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令和2年8月24日  差別解消を目指す条例検討調査特別委員会 会議録

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差別解消を目指す条例検討調査特別委員会
会議録
(開会中)
 

開催年月日   令和2年8月24日(月曜日)午前9時37分~午後0時10分
会 議     601特別委員会室
出席     11名
          委員長     北川 裕之
          副委員長   山崎  博
          委員      石垣 智矢
          委員      小林 貴虎
          委員      小島 智子
          委員      山内 道明
          委員      山本 里香
          委員      稲森 稔尚
          委員      藤田 宜三
          委員      東   豊
          委員      中村 進一
欠席    なし
出席説明員   出席を求めず
参考人      3名
           部落解放同盟三重県連合会執行委員長    松岡 克己 氏
          津市反差別青少年友の会            原田 朋記 氏
          高校生青年友の会・レベラーズ         苗村 祥代 氏
委員会書記
          議事課      主査 中西 孝朗
          企画法務課   主任 長谷川 智史
傍聴議員    2名
                    山本 佐知子
                    杉本 熊野
県政記者    1名
傍聴者     10名
調査事項
 1 参考人からの意見聴取について
 2 その他
 
【会議の経過とその結果】

〔開会の宣言〕

1 参考人からの意見聴取について
(1)参考人意見陳述

○北川委員長 それでは、参考人からの聞き取りを行います。
 部落差別に関する近年の状況等について、松岡様、原田様、苗村様の順に御説明をお願いいたします。映写の準備をいたしますので、少しお待ちくださいませ。
 それでは、松岡様、よろしくお願いいたします。

○松岡参考人 じゃ、すみません、私のほうからいかせていただきます。
 近年という部分では、これが一番新しい部分であるんかなというふうに思います。平成18年に人権センターのほうの電話相談という形の中で女性のほうが、娘が結婚を前提に交際をしている相手がいると。それで、何々市の部落のようであるが、そのことをはっきり調べたいという形で電話がありました。相談員さんは、それは部落差別であるよということを答えたんですが、相手の女性は、要するに親御さんですね。相手のことを調べるのは親の義務であり、親には子どもを守る義務がある。確かに、そう言やあ小さい子なんかはそういう形では言えていくんかなというふうに思うんですが、結婚とか本人の同意の下で、いわゆる今の憲法でいくと女性16歳、男性18歳から両性の合意という形の中で認めているやつが、こういった形で今なお相談してくると。
 それだけやなしに、まだ探偵社とかいろんなところを使おうかなというような形で話をされて、そのことも探偵法違反という形の中で、今は、探偵のほうも同和地区に関わっての身元調査につながる業務はしないということでやっているというふうに聞いております。
 そのときは、ちょっと古いんですが、これにつきましては私も長いこと運動させていただいているんですが、本当にこの新型コロナウイルス感染症やないんですが、我々が考えていた以上の出来事というような形で行われました。桑名市なんですが、アピタ、株式会社バロー、イオン株式会社、桑名駅についてはJR、近鉄両方のところの、もともと当時でいくと平成11年ですからもう9年前ですか、もう6年前にその方は亡くなられているんですが、当時はこの次、こういった形でタックシールに書かれてあったんですよね。「○○のえたの血の色が違う。○○中学校、誰々」という形で書かれてあった。で、住所も書かれてあったんですが、この方は45年前に教師としてその何々中学校の教諭として行って、最終的には校長で辞められております。その人に対して、こういった形のタックシールを先ほどのアピタとか近鉄の駅、JRの駅の便所とかそういうとこへ貼っていったということなんですが、こういう形ですね。
 で、僕もこのことで、一番衝撃的な部分で考えられるのは、この後ちょっと落書きも出すんですが、落書きの場合は、その場所に止まって何分か何かをしないとそういった行為ができない。このタックシールの場合は、秒数でいきゃ1秒も、要するに物に手を触っただけでそのシールが貼られていくという、事前には準備をしていくということになるんですが、行為そのものは、本当に秒もかからん状況の中でこういうものが貼られていくということなんですね。これは私にとっては物すごく考えも及ばず、本当に衝撃でありました。それまでには、法律のときでもそうであったか、部落民を甲子園に集めて皆殺しせえとか、そういった手紙とか、いろんな形で来た部分があるんですが、このやり方というのは本当に想像もつかない。本当にもう1秒もかからん間に差別が行われていくということであります。
 これは犯人が捕まりました。犯人捕まりましたが、悲しいかな、先ほど言ったように本人は認知症でちょっともう自分のことが分からないということで、本人が訴えることができなかったんだと。で、警察は捕まえたけど、最終的な罪名は軽犯罪法違反。要するに、一番軽い刑で済ませているわけです。こんだけの23枚か24枚のシールをいろんな、何日間、一月ぐらいで貼られたんですが、それで捕まった罪状が軽犯罪法違反で、罰金が9000円です。で、警察は一切我々に触れていません。
 それが次、2015年に、これも桑名市で起こったんですが、見てもらったように、ああいった形でもうばーんと封筒、要するに、中には中傷的な形でいろんな文章が書いてあるんですが、基本的にはああいった形で地域の中にばらまいてあって、たまたま、子どもが学校へ登校するときに拾って、先生に「こんなん拾った」と言って、中身見たらいろいろ書かれてあったと。で、何回かに分かれて封筒が、19回、300通の封筒が桑名市の被差別部落でまかれていたということなんですが、これは桑名市が物すごく、大きく取り扱っていただいて、パトロールをしていただいたんですね。このまいている部分があるんで。その中で、最初に、職員が出てくれたのが午前6時やったと思います。で、6時に行ってもまかれてあった。で、これはもっと早いんかなということで午前5時。5時に行ってもまたまかれてあった。で、4時、3時、最終的に午前2時になったと思うんです、職員の出がね。
 僕はすぐ桑名市へ行かせていただいて、市長にもう申し訳ない、職員にそういうことをやめさせてくださいと。職員も家庭があるし、そんな夜中に出ていくということはやっぱり家族から見たら異常に思われるということの中で、その代わり、市長と教育長名で広報にこういった行為は許せんと、市長であって個人であってもこういうことは許せんというような形で出してくださいというお願いをして、広報に載っけていただいてパトロールをやめました。これも犯人は捕まりました。捕まった犯人は、先ほど言ったタックシールの犯人と同一人物です。そういう部分が1回だけやなしに起こっていく。
 これは平成11年の津市の街灯ですね。これは、地域の要望で河川敷か何かの、土手かが暗いんで、街灯をつけていただきたいという要請の中で、3本立てられたんですね、一緒に。その3本の立った一つのところに、この地区は同和地区ですよと教える形のような落書きが出てきたんですね。あとの2本は、違う地域ですから落書きされてない。要するに、被差別部落のところだけがもう確信的に、ここは同和地区やということを教えるがための落書きという形になっております。これがその地図ですね。矢印のあるところで、一番奥と3本立ったんですが、書かれたのが真ん中のとこですね。
 そういう落書きがあって、これは一番大きな問題になってくるきっかけをつくった。今は伊勢市ですが、当時は御薗村です。うちの戸籍不正の形の中で、事前登録型の取組になった一つのきっかけがこれなんですね。全国208の市区町で511枚の戸籍抄本、住民票の写しを、行政書士の使える紙で全部調べられてありました。これもたまたまこういった事件が一、二年続いたということの中で、我々県と話をして、協会に一度行政書士、司法書士、いろんなところにこういった業務上請求できるものをまとめて持っていっている人がいやへんか調べてくださいよというお願いをしたら、たまたま行政書士の副会長さんが、実はどこどこの誰々がまとまって持っていったということが明らかになって、調査を県がしたところ本人が認めて、聴聞委員会、この行政書士の許可、認可は県が出しているもので、県が聴聞委員会を行いました。
 当時、私は書記長でしたんでその聴聞委員会にも出席させていただいたんですが、不景気でどうもできないもので、ダイレクトメールを全国あちこちにまきましたと。で、横浜のところから依頼があって、511枚取り寄せましたと。私どもも中央のほうからの要請でこの511枚、各市、230市町区のところに申請をして、全部取り寄せてありますと。そういった、一番大きなもとです。
 これは今、大きな問題になっている全国部落調査、鳥取ループ・示現舎という名で、同和地区とかいろんな形で、部落地名総鑑とかいろんな形で地名の公開をネット上でされました。極端な言い方をすると、同和地区とか、事業するときには指定を受けて事業をしていくという状況があったんですが、その中でもしてない未指定、未実施、そういったところまで全部被差別部落の名を出して、こういう形の販売をするとか、いろんな取組をなされてきました。これはうちが、すぐに仮処分でヤフーにかけて、相模原と横浜のほうで仮処分がすぐ、1日で出たんかな。そうしやんと止まらなかったもので、出たら大変ということで止めました。
 で、この止めた部分では、実際は、裁判所は認めたけど現実に違う方法で彼らはいろんな形で出ています。今、部落探訪という形の中で被差別部落の中へずっと入っているんですが、三重県の部落にも彼らは10か所のところに入っています。うちのこれは、八幡町なんですけど、見てもらったら分かるんですが、全部やっている人は、これは、全部一緒の最初に撮ったやつなんです。うちは、70番という、要するに70回目に入られたということなんですが、一番初めは示現舎で、その次は神奈川人権センターかね、そういって全部名前を変えて入ってきて、今は学術研究という名前を使っています。そんな形で、入るにしても、彼らは彼らの言い分があるんか分かりませんが、そういった形。
 で、時間もあるんで、ざっと言っていくんで申し訳ないんですが、これはある結婚の反対であったんですが、普通は先ほど言ったみたいに16、18歳の男女が合意をし、なおかつ両親も合意をして、それで結婚差別が起こったという事件なんですね。本人、親、両方の両親が賛成して、それで結婚差別が起こる。なぜか。女性側の実家、要するに弟、跡取りのところですが、その方が反対をされた。どういう反対をしたかというと、お姉ちゃんとこはそうやって結婚するのはええやろと。うちの娘がいるけど、うちの娘が結婚するときに、姉ちゃんとこは部落の人間と結婚したということで反対やいろんな形に遭う可能性があると。だから反対やということで、ずっと何回も何回も実家へ行って、納得させに行ったんですが、残念ながら念書ちゅう形になりました。時間の都合でちょっと飛ばさせてもらいますが、そういった、本当に我々の思い以上な部分。
 ここのとこ、紀南のほう、要するに南のほうで、いろんな形で差別が起こっています。結婚差別や発言、いろんな形で起こっています。私は、その都度、病院の場合は紀南病院、紀南病院の場合は熊野市と紀宝町、三つの管轄で運営されているんですが、主は紀南ということですぐに行って、町長さんにお会いさせていただいて、やはりきちっとした推進法、要するに差別推進法が出てくる中で、やっぱり住民啓発をきちっとしてもらわんとという話をさせてもらいました。そのおかげで、町も大事やということで、幹部研修、職員研修、いろんな形で研修、研修という形、県もそのことは大事ということで、向こうのほうへ行っております。
 この最後の部分ですが、今は、過疎化に向けていろんな地域が、これは、熊野市ですが、熊野市にこの間行かせてもらって話をしたんですが、今年度事業としてはもうやめます、やめましたと。実質的には効果が上がらなかったということであるんですが、これは三重県だけやなしにいろんな地域のところで、行政が主になって婚活事業という形で、若い者を地域に残し、そこで産み育てるというような形を考えられた一つの部分やというふうに思うんですが、婚活ということの中では、たまたま今回は被差別部落の子もそこに参加をして、もう結婚するというところまでいったんですが、実際、駄目になったというような事件です。実際、そういうことでは、いろんな部分であると思うんで、こういう事件は、今、だから南のほうを中心に県もいろんな取組をしていただいております。
 そういう部分で、最後になるんですが、僕はやっぱり平和や差別とかいろんなものというのは、本来、最初は願うものだというふうに思うんですが、お願いしてなくなるならもう全部なくなっていると思うんですよね。だから、願うものではない。やっぱり動くんである。実際に行動や活動やいろんな取組をしていくことで、平和とか人権、差別とかそういったもろもろというのがなくなっていくというふうに思っています。
 ただ単になくなったらええよねとか、今の新型コロナウイルス感染症なんかでもこんなんいつなくなるんやろとか、お願い的なものでは絶対なくならない。やっぱり、そこに動くというものがあって、なくなっていく。その動くもと、動いていけるもとというのは何やというたら、やはり法律であったり条例であったり、その裏づけがあってきちっと動いていけるというふうに思うんで、できたらそういう部分で、今日こういった機会を与えてもらったもので、僕はやっぱりただなくなったらいい、もとはそうですが、そこで止まっている状態やなしに、それに対して何をしていくか、どうするんやという動きというものを求めていくことが、いろんな差別やものになっていくというふうに思います。そういう部分で、一応私のほうからはこれで終わらせていただきます。ありがとうございました。

