の方からいろいろ伺った内容を順次述べます。広報装置が有線だったというのを非常に反省していると言っておられました。地震でやられてしまって、津波が来たときにはもう4基しか動かなかったんだと。それで最初にやりたいのが、市内全域、53カ所とたしかおっしゃったと思いますが、これを整備して、有線ではなくて全域に広報できるようにしたいんだとおっしゃっておられました。
 市内で亡くなった人の多くが道路渋滞中に津波に巻き込まれたということなんですが、建物の間とか道路を伝う都市型の津波が来たと。前後左右から一遍に津波が来て、逃げられないというような津波やったそうです。
 地震による停電で信号機が動いていないので、渋滞しておる車の中にそういう津波が来たんやそうです。ですので、亡くなった方の半数は市外の、市民じゃない方やったそうです。車で来ていて、大きな道路上で津波に遭ったという、そういう被災やったそうです。
 市南部に工業地帯があって、そこからいろんな毒劇物が流れてきたりしたと。そこの工場のタンクから火災が発生して5日間消えなかったということです。
 被災直後は26カ所に1万2000人が避難したということなんですが、そういう状態でしたので、本当に目の前のことに対処するのが精いっぱいで、派遣要請をほかの自治体にする余裕はなかったということでした。
 そんな中で、山形県の天童市と友好都市なんだそうですが、そこは要請をしなくても独自判断で給水に来てくれたんだそうです。これが非常に助かったというふうにおっしゃっておられました。
 いろんな企業と災害時の物資の支援協定を結んでいたんですが、その企業も被災されたりしてなかなか機能しなかったと。そういう中で、イオンは1日1万食のおにぎりを毎日足で運んでくれて非常に助かったと。名古屋市から、前日の夜中に出発して、すぐに賞味期限が切れるという中で急いで運んできてくれたということでした。
 三重県と県内市町の支援については、それぞれ派遣できる期間が異なっていて人数のむらは多少あったけれども、窓口を市町行財政室に一本化してもらってあったので、うまく調整することができたというふうにおっしゃっていただいております。
 それで、さまざまな人が避難してきたため、福祉避難所は機能しなかったということでありますが、震災前に協定を結ぶ準備まではいっていたということで、比較的スムーズに障がいをお持ちの方を施設へ移動することはできたということでありました。
 あとは、議会の話なんですが、議員はなかなか集まれなかったと、市議会議員ですが。一度は来ることにするとか決まりをつくるのか、それとも、こんな歩いてくるしかない中、すぐ来いというべきなのかどうかとか、あるいは各議員は地元でそれぞれ頑張っておったわけで、そういうことでいいんではないかと。議会事務局長については、常に災害対策本部の会議に出ていたということでありました。
 その後の雑談で、こういういろんな支援を受ける中で、三重県の市町ともいろいろなつながりが出てきて、これからお祭りなんかでも協力したいし、三重県が被災したら支援もしたいというような雑談もありました。
 あとは、3月11日という日にちは、非常に、何といいますか、ぎりぎりのところだったと。冷暖房がなくても死なないし、食料も腐りにくいという。これがもし夏場だったら、3週間ふろに入らなくて水も飲めなかったら命にかかわるというような話もありました。
 また、議会の中ですが、全員協議会室を開放して、そこに何日も避難所として来てもらっていたと。ですから、その議会棟といえども停電させないことが大事ではないかと。水にぬれて靴もないような状態で逃げてくるんだということでした。議会事務局長の判断で、発電用の灯油をすぐに買いに走ったというのがよかったということであります。それだけ、発電の大事さとか、備蓄の大事さを示しておるのではないかと思います。
 では、続いて塩竈市です。
 塩竈市は、かつて大雨で被害を受けていましたので、防災訓練に神経を使ってきた。ただ、こんな津波が来るとは思ってなかったということです。離島があるんですが、その離島の浦戸地区の死者は3名で、それもその第1波が引いた後に物をとりに帰った方などが亡くなってしまったそうであります。港湾区域があって、そこに多くの倉庫が立っていて、そこから肥料、飼料、またヘドロとまじって大変な悪臭を放ったけれども、自衛隊の協力を得て撤去することができたと。
 市内に瓦れきの一次仮置き場を3カ所整備しており、現在、8万トンのごみが積まれていますと。県が2次処分場を準備しているけれども、なかなか整備は進んでいない。
 これが特徴的なんですが、発災と同時に災害対策本部を設置して、これまで180回以上開催した。公開方式でやっており、自衛隊や警察、消防団にも出席を求め、情報共有に努めたということです。これはマスコミにも公開しておるそうです。今も週に3回ほど開いておるそうなんですが、これが非常に情報共有に役立ったというふうにおっしゃっておりました。
 例えば、正式な発言でなくても意見というものは出るんだと、傍聴しておる議員からも出るし、マスコミからも後でこんな話があったけれども、今やっとることと違うんじゃないかというようなアドバイスがもらえると。その概要版として、災対本部ニュースというA4判を毎回つくって配布しておったそうであります。
 職員の配備状況としては、勤務時間内の発災だったので対応はすぐにできたんですが、650名全員で当たったので、交代要員を想定しなかったと。ですので、不眠不休ということになってしまったということです。暖房器具なんかも不足して、ガソリン、灯油が全く流通しなかったと。あらかじめ、地域の組合やスタンドと協定を締結したんですが、これも機能しなかったということです。ガソリンスタンドは停電で、なかなかくみ上げられないと。地元の小さな小売店などから少しずつ、細々と売ってもらったりしていたということでした。
 広報なんですが、さっきの多賀城市と違って、最初はできたそうなんです。でも、途中で途絶えてしまったと。それは何でかというとバッテリー切れであると。48時間バッテリーを持たすんだというマニュアルでやっておったわけですが、それでは足りなかったということです。津波のこともそんなに想定しなかったので、バッテリー自体が浸水した地区もあったそうです。
 そんな中で、市民への情報伝達として、地域のFM局と災害時の協定を結んでいたらしいんです。FM局も被災したのですが、市役所の庁舎内に放送設備を移して24時間の放送を続けたと。市民から、コミュニティー局の放送は役に立ったと。全国放送ではなくて、本当に地域の情報が24時間流れるという評価であったそうであります。
 県には毛布等の支援要請を行ったが、食料や毛布はすぐ来なかったと。そんな中で、山形県の村山市は、当日にまず「何かないですか」と連絡してきたそうです。被災翌日には、トラックで2500枚の毛布を持ってきてくれたと。これの話として、協定というのは、先方から積極的に来てくれるものは機能したと。それに対して、こちらから連絡をとってというような協定だと、連絡をとる手段がないので、なかなか機能しなかったということです。協定は、同時被災しないという、被災地とちょっと離れたところとの協定が大事ではないかというようなことをおっしゃっておりました。
 自衛隊には、発災から7月まで長期にわたる支援を受けたということで、浦戸地区は離島航路が不通となったため、ヘリコプター空輸、炊き出し、給水支援、医療支援等が行われた。
 陸上自衛隊とは以前から訓練を積んでいたが、横須賀の海上自衛隊は独自の判断で浦戸地区に直接派遣されたと。自衛隊がなければ、今回の災害対応はできなかったと。市役所に自衛隊が詰めてくれたそうで、空輸、瓦れき、医療、また、例えば演奏会なんかもしてくれたそうです。非常に自衛隊に助けられたとおっしゃっておりました。
 三重県の職員派遣は、宮城県を通じて全国知事会ルートで照会し、罹災認定業務の派遣依頼をした。8名体制で継続して支援を受けており、引き続き罹災認定の調査業務に携わっている。また、長期派遣として8月1日から1名来ている。
 今後は、復旧・復興段階で、建築構造物の解体、設計積算が必要なので、建築職、土木職を中心に専門知識を有する職員の派遣をお願いしたいということでした。
 また、塩竈市は、冒頭に議長が見えて、特に「名張市さんを初め」という言い方をなさったんです。何でも8団体32名ほど来ていただいておる中で、そのうち名張市が11名も入っておられるということでありました。
 最後ちょっと余談ですが、こんだけ電気がなくなるとアナログ式のものも大事かなというようなことをおっしゃっておられました。例えば、ファンヒーターよりも石油ストーブが便利なときもあるというようなことも言っておられました。
 以上であります。

〇藤田委員長 1班で調査をお願いした皆さんで、補足の内容がございましたら、お願いをいたします。
 ございませんか。
 それでは、この内容につきまして、ご質問がございましたらお受けいたしますが。
 私からちょっとお聞きしたいんですが、村山市と塩竈市とは何かあるんでしょうか。友好関係、友好都市とか、そういう関係なんでしょうか。

〇村林副委員長 ちょっとお待ちください。わからないんです、書いてないんです。

〇藤田委員長 わかりました。

〇日沖委員 地域のFM局の24時間放送が大変市民の情報を得るのに役立ったということですけれども、塩竈市の地域のFM局というのはどんな規模の、どんな局かなと、聞いてみえたら。例えば、三重県でいうたら、FM三重みたいなものなんか、そのへんを教えてもらえませんか。

〇三谷委員 三重県にはここでいうようなFM局はないような感じでした。FM三重ほど大きくなくて、もっとコミュニティーに密接したようなFM局で、それが民間としてずっと放送を流しておって、たまたま今回、市役所の方に移動してまで、いろんな避難所の情報だとか、物資の情報だとか、そういうものを局として流してくれた。それが非常に役に立ったということのようです。
 特に、FM放送ですから、携帯ラジオでも、それから車のラジオでも聞けるということで、非常に役に立ったという話でした。

