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三重県議会 > 県議会の活動 > 委員会 > 委員会会議録 > 平成19年度 委員会会議録 > 平成19年8月30日 南北格差対策調査特別委員会 会議録

平成19年8月30日 南北格差対策調査特別委員会 会議録


南 北 格 差 対 策 調 査 特 別 委 員 会

会 議 録

(閉 会 中)

開催年月日   平成19年8月30日 自 午後 1時 1分 ~ 至 午後 3時 4分

会議室      三重県立熊野古道センター

出席委員      10名

委員長 水谷   隆  君
副委員長 中村   勝  君
委員 津村   衛  君
委員 村林   聡  君
委員 竹上 真人  君
委員 真弓 俊郎  君
委員 前田 剛志  君
委員 中村 進一  君
委員 中川 正美  君
委員 藤田 正美  君


欠席委員    3名

   委員  森本 繁史  君
   委員   三谷 哲央  君
   委員    萩野 虔一  君


参考人    5名

紀 北 町   塩谷 光久  様

尾 鷲 市   池田 比早子 様

熊 野 市   下川 勝三  様

御 浜 町   芝崎 裕也  様

紀 宝 町   谷上 嘉一  様

傍聴議員     1名

報道関係者   9名

傍 聴 者     12名

議題および協議事項

I 調査

 1.地域住民からの意見聴取

 2.その他

II 委員協議

 1.次回の予定について

 2.その他

【会議の経過とその結果】

〔開会の宣言〕

I 調査

 1.地域住民からの意見聴取

○水谷委員長 本日は、東紀州地域での委員会開催ということで、事項書にありますように、東紀州地域から住民の方5名にお集まりをいただきまして、南北格差について、日頃考えられていることなどをいろいろご意見をいただきまして、後ほど各委員のご意見を伺いたいと存じますので、どうぞよろしくお願いをいたします。

 それでは、調査に入ります。

 まず、紀北町の税理士、塩谷光久様にお話をいただきたいというふうに思いますので、塩谷様、どうぞよろしくお願いをいたします。1人大体5分程度ぐらいでお話をいただければありがたいなというふうに思います。よろしくお願いします。

○塩谷氏 三重県内の南北格差は、地理的状況を主原因として、確かに存在すると思います。税理士という仕事柄、津市に建設関係の会社があり、平成18年頃からかなり売り上げが伸びてきており、都会の好景気を実感することができます。こちらの東紀州地域では、医者と薬剤師、つまり薬局以外では余り景気を感じさせてくれる職業は見当たりません。南でも、北でも、医者にかかり薬をもらうことには差はないようです。

 さて、配付された「県内5地域のすがた」、9ページに、老年(65歳以上)、平成17年、東紀州31.2%、第1位、さらに69ページ、刑法犯罪件数、人口1万人当たり90.5%、第5位とあります。つまり、県内で一番犯罪が少ないと考えられます。格差是正の場合には、よいところを伸ばすという方法もあるのではないでしょうか。

 中国での戦国時代、稲作が干ばつで食糧危機となり、役人が相談の結果、役に立たない年寄りを口減らしのために、鳥も通わない深い山奥へ捨てることになりました。老いた父をおぶって歩く息子の足取りは重く、遅々として進みません。いまだ分け入ったことのない山を歩くと、父は時々、枝を折っていました。問いただすと、息子のおまえが無事に帰れるようにとのこと。孝行息子は余りにふびんで、こっそりと父を連れて帰り、床下の穴に住まわせておりました。あるとき、隣国から難しい問題が出され、解けなければ攻め込むぞとされ、1本の寸法たがわぬ竹筒で、どちらが上で下かを問うものです。国じゅうにお札を出し、回答を求めるも、誰も答えません。そのとき、床下に隠していた父に相談したところ、それは水に浮かべて、少しでも下がった方が根元なんだよと教わり、正解を示すことによって、隣国から攻められなかったという話です。これは富山県の民話です。三重県では、問題の内容が、かまどの灰で縄をなうに変わっています。灰で縄をなうことはできずに、つまり縄を燃やして灰にして、そのままの姿で灰で縄をなうという民話になっています。このことを通じて、年寄りを大切に守っていこう、今まで世間を支えてくれていた人たちだものという優しい精神が培われたのです。