○北川委員長 松岡様、ありがとうございました。
 引き続いて、原田様、御説明をお願いいたします。

○原田参考人 私のほうからは、市内の若い世代の実体験や現実を、複数の事例として話をさせていただきたいと思います。
 まず最初に、結婚や交際に関わる現実です。20代の後輩から相談を受けた内容です。成人式の翌日に、振袖を着た仲間とともに3人で写る写真が添付されたメールが届きました。そのメールには、「今しんどい」から始まる、実際に書かれていた内容を原文に近いまま読ませていただきたいと思います。
 「結婚することが決まって、おなかに赤ちゃんもいる。でも、彼に出身であることを伝えられてない。今、住むところを探しとって、いい物件見つけたんやけど、相手の親に伝えたら、その近くに部落があるから住んだらあかんって言われた。相手に活動してきたことをやっとの思いで伝えることができた。でも、彼が返してくれた言葉は『そうなんや』で終わってしまった。いつか部落差別にぶつかる時が来るんかなって思いながらずっと生きてきた。そのために勉強してきた。部落差別に出会ったって強く立ち向かうんや、負けへんのやと思ってきた。でも、現実ってそう簡単ちゃう。親に何言われても何も言えへん。話すらできへん。どうしていいか全くもって分からんくなってしまった。彼は私が出身であるって本当のことを知ってくれとるんやろか。知らんねやろか。だけど、せめてそんな差別おかしいよなって、そう言える人であってほしい」という内容のメールを受け取りました。
 後日、無事に出産をした後に顔を見せてくれたときに彼女が言った言葉が「まだ部落差別を乗り越えたわけじゃない。だけど、私は生まれてきてくれたこの子と、いつか部落問題を中心に置いた話がしたい。学んだことによって仲間ができたりとか、自分が変わることができたことを子どもにも伝えたい」と話をしてくれました。
 それから数年後に、彼には立場を伝えられたものの、相手の親にはいまだに伝えられていないという状況は変わっていません。住むところさえ反対されている状況の中で、ましてや立場をぼかして結婚となると、相手に理解をされるのかって不安を感じ、葛藤している一つの現実です。
 続けて、30代の青年の体験です。交際していた彼女の父親が、小さい頃に部落出身者からいじめられたという経験から、部落に対して偏見や差別心を持っていました。彼女も、このまま交際を続けてもいつか部落差別にぶち当たると不安を漏らしていました。何年か交際をしたある日、彼女を駅まで送る途中に、いつもとは違って既に彼女が泣いていることが分かりました。交際していることを父に打ち明けた。父から「交際なら幾らでも許す。この先つき合いが進んで万が一結婚となれば、絶対に許すわけにはいかん。それでもおまえが一緒になりたいというなら、親子の縁は切らせてもらう。家を出て行ってもらう」と言われたということを明かしてくれました。それ以降、彼女の父親と話す機会は得られずに、交際は終わっています。
 次に、職場での現実です。これも20代の青年の体験です。高校を卒業してすぐに、津市内の介護施設で働き始めました。一定の研修期間を終えて、ある日、担当になった利用者と会話が盛り上がっていきます。その子自身が、利用者から住んでいるところを聞かれることになりました。利用者からの質問に対して、津市の○○町ですと返していくんですが、実は会話がそこで終わりませんでした。利用者から帰ってきた言葉は「おお、姉ちゃん、俺もどこどこの生まれなんや。その町のどこや」というふうに聞き返されることになっていきます。この体験をしばらくしてから打ち明けてくれたときに、「そう聞かれた瞬間、自分が暮らしている同和地区の字名を答えたら、もしかしたら差別を受けるかもしれない。字名を答えることに戸惑った。けれども、利用者との今後の関係性も考えて、比較的近所の人であったことからも、自分が暮らしている字名を伝えることにした」と後々になって話をしてくれています。
 ただ、自分の同和地区の字名を伝えた瞬間、利用者の態度は一変をしていきました。食事の時間にお茶を注いでも「こんなお茶飲めるか」と湯飲みをひっくり返されたりとか、着替えの手伝いをしようとして手をかけてもその手を払いのけられたりとか、全てに対して拒否をされていきます。そのことはほかの職員にも打ち明けることができずに、数日後には利用者が施設を替わることが分かっていたため耐えるしかなかったと、施設を辞めた後で話をしてくれています。利用者が施設を移っていく最後に吐き捨てた言葉があって、それは「やっとおまえみたいな人間じゃないやつの下から離れられるわ」、そんな言葉を吐き捨てられています。
 次に、学校での現実として、高校生の体験です。高校1年生のAの目の前で、高校3年生のBとCが次のような会話を始めました。「また人権学習か。どうせ人権やから部落差別のことを考えやなあかんねやろな」、そんな言葉を高校3年生のBが発言していきます。横にいた高校3年生のCはBに返しました。「部落差別って言うけど、昔のことやんか。今はもうあらへんやんか」というふうに返していきました。
 A自身は小学生のときに立場を自覚して、その後、地域の中で学び続けていきました。高校生になってからも人権サークルに入ったりとか、差別をなくすための活動に参画をしていきます。だから、Aにとってその2人の会話は放置できませんでした。Aはそこで先輩たちを引き止めて反論をしていきます。しかし、聞き入れてもらえずに、いくら反論をしてもその思いは届きませんでしたので、A自身は部落出身者であるという立場を明かした上でさらに思いを伝えていきました。すると、Cのほうです。高校3年生のC、部落差別は昔のことと発言したCから差別を受けることになります。「あんたが言いたいことはよく分かった。でも、あんたみたいな私たちの体の中を流れている血の色とは違う人と、うまくつき合っていく自信がない」と部落差別を受けることになります。それでもAは反論したものの、その思いはBやCに届くことはありませんでした。一方、自分さえ我慢すれば、忘れてしまえば大きな問題になることはないという形で、一人で抱え込んでしまいます。
 それから2年後に、Aが高校3年生になってから当時のことを打ち明けてくれました。休み時間に人をばかにする言葉として、障がい者を傷つけるような言葉を使ってからかい合う友達の姿を見るたびに、あるいは、人権学習になると聞こえてくる「面倒くさい」という言葉を聞くたびに過去のことを思い出した。忘れたくても忘れられなかったと話をしてくれています。
 別の高校生です。高校で部落問題をテーマにした講演会の後、その後の友達同士の会話の中で「部落ってどこにあるの」とか「どこどこ中学校区じゃない」ということが話題になっていきました。次は自分の中学校区が言われるんじゃないか、その場から逃げ出したかったと打ち明けてくれた高校生がいます。
 今年度に入ってから津市内の6人の高校生に、自分が部落出身者であることを自覚している6人の高校生に話を聞く機会がありました。6人ともが将来部落差別を受けるかもしれないこと、特に結婚差別に対しては常に不安を感じています。
 高校生になると、中学生までとは環境が変わっていきます。周りの子たちの中には、小・中学校のときに全く部落問題を学習していなかったりとか、学習したことさえ覚えていなかったりする子がいる状況の中で、高校での人権学習の後に「部落って本当にあるんかな」という、そんな周りの発言に不安を感じています。
 今回、若い世代ではないんですが、新型コロナウイルス感染症に関わって、差別によって学ぶ機会が奪われたことで、識字の問題で申請ができないという地域の人の声が実際にあります。あるいは、感染が拡大するにつれて、やっぱりうちの地域から感染者は出せないとか、新聞には載れないという不安を感じている部落の高齢者がいたりします。背景には、今ここでコロナの感染者が出たら周りの地域からどう見られるかということに対して、やっぱり不安に思わされているからです。
 こうした津市の現状がある中で、インターネット社会がやっぱり進んだことによって、部落の地名や部落出身者の個人情報がさらされている状況の中で、我が子が下を向いて帰ってこないか、子どもたちや地域の人たちが差別を受けないか、多くの人が不安に思っています。そんな不安をやっぱり感じずに生きていける社会になるように、実効性のある条例をつくっていただけたらと思います。