〇日沖委員 四日市市にあるFM局とか、ああいう規模のものですね。名張市にもある。

〇三谷委員 非常に小さい、比較的小さい局です。

〇日沖委員 わかりました。

〇藤田委員長 ほかにございませんか。
 なければ、最後に中森委員の方から2班の調査結果について、ご報告をお願いします。

〇中森委員 2班の班長を仰せつかりました。僭越ですが私の方からご報告を申し上げたいと思います。
 最初にお伺いしましたのは、宮城県気仙沼市の避難所でございます。ここは宮城県立気仙沼高等学校内に設置されておりました。
 気仙沼市全体の被災概要ですが、人口7万3000人余り、死者が999人と、非常に高い率で亡くなられました。行方不明が417名と。住宅被災が1万2914棟。世帯数でいくと9500世帯と。避難所が33施設、1413人と。徐々に減ってきていますが、そういう中で、気仙沼高校の人数も減ってきて82人が避難されておりました。当日は、避難所の行事でありますねぶた祭りに行くということもあって、そのチームは行っているといったことで、避難所の支援チームのリーダーであります、元日本商工会議所青年部東北ブロック連合会会長の坂井さんという方に詳しくご案内いただき、ご説明をいただきました。
 そのリーダー、坂井さんは、みずから家屋が津波によって被災されながら、先頭に立って避難所の運営に携わっておられました。また、後程、坂井さんの被災された住宅、流出されたというんですか、ところも見せていただいたり、現在、仮設住宅でお住まいされている坂井さん自身のご自宅、仮設住宅の中までご案内もいただき、非常に親切にしていただきました。親切にしていただくのも、中西委員のお友達だったということもありまして、非常に詳しく丁寧に対応していただきました。
 それで、どういうことをしていただいているかというと、主に現在は県外からの支援物資の受け入れ搬入、それからストックされている支援物資の管理。さらには、ここの避難所での配布だけではなしに、他の避難所への必要物資を配送、いわゆる転送したり、また、仮設住宅への移転の支援に今、携わっていただいているということでございます。
 特に、こういうリーダーがおられたということで、商工会議所青年部ということもありましてネットワークは非常に大きく生かされておりまして、積極的な取組がされやすかったというんですか、彼自身の持ち前というものもありまして、行政からすれば、非常にありがたい方がおってくれたと。こんなことが、本人の口からはおっしゃっていませんけれども、感じ取られるところでございました。
 私どもからは、委員長からも指示をいただきました内容で質問をさせていただきました。まず、避難所を立ち上げた経緯についてお伺いさせていただきましたところ、本来でしたら公助という行政がすべきところがなかなか行政主導の災害時のマニュアルが十分生かされなかった、想定外ということもあるんでしょうけれども、避難所運営に苦慮されていたという現実の中で、彼が商工会議所のそういう経験を生かしながら、みずから立ち上がったと。どんどん進んでやったということが現実でございます。さらにその手配や受け入れ等々、いろんなネットワークを活用しながら、現在まで至って、ほかの自分の仕事もしたいのだけども、このままやめるわけにいかんという苦労もされておりました。そういう経緯があったということです。
 運営中の課題もお聞きしました。支援物資とストック物資のミスマッチという言い方は失礼なんですけれども、多くたまっているのもあるし、必要な冬物とか女性ものとか子ども向けとか、そういう適正な配布、場合によっては必要な物資があって、ネットでお願いしたら、また全国からその分について補足していただけると、こんなこともお聞きしたわけでございます。
 また、今、大きな課題となっていますのは、仮設住宅への移行に対する避難者の考え方に若干温度差があるということです。これはどういうことかといいますと、給食支援が停止するということが行政的な一般論でございまして、仮設住宅に入ると自立せないかんと。自立するためには、買い物もして、自炊もして、自分で生活せなあかんということです。現在、避難所におればそれなりの必要な支援があるということで、自立できる方もおられますし、まあまあそうでない方もおられるということがあります。また、移転しようと思って、仮設住宅ができても、家財道具とか電化製品が、その引越しに十分まだ間に合わないということがあって、それが移行しにくい現在の緊急の課題だそうです。
 そうはいうたものの、この避難所から食料もあるし、いろんな支援もできるので、仮設住宅の方へどんどん物資を配送しているということもありました。
 行政との情報交換については、もともと、そう当てにしていなかったということもあるんですが、現在は気仙沼市より常駐派遣された職員がおられまして、必要な最低限の情報交換をしているということです。特に、気に入るとか気に入らんとか不満とかはないそうでございます。
 それから、他県からの支援内容についても、どんどんインターネットでやっているし、また、宮城県からも情報が入ってくるので、特に調達については随時対応していくので、今もって特にこれということはないということだそうでございます。
 少しまとめになりますけれども、現在の要望についてどういう要望かというのをお聞きしたら、仮設住宅への避難生活支援をどうするのかということだそうでございます。避難所がどんどん閉鎖していくということが近々の課題であって、具体的には、繰り返しますけれども、生活家電品の調達、それと仮設住宅内の住環境ですか。広いとか狭いとかいろいろとあるみたいですし、雨漏りするとかしないとか、細かいところがありますけれども、それは個々の課題があるそうでございます。
 その他として、福祉避難所の話もお聞きしたんです。結果的にはそれどころじゃないというところがあって、認識がなかったと、機能されてなかったという、そういう状況でございました。
 その後、坂井さんの被災された場所とか仮設住宅の方も案内していただきまして、仮設住宅ではコンビニができたり、いろんな生活支援関連がどんどん進んでおる状況については、現場で見せていただきました。
 私どもの委員からの考察もいろいろとお聞きしまして、少し重なるところもありますけれども、行政的にいくとボランティア依存によって連携が不足しているんではないかとか、支援が常態化というんですか、一般化してしまって、被災者の自立に対する不安が残ってくるんではないかというご意見をいただきました。瓦れき撤去はまだまだおくれておりまして、ほっといてもなかなか行政が進めてくれないんではないかということがあって、県内業者等々という話もあるんやけれども、県外大手も視野に入れてはどうかと、こんな意見もいただいております。
 また、支援物資が停止されたという仮設住宅の食料の搬入に対しては、人的不足があるんではないかと。また、電化製品の不足ということも現実にあるということでございます。
 そういうそれぞれの委員から意見、あるいは独居高齢者世帯などボランティアにもうゆだねられてしまっているということから、もっと民間支援団体とか自治体の連携が必要ではないかと。だから、その被災自治体が必要な、求めるボランティアなどの人的活動支援制度をどんどんつくって、そういう制度を創設してはと、こういうご意見もいただいたところでございます。
 こういうことで、初日は気仙沼市を後にしたわけでございます。
 この後、私ども、第2避難所になっています南三陸ホテル観洋、避難所ですけれども、そこを宿泊地とさせていただきました。現在、避難所生活をされている方々ともお会いし、食事、また生活の様子、また分別したりいろんなこともされていましたし、朝食会場でもきちっとセルフサービスで、みずからそういう避難生活の延長という生活をされておりました。幸いに、おふろのボイラーが修復後でしたので、おふろについてはお湯が出たということで、避難所生活をされている方々も非常に喜んでいたということが感じ取られました。
 翌日、南三陸町を訪問させていただきました。ここも非常に被災状況が大きくて、特に、津波が、お聞きすると最大津波が15.5メートル、遡上で19.1メートル、死者549人と。ここは人口1万7000人ですので、死者が549人、行方不明437人と、非常に率の高い死者、行方不明者でございますし、住宅被災も3300戸、避難所も17施設1845人と。また、町役場が流出したということで、当日、町役場の職員40名が、その役場におられて、40人中30人が死亡、行方不明になると、こんな大惨事が町役場であったわけでございます。
 3月末から仮設の町役場を臨時的につくりまして、窓口業務を開始して、当時17指定避難所があったんですけれども、想定外の避難で、結果的に44カ所が避難所になったと、そんなことを言うてました。
 ここは特に、三重県に町長秘書事務の支援が欲しいという要請があって、当時、鳥羽市が秘書の職員を派遣してくれておりまして、当日もお会いさせていただきました。ここは、町長が、直接、私どもに応接、面接もしていただいて、快く御礼の言葉なり、いろいろと支援について、感謝のお言葉もいただきました。その後、遠藤副町長から全体の概要の説明を受けまして、佐藤総務課長、また、災害対策本部の三浦危機管理課長、この方々より初期対応とか自治体からの支援の受け入れ等々について意見交換をさせていただいたところでございます。
 その初期対応については、非常に細かくお話もいただきましたので、この場では省略させていただきますけれども、何よりも関西広域連合であります。特に兵庫県から支援をいただいているということもあって、これについて、また兵庫県の担当職員からも説明を受けたわけでございます。
 この宮城県には、県庁内に設置をしている関西広域連合兵庫県現地支援本部があって、気仙沼市と石巻市、南三陸町と3カ所にその支援本部を開設しておりました。ただ、石巻市には女川町と東松島市を含むんだそうでございますが、そこを含むところは石巻市でやられているということで、この南三陸町にも支援本部が設置されているということです。
 被災市町の支援ニーズをいろいろと調査をして、避難所の巡回であったり、運営のノウハウを伝達していただいたり、市町行政機能の回復と、保健・医療・福祉について具体的に支援をしていただいているそうでございます。仮設住宅対策、瓦れき処理等環境対策、ボランティアのコーディネートまでやっていただいておる。特に、教育委員会関係で、学校の子どもたちのケアもやっていただいているということで、非常に具体的で、特に、兵庫県につきましては、阪神・淡路大震災の被災の経験があったということもありまして、その教訓、経験を生かしながら、より積極的な取組等をしていただいていたことでございます。
 それと、方法ですけれども、カウンターパートということで、それぞれの市町がそれぞれの対応をするという連携を、担当を決めて窓口を設けながら取り組むということできちっとやられているということ。それから、現場へよそから入ってきて、要らん指図をいただいてかなわんなとか、収拾つかへんとか、命令系統が困るとか、私ども勝手に心配したんですけれども、そんなことは一切ないと。そこは、後から来た人はうまく現場の方々を立てて、また現場の方は来ていただいている方に敬意を表し、うまく連携をしていただきながら、私どもが心配するような命令系統の手際とか、乗り込んだとか、要するにそういうようなトラブルはないということでございました。非常にこれが平均すると14名から44名ですね、各拠点、3市ですので、3月23日第1陣以降、ずっと1週間から10日ごとで、現在第20陣です。7月28日、8月5日が最終ローテで、その時点では第20陣目ということになっていました。非常に延べ人数が大きくなっていますけれども、スムーズに支援が継続しているということです。
 これからの課題です。いろんな復興支援のための専門性の高い職員、都市計画とか、また技術職員の派遣が必要ではないかとか、また、心のケア対策、学校現場の児童・生徒の心のケア教育ですね、こんなこともこれからは進めなくてはいけないと言われておりました。
 私どもの委員からもいろんな意見交換をさせていただきまして、さっきも言いました関西広域連合からのカウンターパート、専門性が高いピンポイント支援は非常に効果的で、これは非常にいい参考例として、今後、三重県の計画にも生かすべきではないかと、こんな意見もいただきました。いずれにしましても、自治体間の連携はスムーズにやっていただいていました。
 最後になりますけれども、全体としてまとめになるかどうかわかりませんが、私ども2班といたしましては、少し繰り返しになりますが、避難所においては季節性の衣類、特定の生活ツールですね、その不足が生じている分については、総じて充足をしておるけれどもという状況でございます。ただ、避難所が縮小傾向であるということから、仮設住宅への移行、食事支援が停止されるということから、その移行に対してちゅうちょする世帯があることに対する何らかの支援が必要ではないかと。こんな避難所での感想でございます。仮設住宅では、若干の質的なばらつきがあるのはやむを得ないですけれども、住環境の整備に対する支援、また仮設住宅ができても生活関連家財道具、家電機器がそろわないという現実についての支援が必要ではないかと。
 それから、広域連合などの支援は非常に有効であったということをかんがみまして、県・市・町のカウンターパート方式というのは参考になるのではないかと。
 それから、全体的ですけれども、私どもが行かせていただいたころについては、まだまだ瓦れきがたくさん残っておるということが非常に復興に影響があるんではないかと。早い瓦れき処分が必要ではないかと。
 また、復興計画には専門職員が必要だと。これについては、我が三重県からもそういう専門職員の派遣等を含めた支援が必要ではないかと、こんなことを感じたところでございます。
 さらには、防災危機管理対策的に私どもが感じたのは、津波対策については、まず避難できる避難場所、避難経路、避難通路確保です。こんな行動訓練も含めた避難に対する対策を講じるべきではないかと、こんなことが全体の意見としてまとめられました。
 その他としては、被災されました子どもたちの心のケア。高齢者、障がい者、乳幼児などの介護、看護、養護とか、そういうような、要援護者ですね。必要な被災者に対する福祉避難所に関した知識啓発もしっかりと教訓を生かして整備充実する必要があるんではないかなと、こんなご意見もいただいたところでございます。
 以上です。