 そこで、南北格差の是正の基本方針として、優しさと安心を根本に、2つの施策を提案したいと思います。

 1つは、敬老精神を語り伝えようということです。戦後の家族制度の崩壊から、核家族となり、年寄りを大切にすることがなくなってしまいました。以前は、同居している、時々お小遣いをくれる優しい祖父母の死が、敬老の精神を養ってくれたことでしょう。今では、核家族で、祖父母と一緒に住まなくなったために、人が死ぬということが実感としてわからなくなってきていることに遠い原因があると思われます。敬老の精神は決して封建的な古い考えではなくて、人間としての基本的な精神をはぐくむ大切な思想です。さりとて、今さら3世代同居を勧めることもできません。具体的には、小・中学校で総合学習などで、老人養護施設などへの交流で、職人の苦労話や工作実習、わらじ作り等を通じて、優しい心をはぐくみたいものです。

 2つには、森林立木の整備ということです。荒れた環境は荒れた心を作ります。犯罪件数が少ないのは、優しい環境が生み出した優しい心です。環境を守り育て、いつまでも犯罪の少ない東紀州を目指したいと思います。森林を守り整備することは、優しい河川や、それに続く海を守ることでもあります。森林を守ることは洪水を防ぐことでもあり、災害を防ぐことでもあります。森林組合の機能を強化して、土地台帳も整備し、半公共的な機関として計画的に森林の整備ができるように、法整備を整えてほしいと思います。都会に住む人にとっても、酸素を生み出す森林の効用は理解されるものです。また、理解されるように広報案内することも大切なことです。山や川や国土の整備された美しい東紀州には、人々が優しさといやしの心を求めて、春となく夏となく、秋でも冬でも、年寄りが大切にされ、子どもが伸び伸びと育ち、末永く繁盛していくことは間違いありません。

 以上です。

○水谷委員長 ありがとうございました。

 それでは、続きまして尾鷲市のNPO法人「海虹路」代表の池田比早子様、よろしくお願いいたします。

○池田氏 私は、一主婦として尾鷲に住んで、いろいろと本当に感じたことを言いたいなと思います。大体、南北の格差というのは、この県内の地域のすがたというので、皆さんご存じだと思います。生活していて一番困っているというのは、やっぱり元気なときはいいんですけれど、病気になったときですね。ここらの市民というのは、本当に尾鷲総合病院が頼りなんですよね。それでも、お医者さんも少なく、診てもらう科も少ないんです。それで、新聞等でお騒がせしているように、いつお医者さんがいなくなるんだろうかっていう不安をやっぱりすごく抱えています。

 尾鷲総合病院といいながら、本当に総合的な治療が受けられないですね。そして、尾鷲というところは、車なしでは本当に不便なところで、お年を召した方が若い方と住んでいるうちはいいんですけれど、老人ばっかりで住んでいるところは、本当に病院へ行くのも大変な苦労をされて来るんですね。で、やっとの思いで尾鷲総合病院に来ても、休診のときもありますし、きちっとした治療が受けられない。かといって、きちっとした治療を受けに行こうと思うと、津とか北の方へ行かなければいけない。それがなかなか行けない。一人では本当によぼよぼして、切符もなかなか買えない。おりてからどうしたらいいんだろうかっていう、すごい不安を持って生活しています。だから、本当に尾鷲総合病院という病院をきちっとした、本当の総合病院としてやっていけるような病院にしてほしいなって思っています。

 私、20年ぐらい前から、尾鷲病院を何とかしてくださいとかって言うと、外回りとかをきれいにしてくれたり、新しい機械を導入したりしてくれるんですけど、そうでなくて、本当に技術面という中で、いらっしゃるお医者さんや看護師さんたち、そういう中身を充実してほしいなといつも思っています。病気にならないように保健医療というのがあって、病気にならないようにしよう、ならないようにしようと思って、いろいろ体操やいろんなことをみんなしていますが、それでも、どうしても病気になってしまう。そういったときに、安心してかかれる病院があってほしいっていうのが、私の最大の一つのお願いです。

 本当はいっぱいあるんですよ、ここらは。もうわかっていただけると思いますけど、いっぱいあります。この中にも、すがたの中にも病院関係のこととか、小・中学校のこととかは、本当に書かれていない。ちょっと探しましたけど、ほとんどなかったような状態なんですね。そういうのが、私、尾鷲に住んでいて一番大事な問題なんじゃないかなと思っています。