○北川委員長 原田様、ありがとうございました。
 それでは、最後に苗村様、御説明をよろしくお願いします。

○苗村参考人 おはようございます。
 私は、高校生青年友の会・レベラーズという活動をしています。このレベラーズ自体はもう13年、14年ぐらい結成からたちます。その当時は、私はもうちょっと青年層だったんですが、今はもう一番年上の状態で、高校生の子の悩みを聞いたりとか、そういった活動をしたり、また、自分がどんなことできるかなと考えて、みんなに声をかけて広げていったりということをしています。
 また、私は伊賀市の学校に勤務しています。今からは、私はこの活動を通して出会ったある地区のお母さんと娘さんの話をさせていただけたらなと思います。
 このお母さんは40代の方で、10代の頃からA地区やからという理由で、つき合っている相手の御両親からつき合いを反対されるという差別を受けてきました。じっくり聞いてみると、「えっ、それってそのままあれなん、つき合えたん。どうやったん」と聞くと、「いやな、やっぱり続かへんねんな。その次のつき合った人もな、続かへんくて」って話してくれました。「A地区に生まれたからっていう理由だけで、何でこんな差別受けやなあかんねやろな」って、「今でもな、思い出したら泣けてくんねん」といって話をしてくれました。
 その中で、その後、今の連れ合いと出会うんですが、それも結局、結婚差別を受けまして、今の連れ合いの御両親とは近いんですけども連絡を取っていない。「孫もな、会わせられてへんねん」ということでした。
 そういった状況も乗り越えて結婚されたんですが、やっぱり結婚した後、この地区から逃げたい、今から生まれる娘には同じ思いをさせたくないという思いでA地区を出ました。しかし、転居を構えたばかりのときに、A地区から引っ越してきたことが分かった近所の人からは「もう来ていらんわ」といううわさを、「あの人な、どこどこの地区やねんて。かなわんな」って言われたそうです。冷たい態度を取られて、「何で私ばかりこんな目に遭わないといけないんですかね。ほんまに嫌な思いしたわ」って。「地区から出たらそんな思いせんでええと思ってたんけどな」、お母さんは涙いっぱいためて話してくれました。結局、地区から出てもルーツがあるということで差別を受けたんです。それからお母さんは、この後もずっと自分の出身をもう隠していこう、一生懸命隠して生きていこうって決めたと言ってくれました。
 そして、その娘が小学4年生になったときなんですけども、今20代前半の子です。自分の出身地区を友達にこの子やったらということで伝えた後、いじめに遭いました。「私が、生まれたところはA地区やねん」と言ったら、友達に次の休み時間に「一緒にトイレ行こう」って言ったら無視されて、そこから仲間外しが始まったそうです。すごく仲のよかった友達だったそうなので、すごく傷ついて、そこから学校に行けなくなったそうです。娘には差別を受けさせたくないという思いで必死だったのに、結局、差別は容赦なく娘さんにも降りかかりました。
 でも、そのときに救ってくれたのが担任の先生とA地区の仲間でした。保育所が一緒だったので、すごくつながりがあって、その友達が「おいでよ、おいでよ」と言って、そっちの通学団から通うことになったそうです。その様子を見ていてお母さんが、娘のために新築で建てたお家だったんですが売却をして、A地区に戻って暮らしています。
 このとき、担任の先生はすごく熱心に取り組んでくださったそうです。同和教育を基に、一人ひとりが認められる仲間づくりをすすめてきてくれたおかげで、学校にまた行けるようになったと言っていました。自分はこの地区でええんやという安心感を持てたそうです。しかし、やっぱり差別をいつ受けるか分からへんという怖さから、ずっとお母さん自身が、地区であることを隠しながら暮らしていました。
 しかし、また高校で娘さんが、人権学習の中で先生から地区であることが分かるアウティングに遭ったそうです。「気持ち分かるやろ。しゃべってみ」と言われたそうです。頭が真っ白になって「どうしよう」、何も話せなかったそうです。「ああ、無理してしゃべらんでええねんで」。そこで、次に当てられたのがたまたま同じ小学校やった友達で、しかも、この子がいじめられたその相手の子に「じゃ、君説明して」という感じで先生が指名したそうです。で、何も気持ちもこもってない、何か教科書どおりなその話を、みんなが「ああ、すばらしい話や」という感じで聞いていた。もう悔しくて悔しくてって、娘さんが泣きながらお家に帰ってきたそうです。「部落差別はどこで降りかかってくるか分からない。逃げられへんわ。泣いて、怒りの感情があふれてくるばかりやってん」って話してくれました。
 そのつらい経験を、たまたまこの活動をしていく中で私との出会いがあって、私に「実はな、さっちゃん」って話してくれました。「つらかったな」って一緒に泣きました。それまでそのお母さんも娘も逃げることばっかり考えてたんやけど、「どう、一緒に活動してみない」って誘いました。で、一緒に参加をして、今、彼女は、娘さんのほうなんですけど、同じようにレベラーズとして活動して、今は中心人物になって取り組んでいってくれています。で、「今はどう」って聞くと「楽しい。自分の地区を自信を持って私、好きって言えるわ」と言ってくれました。で、今は自分の地区に、ある小学校なんですけども、小学校に行って、先生方とどんなふうにして子どもたちと同和教育を進めていく、地区学習を進めていくという話や、「先生、そのままやったらあかんで」とか、たまには先生に耳の痛い話もしっかりとしてくれる頼もしい存在になっています。
 その娘の姿から、お母さんは「逃げてばっかりではいけないな。やっぱり立ち向かっていかないと」って教えてもらったと言っていました。でも、結果的に娘さんは今、生き生きと活動していますが、結局、差別は連鎖していることが分かります。一部はこうやって活動することで、自分のアイデンティティというか、大事にして輝くように活動できているんですが、多くは自分の地区が言えずにうずくまっているというか、下を向いているという方がすごくたくさんいます。
 今は表面上見えにくくなっているかもしれませんが、そういったまだまだ若い20代の子もその生い立ちの中で経験している、それが続いていっているというのが部落差別です。だからこそ、なくしていくための取組を進めていくことが大切だと考えます。全ての人が自分の進みたい道を自信を持って歩いていける未来を、私たちはつくっていかなければならないと思っています。そのために条例のほうを、どうぞよろしくお願いします。
 以上です。

○北川委員長 苗村参考人、御説明ありがとうございました。
 改めて、3人の参考人の皆さん、ありがとうございました。
 それでは、質疑応答に入る前に、換気のために5分間休憩をいたします。暫時休憩といたします。再開を午前10時30分といたします。
          (休  憩)
 
(2)参考人への質疑

○北川委員長 それでは、休憩前に引き続き委員会を再開いたします。
 それでは、先ほどの参考人の御説明を受けまして、委員の皆様から御質疑等をお願いしたいと思います。
 参考人の方が3名お見えでございますので、何々さんへの質問ということでおっしゃっていただけると、その参考人の方にお答えをいただくというふうにしたいと思います。
 なお、念のため申し上げますが、参考人は挙手により委員長の許可を得てから御発言を願います。また、申し訳ないんですけども、委員に対しては質疑をすることができませんので御了承願いたいと思います。
 それでは、御質疑のある方、挙手をいただいてお願いをいたします。

○小島委員 今日はどうもありがとうございます。
 原田さんと苗村さんにお伺いをしたいと思うんですけれども、それぞれ私どもにいただいた参考人の方のお立場というのかな、そこには津市反差別青少年友の会というのと、それから高校生青年友の会・レベラーズというお名前が書いてあります。例えばどんな、子どもたちではないんでしょうけれども青年たちが関わっていて、具体的に少しだけどんな活動をしているかっていうのをお教えいただけたらと思います。お願いします。

○原田参考人 結成をしたのが2007年になります。2007年は津市で市町村合併があった1年後になりまして、この活動そのものが、いわゆる各地域で小・中と地区学習会であったりとか中学生友の会の活動を通して学んでいる子たちが、その後高校生になって、高校生友の会として地域で活動している状況が市内の各地域にありました。それをつなぐネットワークとしてつくったのが津市反差別青少年友の会です。
 今から13年ほど前の市内の状況としましては、多くの地域でやっぱり高校を卒業した後の活動につながっていかないという状況が一つあったのと、ちょうどその2005年あたりにインターネット上のいろんな問題が出てくる中で、やっぱり部落差別が今社会の中にあるこの状況で仲間としてつながりをつくっていくことが、自分ら自身が安心をできたりとか、それこそ、この場所があるからこそ自分の生活に返していけるような原動力になる場所をつくりたいと思って結成をしたのがこの活動になります。
 ですので、活動の土台は今五つの地域が集っているんですけど各地域にありますので、ネットワークで集っているのは年数回になります。

○苗村参考人 先ほど原田さんからお話があったように、レベラーズも同じように、一つの地域で高校生が地区学習会で学んできたこと、また、自分たちが仲間としてのつながりを深めていったり、この地域では小学生の子を対象に、縦のつながりの大切さといいますか、子どもたちにクリスマス会をしたりバーベキューをしたり、この地域大好きやねんという子どもたちをつないでいくという活動をしています。

○小島委員 そういう活動をずっと続けていく中で、学校が一緒とかいうことだったりして、共にやっぱり活動していこうとかいう方というのはいらっしゃるのかどうか、教えていただけますか。

○北川委員長 どちらに。両方ですか。

○小島委員 はい。

○原田参考人 この活動が13年間大事にしてきたのが、やはり地域の子どもたちだけじゃなくて周りを巻き込んでいくという活動です。
 その中で、一人の青年のことを紹介しようと思うんですけど、小学生の低学年の頃に母親から、線路の向こうの地域の子とはあまり遊んではいけないというふうに言われ続けてきた地区会の青年がいます。で、中学生になって、学校での人権学習を通して母親が言い続けてきたことが部落差別であるというふうに気づいていきました。その後、人権サークルに入って、共に入ってくるんですけど、そのたびに母親から活動に行くことさえ否定をされている状況の中で、母自身が偏見や差別心を持っていたりとか、活動の中でもいろんな仲間との出会いを通して、最初は彼女自身、偏見や差別心を持っている、仲間のことさえ否定している母親が悪いというふうに思い続けてきました。
 この母親さえいなければ部落差別が一つなくなるって母に責任を求めてきたんですけど、この活動を通していろんなことと出会って学んだからこそ、母親に偏見や差別心を植え付けた、やっぱり部落差別をなくしていく一人でありたいというふうに変わっていった地区外の子がいます。そういった子たちとつながっていくことだったりとか、そういった仲間を増やしていくことにこの活動ではこだわっています。

○苗村参考人 小学校とか中学校の先生方も、やっぱり私たちも一緒に学ばないとということで参加してくださっています。で、地区のおっちゃんたちも来たりとか、大人の数が多いやんというときもあるんですが、先日、私の友人にちょっと会う機会があって、「さち、こういう活動ずっとしてるやん。私な、今な」って、その方は言ったら連れ合いの方からのDVがあって、すごいつらい思いをして離婚した友達なんですが、自分がDVをされているということに気がつかなかった。
 もうすごい、だから心の傷を負って、ずたずたになって、自分の話をできたというのがやっぱり人権活動をしてくれていた人たちやったというところで、「そういった同じ思いをしてる女の人がたくさんいるかもしれへん。私もその活動したいねん。さちが高校生のときからずっと活動してたのを知ってるから、ぜひ今度私も呼んで。もしかしたら自分も差別の立場に立ってるかもしれへん。やっぱり、でもそれは学んでいかな分からんから、さちがそうやって発信してくれたことで、ああ、こういう活動もあるんやって知れたし、自分も何かできることないかなって思てる」って言ってくれた友達がいました。
 そうやって、私が発信したり話ししたりする中で、私も一緒に活動したいという人は徐々に増えてきているかなと感じています。