〇藤田委員長 それでは、2班でご参加いただいた委員の皆さんの中で補足いただくようなことがございましたら。
 ございませんか。
 それでは、このご報告いただいた内容につきまして、ご質問がございましたら。

〇小野委員 今、まとめの中で最終の福祉避難所の運営についてというくだりがありました。これは、被災地域というのはそれこそありとあらゆる方が寄ってらっしゃるんで、福祉避難所といってもどこまでのものをどうやって求められるのか。今の中森委員のお話の中にも子どもの話もあったし、高齢者もあったし、それから、まさに福祉でカバーをしなければいけないところもあったんですが、そこらへんは現場ではどの程度の話が出ていましたでしょうか。

〇中森委員 ほかの委員から答えていただいてもいいんですが、私どもが聞いたのは、まず1点は福祉避難所に対する市民ですか、県民ですか、認識がまずないというんですか。本来、必要とされている方よりも、もうそれどころじゃないというところが全体の機運で、ハンディを持たれている方々の声を大きく出せなかったと、辛抱したというところです。視覚障がい者もじっと、身体障がい者もじっとと。トイレもできるだけ我慢ということが、現実のものとしてあるという現状から見て、健常者がそういうことに対する認識をまず深めると。
 それから、現実としては、各市で指定するんだそうです。社会福祉協議会とか、事務所とか、トイレとか、そういうところのある2次避難所としての取り扱いとしてもいいんだと思うんです。1次避難所から必要な方が2次避難所に行けるだけの余力が必要ではないかと。たちまちは第1避難所ですので、なかなか福祉的な避難所というのは、すべての地域に整え得ないということが現実ですので、市町単位で2次避難所を設けていただいて、1次避難所からスムーズに2次避難所へ、必要な方々のケアができればと、こんなことかと感じました。

〇藤田委員長 よろしいですか。
 ほかにございませんか。
 なければ、今回の調査全体を通して、何かご意見がございましたら、お伺いしたいと思います。

〇中村委員 3班のところへ戻って、もう一回聞きたいんですけど、よろしいですか。

〇藤田委員長 はい。

〇中村委員 5ページの下の方にある「岩手県は被災者の立場に立っていなかった」という、このくだりをもう少しかみくだいて説明いただきたいんです。

〇藤田委員長 私ばかり答えてもあきませんので、ご一緒いただいた委員の方で。
 内容的には、私が答えてしまうんで。お願いします。どうぞ。

〇杉本委員 山田町も町長初め、町長は途中で退席されましたけれども、防災課長でしたか、もう県への不満をたくさん述べられました。現場を見に来るということも非常に遅かったし、それから、現地対策本部じゃないけど、現地にそういった職員を派遣してほしいというのも要望したけれども、遅かった。それで、きわめつけは「静岡県山田町になりたい」とおっしゃいました。
 山田町の支援は、静岡県が本当にしっかりサポートされたというか、現地対策本部を置いて、関西広域連合の兵庫県とよく似ていると思うんですけれども、そこと比べると岩手県はというところがあって、私は三重県がこれからいろいろ考えていくときに、岩手県のことではなくて我が県の問題として、非常に考えさせられるものがありました。どんな防災対策をつくっていくのかというところで。

〇小野委員 現地で伺っていて、ああ、そうかと、何か妙に納得してしまったというのは、結局、岩手県の中心は盛岡市だと。今回、被災をされた地域というのは、全部、太平洋側に近いところで、距離感があると。事実、昨年の秋には遠野市で岩手県は総合訓練をされているんですが、それにもかかわらず、なかなか実態として対応ができない。三陸方面に県の機能は置いてあるものの、山田町へも3日後でしたか、県の職員が来たのは。それまでに、もう既に自衛隊が入ったり、山田町については、町民が一晩かかって山を越えて遠野市へ自分で、徒歩で、被害の実情を訴えに行って、遠野市の行政がそれを理解して支援に行っているにもかかわらず、県の本部からはファクスは流して返事がないから大丈夫なんだろうと、勝手に理解をされて支援が来てなかったと。
 現実には、岩手県も盛岡市ではやめられた防災担当大臣のボールをキャッチするようなパフォーマンスをする余裕はあるように見えていますが、現場では余裕はないと思うんです、県の対応として。

〇杉本委員 私は、その話は静岡県が非常に遠野市と大槌町と山田町を支えているというところもあるんだと思うんです。それと、私は、それを聞きながらすごく痛かったのは、三重県が向こうの要請が来ることに対して対応するんだという思想でずっときていたということです。そういう意味では、岩手県もそういう姿勢であったというふうに感じたので、その話を聞きながら、痛いところはありました。

〇小野委員 被災者とか被災地域に寄り添うという気持ちがあれば、どんなことをしても、一日、今、自助・共助・公助の中で、3日間は自分たちで頑張れば何とかします。まさにその典型が、この岩手県、3日目に職員が来たという感じなんです。3日目に来たらええやろうと。そうではなくて、何が必要かではなくて、すぐに行ってみて現場で確認をするという作業が、これは三重県にも言えるんかもわかりません。きのう、土石流の地域へ、現場へ行ったら、関係ない話やから怒られますけど、職員は2回、3回来るんやけど、そこで判断せんと帰っていって、津の事務所で相談して、本部員会議をして、それから、今からどうしましょうと。パターンが同じです。三重県も一緒だと思う。あんな程度のことを、一日かからなければ判断できないようでは、こんな大規模な事案が起こったときには、三重県はもっとひどくなると私は思います。

〇杉本委員 何度も済みません。もう気持ちがあふれてくるので。静岡県が、軽トラックが要りますよと。何が要りますじゃなくって、軽トラックが要りますよと言って、知事が軽トラックを10台持ってきたと。それから、海上自衛隊が「僕のところは何が用意できます」というリストを持ってきて、この中から……。

          〔「いや、1回目は何しましょうと来たんで、怒ったという」の声あり〕

〇杉本委員 「何しましょう」と来たら、そんなところは要らんと言って。それで、リストを持ってきて「何が必要ですか」と。「これなら用意できます」と言われたときに、その課長は涙が出たとおっしゃいました。何が必要かどうかを考える余裕がないと。

〇藤田委員長 ちょっと私からつけ加えさせていただきますと、これは静岡県の担当者の方からお話をいただいております。要は、非常に混乱をしていて、判断であるとか、現地が対応するというのは非常に大変だという、そういう意味で、情報を収集するとか、要望といいますか、必要なものを持ってくるとかという、そういうところがうまく機能していなかったということに対して、被災者の皆さん方は何を考えているかというような、被災者の状況の立場に立ってなかったというような表現で、恐らくお話しされたんだというふうに思います。
 その内容につきましては、山田町の方へお伺いをして、お話をお聞きしたところで、今二人の委員からお話をしていただいたような内容であったんだろうというふうに、私は推察をさせていただきました。
 表現として、こういう表現をされたことも事実でございますので、ご了解いただきたいというふうに思います。

〇中村委員 私、勘違いして受けとめていまして、岩手県も被災者なのに、岩手県自体が被災者であるという自覚がなかったという意味にとっていたんです。応援を受けとめる受援能力がなかったという意味だったんかなと思っていたんですけれども、県が自治体に対して相手の気持ちがわかっていなかったという意味なんですね。