 本当にこれ、いっぱいある中の一つだけ言っておかなければいけないなと思ったのは病院関係。まだずっと続くんですけど、働くところがないとか、ずるずるいっぱい、もう芋づる式に山ほどあります。でも、一つだけ、本当にお願いしたい最大級のものが病院なので、よろしくお願いします。

○水谷委員長 どうもありがとうございました。まだまだ後でも時間がありますので、いろいろございましたらまた後でもお聞かせ願えればなというふうに思います。

 続きまして、元紀和町長の下川勝三様、どうぞよろしくお願いいたします。

○下川氏 皆さん、こんにちは。今、ご紹介いただきました、現在は熊野市の特別参与をさせていただいております下川勝三です。どうぞよろしくお願いします。座ってちょっと失礼します。

 私、行政の立場から、南北格差について、僕としたら、今ちょっと話も出ておりましたけども、働く場、雇用の創出拡大というようなことで、ちょっとご意見を述べさせていただきたいと思います。

 現在、県下を見ましたら、もう皆さんご承知のように、北勢地域の方ではシャープを初めとして企業誘致が着々と進められておるわけで、我々の東紀州地域から見ると、大変、より一層格差が顕著になってきたんではないかという、そんな率直な気持ちを持たせていただいておるところでございます。

 僕ところの熊野市を見ましても、有効求人倍率は0.4から0.6、その前後を推移しているような状況で、県下の平均1.4と比べても、大変厳しい状況になっておるというようなことで、そんなことがこの地域の過疎化や少子高齢化の大きな原因の一つとなっておるような状況でございます。

 そういう中ではございますけれども、大変、県といたしましても、この地域に対して、この施設、熊野古道センターを初めとして、紀南地域では平成21年にオープン予定の紀南中核的交流拠点施設、また我々、東紀州住民の悲願でもあります熊野尾鷲道路並びに高速道路の整備についても、大変財政の厳しい中、格段のご配慮をいただいておりますことを大変ありがたく思っておるところで、また、県庁内におきましては、県議会の意向によったんだろうと思いますけれども、東紀州対策局というのが設置されたことも、我々この地域に住む人間としては、大変心強く思っておるところでございますし、また、県議会におきましても、この南北格差対策調査特別委員会も設置していただいて、今日我々にこんな機会を与えていただきましたことも、心からお礼と感謝を申し上げておきたいと思います。

 働く場の雇用の創出拡大ということになりますと、我々行政といたしましても、民間に支援をしていくということは大変必要なことであることは、もう言うまでもありませんけれども、我々の地域としたら、やっぱり民間だけに頼るのではなしに、やっぱり我々行政もリスクを恐れず、雇用の拡大に努めていかないかんというような、そんな市としての考え方もございまして、熊野市におきましては、旧紀和町のときに設立されました観光開発公社、ふるさと公社の両公社があるわけですけれども、本年度から、ふるさと公社におきましては熊野地鶏の生産、それと熊野市が品種登録し、育成者権を有しております「新姫」、これはシークワーサーみたいなものなんですけども、その生産にも取り組み始めたところで、従来のキジやみそ、梅干といった販路拡大を図って、何とか雇用の拡大につなげていきたいと、今努力もしておるところでございます。

 今後、我々の地域、市町といたしましても、今後より一層のやっぱり支援策を考えていかなければならないと考えておるところでございますけれども、やっぱり経営の重要な要素である技術や経営手法というようなノウハウについては、なかなか我々の市町では、そのような専門的な能力がないのが現状でありまして、やっぱりその技術、経営、知識の習得を支援できるような、実践的な事業参入、促進、支援の仕組みを、県としても何とか考えていただけないかということと、また、地元企業や事業者においても、いろんな資格を有する有能な人材への雇用の意図はあるんですけれども、一方、なかなかそういう人材が見つからないというような問題もあることから、最初から完全な雇用関係を作るのではなくて、一定期間、試験的に採用し、実際の就業を通じて有為な人材を発掘していくというような、また育成できるような試験的採用の仕組みというようなことの創設に対する県の支援をお願いできないかというような、これは労基法との関係で、いろいろ難しい点もあるのかもわかりませんけれども、そのへんのご支援もお願いをしておきたいと思います。

 県の方では、東紀州地域における企業誘致に対して、他地域と比べて優遇的な支援措置も用意してもらっておるわけでございますけれども、雇用拡大の観点から、この支援策のより一層の充実や、また国の補助事業との同時活用を認めていただけるというような条件緩和もできたらお願いをしたいと思っておるところでございます。