○松岡参考人 つけ加えて、レベラーズのほうで、もともとつくったのは私なんですね。で、もともとは高校生の友の会。で、青年はそんなにいなかったんですが、高校から卒業してそれなりの活動をしていた。
 ちょうど高校生がもう1人ぐらいになったときがあるんですね。で、自分一人でおっちゃん、できひんというような話があって、じゃもう高校生と青年を一緒にして活動させていこうと言って、当時の地域に来ていた地域加配の先生と相談して、それこそ苗村とか、ここはもう卒業して2年か3年ぐらいたっていたんです。今度、高校と青年を一つにした会をつくって、自分らがきちっと伝えていくようにしてくれへんかという形でレベラーズというのができてきたんですね。
 先ほど言ったように、学校の先生も一緒に勉強させてとか、今、先ほどの女性は、去年の津で起こった、開催された全同協大会にも参加して、1万何人の人がいて、物すごく自分の中で、先ほどの苗村の話やないけど、引っ込み思案で引いていた子が、こんだけ全国で頑張っている人がいるんやということの中で、今年は彼女が中心になって会を運営している。そういう部分では、年々運営していく責任者というのは、年齢関係なしに代わっていっているのが現実です。
 以上です。
          〔「ありがとうございます」の声あり〕

○北川委員長 よろしいですか。他に御質疑はございませんか。

○中村委員 今日はありがとうございました。若い皆さんからというか、原田さんや苗村さんから、本当に差別が現存しているということを聞かさせてもらいました。それから、大変デリケートな課題であるということも、私自身も認識させてもらいました。
 お伺いしたいのは、松岡さんにお願いしたいんですけど、本当に長年こういう課題に取り組んでみえて、そして今、私もこの間、今年の第25回の部落解放の研究集会ですかね、これも見せてもらいました。そのときにいろんな差別の具体的な例も教えてもらったんですけど、ちょっとさっきの、一つはさっきの話で、鳥取ループでしたっけね。
 ちょっと来る前にネットでもちょっと見てみたんですけれども、それはここでこうやって議論されているのと全く真逆のことを、どんどんと差別実態、あるいは住所とかいろんなものを含めて外へオープンにするのを仕事にしているみたいな、そういう団体が現れていると。しかも、それが、ここでも我々もちょっとこの間調査させてもらったんですけど、いわゆるネットを使って広げていく、そんな活動があるんですけど、まずは三重県のそういった運動団体の代表として、こういったところに対してどのような対応をしていったらいいのか、しているのか、まずはその一点をお教えください。

○松岡参考人 一つお願いをしておきたいのは、なるべくネットを見ないようにしていただきたい。というのは、これは彼らのお金もうけなんですね、開いたら。だから、基本的には、ほとんどうちらでも指示は出てくるんですけど、三重県でももう人権センターなら人権センターが共有して全部出すとか、そういう形を取っているもので、一つはそういう、見ていただくのは、見やんと分からんというのがあるんですが、見ると彼らの収入源になって、実際いろんな活動につながっていっています。
 で、今、鳥取ループの場合は、名前自身は、もともと鳥取のほうで隣保館、当時の隣保館の地図を全部ネットでさらしたんですね、彼らは。それが裁判になって、名前が鳥取ループみたいな形の名前を使うようになって、いろんなネットで配信するようになりました。
 その次に地名総鑑、要するに、一番最初、1975年に部落地名総鑑というのが全国的に販売をされました。大企業は、ほとんどのところは購入されました。昭和でいくと10年か11年のやつを鳥取ループの人たちが入手して、それを部落地名総鑑という、一覧という形でネットに全部さらしたんですね。で、三重県でいくといろんな人たちの個人名、私も含めて出ているんですが、肩書が載ったり、いろんな部分で出ています。
 それと、ここにもちょっと書いたんですが、ウィキペディアというのがあって、その次に出たのがね。全部それは地名総鑑、一覧表から全部ミラーサイトという形で次から次へ移行していく部分であるんですが、そういう形の中では、実際問題名前が出て、今うちの、中央本部が4年前に248人の原告団で2億4000万円の損害賠償の裁判を起こしました。それでも、法務局やいろんなとこから説諭は受けているんですね。先ほど言った部落探訪とか、そういったもろもろを出しているから駄目ですよと言っても、彼らは一向に聞かない。
 そういった中で、今2億4000万円の裁判をして、このコロナ禍のおかげでちょっと止まったんですね。で、三者委員会で1年ちょっとぐらいかな、やられていて、この8月31日と9月14日、9月28日にやっと証人尋問に入ります。その証人尋問の9月14日に私も一応、解放同盟から9人が証人になっているんですが、そのうちの一人が私になっています。私の場合は、急に言われたもので、なぜですかと副委員長に聞いたんですね、電話かかってきて。そしたら、今こんな時期ですし、子どものほうも何で遠くへ行くのというような声もあるもので、できたら替えてもらえへんのと聞いたら、あんたの場合は裁判長から指名で来ていると。だから、抜けられへんねんという話で、これは、行かんとしようがないかな、気をつけて、いろんな時間も考えながら行こうかなと。だから、実際今、動きとしては、大きな裁判になっています。
 彼らはいろんな裁判を過去にやっているんですが、皆負けているんですね。で、彼らは弁護士を一切立てません。自分らで反対尋問、出所、全部自分らで書きます。だから、今度の証人尋問も彼らはじかに、弁護士やなしに彼ら自身が反対尋問してくるだろうという形で、いろんな資料、裁判所に出ているんですが、それに基づいて模擬裁判をこっちではやっているんですが、訳の分からん話が出てきています。
 そういった形の中では、鳥取ループという一つの名前になっているんですが、もうあらゆるうちらの関係のやつは、一番許せない行為というのは、この間は人名、昔の人名帳をネットでさらしました。もう一つは、自分が部落に住んだら自分も部落民かというような形で、彼自身は神奈川県の、もう亡くなられたんですが神奈川県連の書記長の自宅の住所に転居をしました。1日だけ、1回だけ。で、すぐまた戻しているんです。そういう行為を平気でする人なんですね。だから、本当に私らから言わせていただいたら、差別をなくすというのに逆行することを喜んでいるグループやろなと。
 で、悲しいかな、それを支援する人も今ちょこちょこ出てきているんですね。いろいろうわさでは、20人ぐらい支援している人がいるみたいな形で聞いているんですが、そういった形で本当に、僕らもだから、さっき中村委員言われたみたいに見たらいいんやけど、なかなか、見たら彼らの金もうけになるんで見ないです。そういうことです。すみません。

○中村委員 ありがとうございます。
 あと一点ですね。この間、研究集会に参加させてもらったときに、知事のお祝いの挨拶なんかも、県として全力で取り組むということ、また、当時の廣田教育長からもお話もありました。特に中嶋議長からは、ネットに関しても挨拶の中で触れられているんですけれども、我々も、行政や鈴木英敬知事や教育委員会よりも議会がもっと前へ出て、この差別解消のまず条例をつくらなあかんと。もうそれぞれ、中嶋議長も、三つの法律があるけれども、まだここ、もう一ついかないかんけれども、ネット上の差別は大変だということでそこにも挙げられているんですけれども、そういった、行政も教育委員会も議会も前へ向いて今動き出しているんですけれども、そこに向けての思いというか、これだけはしてくれってありましたらちょっと端的に、思いがありましたらお願いしたいと思います。

○松岡参考人 今度、こういう形で条例化をしていきたいというような形で委員会をつくっていただいて、大変ありがたいなというふうに思います。
 一番やはり僕が思うのは、やっぱりその条例をしていって、どういう名称になるんか、一つは問題あると思うんですよね。それに併せて、いろんな今、去年は障がい者差別禁止の条例が三重でもできたけど、法律でいくとヘイトと部落差別。僕はそれだけやなしに、先ほど言ったいろんな部分が、やっぱり差別という偏見に基づいた形で行われてきているという、この危惧していく部分というのは物すごいあると思うし、また、社会の変化が、今やはり我々人間がついていけんスピードで、いろんな形で進んでいっているというふうに感じているんですね。
 だから、そういう部分では、一回つくったらなかなか、やっぱり直していくとかあれするとかいうようなことがなかなかいかないと思うんで、できたらやっぱりそういうことを見越した上の、やっぱり将来的に見越した上でのものもきちっと議論された上で、条例を制定していただいたらありがたいかなというふうに思います。
 だから、本当に今回の新型コロナウイルス感染症にしてもそうです。いろんな、これから何が起こるか、災害にしてもそうですし、いろんな形で、その都度やっぱり差別というような形で表れてくる。物はそういう形で違っても、結果としてやっぱり差別という行為が行われていくということになってくると思うんで、やっぱりその差別という行為をどうしていくかということをきちっと踏まえてもらった条例にしていただいたらありがたいかなというふうに思います。

○中村委員 ありがとうございました。
 まさに願うよりも動くと、動けということでございますよね。苗村さんも原田さんも、またこういった具体的な例を若い人たちにどんどんと伝えていっていただければうれしいなというふうに思います。
 終わります。ありがとうございました。