          〔「そうなんですよ、はい」、「主体性がない」の声あり〕

〇中村委員 よくわかりました。

〇藤田委員長 ほかにございませんか。

〇日沖委員 どんな形からの発言でもいいですか。

〇藤田委員長 はい、全体を通してでございましたら。

〇日沖委員 3班に分かれて詳細に調査をして、これから、我々三重県で大震災が相当高い確率で予想される中で、それに向き合っていくことに対する、震災の行動計画もまたつくると知事もおっしゃっておられます。その向き合っていく中で、相当参考にさせていただくことがたくさん調査してきた中には含まれておると思うんです。それはそれとして、ぜひこれから生かしていくとして、実は、私自身も調査させていただいておってなかなかよう見出してこなかったんですけれども、本来の東日本大震災に関する復旧・復興支援をこれから三重県が、また、三重県内の市町がどのように効果的に東日本にしていったらいいのかという部分のところが、自分のところが受けたときに参考にさせていただくものはたくさんあるんですけれども、東日本に対して、これから被災地に対して何をしていったらいいのかという部分がそれほどのボリュームでなかなか見出せてないなというふうに感じるんです。
 大体その3班の調査の中で統一して出てきとるのが、これからは復旧・復興の中で、専門的な知識を持った行政職員の派遣が必要ですと、期待していますというようなことはあるんですけれども、私自身がそれほど得てこられなかったんで申し訳ないんですけど、もし、今、報告いただいた中だけじゃなくって、こういうものがあった、ああいうものがあったって、これから必要とされる体制であるとか仕組みであるとか、東日本を助けていく上でのものを得てこられた方があったら、もっとほかの班の方にも聞かせてもらいたいと思ったりもするんですけど、いかがでしょうか。

〇藤田委員長 当初に運営の仕方をきっちり説明しなかったのがいけなかったんですが、一応この調査をいただいて、前回の調査の中で、今後取り組む課題として3点皆さんに挙げていただきました。
 1点は、支援の統一というものをもうちょっと考えたらどうなんだろうかということ。それから、長期支援についてということ。それから、それを進めていく上での、我が県庁内での体制についてということで進めていくというお話をさせていただきました。今からそのお話を進める中で、先程日沖委員の方からいただきました質問といいますか、皆さんに対する投げかけに答えていきたいというふうに思っています。調査結果を取りまとめていただくその方向性として、前回、先程申し上げました3点を皆さんでお決めいただきまして、支援の統一という観点から、今回、現地へ調査に入っていただいて、いろんなご意見をお聞きいただいて、大変共通する部分がかなり出てきているというふうに、私、思っております。そのへんのところの皆さん方のご意見をお聞かせ願いたいと思います。3点で進めさせていただきますので、まず、支援の統一についてです。三重県の場合は、岩手県と、それから、知事会の方から宮城県への入り方という、ちょっと違うふうになっているんではないかというお話を皆さん方からお聞きいたしております。そのへんのことを含めてご意見がございましたら。

〇小野委員 これは津市の場合ですが、今、津市の首長がこの4月にかわりましたので、その人の縁で津市の教育については、特に、宮城県の山元町へ支援をするというような方向性を出してきているようですが、これは教育だけなんです。そこらへんが、建設も福祉も全部そっちへ行くのかどうか、まだ方向性は見えませんが、そんなふうに県内の各市町も、ばらばらに方向性が出てくる可能性があります。名張市がさっきそうであったように。そこらへんが、県全体としてトータルで知事会がこっちの方向、だから、そうなのというふうな拘束力を持っていくようなことなのかどうなのかというのも、ひとつ見えない。それから、ちょっとテーマからずれるかもわかりませんが、私、拝見をしとって思ったのは、山田町でしたか。もう既に、お邪魔したときには復興のための計画をお立てになって、それをもう発災して1カ月後ぐらいから、あの大変な中で町の職員がそれぞれの避難場所へ出向いて、町民に説明をしながら、これからのまちづくりをどうするんだと。いろんなことを問いかけながら、ある程度のボリュームでおつくりになっていらっしゃいました。これはすごいなと思いました。食べていくだけが精いっぱいの三月間の中で、そういう計画がもう既にできてきていると。
 宮城県全体ではもう復興計画をおつくりになったり、いろんなことを手がけてはいらっしゃいますが、現場の町であれだけのものを起こしてくるというのは、ああ、すごいなというふうに思いました。逆に言うと、そういう計画がそれぞれの被災地域で起こってきた、今、起こりつつある中では、我々は逆にその意思というか、自立を援助する、サポートするだけであって、余計な、さっきどっかにもありましたけれども、関西広域連合のように、そこらへんはわかった上でやっていくという方向性が一つ大事なんではないのかなという気もします。地域の人たちの意思を大事にしてあげるという方向性が大事かなというふうにも思います。

〇藤田委員長 ほかに、ご意見はどうですか。

〇北川委員 議論は支援の統一ということですよね。既に、もう数カ月もそれぞれの自治体や県が支援している中で、今の段階で、大幅に組みかえというのは、もう現場がなかなかなじまないのかなというイメージを個人的には思うんです。
 先程お話に上がっている名張市は塩竈市をずっと支援させていただいています。これまた別のところにというのは、ふぐあいが出ますでしょうし、三重県も宮城県という割付で今、動いてきていますから、福島県だ、岩手県だということにはなりにくいというふうに思います。ただ、市町のレベルでも要請に応じて動いていく中で、相手先へ市町がばらけていっている場合もあるかもわかりません。そのへんの調整は必要なのかもわかりませんが、ただ1点、すごい気になったのは、3班で行かせていただいた山田町は、三重県の災害ボランティアセンターが支援をしてきて、山田町にずっとボラパックも入っているわけですけれども、社会福祉協議会を中心とした動きはお隣の大槌町に入っていただいているということで、これから、皆さんお話に上がっている心のケアだとか、そういう部分での支援というのが重要です。長期的なものにもなってくることを考えると、数カ月の積み重ねがありますからどうだという議論もあると思います。また、県主導の話ではないですからいろいろ議論は分かれるところですが、せっかくならば、大槌町に入っている三重県の社会福祉協議会と、それから山田町は静岡県と和歌山県が入っていたと思うんですけれども、人は引き継ぎをしてどんどん入れかわっていくわけですから、そういう意味では、そこを例にとって言うことになりますけれども、バーターできるところはそういう調整も三重県としてやってもいいのかなと、お話だけでもしてもいいのかなという感じは個人的にはします。
 以上です。

〇藤田委員長 調整を今からやるのは非常に難しいものがあるという話、同時に、さはさりながら、バーターということも考慮すべきかなというご意見のように思います。
 ほかにどうでしょうか。何かご意見はございますか。

〇濱井委員 大変申し訳ないんですが、この第3班の6ページの上から二つ目なんです。この「支援は、バラバラに広く薄くするのは効果的でないので、集中してやると判断し、厚生労働省から保健師派遣も岩手県に変更させた。」とありますけれども、これをもう少し具体的に言っていただけませんでしょうか。いつごろこういうふうに変えられたのか、初動態勢の段階やと思うんですけれども、それから、その主語がどこなのか、ちょっとわかりやすく説明をお願いします。

〇藤田委員長 それでは、私の方から説明させていただきます。静岡県は独自に入られて、遠野市に本部を置いて、現地をずっと先遣隊が見て、山田町、大槌町に決めると、ここへ集中していくという判断をまずされた。そこへ厚生労働省の方から、ほかの県へ入っていただきたいという要請が静岡県にあったと。それに対して静岡県として、厚生労働省との間で話し合いをして、この地域に限定をしていきますという判断をさせていただいて入ったということでございます。
 静岡県が国と交渉して決めたと、こういうことで、かなり早い段階でございます。

〇三谷委員 委員長、よろしいか。

〇藤田委員長 はい、どうぞ。

〇三谷委員 議論をちょっと整理してもらった方がいいと思うんです。先程来、ご意見が出ているように、今の時点で大きく今のフレームというか、三重県とか各市町がやっている支援のフレームというのは動かすわけにいきませんから、それはそれとして、さらに充実させていくためにはどうしたらいいのかという一つの議論と。それから、今までいろいろご調査いただいたり、三重県なり、各市町がやってきたことについての問題点、課題というもの。この二つに大きく分けてもらって、同じ支援統一の議論であっても、少し整理してもらわないと、今のままの議論でいきますと単に議論だけが空回りしていくんではないかと、そんな危惧がします。その点お願いをしたいと思います。

〇藤田委員長 この間の県が行ってきた流れの中、皆さん方に調査いただいた。この中でいろいろ皆さんご指摘いただいたように、一つの方向性としてやっていくべきではないかと。これは今後にわたる方向性についてのご意見だというふうに思います。
 もう1点、現時点での状況というのは既に入ってきておりますので、これを北川委員がおっしゃられたように、機械的にどこか1点に集中をするというのはもう大変なことでございます。私としては北川委員がおっしゃられたような、現時点の中で効果的に調整ができる部分については、提言みたいなお話をさせていただくと。
 それと同時に、今後についてはいろんなところで自治体のマッチングというお話もお聞かせいただいております。そういうことも県として今後、考えていく必要があるのかなと、私個人は考えておりますが、ほかにご意見がございましたらちょっとお聞かせ願いたい。分けていただいて、現状に対しての方向性と、今後といいますか、この東日本の大震災に限ったことではなくて、例えば、県対県、市対市のマッチングみたいなものも含めて考えていく、提案をするということも考えられると思うんです。

          〔「今、何を言ったらいいの」の声あり〕

〇藤田委員長 今、支援の統一ということの、皆さん方のご意見をいただいたと。それは、私どもが調査をした中でばらばらになっています。これについては、今、この時点で統一をしてやっていかなければならないという意見をここでまとめるというのは非常に難しいんではないかと、北川委員の方からご意見をいただきました。
 それと、今後、起こり得る災害支援に対しての、県としてどう考えていくのかということとは、別に分けて考える必要があるのではないかというふうに思います。