 また、企業誘致に関して、我々市町で情報収集するのは限られておりますので、ぜひ進出可能性が少しでもあるような企業の情報提供をぜひ県の方でもお願いをしておきたいと思います。何分、本地域の市町は、いずれも財政基盤が弱く、時間的な距離も不利で、結果的に企業誘致を断念してきたというような経緯もございます。我々、地域の行政を預かる人間といたしましても、やっぱり産業振興による働く場、雇用の創出拡大については、最重要課題というような位置づけをして、熊野尾鷲道路並びに高速道路が平成25年に完成予定というようなこともございまして、この道路が整備されて、ストロー現象なども心配されるとこでございますけれども、産業振興の道筋をしっかりとつける、我々も必要に迫られておりますので、我々としても、この地域の発展を正念場ととらまえて、最大限の努力も払う考えでございますので、どうか県議会の先生方もぜひ今までよりもより一層のご支援や、またいろんなご指導をいただけたら大変ありがたいと思っておりますので、そのへんよろしくお願いして、私の意見とさせていただきます。ありがとうございました。

○水谷委員長 はい、どうもありがとうございました。

 続いて、御浜町から「南紀グリーンハウス」代表の芝崎裕也様、よろしくお願いいたします。

○芝崎氏 皆様、どうもこんにちは。座って失礼します。

 ただいまご紹介いただきましたが、風伝峠のふもとの御浜町尾呂志地区というところで、所得は低いですけども、精神的には満足した生活を送っております、南紀グリーンハウスの芝崎と申します。よろしくお願いします。

 私も、平成7年に三重県にUターンしてまいりまして、農業の担い手として片田舎の中山間地の非常に少子高齢化が問題になっている尾呂志地区というところで、地元のおじいちゃん、おばあちゃんたちと一緒に農産物の直売所とか、さぎりの里といいますけども、そういったものに一緒にかかわりながらいろんな活動をしてきてまいっているわけなんですけれども、今日は、第一次産業の、私にかわって、もっとすばらしい方はたくさんいると思うんですけども、代表としていろいろと意見を言わせていただきたいと思います。

 とりあえず、地元のことに関しては、そちらにみえる新人の津村委員さんにお任せしたいなというのは、正直言ってあるんですけども、今後の活躍も期待しつつ、私も第一次産業の人間として、先生方にいろいろとご提案したいなと思っております。

 まず、県議会の先生方、この尾鷲地区及び紀南地区ですね、いろいろと何度も足を運んでいただいていると思うんですけれども、この南北格差の問題というのは、多分、今、三重県の南北というふうな形で言われていますけども、日本の中でも東京と三重県みたいな、地方みたいな形のたとえでもあるように、現実的にこういった生産性の低い、どっちみちとりわけ数字で評価されてしまうシステムが余りにも定着し過ぎているこの世の中なので、私としては余りどうかなと思うところもあるんですけど、現実的に、じゃあ、この南の地域、今、東紀州などという言葉から、今、南三重なんていう言葉もよく聞かれるようになってきているんですけども、その中で、特に農業分野のことに関して、あと主幹産業がこの大台町から紀宝町にかけて、主幹産業が第一次産業ということで、できるだけ、本当にできる限り何度もこまめにこの地域、当地を視察していただいて、その現状の把握に努めていただければありがたいなと。そこからじゃないと、多分、なかなか、現実は見えてこないんじゃないかなというのが、私の今ある感想なんですね。

 特に、そういった中で、農業問題に関しては、かなりやはり深刻な状況でして、実は今日も午前中、私、農業委員もやっておりまして、ちょっと農業委員会の方へ出てきて、今日こちらに来たんですけども、この尾鷲の、紀北の状況に関しては、はっきりとしたデータはないんですけども、紀南地区に関しては、多分三重県の北の方でも、伊賀上野地区でも同じ現象が起きていると思うんですけれど、担い手不足、そして高齢化で、農地の荒廃がかなり進んできております。