○山本委員 今日は具体的なお話も聞かせていただきまして、ありがとうございます。これまでの運動をしてみえたことも大変なことだったと思います。
 で、四つほど伺いたいと思うんですが、今お三方の話を聞いた中で、落書きとか、それからそういったセンターへの相談とかは、2011年、2018年のは結婚に関わることだということだったので、結婚に関わることというのはお二方とかもあとあったんですが、差別落書き等のことは少し前のことのような形で、ただ、紀南地域、熊野市の問題は今も2015年から引き続いているという解釈でよろしいですね。そして、お二方からは特に結婚差別などについて、子どもを含むことのお話だったと思います。
 その中で一つ「うーん」と思ったのが、小学校4年生の子どもさんが、その方はもう二十代になってみえるということだからもう10年ちょっと前のことだと思いますが、御家庭、友達の中で被差別部落という、これは一般的には使わないと思うんですね、なかなかね。学習ではあるかもしれない。一般的には日常生活でもどんどんと使わなくしてきているはずなんだけど、小学校4年生というと、10歳にならない子どもが地名を聞いて「あそこは」というふうに学校の中で言っているというのは、そういう風土がまだまだたくさんあると。親の問題ですよね、それはね。
 だけど、それが10年ちょっとぐらい前の話ですが、今、現場でお仕事をされてみえると聞きましたが、今もそんな現状があるのかどうかというのを、お二方の見た目になるのですが、感じているかどうかというのも一つです。
 それから、二つ目は、これから、今までの歴史もありますけれども、旧法が廃止されて、そして今の中で、先ほど言われた将来を見通してというか、私たちも広い意味での差別を考える中で今お話を伺っているんですが、今の活動をされている中で、これから、今までとはまた違った活動の形になっているように思うんですけれども、今後、活動の形がどのように変わっていくと考えてみえるのかというのを松岡委員長にお伺いしたいと思います。
 そういうことの中で、活動にはいろいろな支援や資金が要ります。やっぱり経済的な問題もありますが、旧法廃止以降、形が変わってきて、そして活動自体をどのような中の、経営的なことですね。皆さんがしてみえるのかということ。それを、これが三つ目です。
 で、四つ目です。最後です。やはり中村委員からも話がありましたが、願うものではなくて動くものであると。確かに、それをどうやってつくっていくかというのに、例えば法とか条例とかが大事だとおっしゃったんだと思います。
 この動くものであるということの中で、私も勉強はまだ浅いですけれども、こういう問題の中で学習している中で、終結宣言をされたまちが大変よい方向に向いているということを聞きます。例えば、結婚とかに関わっても、旧部落と言われているところの、その地域と呼ばれているところをもう宣言して解消したら、そこへ、お婿という言葉は嫌いですけど、そこへ一緒に住むのに同居して入ってもいいよという話が、それは全部じゃないと思うんですね。今ある、今おっしゃったことも全部じゃないと思うんですけど、そういうことも出てきたり、結局混住が進んできているということを、これは私の浅い学習の中で聞いたりはするんですが、そういったことは今のこの三重県の現状の中でどういう、その動くというのは、そういうことは一つの動きだと思うんですけど、どういうふうな状況なのかなということで教えていただきたいと思います。

○北川委員長 山本委員は、四つおっしゃっていただきましたけども、1番目は苗村参考人。

○山本委員 はい。

○北川委員長 2番目は松岡参考人。

○山本委員 はい。

○北川委員長 3、4は。

○山本委員 主に委員長が答えていただけたら。

○北川委員長 松岡参考人にということですね。
 じゃ、1番目は苗村参考人。

○苗村参考人 今、私が勤めている学校は地区を有さない学校なんですが、人権学習を基にした親の懇談会というのを開催する機会がありまして、そこで、やっぱりこういった差別はまだあんねんというところで子どもたちにも学習を下ろす、保護者にも聞き取るというふうなことでちょっと話し合いをしたことがあったんですけども、お母さんたちの意識としては「寝た子を起こすな」「そんなん今学習するから」というところで、知っているんです。分かっているけど「そんなんもう先生、勉強せんでええんちゃうん」とか言っています。
 でも、そういったところで、私が小学生やったときもそういった考え方はあったと思うんです。だから、ずっと変わってきてない、その辺の親の意識というのは。で、怖いことに何か、誰が言い伝えたわけでもないんですが、そういった「あそこの地域はこうやねんで」とか、そういったうわさ話とか、そういうのがやっぱりなかなか消えない。お母さんたちもいろんな出身地があるので、「ああ、京都ではこうやねんで」とか、すごいマイナスイメージで、やっぱり懇談会でも私もどきどきしながら話を聞いていたんですが、それがお母さんたちの中にあかんとかそういう、ある地域を限定して、そういうふうに言ったらあかんということが分かってない。よかれと思って言っているという意識で、まだまだ残っていました。
 なかなかそういったお母さんたちの意識というのが学校現場でも変えにくくて、そして、今の状況でなかなか出しにくい学校の状況もあるんですが、私が感じたのは、変わってないように感じました。昔から変わってないなというのを感じたとともに、自分たちももう一回原点、同和教育の原点に立ち戻って教育を進めていかなあかんなというのと、やっぱり保護者も巻き込んだ学習の機会、本当に社会教育って大事やなというのを感じさせられました。まだまだ自分も力不足なので、できてないとこたくさんあるんですけども、そういった発信を学校現場からやっぱりどんどんしていかなあかんなというのは感じています。
 今もまだ地区学行きたくないとか、子どもは行きたいんだけど親が行かしたくない、そういった地区にルーツを持つ保護者さんもいます。

○松岡参考人 今、質問された部分の中で、活動の部分でいくと、これからの運動の在り方という形になってくるかというふうに思うんです。
 実際、私は、今年こんな形の新型コロナウイルス感染症で、うちの全国大会も中止になりました。で、意見書みたいな形で、一応書面総会という形の中でいっているんですが、まず僕は、部落解放同盟という名称を変更したらどうですかと。あと2年したら100年、水平社から100年になるわけですね。いつまでも部落解放といって名前をつけているのはどうかなというような、これはもう何年か前から意見として、中央のほうで言わせていただいています。それが一つの今後の、名から皆さんの部分をちょっと変えていきたいかなというふうに思っています。
 活動の部分では、実際の活動そのものは、やはり我々は先ほど来言っているように、まだ山本委員が言われた、ないところもある、終結宣言した、三重県でもあります。でも、先ほど出した南のほうへ行きゃ、ほとんど形だけやってきて実際は何もやってないけど、毎年やっぱり差別事件、発言、それも賤称語、えたという発言が物すごく多いんですね。僕は、それこそ何十年前、私は地元が伊賀市なんですが、そこらで小さいときはそんな言葉を聞いてきたけど、大きくなってきたときにはそういう賤称語ってなかなか聞かなかったんで、それが南では当たり前として使われている。
 そういう部分では、確かにそういう、なくして静かにしていったらなくなっているように見えるか分かりませんが、三重県下ずっと見ても、ずっと問合せにしても、あれは人権センターの事例を出したけど、伊賀市もあるし津市でもあるし鈴鹿市でもあるし桑名市でもあるしという、きちっとやっぱりやっているところに対してやっぱり出てくる。今言った、何もしやんところに対しては、表面だけの上辺だけでみんな捉まえるから、もうあえて出てこない。でも、根の部分では基本的に、先ほどの発言ではないんですが、きちっと差別発言をするわけですね。
 だから、何もしないでなくなっていたら、僕は法律も何も要らんと思うねんけど、実際はずっと受け継がれてきている一つの部分が、これは障がい者であろうがあれであろうが部落差別であろうが、ずっといろんな形で、習慣や慣習という形の中で引き継がれてきているものやというふうに思っているんですね。
 だから、表面上はそういったものが出なくても何かあったとき、先ほど桑名市の例を出していただいたけど、何も関係ないんですよ、彼自身は何も。ただ先生にどつかれて、その腹いせにああいったタックシールを作りました。手紙をばらまいたのは、近所のいざこざで起こった事件なんですね、あれ。近所同士のいざこざ。それを誰も相手にしてくれないからということで、ビラをまいてきたんですね。
 だから、いろんな部分の捉まえ方があると思うんですが、僕はやっぱりきちっと、先ほど苗村が言っているように教育というものがやっぱりきちっとなされていって、その中で理解をされていくことによってなくなりつつある方向にいくとは思うけど、やらなかったら、実際これからの部分でいくと、僕は20世紀の同和教育はもう駄目ですよとはっきり言わせていただいています。それこそマジョリティーとマイノリティーの関係でいくと、やはりマジョリティーがこれからの21世紀の同和教育できちっとしていく。要するに、する側がきちっと議論をし、なくしていくという部分。先ほどの動くというのはそういう部分やと、こういうふうに思うんですね。
 だから、20世紀の同和教育、山本委員も多少なり学んできたと思うんですが、やっぱり当事者といったら被差別の人間が当事者であったというふうに思うんですね。でも、21世紀の今の法律以降から言われている当事者というのは、マジョリティーのする側が当事者というふうに思います。だから、やはりそこがこれから一生懸命にいろんな形で動いてもらうという一つの部分が出てくるんではないかなというふうに思います。いいですか。

○北川委員長 もう一つ、あれは、活動の経営というか運営……

○松岡参考人 運営ですね。これはもういろんな地域、支部も含めてやり方があるんで、三重県でいくと支部があって県連があってという形で、実際はもう同盟費、要するに自らお金を払って活動している支部というのが基本的に。で、もう高齢化されてお金も払えへんし人もなにしてという形の中では、支部自体がなくなっていっている。実際に、毎年一つぐらいの割合で支部がなくなっていく状況があります。
 だから、大変ですが、やはり思いは、やはり差別をなくすという思いは子供や孫の代、私らの父親の年代から始まった運動はまさに子どもや孫、我々はもう差別を受けても仕方がないと。でも、せめて孫や子どもに差別を受けさせたくないという形で運動してきて、それこそその当時でいくと、もう自ら手弁当で運動してきたという一つの流れがあるわけですね。で、同和対策事業という法律ができていろんな、住環境やらいろんな変化はあったけど、基本的な部分は、やっぱり自ら差別をなくしていく。では、そのために、やっぱりうちらでも、極端な言い方すると身銭を切って運動するといううちの運動スタイル、地域によって違いますけど、そういう地域もあるわけですね。
 だから、一概に資金がどうこうというのは、県連としてもその支部に任せてある部分があるので。ただ、中央へもそういう形を取っているんで。だから、今は、御存じのように補助金そのものがもう落ちてきているわけやから、そういった部分では運動も厳しくなる。それでもやっぱりなくすという思いのほうが強いということで、皆活動していただいているというふうに思っています。

○山本委員 20世紀的なじゃなくて、21世紀はまた違ったということのお話もちょっといただきました。
 今のお話をずっと聞いていると、私は被差別部落という同和の問題とともに、私は、これ家制度とかその複合、そこに、だって結婚するときにみんなに祝福されたほうがいいには決まっておりますけれども、でも、その調査をするのは、当人がそんなん否定をするとかが今当たり前やと思っていますけど、それがまだまだ親御さんとか地域の意向とかがそこに絡んでくるというこの実態は、これまでの同和教育って、今はそういうふうには言いませんけどね。教育っていうのは本当に意味がなかったというふうに、意味なかったじゃない、解消はある程度してきているんですものね。でも、まだまだそれが本当に、この今の状況、南のほうの状況とか聞くと、入ってないということですよね。
 小学校4年生の子どもに、例えば、私たちのまちというか地域でも、かつてのことは聞いていますよ。でも、そのことを、地名を言ったりなんて子どもに私はしてないと信じていますけど、分かりませんね。そんな話はちまたで、お母さんたちのそんな話では出ないですから。ですから、そこがやっぱり地域差が大きいというのは今よく分かったことです。
 それで、一つ、ここに、この間ヒューリアみえの方にお話をいただいて説明いただいた中に、問題解決に向けた生活実態調査というのもあったし、それから三重県の調査の中で、これに、部落問題という項があって、それから、障がい者の問題という差別の項もあって、これが県民意識調査ですね。身元調査を肯定する割合が、例えば障がい者の差別の例として、両方兼ねて並べてあるんですが、身元調査、部落問題で43.9%「肯定します」と。障がい者の場合には、それは55.7%「肯定します」と。アンケートは、されどアンケートですけれども、けれどもアンケートもこれは一定のものですね。
 抽出というか、固定せずにしたものですから、結婚差別意識が26.4%、部落問題で、結婚差別意識、障がい者差別で41.7%。で、入居者の否定とか地域物件の忌避というのが部落問題で29.8%、入居拒否というのが16.6%と、こういうのが一つのデータとして出てきていて、今まさに言われるように、今までの歴史は本当に大変なことがあると思うし、今また新たに出てきた差別がいろいろ顕著に出てきていることも含めて、もう差別の中の一つであるというふうな認識をこのときさせてもらったんですけど、そういう捉え方で今も発言があったと思うんですよ。全体の中のいろんな差別意識を喚起していかなくちゃいけないっていう、そういう考え方でよろしいですかね。最後です。