〇杉本委員 今から三重県が支援したらいい内容を申し上げていいんですか。

〇藤田委員長 これからの長期の支援の内容というのは、2番目の中でお話をいただきたいと思います。

〇杉本委員 2番とは、どれですか。

〇藤田委員長 最初、支援の統一について取りまとめをさせていただくのと、2番目に、今後、長期の支援についてどうあるべきかというのを取りまとめさせていただくと。3点目は、三重県庁内の今後の体制についてはどうなんだろうかという、この3点について、前回の委員会で取りまとめさせていただきますというお話をさせていただきました、決めていただきましたので、それに基づいてお話をさせていただいたということでございます。

〇濱井委員 私が、質問させていただきましたことは、いわゆる初動態勢として、ある程度ばらばらな対応といいますか、特に、市町と被災地との対応は、友好的な都市もございますし、やむを得ない部分もあったのではないかというふうなこともあるわけでございます。
 ただ、先程、三谷委員が言われましたとおり、私は支援の統一というのは、初動態勢もそうですけども、今後のこととして、考えていかなあかんと思うんです。そのためには、今後の支援ということで、それも関連していくんじゃないかと考えておるわけでございます。例えば、瓦れきの処理なんかですと、これは一般廃棄物ということがあります。材木なんかそうですけども、そこらへんもちょっと勇み足かわかりませんけども、そういった支援も県が中に入って調整をするというような場もあると思うんです。
 したがいまして、市町と情報を的確に交換をするというようなことを体制として考えておく必要があるのではないかと、私は思います。いろんな支援が出てくるとは思うんですけれども。

〇藤田委員長 新しく行われる支援については、そのへんの意識をしてやっていっていただく必要があると、こういうことですね。

〇濱井委員 はい、そうです。

〇藤田委員長 今まで既に行われている支援については、調整できる範囲はやっていただくけども。

〇濱井委員 当然そうです。

〇藤田委員長 まあ、基本的に進めていくという。それぐらいでよろしいですか。

〇中村委員 一つ私も確認させてほしいんですけど、支援の統一というのは地域を統一するということなのか、支援の種類を統一するということなのか、自分でもわからなくなってきたんです。

〇藤田委員長 どうですか、皆さん。

〇中村委員 どちらの意味で議論しているのかわからないんです。

〇小野委員 支援の中身は、それぞれ地域によってばらばらですから、こんなもの統一できるわけがないんで、支援をするという意識を統一するだけでしょう。それしかできないでしょう。地域を統一できませんし、中身も統一できない。そこまで手を突っ込めますか。

〇中西委員 ずっと話を聞かせてもらっていて、中でちょっと気になるのが、宮城県と岩手県が一部ありますけど、中村委員もほとんど行ってみえると、僕もほとんどの市町へ行ってきたんです。最初、塩竈市から港寄りの若林地区とか、蒲生地区とか、そういうところを見たんです。前回、8月の末に防衛・防災の中へ入れていただいて東松島市、石巻市、女川町等も見てきたんです。それと、気仙沼市は僕、3回行っているんですけど、時期を過ぎていって、3カ月、4カ月たっていっても、ほとんど変わってないです。瓦れきが処理されているだけ。
 ただ、その市町によって非常に違うなと思ったのは、東松島市の瓦れきの処理の仕方がほかの市と全然違います。8種類の分別をきっちりやられてみえるんです。まして、その市に事業所がある建設業者のみに入っていただいて、それの処理をしていると。今、仕事上、大変な時期なんで、あえて市の業者だけに発注して、おくれてもいいからそれを一生懸命やっていると。そのような話がありました。
 結局、今の統一するというのは非常に難しいという話で、各市町で、みんなそれぞれ、こうしよう、ああしようと決めてみえて、復興計画もみんなそれぞれ違う計画をつくってみえるんです。見に行くと。地形上も全然違うんで、こっちでうまくできてもこっちではできないという状況がほとんどだと思うんです。企業についても、いろんな企業が入っていても、企業の復興の仕方が違う。そういったことで、今言われている統一するというのは非常に難しい話かなと。

〇藤田委員長 内容的には、おっしゃったように地域に対してありとあらゆる県ができる範囲でかかわっていくというのが中心的な内容かなというふうに私は理解しております。皆さん方、この支援の統一についてという観点からということをお決めいただいておりますので、その内容はいろいろあろうかと思いますが、現実的に今、中西委員がおっしゃられたように、地域によって状況は大変違っております。

〇小野委員 だからこそ、今、中村委員も質問させていただいたのは、支援をするという理念について、統一した理念を持って進んでいくというのか、支援をする地域を統一するという一本線をきちっと引くのか、どっちにするんですかということなんです。今の委員長のお話ですと、もうふろしきをようけ広げといて、その中へ入るものは、県として支援するものは全部したらええやないかという考え方を統一しようということですね。何ができるということではなくて。

〇藤田委員長 いえいえ。

〇小野委員 そういう言い方でしょう。それ以上のものはないし、そのときに何が出てくるか相手によって違うわけだから。そこで、色つけをしていって、心のケアをするんですとか、教育の補助をするんですなんていうことじゃないということですね。

〇藤田委員長 ふろしきと言われるとあれですが、要は地域も含めて、理念も含めて一つの方向性というのを持っていただきたいと、そういう意味での統一が必要ではないかと私は個人的に思います。

〇三谷委員 もともと、各被災地に派遣された消防士だとかいろんな方に参考人でお越しいただいてお話を伺ったときに、派遣されている方々が、時期だとか、その命令系統等を含めて非常にばらばら感があって、同じ支援をするならもう少し統一してやった方が幾らか効果的になるんではないかという意見のところから、この統一性の議論は出てきたと思うんです。
 しかし、現実に、3月11日からもう半年たって、今さらこの各自治体なりそれぞれがいろんな形でご支援されていることについての大きな流れなりフレームというのを動かすことは、これは不可能だと思います。
 ですから、そういう中で、見えてきた課題等についてはしっかりそれを一つまとめていただくということで、あと今後、再びこのような大きな災害が起きたときに、三重県として、地域的にも統一した支援ができるような体制なり、そういうものについてどうしたらいいのかという議論は少し深くやっていただく必要があると思うんです。
 ここで、現実に、例えば、静岡県は厚生労働省からの要請を変更させているというような事例もあって、三重県はそのまま厚生労働省から言われたとおり出しているというようなことにもなります。そういう各自治体の自主性の問題にもかかわってくると思いますから、そのあたりのところは少し整理していただいた方がいいのかなと。余り、あれもこれもと出してしまうと、結局、何かわけのわからん形になってしまうんではないかなと思うんです。

〇藤田委員長 地域を含めてといいますか……。

〇三谷委員 ですから、全部が全部、三重県主導で、各市町まで含めて統一した行動ができるなんて、全く思っていません。
 しかし、そういう中で、三重県が一定の統一性を持った支援体制がどうとれるのかということの提案をこの委員会として出していただければと思うわけです。それだけ完璧に三重県主導で統一行動がとれるなんていうことは現実にできるはずもありませんし、そこまでいくと、各市町の自主性、自立性を損なう話にもなってきます。そういう中で三重県としてどう統一性を持った行動を各市町とともにやっていけるのかと、その限界はどこにあるのかということも含めて議論してもらった方がいいんじゃないかと思うんです。

〇北川委員 三谷委員と一緒の話で整理をさせていただくと、支援の統一にかかわっては、お話のあったとおり、ここで参考人を招致させていただいたときに、行き先がばらばらで統一感がないという疑問点を委員会として持たせていただいて、実際それが被災地の自治体にとって、現場にとって、どうだったのかというのを今回その視察調査で見させていただいたわけです。そこで見た中では、確かに関西広域連合の動きであったり、静岡県の動きであったり、カウンターパートとかペアリングとか、言葉はいろいろありますけれども、相対して丸ごと支援をしていくような形が、被災自治体には結果として非常に喜ばれているというのは確認できたと。
 ただ、今の時点で、それに変えられるのかどうかというところについては、私、先程ご意見申し上げたとおりです。さっき、三谷委員もおっしゃったように、今後、支援の統一ということをにらんだときに県としてどうあるべきなのかという議論は、これ1番なのか、3番なのか、私もどこで言おうかと思ったんですけれども、そこで先のことの意見もまとめていただいたらどうかなというふうに思います。
 私自身、そこの点でちょっと意見を言わせていただくと、まず、後方支援を積極的に取り組んでこられた遠野市の存在というのが、3班しか行ってないんで申し訳ないんですけれども、非常に大きかったということを考えると、これは支援の統一とはちょっと違いますけど、県内での、大津波が想定される地域と後方支援の市町との組み合わせというのは、考えてほしいと思います。同様に津波だけじゃなくて、県内では今回風水害もかなり出ましたので、そういうときに、県内の市町同士でのペアリングというのも有効ではないかなと思います。3番目に、これは支援の統一ということになるんでしょうけれども、地元名張市なんかは、今3カ所ぐらい、次は4カ所目かな、東西南北散らしながら、他県の市町と、しかも同規模ぐらいのところと協定を結んで、いざというときにはお互い支援をし合うということをやっていただいているわけです。県内の市町でそれがどの程度進んでいるのか調査もしなければならないんでしょうけれども、ある程度ダブってもだめですし、県がそういうのもリードしながらペアリングをしていって、単にペアリングするだけじゃなくて、行かせていただいた話を皆さんに聞いていただいたように、そこで日ごろから人的交流もして、いろんなシステムの共有もしてということが進むと、いざというときには機能するんではないかなというふうに思います。そういう作業に三重県として主体的に取り組んでいただいたらいいのかなというふうに、私は思いました。