 昨年、農振地の調査をしましたところ、現実的に、農振地でありながら荒廃してしまったという土地が、去年1年80ヘクタールありました。農用地すべての、農地として地目として登録されている中でのデータを多分予想するに、御浜町だけで多分300ヘクタールぐらいもう荒れてしまっている可能性があるんです。御浜町だけということは、南郡、熊野で、一体どれだけ荒れてしまっているんだろうなというふうなことを考えますと、少しやはり、ここ10年先、特に農業にかかわられている方々の周りを取り巻く問題というのは、かなり深刻になってきております。これは、残念ながら、三重県全部に言えることだと思いますね。

 それをどうするかということに関して、やはり生産性を上げるという、その数字を上げていくという意味では、やはり一人一人の農家の方々が今までどおりの農業でやっていくというのは、かなり生活をする上でも、家族を専業農家として養っていく上でも、かなり難しい状況にあると思うんですね。それじゃ、どうしたらいいのかというところになると思うんですけども。やはり私も一応この三重県に帰ってくるまでは、農業関係の商社にいまして、そういったいろんな農産物の原料の輸入とか、そういったことの企画にも携わったり、お隣の岐阜県の花の都ぎふプロジェクトの方にも少し参加させていただいたりして、非常に生産者の方、農家の方が、これからは企画力と販売力ということに関して、もう少し研究を重ねていかなければならない時代になってきて、それでもって安心・安全の食材と、そういったことも生活者の方のニーズにたった形の農業施策をやっていかなければだめな状況になってきているということをしっかりと踏まえて、第一次産業である農業、そして林業にしてもそうですし、当然漁業にしてもそうですから、新しい今の時代の流れに合った消費者のニーズを掘り起こすための新しい企画をやっていかなければならないなということで、例えば漁業に関しては、今、熊野市二木島地区の方で、マグロの養殖に取り組んでみえる若い方が既にあらわれてきております。

 林業に関してもマーケティングの強化で、特に尾鷲なんか有名ですけども、速水林業さんのように認証を受けるような、そういったしっかりとした栽培というか、植栽技術でもって、非常に品質のいい木材を作り出すとか、あと、我々「熊野どいらいファーマーズ」という、非常にIターン、Uターンの人間たちで構成している組織があるんですけども、これは首都圏コープ、いまはパルシステムといいますけれども、一応会員さんが100万人規模のそういう生協さんと一緒に、この地域に実際農業体験しながら、この地域のよさを知っていただきながら、観光と農業を一緒にしていくような、そういう体験型、そして安心・安全型の農業の新しい形を今、提案しているという、そういった時代の変化に合った新しい農業のあり方というものを今模索しているところなので、できれば行政の中でも、時代のニーズに合った農業施策を推進していただきながら、三重県の特に農業に関しては、なかなか工業推進の方に力を、当然GNPとか三重県の総生産額を上げるためには今のシャープさんを誘致するとか、そういったものが大事だというのはよくわかるんですけども、そうでない地域もあるよということで、特にこういう新しい農業の充実、そして農地の保全とか自給率を上げるという、そういう目的のために、いろんなことを私ども農業者と、そして専門家の先生方と一緒に考えていっていただければどうかなというふうに思っております。

 そして、もう一つ、そういった農業生産性を上げるために必要なのが、やはり下川前町長もおっしゃっていたように、やっぱり交通のインフラ整備の充実だと思います。作ったものをいかに輸出するか、そういったことに関して、やはり力を注いでいただきたいなと。三重県のある紀伊半島、この紀伊半島の一番南の地域なんですけども、紀伊半島そのものでいいますと、東には名古屋港とか中部国際空港、回りは伊勢湾と、西に関空と大阪、神戸港のある大阪湾と、この大きな2つの湾に囲まれている紀伊半島で、その中心にあるのが三重県と言っても過言ではないと思うんですけども、そういった流れで、これまで紀伊半島知事会議でも提案されていますけども、アンカーロードという、奈良の五条からまっすぐおりてくる道、そして和歌山側、そして三重県、今の紀勢道路ですね、この道の整備、これはまたは命の道とも今大変盛んに言われてますけども、防災上の非常に重要な道ということで、この地域の産物を輸出するために必要な道路整備というのが絶対欠かせないんじゃないかなと。そういうことができて初めて企業誘致とかですね、新しい農業の推進ということが可能になるし、漁業にしてもそうだと思いますし、林業にしてもそうだと思います。