○松岡参考人 言葉としてはそういう表現になっていると思うんですが、やはり私らは部落差別という一つの大きな、極端に言うとあと2年したら水平社ができて100年、100年前に自ら立ち上がった先輩たちの教えをずっと守りながらきているわけですね。
 いろんな状況はあると思うんです。濃淡も含めていろんな状況はあると思うんですが、私自身やっぱりじかに、地域性もあるか分かりませんが、部落差別という一つの大きな問題は、これは先ほど言われた家制度や戸籍制度を含めて、大きなもろもろの部分がかみ合ってきた一つの部落差別というものになってきているという認識はしているけど、じゃ、戸籍法を変えられるか、いろんなものがどうなっていくかという部分と、もう一つは、やはり僕らがずっと運動していく中で教わってきたのは、差別の解消は教育に始まって教育に終わるということを聞いてきて、運動してきているわけですね。
 だから、教育の大事さという形の中でいろんな形で、苗村のほうも言ったと思うんですが、実際その中で、やはり黙ってたらなくなったら、僕は黙っていたらいいと思う。でも、悲しいかな、黙っていてもいろんな場面で、いろんな形で出てきます。私らは、いろんな相談を現実に受けているわけですし、今度の法律の中にも相談業務という、相談体制という一つの項目もあるように、今いろんな形の事例というのが出てきているわけですね。
 だから、過去にないようなものがこれから出てくるやろうし、今出てきているということの中では、やはり一緒くたというんか、取組自身は一つの人権侵害、差別、人権という言葉、言葉の部分は一つというふうに思うんですが、やっぱり私自身が思うのは、当事者、被差別の当事者としては、やっぱり親父の代からずっと受け継いできた部落差別をなくしていく、その運動というものはやっぱりこれからも続けていきたいし、なくなるまで続けていかんならんというふうに思っています。

○山本委員 ありがとうございます。

○北川委員長 よろしいでしょうか。
 委員間討議の時間も見ながら、どうでしょう、あと質疑の方何人お見えですか。お一人、2人、3人。
 参考人のお三方に、当初90分程度ということでお話をさせていただいているわけですが、今3人の方は、まだ質疑の御希望があっていたんですけど、時間的によろしいですか。大丈夫ですか。はい。
 じゃ、ちょっと続けさせていただきます。
 もう一度じゃ、質疑の方。じゃ、順番にいきましょうか。

○小林委員 委員長にお伺いしたいんですが、繰り返し何名の方が似たお話をされていますけども、締めくくりのところで、行動によって差別をなくすというふうに言われましたね。
 で、行動の根拠が法律や条例にあるということで、条例の制定を求められておられますが、具体的にどのような行動を念頭に置いて、どの行動を可能にするためにどんな条例、条文を望んでみえるか、具体的にお聞かせいただきたいと思います。

○松岡参考人 具体的にと言われてもちょっと僕が、言わせていただいたのは、やはりなくなったらいいよねとか、なくなるよねとか、お願いでは絶対僕はなくならないと思うんですね。だから、行動、動くというキーワードを入れたんですが。
 それでは、具体的というのは、これは立場、立場で、いろんな形があると思うんですね、動いていく上では。今この3人でも、苗村は学校の教員という立場の中で教員という動き方があるやろうし、原田は原田で、若い世代と関わる中でどういう動きをしていくかと。私は運動という一つの部分を捉まえて、三重県の運動をどうしていくかとか、いろんなそういう立場、立場のことが動きという部分になってくるというふうに思うんですね。だから、こういうように動いてくださいとか、こう動くというようなものでは僕はないというふうに思います。
 だから、今まではただ単になくしましょうとか、なくなったらいいよとか、そういう形の部分で止まっていた。だから、そこで止まっていたら、いつまでたってもなくなりませんよ、だからということを言わせてもらって、具体的な条例という話になってくると、これは、私らはやはり今日、参考人でこうやって聞かせてもうてる立場で、皆、部落差別に関わっての話ということの中では、やはり条例は条例として、いろんなものを網羅された上での部分であると思うんですが、僕は部落差別がなくなっていく、また、そういった、なくす上でやっぱり禁止、条例で禁止していくというような、ただ単にお題目は、今、三重県でも一応条例はあるわけですね、人権条例という。
 それで、じゃどうなっているかというと、毎年差別事象が起こっているということは、やはりそこに何かをつけ加えていかないと、今の条例だけではあかんという中では、いろんな全国的に見ても、ヘイトの場合なんかは、川崎市なんかやったらもう罰則まできちっと入れてきているわけですから、そういう、それがいいか悪いか僕は分かりませんが、やっぱりそういった、先ほど言ったみたいに条例をつくった上で、直していけない部分の中では、先を見越したいろんな考えを出していただいて条例化していただいたらありがたいかなというふうに思います。だから、具体的には、僕の言える部落差別に関わる部分しかないですね。

○小林委員 部落差別に携わってみえる方の専門家としてお越しをいただいていると思っていましたので、ほかの差別のことに関してはあんまりお尋ねするつもりはなくて、殊に長らく活動されてきた部落差別解消のための活動の知見を基にお伺いしたかったわけなんですけども、先ほど最後のほうでお話しされた川崎市の事例で、罰則とそれから、禁止、罰則ということですね。具体的な話をされた中で、ただ、それがいいのかどうか分からないというふうにお話をされました。
 実はそこをお伺いしたくて、部落差別を解消する上において罰則、禁止事項というのは効果的なのかどうかということの知見をお伺いしたかったつもりなんですけども。

○松岡参考人 私は、やはり必要であるというふうに認識をしています。これからの部分でいくとね。

○小林委員 実は、その少し前に松岡委員長がお話しされた中で、お隣に見える原田さん、苗村さんがお話ししていただいた今までの活動の内容を非常にバックアップする発言だったんじゃないのかなと思うところがあったんです。
 学校の教員として様々な事例に携わられて、明らかに不当な扱いを受けたちっちゃな子どもがいると。で、親から続いてきている状況。で、結婚の段階からいろいろ苦労して、そこから一旦離れるけども、でも、離れたところで解決をしなかった。人生を通しての非常につらい経験だと思うんです。そこを支えてこられたのが、教員の現場の方々。様々な誤解であったりだとか知識のなさが恐らく生んでいることだろうと思うんですね。そこで、最終的に教育に始まって教育に終わるというふうにおっしゃったと思うんです。
 ところが、ここでまた禁止、あるいは罰則、糾弾ということになれば、今までやっとつくり上げてきた、お互い「そんなものって本当はなかったんじゃないの。何が違うの、我々」といったものが、また潜在化していくようなことにならないですか。
 今お話しされたように、その差別が表に見えないだけですよねと。直接、表面上は関わりがないから消えてなくなっているけども心の中に残っているから、時として、自分たちが当事者になったときに、自分の子供が結婚するとなったときにその気持ちが出てくるんだというようなことをお話しされたと思います。ですので、触っちゃいけないししゃべっちゃいけない、関わっちゃいけないということに、実は罰則をつけることがまた導いていってしまいはしないかな、我々の親父や我々の祖父の時代に逆戻りするような気がしてならないんですが、その知見をお伺いしたいんですけど。

○松岡参考人 私は、今まで運動してきた中でやはり一番弱かったのが、そういった厳しい部分がなかったからというふうに思っています。
 実際、言葉としては、やっぱり教育というものの大事さの中で一つの方向性は見出していけると思うんです。なくしていく方法としてね。でも、完全になくしたいというのが我々の運動と思っているんですね。じゃ、完全にと言うたときに、極端な言い方したら何をもって完全と言えるんやということになってくると思うんです。人の心まで我々は分からないわけですから、やはりそこに、この三重県からそういった、部落差別に関わるそういった事例が出てこないということがなくなったことになってくると思うんですね。そのなくしていく手段として、罰則やいろんなものがそこに付随してくることではないんかなというふうに思います。

○小林委員 ありがとうございます。

○北川委員長 後、時間があれなので、できるだけ質問は簡潔にお願いします。

○稲森委員 今日はありがとうございました。今日、3人の方のお話を聞いて、もう筋金入りの松岡委員長からいろんな、こうやって世代を越えて継承されていったんやなという、そういうことを聞かしていただいて、やっぱり教育って非常に大事で、教育を通じて、そして、その先にいる子どもたちを通じて世の中を変革していくということが大事なことなんだなというふうなことを改めて思いました。
 私たちは条例をつくっていくわけなんですけども、僕が考えているのは、教育や啓発をしていくということは非常に、物すごく大事な、一番大事なことだと思うんですけども、やはり法的に禁止をしていくということと、法的に罰則も含めて禁止をしていくということを両輪でやっていくということが、何よりも理解を増進していく、理解を深めていく上で大事なことだと思っていまして、具体的に伺いたいんですけども、桑名市でタックシールの話があったと思います。
 それから、封書をばらまかれたという話があるかと思いますけども、タックシールは軽犯罪法の違反ということで非常に軽微な罪で、多分、何か汚したとか、そんな程度のことなんだろうと思うんですけれども、この桑名市の封書をばらまいたということはどういうふうに罰せられたのかというふうなことをもう少し詳しくお聞かせいただきたいのと、改めてになりますけれども、教育や啓発とともに禁止事項を定めていくことや具体的な罰則を設けることについての、この両輪でやっていくことの意義というのをどういうふうにお考えなのかというのを聞かせていただきたいと思います。