〇小野委員 支援の統一の部分で、特に、今回静岡県が岩手県を支援先に決めたのは、今の川勝知事と増田元知事との人間的なかかわり合いの中で、特に、静岡県は踏み込んで岩手県。それで、岩手県の中で県内調査をされた上で遠野市。
 要するに、そういう流れがもう初めからあるわけです。今、我が三重県で、ではそういうふうな事例をかんがみながらやっていくかと。その方向性をどうするんだということになると、物すごく議論が、またこれは議論百出になって、今からつくっていくというのは大変なことになると思うんです。だから、全国知事会の指示に基づいて行ったことがよくないんだというんではなくて、それはそれとして一つのチョイスとして受けながら、それをより効果的に生かしていく方向性というのも大事です。
 それから、市町ですと、例えば、きのうの災害で津市の水道局は例の水道の全体組織の中から指示を受けて、和歌山県へ行っているんです、新宮市へ、ポンプ車に乗って。そういう組織としての指示もあります。これがばらばらに支援ということには当たらないというふうにも思いますので、各市町がそれぞれとっている体制と、それから県として、国と連動して支援をしていくんであれば、先程申し上げたように、全国知事会の支援をしてほしいという要望を的確に把握をした上で効果的にやっていくという方向性というものと整理をしていただいて、別に、岩手県へ静岡県が、軽トラック10台、スズキからもらって持っていったと。ホンダは1台も出えへんやないかという話もありましたけど、そういう比較ではなくて、もうちょっときちっといけるような、そういう方向性での整理をお願いできればと思います。

〇藤田委員長 委員長、副委員長でいろいろその点についての話をさせていただいておったんですが、ある程度、今回カウンターパート方式であるとか、ペアリングという話がございまして、これを、私は3班で行きましたけれども、南三陸町の方でもお話をお聞きしたし、それから副委員長の行っていただいたところで、天童市が事前から連携をしておるという中で、かなり対応が早かったというようなこともお聞きしております。そういうところに関して、事前から考えておく必要というのもあるのかなということも、委員長、副委員長では話をさせていただいておるんです。
 要は、本来、この話が出てまいりましたのは、是非はともかくとしていろんなところへ分かれていっておると。その中には、小野委員が言われたように水道局の皆さん方とか、消防署という特別なものは除いて、行政として統一感を持っていく、そういうのも必要ではないかというふうに前回の委員会の中でもお話があったように思います。そのへんのところ、先程皆さん方からお話しいただいた内容をお聞かせいただいて、委員長、副委員長でまとめさせていただくということで、どうでしょうか。

〇三谷委員 いろいろご意見はあると思いますし、各市町等の独自の対応等もあると思います。少なくとも今まで三重県がいろいろ防災計画等をつくるときに、県内対応についての議論は各市町ともしてきたと思うんですが、対外的に他の地域への支援について、県と各市町が意思統一等の会議なり、そういう連携を今まで図ってきたというのを余り聞いたことがないんです。
 ですから、県内での災害への対応だけではなしに、県外の災害への対応、こういうことについても各市町と県とがよく相談をして、いざというときに、ある意味では統一的な行動なり、統一的な考え方、それがたとえ各友好提携をしているところを優先的にやるということであってもいいと思うんですが、そういう統一した考え方で動けるという体制づくりをまずしてもらうということの、それに対して三重県として何ができるのかというような議論にまとめていってもらうと僕はいいのかなと思うんです。

〇濱井委員 今回の調査で、いわゆる本県がとった厚生労働省関係とその他の体制でしたか、支援の体制ですけれども、それについて、ばらばらでは効果が薄れるというようなことを今回行った多賀城市等でもお伺いしております。その検証はさせていただきましたので、できるだけ受け入れる側としてばらばらな対応は避けていかなあかんと思うんです。
 この初動態勢でそういったところがございました。こちら側から見て体制がそういうふうな形になりましたけれども、これからは、県の方も東日本大震災支援プロジェクトを窓口にして一本化されて受けるということになっておりますから、そういうことはまずないと思います。十分県の中でもそういったことのないように進めていくということが、新たな支援に対して必要ではないかと思います。

〇中森委員 私の意見を3点ほど。たくさんご意見をいただきまして、現在進められている三重県内の各市町が東北地方に支援していることに対しまして、県内の市町としてもなかなか限界があって、人的、財政的にも苦しいかもわからない状態があるということからすると、県がもう少し、県内の市町が支援するところに対して、県内市町に対する何らかの支援があってもいいんではないかと、人的、財政的支援があってもいいんではないかと、これを一つ感じました。
 それと、県しかできないこともあるんではないかという、広域的なこととか、観光とか、物産とか。そういうことは市町では、相手も市町ですので、それはそれとして、県全体として地域全体の物産とか観光とかあるじゃないですか、そういう広域的なものの支援は県としてなすべき支援策としては何らかの手を打つものもあるんではないかという感じがしました。
 もう一つは、今進められているボランティアは、いろいろとやってくれています。そこも検証していただいた中で、県としてもボランティアのことをうまくバックアップしてあげたらどうかなという気もしたので、その点は何らかの形で触れるべきではないかと思いました。
 そんなことでいけば、今、既に三重県が起案をしてやっているじゃないですか。それの具体策に対して、議会としても注視しながら、場合によって意見を申し上げてもいいんではないかなという気がします。知事も積極的に現場へ行って、現在もう進められて、いろんな情報は入っていますので、みえ農商工連携フェアとか、リーディング産業展とか、いろんなところで支援策は講じようと、三重県がしようとしています。それはそれで別にとめることはないんですけども、そういうことも検証しながら、三重県としてもそこへ、議会としてももう少し、我々の委員会としても意見が出せればいいかなという気がしました。

〇藤田委員長 今後の支援ということですね。

〇中森委員 そうです。

〇藤田委員長 支援の統一ということにつきましては、先程皆さん方からお聞かせいただいた内容を反映させるということで、ご理解を賜れますか。
 それでは、今、提案いただいたように、長期の支援という観点から、お話しいただいたと思うんです。中森委員の方からは支援をいただいておる市町へ県の方から考える必要があるんではないかということを含めまして3点指摘をいただきました。ほかに支援の内容につきまして、具体的なことも含めて、ご意見がございましたら。

〇日沖委員 具体的になるかどうかはわからないんですけども、とにかく今までの議論の繰り返しになりますけれども、今さらカウンターパート方式を全面的に三重県が考え直して導入して、その体制をつくり直してというようなことはもうナンセンスですし、これまで来とんのに、もう混乱するばかりです。できるはずもないわけなんです。一部、お話にもあったと思いますが、現に当初、この特別委員会で現場へ支援に行っていただいておるそれぞれのパートの方々のお話を聞いた際に、例えばですけれども、スクールカウンセラーの代表で来ていただいておった方は、引き継ぎなんかですと、他の県の方にいくよりも、県内の会ったことのあるような、顔を見たことのあるような方に引き継いだ方が、内容も引き継ぎやすいし、効果的にお手伝いができるんやないかというようなご意見も言っておられました。心のケアなんかでもそうなんでしょうし、また、例えば、もっとほかの分野でも、これからまだずっと長期にわたるものの中で、私もちょっとかげんは県でないとわからないんですけれども、じわじわと国とかよその自治体とかで調整しながら、ここは三重県がこれから受け持たせてもらうようにしましょうかとか、どこどこの自治体が受け持たせてもらうようにしましょうかというような、カウンターパート方式というものは有効だということで我々は学んできました。そういうふうに長期にわたるものについては誘導していくことができるようなものがあれば、そんなふうにしていってもらう方がいいと思います。またこれから求められてくる専門職のマンパワーの要請でも、どういう支援の形がつくられていくのかわかりませんけれども、もし、こういうものでも、これからは特定の地域を、三重県が受け持たせてもらうようにしようかとか、これからやっていく部分のものについては、できるんであれば、意見としてそういう考え方を取り入れて支援していってくれということは言えるんじゃないかなというふうに思うのです。いかがでしょうか。

〇濱井委員 長期の支援というのがどういうことを指しておるのか、私、ちょっとわからなくなったんです。概念を指しておるのか、我々この委員会としてどういう方向性で長期の支援をしていくということを言っておるのか、あるいは具体的にどんなことを支援していったらいいのかということを、これから我々が提案していくのかということなんです。私は、三重県の中で、今、中森委員が言われましたように、支援の中身を考えているわけです。それについて、我々に資料を提出してもらって、それに対しての意見を言って、どういうふうな支援をして、どういうふうな進め方をしていったらいいのか。ほかにももっと支援することがないのかといったようなことを調査していくのか、そこらへんの趣旨がよくわからないんです。

〇藤田委員長 前回の委員会の中で、調査を皆さん方にお願いをした。それは、それぞれの地域の中でどのような初期の動きがあって、そして、現時点でどういう状況まで来ておって、その状況の中で今後、県としてどういう支援をしていくのか。そのへんのところを調査の中で明らかにしていただきたいというのが、今回、調査の中の一つの内容であったと思います。
 そういう観点から、それぞれの地域の皆さん方が今後長期にわたって支援をしていただきたい内容を含めて皆さん方のご意見をお聞きしながら、それは具体的な部分もあるだろうし、例えば、専門職という意見が出てまいりました。それは、それぞれの自治体の中で専門職の人たちに対する要望が多いということでございます。その専門職という話になりますといろんな意味になりますので、こういう意味で専門職の派遣を検討してお願いをしたいというようなことになっていくのかなと思います。
 ですから、具体的に内容というよりも、今後、県がそれぞれの地域に対して支援をしていく中で、何が必要なんだろうと。長期の視点から考えたときに何が必要なんだろうということをお話いただきたい、ご討議をいただきたいというふうに思うわけでございます。