 やはりまず、交通のインフラ整備を急いでいただいて、それから各専門部会にもう少し分かれて、東紀州商社機能とかいろいろと言われておりますけども、まず各専門部会の決定事項を連携させて早急に形にしていただく。それぞれの専門部会の点と点とを結んで、そして大きな新しい南三重地域のメーンにしていく新しいいろんな農業の創出であったり、漁業の創出であったり、林業の創出をこれから先生方にお願いしたいと思います。北海道や山梨や宮崎県では、こういう遊休地とか、そういったところの基盤整備なんかも、やはりかなり真剣にやっております。三重県もそういった地域、特に愛知県なんかを見ていますと、工業も日本一だけども農業も日本一なんですね、愛知県は。かなり農業の分野では結構日本一というのが。愛知県の場合はやっぱりバランスがとれています。工業も日本一だけども、農業も日本一。そういった面で、三重県もそれに準じてじゃないですけど、三重県型のそういう新しい第一次産業のシステムづくりをお願いしたいと思います。

 以上です。

○水谷委員長 はい、どうもありがとうございました。

 それでは、最後ですけれども、紀宝町でまちづくりのほうでご尽力をされております谷上嘉一様、

よろしくお願いいたします。

○谷上氏 皆さん、こんにちは。座ったままで失礼させていただきます。

 私どもの住まいは、東海最南端と言われる紀宝町です。紀宝町の中でも、私の家はさらに最南端ということで、熊野川のほとりにございます。皆さんご存じのとおり、熊野川が世界遺産に登録されたということで、熊野川を活用した地域おこし、いわゆるエコ・ツーリズムと地域おこしに軸足を置いて、今年の3月17日に「熊野川体感塾」という、そういう観光事業を立ち上げました。その後、今現在、金銭的にも、あるいはお客様の対応、それから運用面ですね、そのへんでもう全く死ぬ思いをしている現状なんです。いろんなメディアの関係の皆様のおかげで、恐らく紀宝町が始まって以来、全国的に脚光を今浴びているなという、関心を持っているなという、それは私自身、実際お客様だったりメディアの反応だったり、それからいろんな情報ですね、そういうことから本当に肌で感じておりますので、恐らく紀宝町にとっては100年に1回、あるいは200年に1回のチャンスかなというふうに、今、私自身はとらえているんですけれども。このことは後ほど少し、和歌山県も同じようなことをやってますので、三重県と和歌山県の違いだったり、自治体の対応とか、そういったことにもちょっと触れてみたいなと思いますので、その点ひとつよろしくお願いをしたいと思います。

 それから、南北格差ということですけれども、これは三重県では南北という呼び方になっていますけれども、これはもうどこの地域も恐らく同じだろうと思います。全国的に見ても、それはもう同じことだろうと思いますし、その現状については今さら議論を待たないだろうと。皆さんもそれぞれご存じのとおりだろうと思います。そして、結論から申し上げて、これをどうやって是正していくんだろうかという、そんなときに中央では衆参のねじれが出まして、少し格差の問題も今、取りざたされておりますので、動きとしては少しぐらいは是正の方向に動くのかなという、そんな感触はありますけれども、中央の方では学者だったり、評論家の皆さんが、お金もうけをしたかったら東京へ出てきなさいよという、そんなことばかりを言っている、そんな現状の中で、本当に難しいだろうと思います、是正をしていくということは。

 皆さん、細かいことをほかの4人の皆様がいろいろお話しされたので、もう私、そのことについてはもう話すことは何もないんですけれども、その前に、それぞれの自治体がありますよね。その中でもかなりの、南北なのか東西なのかは知りませんけれども、やっぱり切り捨てられている、それに近いような格差が歴然とやっぱり出ていますよね。それもそれぞれの地域の皆さん、恐らく肌で感じていると思いますけれども、そういったことがそれぞれの自治体の中でも、あるいは県でも、姿勢としてそのあたりが変わらなければ、どこまで行っても恐らく変わらないだろうという、そんなふうに私は受け止めております。

 大変その中にも無駄もいっぱいあるなという、そういう気もありますし、それともう一つ、別の形になりますけれども、私、東紀州の地域振興創造会議だったり、それからあと東紀州の交流空間拠点づくりとか、そういったところ、いろんなところへ、また知事直轄のみえの舞台づくりとか、いろいろ参加をさせていただいたんですけれども、私も知識のないままに、いろんな意見も言わせていただきましたけども、その中で議論を否定するということは絶対ありませんけれども、100回議論するよりか、僕は、1回具体的に動くことの方がはるかに大事だよということを、もう何度となく言わせていただいたんですけれども。というのは、余りにも今まで議論をして、議論だけして何もなかったよということが多過ぎますという。このことについてもぜひともやっぱり具体的に動いていけるような方向でね、ぜひとも検討していただきたいなという。あれをこうする、これをこうするということよりも、まず、腹をくくってやっていくんだという、そういう心構えのような、そんなことが大切なのかなという、そんなふうに私は感じますので、一言報告を、私の意見として述べさせていただきます。