○松岡参考人 先ほどのタックシール、ばらまき、タックシールの場合は捕まって、軽犯罪法違反で釈放されて、警察発表は我々にはないんです、一切。被害届出していても、警察のほうから支部なり行政なりに向けては、誰々、誰々というようなのはないんです。ただ、新聞とかそういう形で分かるだけで。
 で、ばらまきの場合は、基本的には何の罪にもならない。現在ないんです。ただ、一応犯人が分かって、それを行政がいろいろ聞き取る中で、同一人物やという形の中で、じゃ、先ほどのない中で、やはり一緒に勉強しようよという形で当人に呼びかけをしまして、今、もう終わっていると思うんですが、一緒になってその人も勉強して、自分の間違いに気づいて改めていくという方向。だから、糾弾とかそんなんやなしに、一緒に勉強しようよという形で呼びかけをしたというふうに聞いています。だから、そういう部分では罰則はないということ。
 で、今言う、片方で教育、片方でやっぱり規制という、この両輪という部分の中で、私らはそこの部分でいくと専門家でないわけですよ。規制の部分でいくとね。ただ、大事という部分と、ここのとこを、いろんな市町含めて、近隣も含めて、湯浅もそうですし、最初、東京の国立市がこの条例に関わってできてきて、今あらゆるところでそういった、この推進法に関わって見直すという動きが出てきている。
 私自身もそんなに、最初のうちは、三重県の場合は人権条例がある中ではそれなりの部分で動けるんと違うかなみたいな意識はあったんです。ただ、地元の伊賀市には、今の条例で不備なとこは、相談業務と教育が入ってないと。教育の場合は教育基本方針、伊賀市の場合はね。この相談業務が入ってない。実態調査やそこらは、伊賀市の場合は入っているもので必要ないけど、この相談業務を今の条例に当てるか当てないということを議論したことがあるんですね。
 だから、実際は、今の法律の中で、私らがそういったもろもろの部分で専門家でない部分、ただ、必要であるんかないんかというたら、僕は必要やと言うしかないというふうに思っているんです。先ほど言われたやっぱり両輪でしていくことで、早くなくなっていくということが言えるんではないかなというふうに思うんですね。

○北川委員長 よろしいか。
          〔「はい」の声あり〕

○小島委員 なかなか短く言うのは難しいんですけど。教育をずっとしてきていただいて、本当に仲間づくりをして人と人をつなげて、縦の関係をつくりながら、やっぱり差別に負けない、そういう若者たちを育てたいと思って活動してきていただいたというお話を、原田さんや苗村さん、そして松岡委員長さんからもお伺いをしました。
 けれども、今、ネットで起こされるということが多く出てきていると思います。教育の中で正しいことを知らされずに、差別や偏見に満ちたネットによって起こされていくという問題が非常に大きいというふうに思っていて、だから、教育は非常に大事だということはもちろん思いますけれども、本当にそれだけでいいのかなという思いが私自身の中にあります。
 またいろいろ考えたいと思いますが、原田さんと苗村さんに最後お伺いしたいことは、これから私どもはこの条例についていろんなことを考えていくわけですけれども、今までいろんな活動をしてきていただき、そしてネット世代ですよね。いろんなことがネットの中にあるのも十分御存じの上で、差別解消に向けてどういうことが必要だって、ばくっとしていて申しわけないですけれどもお聞かせいただきたいなと思います。よろしくお願いします。

○原田参考人 幾つか思うことがありまして、一つは、事例でも紹介をしてきたように、その場で耐えるしかなかったとか我慢するしかなかったという状況がある中で、相談できる場所であったりとか、そのあたりも一つ大事にしてもらえたらなというふうに思っています。
 部落差別解消推進法ができてもうすぐ4年になろうとしている中で、地方公共団体の責務が努力規定になっている、それを理由に、やっぱり今までの相談体制を見直さなかったりという現状がある中で、その中で起こっていることを耐えるしかなかったという状況を見たときに、何かそういった法律をやっぱりカバーしていけるような条例を一つ求めています。
 ネットで起こされるという状況が、そこに対する不安はやっぱり多くの人たちが感じていて、それこそ知らなければ、結局ネットを通してマイナスで出会ってしまう可能性もある中で、いつそういった発言が友達同士の中でされて、子どもたちが下を向いて帰ってくるか分からんという状況の中で、やっぱりそれを食い止められるのは正しく知っていくことやと思いますので、もう何回も繰り返しになるんですけど、教育というものをすごく大事にしたいなと思っています。
 ただ差別はあかんとか駄目だという、そこにとどまる教育じゃなくて、それはきっと多くの人が分かっているので、じゃ何でいまだに差別があるんかって考えていくと、結局、自分に関係ない問題が結婚であったりとか土地の購入などで自分に関係したときに、周りからどう見られるかとか、自分も出身者とみなされるかもしれへん、差別を受けるかもしれないという、その忌避意識が表出することを考えると、今回の新型コロナウイルス感染症のことも同じで、未知のウイルスの出現によって、人々の中にある潜在していた差別意識がやっぱり表に出てしまうことを考えると、何かそこを問うていけるような、要は自分に関係する問題として捉えられるような、改めて教育を見直していけるような、そんなアプローチをしていけるような条例をというのはぜひ思っています。
 もう一つ最後に、私たちがこんな差別を受けたんやって自分たちの下に届くものはもちろんあるんですけど、やっぱり実態を知っていくという意味で、その実態調査等も規定をしていってもらえたらなというのは思っています。

○苗村参考人 私も教育現場から子どもたちのネットの現状を見ていますと、自分たちがやっていることが誹謗中傷に当たるよとか、そういうことに気づいていません。匿名の意見箱というシステムがあるそうなんですが、ある中学生の子はそこに悪口を書き込まれたりとか、そういうことをしています。
 で、相談に乗って、卒業生なんですけど、もうこの意見箱をやめようって言ったんだけど、やめたところで子どもたちのそういった、どろどろしているそういった行動というのは、そこを伏せてもやっぱり根本を変えないと止まりません。なので、先ほども原田さんからお話があったんですが、こういうことが人を傷つけるんだよとか、具体的に子どもたちにはしっかり教えていかないと、ぼやっと駄目だよと言うのでは子どもたちは理解できません。
 なので、いろんなケースを基に、もちろん当事者の子どももいるかもしれません。なので、そういったケースを基に、具体的にこういうことが人を傷つけるというのをしっかり教育現場で学ぶ機会を持たないといけないと思います。そこから子どもたちは「先生、これ前言ってたことやんな」、いろんなことに関連づけて気づきます。「これ、おかしいよな」って。その子どもたちのアンテナを高めていくというのは、やっぱり教育でしかできないんじゃないかなって思います。
 子どもたちにも、その後の行動するというところ、じゃどういう行動ができるかな、先ほどもネットの話がたくさん出てきましたが、まず通報するというシステムがあるんですけど、どうやって通報するのというところで、その通報のやり方も子どもたちに伝えないといけないんですが、またそれを近くの大人に伝える、先生に伝える、これも行動に移るんやでって、そういった子どもたちのアンテナを高めること。
 そして、先ほどもお話にあったんですが、自分と重ねて考えさせる。これは、すごく大事で、なかなか子どもたちは、立場が違えば全然場面が違うので、自分と重ねて、そこに投じて考えるということが、すごく難しいんです。でも、その活動を繰り返すことで、友達の話に共感して泣いたり、「それってつらかったな」って共感したりできるようになります。そういった子どもたちへの日々の取組、丁寧な取組が必要だなって私は思います。
 でも、先生たちの、そのときの先生自身のアンテナやったり人権感覚やったりが子どもたちにすごく影響するので、その辺りは、やっぱり教師自身もずっと学び続けるという姿勢をつくっていかななって思います。
 今、私は30代なんですけど、職場がすごく若返っていて、20代の人がすごく多いんです。なので、一緒にちょっと勉強しに行こうって声をかけて、そういった学習会に参加しています。そういった形で今まで受け継がれてきたことでもあるんですけど、新たにやっぱり若い層と一緒に私たちも学ぶという形で、子どもたちと同じように学んでいくということをやっぱりしていかな、それがネット社会で、今後どうなっていくかって分からないんですけど、そこを丁寧にすることでまたちょっと変わってくるんじゃないかなって思いました。

○小島委員 ありがとうございました。

○北川委員長 よろしいでしょうか。
 かなり時間が超過してしまいました。質疑のほうを終わらせてもらって大丈夫ですか。
          〔発言する声なし〕

○北川委員長 それでは、これで質疑を終了させていただきます。
 この際、参考人の皆さんに対して、委員会を代表して一言御礼を申し上げます。
 本日はお忙しい中、本委員会のために御出席をいただき、ありがとうございました。また、時間のほうもかなり延長をさせていただいてお答えいただきましたことに感謝申し上げたいというふうに存じます。
 今回頂戴をいたしました様々な貴重な御意見を、今後の本委員会での議論でしっかりと反映し、役立てていきたいと存じます。本日は誠にありがとうございました。
 それでは、以上で参考人からの聞き取り調査を終わります。ありがとうございました。
 参考人が退出されますが、再度換気のため、ここで休憩とします。再開は午前11時50分とさせていただきます。それでは、暫時休憩いたします。
          (休  憩)
 
2 委員間討議

○北川委員長 それでは、引き続いて、次に委員間討議を行います。
 委員間討議は引き続き公開で行いますので、御留意の上、御発言を願いたいと存じます。
 まず初めに、本日の3名の参考人からの聞き取りについて、御意見等のある方はお願いをいたします。
 後々また議論はさせていただきますが、今日この場でぜひ、これだけは言っておきたいとか討議しておきたいということがあればお出しをいただきたいと思いますが、特にございませんか。
          〔発言する声なし〕