〇杉本委員 ちょっと具体的な話になるんですけれども、これは一つの材料なんですが、学校支援というか心のケアの支援なんです。臨床心理士を長期に送るのは、今、三重県の状況では難しいというのが県教育委員会の判断だと思うんです。
 兵庫県が阪神・淡路大震災の後に震災・学校支援チーム(EARTH)というのを立ち上げました。これは全部の教職員が対象です。大学教授や、カウンセラーなどで希望者を募って構成をして、人材育成をするんです。訓練をしたり、研修をしたり。それをこれまでにも、いろんな、新潟の震災とか、海外にも送ってきました。結局、長期の支援をしていくには、そういう人材育成をしながらやらないとできないんやろうなと。それもすぐにはできるとは限らないんですけれども。例えば、私は今、気仙沼市の中学校から、入試前の中学生の学習、冬休み中の課外授業をするんやけれども、それの支援を現場の本当の先生に来てほしいんやと。夏休みは大学生に入ってもうたんやけども、ここは本当に専門性のある先生に入試に向けて来てほしいと。これがあったから、避難所にいる子どもたちが、そういう環境の子たちが、いろんな思いを持たないようにというような支援をという話を今伺っているところなんです。
 例えば「ボランティアで行きましょう」と言ったら行けばいいんやけども、そのときに被災をした子どもたちの心の問題も学習をして、よりきめ細かにそういうものを学習しながら入っていくというのも、私は大事なことやと思っているんです。それは、スポット的な支援ですので、長期には当たらないんですけれども、今後、本当に長期に支援をしていこうと思うと、例えば、夏休みにいろんな子どもたちの遊びであるとか、いろんな専門性を持った人をこちらで研修をして、訓練をして、そして送っていく。ずっとは無理にしてもスポット的に送っていくとか、そういうことはできるんじゃないかなと思っています。兵庫県のEARTHみたいなところまではいかないにしても、工夫次第によってはできるんじゃないかと思うんです。専門性というのはそこらへんがあって、土木、建築、都市計画、防災、まちづくりとかいろいろ求められていたけれども、これも現職の行政職員を今送ろうと思うと大変なことやと思うんです。その中でも、何とか県も市町もやろうとするんだろうと思うんですが、そのときに予算が確保できれば民間のそういう専門性を持った方を募って、これも無理かもわからないですけど、工夫できるところはあるんじゃないかと思っています。そんな提言ができれば。もう少し、私はEARTHについては調べようと思っているんですけれども、できるんじゃないかなというふうには思っています。

〇小野委員 済みません、途中で。何時までやりますか。
 まず、それを。もう2時間たちました。

〇藤田委員長 2時間の予定だったんですが。

〇小野委員 できれば、あと30分ぐらいで一回切っていただいて……。

〇藤田委員長 わかりました。では、3時半を目途にということでよろしいですか。

〇小野委員 それから、先程のお話、非常に専門領域の部分で継続して支援をしていくという話は、今度、国が復興庁をちゃんとつくって、国土交通省なんかもそうですが、その中へ入っていく。環境省もそうです。そういう大きな枠組みの中で、大きな予算も伴いますけども、全体の動きがある中で、こちらが支援、一緒に乗っていくというところも出てくるんだと思うんです。ぜひ三重県の中でも、今、杉本委員が聞かれとるようなポイントで、県教育委員会と帯同して、子どもたちのためにどんどん入っていけるような仕組みをこちらは考えていけばいいし、全体の流れはあるんだと思うんです。そんなふうな大きなつかみでいった方が。
 私が、宮城県の仙台市で聞いたように、もう既に彼ら、山あいの住宅地が2000戸余り壊れているのを今から復興させるために、専門職の土木技師やそういうものをたくさん欲しいと。仙台市さえ言っているんです。各地域、市町は大変なことだと思いますが、そこらへんも先程中森委員が言われたように、県として、三重県内の市町にどうやって支援をして送り出すことができるのか。ワンバウンドでいけば回っていくことだと思いますので、我々はそういう方向をひとつ提言していくのも大事だろうと思うんです。

〇藤田委員長 ほかにどうですか。

〇中村委員 支援の統一で、地域か種類か内容かという話もありましたけど、これだけカウンターパートナーの話が出ているんであれば、方式という意味でカウンターパート方式というものに統一してみてはどうかなというふうに思います。
 日沖委員も言われましたように、今さら組んである既存のパートナーに口出ししたりするのは余りよくないと思います。そういったものが、例えば、うちの班でいうと、天童市とか村山市がどういう縁があってここへ来ていたのかということを全部洗い出してみるというんですか、それこそ調査特別委員会としては今後のためにもいいのかなというふうに思います。
 知事同士が単に知り合いだったから宮城県になったとすれば、そんなことすらもコミュニケーションの意味では、非常に日ごろのつき合いが大事だなということがよくわかると思うんです。
 あるいは、歴史文化でつながっている町同士とか、鳥羽市でいうと、カキの種ガキのことで石巻市なんかに応援に行こうかという気持ちになったりする、そういったものを全国、その市とどんな理由でこれまでつながってきてどういう支援をしているかというのを調べてみるのはどうかなと思います。
 つけ加えると、中森委員が言われたように、そしたら、今後そのカウンターパートナー同士のつき合いに対して、県がどんな支援ができるかというのを提言してみるとおもしろいんじゃないかと思います。
 以上です。

〇藤田委員長 ほかにご意見はどうですか。

〇粟野委員 先程からずっといろいろ聞かせていただいておりまして、結局、今まで県がやってきたことというのを検証するのは大事ですけれども、否定することも、肯定することもできないのは現実だと思います。
 今後の動きを考えていくと、三谷委員がおっしゃったように、形も大事なんですけれども、三重県としてイニシアチブを握っていく支援というのは、結構限られてくるのかなと。
 といいますのも、今、実際いろんなところから職員が行っていただいております。各市町から行っていただいておりますけれども、これももとをただせば、市町行財政室に宮城県の方から依頼があって行っているというのが現実です。こっちからは、関西広域連合や静岡県のように、無理やり行ったというたら変ですけれども、それはもう民間レベルでしかないというのが、三重県にとっての現実かというふうに思っております。
 そうであれば、まずもって今までやっているものは継続すべきですし、今後、三重県がイニシアチブを握ってやっていけるものがあるとするんであれば、僕は二つしかないと思うんです。一つは、三重県として、各市町とも、先程三谷委員が言うてはったように、どういうことができるのかと。各市町と連携をとって、これからの今後の防災の面も含めて、例えば、伊賀市はこういうことができます、四日市市はこういうことができますというのを県でまとめて、まず向こうにメニューを渡してあげる。
 杉本委員がおっしゃられておりましたように、自衛隊が飛んできたときに、こういうのができますと、ばんと渡したと。実際、向こうは、三重県は何ができるかというのがわかってない状況では、どんなことを言ってもなかなか難しい。まずはメニューを渡してあげる、これが一つかと。
 もう1点が、これは中森委員がおっしゃっておりましたように、向こうの物を買ってあげるというのも一つの支援だと思うんです。これは確実に三重県がイニシアチブを握って、こっちで東北の物産展をするとか、東京でもいいと思うんです。三重県が主催になって東北の物産展をしてあげるとか、それも一つの支援だと思います。この2点ぐらいに絞られてくるのかなというふうに個人的には思います。これを長期的にどういう形でやっていくのかというのを練っていくのが非常に大事ではないかと私は思います。

〇三谷委員 今、粟野委員が言われたようなことをきちっと積み上げていくと、そこで初めて三重県らしさというのが、ある意味で見えてくると思うんです。各市町と県とがよく相談をして、三重県及び三重県の市町としてこういうものができますというメニューができてきたときに、例えば、県教育委員会と各市町の教育委員会が一緒になって、先程杉本委員が言われたような支援ができる。また、いろいろそういう人材の育成もうちの方で受け入れて、ある程度やっていきますというようなものが見えてくれば、ああ、三重県らしいメニューが一つ出てきたなという感じもすると思います。まず、各市町と三重県がしっかり話をして、一体何ができて、それで一体、どういう支援ができるのかということを各被災地の方にメニューとしてご提示できるということが一番のスタートかなと、そんな感じがします。

〇粟野委員 先程のものにつけ加えさせていただきますと、ちょっと言いましたが、そこに民間もほうり込むというか、入れて考えるというのが一番大事だと思います。各市町、いろんなボランティアセンターが動いてもらったりしております。これも言葉は悪いですけれども、当初の動き、民間の方がよかったというのは、これはもう日本全国共通意識やというふうに思っております。
 三重県内にもいろんなボランティア団体であったり、いろんな各種団体があると思うんですけども、彼らも何かをしたいという思いは持っとるんですが、その窓口が三重県内でなかなかないというのも現実だと思います。
 ですので、三重県でまとめるのか、各市町でまとめていただいてそれを三重県に上げていただくのか、これはちょっと今後の議論だと思いますけれども、そこに民間の力というのを何とかうまく融合させるというのも大事なことかなというふうに私は思います。

〇藤田委員長 ほかにどうですか。ご意見はございませんか。

〇北川委員 個別の意見になりますけども、調査させてもらった山田町のボランティアセンターで伺った話で、一般的に新聞やテレビでも心のケアということをよく言われますけども、避難所から仮設住宅に移り始めて、ばらばらになっていくということで、コミュニティーもできてないと。山田町のボランティアセンターの方では、仮設住宅を訪問するサロン活動をやっているということですけれども、結局それはその地域の社会福祉協議会の職員がやっておられるわけです。もともと、社会福祉協議会がご自分らの仕事、そういうケアの部分も当然あるわけですけれども、そういうもともとの仕事を持ちながら仮設住宅の対応もしていくということで、非常に厳しい環境かなというふうに聞かせていただきました。
 ただ、だれでもそういうサロン活動ができるかというと、地元の顔、地元の言葉、そういうつながりの中でしか、なかなか心のケアはしにくいという話の中で、外からぱっと来てやるというのもなかなか難しい。しかも、心のケアとなると専門性もかなり必要になってくるということで、ただ、それで何もできませんというのもつらいところがあります。先程の話、杉本委員と同じような話になりますけれども、そういう活動に参加をされたいという方であれば、みえ災害ボランティア支援センターで今、ボラパックをやってもらっていますけれども、もう既にやっていただいているのかどうかわかりませんが、心のケアをある程度やろうという意思のある方に、少し研修だとかレクチャーだとか、そういうのもしながら、現場に行っていただいて、現地の人とペアで動いていただいて、少しでも手助けをさせていただくとか、そういう形の活動ができないのかなというふうに思います。
 それから、二つ目に、市町の職員の、特に、土木とか建築の専門職の方の要望が非常にあるということで、ちょっと私は勉強不足で皆さん方はようご存じやと思うんですけども、短期の部分は交付税措置があるという話で、財源の話ですけども、長期の分については先方側の負担という話も聞いたりします。今、国の方でそれはどうなっているのか、私もきちんと押さえができてないんで恐縮なんですけども、大体、平成23年度末までが長期の派遣の体制だと聞いています。それ以降、どういう形で財源も含めて、あるいは人の手当ても含めて、三重県として市町と協力してどういうことができるのかというのも、ぜひ組み立ててほしいというふうに思います。
 以上です。