 それから、先程申し上げましたように、私どもが何とか地域おこしをやっていこうという、というのは、紀宝町でも私のところは北桧杖なんですけども、さらに上流に行きますと浅里地区というのがあるんですけども、ここは恐らく、今のままほうっておきますと、統計的に見ても、恐らく集落そのものが消滅するだろうという。65歳とか、あるいは70ぐらいだったら若い衆なんですよね。いろんな形で地域を支える、本当の担い手になっているような現状ですからね、このままだったら。恐らくなくなるということはありませんけども、統計的に見るとゼロになってしまうんですよ。もちろん小学校とか中学校へ行っている子どもさん、赤ちゃんも含めて一人もいませんしね、65歳とか60歳とか、もう全く若い人なんですよ。そんな状況ですから、これではいかんなという。川も世界遺産になった、それから非常に史跡名勝というところもたくさんあるということで、これはやっぱり地域の誇りでもありますけれども、それと同時に守っていかなければいけないという責任というものも、地域の責任というものもついて回るわけですからね。ですから、都会に出て行った人、あるいは田舎を望む人、そういう人たちが移り住んで、1人でも2人でも、飯を食えるような、そんな形に持っていこうじゃないかということで、全く僕らは非力ですけれども、やるしかないなということで、熊野川体感塾というのを立ち上げたわけなんですけれども。

 この熊野川体感塾というのは、先程ちょっと申し上げましたように、県が主導で交流空間の拠点づくりということで、熊野川部会の中で過去3年間、官民一体で協働で何とかやっていこうということで議論してきたわけです。その事業が18年度、いわゆることしの3月31日で終わったわけなんですよね。それで、その議論の当初から、協働でやっていきましょうということでスタートしたわけなんですけれど、そして何とか観光事業に結びつけようということだったんですけど、そんな中で、民間主導の形でこの体感塾というのを立ち上げたわけなんですけれども。その中でいろんな情報発信とか、そういうことは県の皆さんとか地元自治体も頑張ってくれているんですけれども、何分に金銭的な支援がないものですから、金銭的に非常に今、苦労しているところなんです。

 それと、マスコミの皆さんだったり、お客さんへの対応で大変だなという。皆それぞれが個人出資をする形で、一生懸命やっているんですけども。これ、和歌山県も全く同じことをやっているんです。その事業の内容は違うんですけどね。和歌山県は、新宮からいいますと16キロほど上流からお客さんを舟に乗せて、新宮の速玉大社まで送り届けると、いわゆる川下りですね。これのお客さんは観光業者を相手にした、いわゆるツアーのお客さんがほとんどなんですけども、それで1時間半ほどの所要時間でお客さんを送り届けると。私どもの方は、午前10時から午後2時、3時ぐらいまでですね、いわゆる川舟「三反帆」を使って両岸の景観、それから「宣旨返り」とか、後白河上皇なんかにまつわるいろんなお話があるんですけれども、そういったところを歩いていただいて、お昼ご飯も地元のお母さん方にお願いをして、お客さんに提供していると。その後、竹細工だったり、わら細工だったり、そんなことをして、最後にまた三反帆の舟に乗って帰っていただくということで、本当に自然を体感してもらう、あるいはいろんな体験をしてもらうという、そういう形のツアーを組んでいるわけなんですけどね。そんな中でも、お客さんの対応、非常に反応がいいんですけれども、まだまだ何分にも始まったばかりで、財政的にも非常に苦しい状況なんですけれど。