○北川委員長 なければ、次に、医療保健子ども福祉病院常任委員会に付託される予定の三重県感染症対策条例(仮称)の審査等に資するよう、当委員会における新型コロナウイルス感染症に関わる差別等に関する意見概要(案)を資料1のとおり正副委員長において取りまとめをさせていただきましたので、御覧をいただきたいと思います。
 これについては、6月26日の執行部からの聞き取り調査、並びに7月13日、7月31日の各参考人からの聞き取り調査において委員の皆さんから出された意見の中で、新型コロナウイルス感染症に関わる差別等に関する意見のみを集約、ピックアップをさせていただいて、項目ごとに振り分けたものでございます。
 この項目の整理については、大体関連するところを順次、並べさせていただきました。
 一番初めに差別等の実態の把握ということで、この中では特に皆さんからやはり、医療保健部だけではなくて、他部局にわたって丁寧な差別の実態把握が必要ですよね、こういう御意見が多かったと思いますし、二つ目の相談体制というところでは、人権センターも相談窓口としてアナウンスされていますけれども、解決に向けてどう進めていくか、こういった相談体制の構築が重要だということ。あるいはまた、相談には至らないところの声をどうしていくんだ、そんな手だても大事だよねという話がございました。
 SNSにおける差別等の対応というところでは、これはもう皆さんがSNS対策、これは非常に重要ですよねというお話が多かったと思います。このSNSの中でも誹謗中傷やデマの広がりがどんなふうになっているんだ、そういった実態調査も必要ではないか。あるいはまた、ツイッター等も差別等の実態把握をと、こんな声もございました。
 また逆に、ツイッターとかのSNSの中でプッシュ型の広告を打ち出してデマ等に対応していく、対抗していく、こういう手法もあるのではないか。あるいはまた、LINE等閉鎖型のSNSというのがデマの温床になっている。こんなところは、国の法制度の改正の要望も含めて対応が必要だという御意見がございました。
 情報提供の在り方のところでは、感染症がどういう病気か、正確な知識、こういったところはやはり県が責任を持って的確な情報を出していく視点が必要だとか、あるいはまた正確性やスピードももっと強化をしていく必要があるというお話も、御意見もいただきましたし、また、公表の仕方、これも課題であるよねと。情報提供の在り方によっては、それがまた逆に差別につながっていく面もあるという観点も含めて検討が必要だというお声が、御意見がございました。
 教育・啓発のところでは、やはり差別等を防止するための啓発教育が非常に大事、今日もありましたけど教育現場でどのように子どもたちを教育していくのか、こういうことも非常に大事ですし、また、ネット上では無意識的に差別的な投稿をしてしまう、こんなケースもあるんだという中で、こういうところはしっかりと対応すれば効果的な抑止ができるんではないかということで、啓発をしっかりというふうなお声もいただきました。
 マイノリティへの配慮というところでは、やはり新型コロナウイルス感染症のこの拡大の中で、日常の中でも、ふだんからでもなかなか厳しい状況に置かれてきたLGBTQ、あるいは外国人、こんなところの方々への属性に対する配慮、こういう観点も必要だねというお声や、また、ヘイトスピーチも同時にコロナ感染拡大の中で深刻になっているのではないか、対策が必要だと、こんなお声もいただきました。
 差別等の抑止というところでは、やはり差別等は許されない、こういうことはきちんと明示が必要だねというお声であったり、とりわけ抑止効果、これが発揮されるような条例にすべきではないか、こういった御意見もいただいていますし、表現の自由等に配慮しつつ、こういうことが駄目なんだということを明確に伝えていく、こういうことも大事ですよねということであったり、あるいはまた、抑止効果という中では、適切な感染防止対策を取らずに営業を続けている事業者等もあると。こういうところに対しての対策。あるいはまた、これは情報漏れということでは、医療従事者等からもあったケースがあるように聞くので、そういったところも観点として考慮すべきだと、こういうお話。
 それから、県としての体制という中では、やはり医療保健部以外の関係部局との協力が非常に大事だし、人権に関わるところの環境生活部の役割も大きいですよねと。いずれにしても、各部局が実効的な連携ができるような体制づくりが必要ですよねというお話。場合によっては、対策本部に説得力のある情報を出していただくために、感染症専門の医師に入ってもらうということも必要ではないか。
 そして、市町との情報共有・連携というところでは、対応に今回、市町によってばらつきがあったというところでは、やはり市町との丁寧な情報共有・連携が必要だということ。
 そして、最後に、これは直接的ではないんですけれども、直接的ではないところをちょっと最後に、その他に入れさせていただいて、検査体制の構築であるですとか公務員等に対するパワハラや暴言の対策も必要であるよね、こんな形で項目ごとに整理をさせていただいたところであります。
 複数の御意見をいただいていて、重なりもあるところがありますけれども、一応出た内容についてはおおよそ網羅をさせていただいたというふうに思っています。
 なお、私からの説明は以上ですけれども、この内容について、漏れているような点があれば御指摘をいただきながら、それも含めて御意見をお願いしたいと思います。

○小林委員 随分まとめていただきまして、ありがとうございます。
 ところが、新型コロナウイルス感染症の感染はまだ現在進行形でして、この週末に出てきた話でもまた新たな事例が出てきて、懸念をしていることがございます。
 知事も発言をされたとおりですが、この数日間、21日から何日間やったかな、ちょっと数字は覚えてないんですけども、その間の感染者の結構多くの割合が外国人だったという発言をされた。これは私のちょっと離れたところに住んでいる友人から当然指摘をさせていただいて、説明はさせていただいたんだけども、何かしら疫学上の差別的な発言だったんじゃないのかということだったんです。
 ところが、いやいや、そうじゃなくて、情報伝達にいろいろまだ不備があったので、三重県も含め、それから基礎自治体と連携を取りながら、外国籍の方々、すなわち日本語で伝わりにくい方々にちゃんともうちょっと情報提供していかなきゃいけないよということの表れで話をされたんだということで説明をせざるを得ない状況があったんですね。
 実際、3・11、東北の震災の直後に私は、議員職をさせていただいて、最初のときに課題とさせていただいたのも、私の近くに外国人の居住区が多かったこともあって、平文の日本語、あるいは平仮名だけの文書で緊急情報をメールで出せないかということをとりあえず上げさせていただいて、これは実行させていただきました。
 ただ、いまだに結局、そのときも懸念していたことが現実のものになって、そのときは震災でしたので、震災が終わって、その後津波もないんだけども、そのとき、また後津波が来るんじゃないかというデマが流れたことがあったんですね。それを阻止するためでした。ところが、現在は新型コロナウイルス感染症です。引き続き感染し続けている中で、皆が相変わらず対策をしていかなきゃいけないにも関わらず、県が指示している県外移動であったり、あるいは食事であったり、クラスター化になるようなことはずっと継続して対応していかなきゃいけないにも関わらず、個々の情報がちゃんと適切に伝わっていなければ当然効果は得られないわけで、現にそこで感染者が出てしまったということなわけです。
 ですので、その関わりがある方々から聞くと「いや、この人たち文書上げても読まないんだよね。一生懸命説明してあげるんだけど、やっぱり窓口の強化がもっと大切なんだよ」と。だから、読んで聞かせてあげることも含めて対策を取ったほうがいいんじゃないかという意見をいただきました。
 ですので、これは条例として書くべきものではないのかもしれないんですが、感染してからのこと、あるいは、その後の差別ということじゃなくして、事前の情報提供という中において、外国人集住都市が県下には幾つかあるわけですから対応をいただいて、適切な情報伝達を基礎自治体とともに協力してやっていただけるように、どこかで配慮をいただきたいなということがまず一点です。
 それからまた、昨日の話なんですが、この方は結局感染者じゃありませんでした。お子さんが対象者でした。で、陰性が確認されました。ですから、今回ここで上がってくる、よく上がってくる、要するに感染した陽性反応者に対する差別じゃないんです。
 陽性反応者にならなくても非常につらい立場に置かれて、結果が出るまで疑心暗鬼になって、精神的につらいときに、周りの方々からの声が素直に受け入れられない状況にもなり得ると。「あんた大丈夫」と言われたことが、私が感染してないかどうかの確認のように聞こえるというふうな状況もあります。
 ですので、これは、じゃ差別なのか、あるいは人権侵害なのかと言えない事例だと思います。ところが、そこが、この恐怖がずっと蔓延している中で出てくる怖さであって、それは一旦何かのきっかけがあると堰を切って、もう少し大きな差別行為に関わってくるんじゃないかと思います。
 ですので、この中で対象者、陽性反応者に対する記述は幾つもあるんですが、そうならなかった方々への配慮であったりだとか、あるいは対策ということも検討いただきたいなということで、もし今からでも間に合うのであれば、医療保健部に対して何かしらのお伝えをいただければありがたいなと思います。
 引き続き、またいろんな事例は出てくるんだろうと思いますので、まだまだ感染拡大中のものですから、議論を進めていきたいと相変わらず思っていますので、よろしくお願いします。

○北川委員長 1点目は、外国人の方へのやはり伝達方法、これはまだまだ未整備だというところで、しっかりと対策をやってほしいということ。
 それから、二つ目には、感染者、当事者扱いで、誹謗中傷の対象として我々意識をして見てきましたけれども、そうではない部分、いわゆる陽性じゃなくて陰性と出た、あるいは、場合によっては今検査中、こんな方についても、当然誹謗中傷、人権侵害の対象になっていくんではないか、そこをきちっと網羅していく必要があるということを書き込んでいくということですね。
 何かそれについて御意見ございますか。

○小島委員 外国人支援している方からも、本当にちゃんと伝わっているのという話、懸念はやっぱり大きく出ていますので、ぜひ書き込んでいただきたいなというふうに思いますので、お願いします。
 もう一点つけ加えさせていただきたいと思うんですけれども、学校に通っている子供たちが罹患をする例がたくさん散見されますよね。その子たちが陽性から陰性になって、もう大丈夫だよねとなって、本当にそれで終わるかなという心配があって、例えば中学校から高校に行くときに、あの子は新型コロナウイルス感染症だったんだよというふうな話が本当にないのかとか、その辺もすごく懸念されるので、何て言うのかな、やっぱり子どもたちについては、ある程度長く後追いをできたらしていただきたいなと思います。そのことをやっぱり強く望みます。

○北川委員長 学校の子どもたちについて、仮に回復をしたとしても、逆に先ほどのように陰性だったとしてもですけれども、短期ではなくて中長期にわたってその子のフォローをきちんとしていくような仕組みを望むと、こういうことでよろしいですか。

○小島委員 はい。ありがとうございます。

○北川委員長 ほかにはいかがでしょうか。
 ごめんなさい。先に言うのを忘れました。ちょっとお昼超過していますが、引き続いてやらせていただいていますが、御了承ください。
 ほか、よろしいですか。
          〔発言する声なし〕

○北川委員長 なければ、今いただいた御意見を踏まえて、修正につきましては正副委員長に御一任をいただきたいと思いますけど、よろしいでしょうか。書き込みはきちんとさせてもらいますので。
          〔「異議なし」の声あり〕

○北川委員長 では、よろしくお願いをいたします。
 最終的に、今いただいた意見も書き込んだ中で、完成をする意見概要については、医療保健子ども福祉病院常任委員長に対して、条例案の審査等においてしっかりと生かしていただくよう文書にて提出をさせていただきます。
 ほかに、特にございませんでしたら、委員間討議を終了させていただきたいと思いますが、よろしいでしょうか。
          〔「異議なし」の声あり〕

○北川委員長 では、委員間討議をこれにて終了させていただきます。
最後に、次回の委員会についてですが、活動計画書に基づいて、女性、性に関する差別についての参考人招致を考えております。
 参考人の候補者については、現在、正副委員長において調整中でございますので、候補者が決まり次第、参考人出席要求のための委員会開催について、後日御案内をさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いをいたします。
 なお、参考人候補者に対しては、新型コロナウイルス感染症に関わる事例があれば、併せてお話をいただくようお願いさせていただきたいと考えております。
 御協議いただく事項は以上でございますが、特に何か御意見がございましたら。
          〔発言する声なし〕
 
〔閉会の宣言〕
 
                          三重県議会委員会条例第28条第1項の規定により記名押印する。
                                        差別解消を目指す条例検討調査特別委員長
                                                               北川 裕之

 
 
 

 

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