〇藤田委員長 ほかに、どうですか。
 いろんなご意見をお聞かせいただきました。いろんな意味での専門職の派遣が重要ではないかというお話でございましたけども、それをやるに当たっては、内容も含めてでございますけども、専門職、それから、市町と県とが連携した中で、何ができるのかという提案をしていくべきであると。そういう中には、専門職の中でも心のケアという話になった場合、そういう皆さん方を育成する研修をしていただくというようなことであるとか、あるいは、当然そういう動きというのは、言われましたように、国としての動きもあろうかなということでございます。その流れとも連携しながら対応していくというのが、今後、行っていくべき長期の内容かなというふうに私はお聞きしたんです。そんなことを含めまして、一度、この内容につきましては、委員長、副委員長でまとめさせていただきたいというふうに思いますが、そういう方向でやらせていただくということでよろしいでしょうか。

          〔「まとめてください」の声あり〕

〇藤田委員長 三つ目でございます。今までいろいろお話しいただいておる中にも含まれておると思いますけども、県庁内の体制の観点ということで、何かご意見がございましたらお聞かせいただければありがたいと思います。

〇三谷委員 既に議論が相当出尽くしていますので、支援する方も被災された方も混乱の中でやってきていますから、そういうきちっとした今後の支援について、各市町や民間も含めた県としての対応の会議をしていくということになれば、県庁の組織の今の問題点等もおのずから明らかになってくるんではないかと思います。そのあたりのところ、正副委員長の方で今までの議論を少しまとめていただいて、次回で出していただければ、大体見えてくるのかなという感じがするんです。

〇粟野委員 一つだけちょっとつけ加えさせていただきますと、遠野市の後方支援について、質問をさせてください。
 遠野市へ行かれたときに、「地震・津波災害における後方支援拠点施設整備構想を進めてきた」ということを書いていただいているんですが、7ページには「後方支援には予算はない。制度化されればやりやすい」と書かれております。これは遠野市独自に予算をつけてやってきたことなんでしょうか。

〇藤田委員長 これは予算的に裏をとったわけではないんですが、市長が中心になって県と連携してやられたということです。

〇粟野委員 多分、これは、今後のキーワードになってくるのかなというふうに思います。先程三谷委員がおっしゃられましたように、今までの出尽くした議論の中で、これからいろんな体制というのは出てくると思うんです。その中で後方支援というのもひとつ考えていかなあかんというのをほうり込んで、県庁への体制についても考えていかなければならないのかなというふうに思っております。

          〔「日ごろから会議して、意思統一しとれば、今回のような混乱はなかった」の声あり〕

〇藤田委員長 ほかにどうですか。

〇小野委員 後方支援については、現場で聞いた話によると、遠野市長が職員に命令をしたのは、例えば、ここらへんでいうと、イオンの取引先の倉庫があったら、あの倉庫の中にあるものを全部借りてこいと。トラック持っていって全部もらってこいと。山田町へ全部持っていけと。金は後で払うと言うて来い。何とかなるやろ。ということで、紀伊國屋文左衛門が出てきて、ミカン船で乗ってったと。後から国は、案の定、九十何%は払うよと言うたということですが、後方支援自体は、今もう既にここらへんの地震の対策についても、被災をするであろう地域からは、ある程度遠隔地で支援していこうというのは、もう理念的にはみんなわかっていることです。ただ、あとそれをどういうふうな体系に持っていくかということだけだろうと思いますから、もちろん我々がまとめる中にはそういうふうな案も入れていってもらうのは、リードの部分で入れてもらうのは大事なことだと思うんです。余り新しいというよりは、岩手県でできなかったということが言いたかったんだと思います。本当にできていないから。

〇藤田委員長 訓練ではかなり自衛隊の皆さんを含めて大規模な訓練をやっていただいておったと。その関係もあって、自衛隊がかなり早い段階で入っていただいたということはおっしゃっていました。ただ、その過程でいろんな課題もあったということをお聞きしました。

〇中村委員 その他のこともいいですか。

〇藤田委員長 はい、どうぞ。

〇中村委員 さっきから言われているボランティア団体の交流会というのが日曜日にアスト津でありまして、2時半から6時までで知事も出席されるというようなこともちらっと聞いたんです。参考までに皆さんも参加されたらどうかなと。

          〔「こないだもやったよね」の声あり〕

〇中村委員 それの、また違うやつです。

          〔「8月もやったでしょう」、「8月のは行きました」の声あり〕

〇中村委員 その趣旨とはちょっと違うはずなんです。これからどうしていくかという話なんで。

〇藤田委員長 ぜひ、参加を。

〇中村委員 時間のある方はよろしく。

〇杉本委員 その関係で、その他のところですが、被災地からこちらに来ている人たちの交流会をしたという新聞記事を私、見たんです。その方たちの問題ももう少し調べておく必要があるかなと。1回交流会をしただけみたいで。2回したのね。伊勢市で1回やって。

〇藤田委員長 こちらに避難をされている方についても調査の必要があると。こういうことですか。

〇杉本委員 ずっと触れられてこなかったけど、少し気にかかっておりまして。

〇藤田委員長 ほかにございませんか。

〇三谷委員 その他でいいですか。

〇藤田委員長 はい、どうぞ。

〇三谷委員 その他で、余り間口を広げるのはいかがかと自分でも思うんですけれども、例えば、農産物の風評被害等も含めて、福島県というのは全くこの委員会としては今までさわっていないんです。ですから、どこかで少し福島県についてさわる必要があるのではないかと、個人的には思っておるんです。委員会として対応が難しければ、委員会の有志か何かで福島県の原発の風評被害と、またいろいろな向こうでの被災の避難所の実態等、どこかで少し調査ができればと思うんです。

〇藤田委員長 わかりました。そんなご意見が出ましたけども。
 実は、この後、今後の進め方ということで、皆さんにちょっとご協議いただきたいというふうに思っておりますが、福島県の話が出てまいりましたけれども。

〇小野委員 私、6月の末に、実は宮城県を回ったときに福島県もちょっと入ったんです。10カ所回った中の2カ所は福島県を回りましたけれども、宮城県と比較すると福島県の方が「ああ、潤沢に金回っているなあ」と。例えば、相馬港なんか、何でかなと考えたら、ああ、そうか、知事は佐藤雄平さんだし、競馬の好きな知事ですが。原発もあって、かなりの配慮をされているのかなというような感じは受けて帰ってきたんですが、現実には内陸部にある避難場所、温泉とか。あそこらへんにいらっしゃる方は、もう本当に家へ帰れないところの方が多いですから、非常に厳しい。風評被害どころの騒ぎじゃない。避難者になっています。
 それから、茨城県ですが、なかなか今、脚光を浴びませんが、大洗町やあそこらへんも含めて津波被害は甚大なものがあります。我々はどうしても今回の大震災というと宮城県、岩手県というふうに思いますが、正直言って青森県から千葉県までずっとあるわけです。そこらへんを考えていきますと、この特別委員会が来年もやらなあかんのかなというぐらい、かなり広いので、それはもう一回3班ぐらいに分けてそれぞれ違うとこへ行ってもうたらいいかもわかりませんけど。

〇藤田委員長 実は、今そのへんの話も出てまいりまして、発災をして6カ月。県の動きもいろいろ行っていただいておりますので、私としては今まで取りまとめた、この調査をいただいた分を一度取りまとめて、報告をさせていただくという方向で進めさせていただけないかなというふうに思うんです。といいますのは、刻々と状況が変わっていっておるということがございまして、今回調査をいただいた、その段階での課題も含めて、一度報告をさせていただいて、そして、先程お話しいただいた福島県であるとか、あるいはほかの県も含めて、同時にこの委員会、今後どうするかということも含めて、再度お話をここでさせていただけたらと思うんですが、いかがでしょうか。

          〔「中間報告ですか」の声あり〕

〇藤田委員長 それで、そういうことでやらていただくということで、今日、皆さん方からお話をいただいたり、ご報告をいただいたものを正副委員長で一応取りまとめる、その前に皆さん方には、ちょっとご意見をこの3点に分けて……。

          〔「もう、ええんちゃう」の声あり〕

〇三谷委員 中間報告案をつくってもらって、それについての意見を求めてもらえばいいんで、またその中間報告案をつくるための意見の聴取は、もういいのとちがいますか。

〇藤田委員長 そうですか。お任せいただけますか。

〇三谷委員 はい、終わっていかない。

〇藤田委員長 はい、わかりました。
 それでは、委員長、副委員長で一応、原案をまとめさせていただくと。それを一度、皆さんにお諮りをしたいと思いますが、日程ですけども、そういう方向で進めさせていただくということでご了解をいただいて、今、その他も含めましてご協議をいただきましたが、そのほかにご意見はございませんか。
 なければ、ご協議いただく事項は以上でございますので、これで東日本大震災に関する復旧・復興支援調査特別委員会を閉会いたします。

 

〔閉会の宣言〕

 

三重県議会委員会条例第28条第1項の規定により記名押印する。

東日本大震災に関する復旧・復興支援調査特別委員長

藤 田 宜 三

 

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