 一方、和歌山県の方は、知事の一声で、補正組んででもすぐやれという、2年前に立ち上げたんですけどね。県の職員の方が1人飛び回って、私もそこにかかわったんですけども、私が舟を作っているという関係もありましてかかわったんですけど、その方は大変苦労されて、何とか立ち上げたんですけども、その間、舟も6そう用意しました。それも県が用意しましたよね。また、送迎用のバスも県が買ったわけです。そして、あと運用資金として3年間、新宮市が300万ずつ、3年間は赤字になるだろうということで、一応3年間300万ずつ、それぞれ300万ということで900万なんですけど、そういう支援の仕方、いわゆる自治体のかかわり方をして、向こうは何とか観光事業をやっているんですけれども。うちのは全く中身的にはそういうことをやっているんですけども、残念ながら、うちもいろいろ県の皆さんとかにお願いはしているんですけど、なかなか金がないということで、本当に正直言って1円の支援も受けてないんです。車なんかも、私自分で送迎用の車も買って、個人出資も相当していますけども、これからまたいろいろ実績の報告書とかそんなのを出して、県とか地元の自治体の方にもいろいろ相談をして、いろんな形で協力をしていただきたいなと、そんなふうに考えているところですけれども、こういったところを、先程言いましたように、格差の問題もいろいろありますけれども、やっぱり地域事情を踏まえた中でね、自治体なり地元の人たちも、その前に何かやっぱり自分たちでできること、それはあるだろうと、それは頑張ろうということですので、格差の問題もありますけど、自治体としても本当に100年に一度、200年に一度しかない絶好のチャンスですから、こういったところは自治体としてもちゃんと位置づけをして、それなりのアプローチをしていただきたいなと。そんなふうにも私自身は考えているんですけれども、そういったことにも、県の皆さんもいろいろ目を向けていただいて、私どもにも、それとそれぞれの三重県内、地域のそれぞれの自治体にもいろいろご指導もしていただきたいし、ご支援もしていただきたいなと、そんなふうに考えております。

 大変横道にそれて、本当に申し訳ないですけども、私の思いを少しだけ述べさせていただきました。どうもありがとうございます。

○水谷委員長 どうもありがとうございました。ただいま5人の皆さんの日頃の活動、あるいはそれぞれのお立場から、いろいろとご報告をいただいたわけでございますけども、このご報告に対しまして、委員の方々からご質疑をいただきたいというふうに思います。

 なお、皆さんには、発言いただく際は手を挙げて、私がご指名をした後、発言をよろしくお願いしたいというふうに思います。

 それでは、委員の皆様からご質疑をよろしくお願いしたいと思います。

○中村(進)委員 皆さん、本当にご苦労さんでございます。大体、皆さんがおっしゃったことが、東紀州の実態をあらわしているかなというふうに思っております。医師の問題は、きのうの新聞にも出ておりましたように、奈良県で10何カ所も回ったけども、結局、その途中で亡くなられた妊婦さんがあったと。まさに日本自体もそのことに行き詰まっているんじゃないかなというふうに、私はあの記事を見て思いまして、人ごとじゃないなと思いました。

 この資料の7ページの中に、年少人口の割合の推移という、これをちょっと今、グラフを伸ばしてみたら、大体、東紀州のところは10年ぐらいでゼロになるんですよね。そう簡単にはならんとは思いますけれども、まさにこのままいくと、三重県全体も時期的には変わらんと思うんですけど、ただ、東紀州は一番早く、10年ぐらいでゼロになってしまうんじゃないかなというふうに。ということは人がいなくなる、小さい子どもさんたちがいなくなる、お年寄りは残ってゆっくりとという形になると思うんですが、だから、そういう状況に今あるのをどうしたらええのかというのが、この特別委員会だというふうに思います。

 下川さんにちょっとお伺いしたかったんです。高速道路ができたら、雇用企業ですね、そういったものに、ストロー現象という言葉をさっき出されましたけれども、高速道路ができて後の活用っていうのは、何か地域として、あとほかの方々も高速道路と地域の活性化の部分で考え方があればですね、ちょっと聞かせていただきたいと思います。

○下川氏 今、中村委員さんから、大変難しい問題をいただいたんですけども、確かに我々も安心・安全というようなことを考えると、やっぱり今言われた防災とかそういう面を考えたときに、高速道路がつくことによって、救急にしろ何にしろ、そういう面で大変利用価値があるのかなというふうに、また、事業者の方もやっぱり名古屋にしろ、そういういろんな出荷するにしても、大変時間の短縮というようなことも考えられますし、こちらへみえていただく方も、時間短縮ということなると、大変可能性が高くなるのかなというふうに、そんな感じもしておって。

 そのへん先程、僕も申し上げましたけども、やっぱり我々の地域としたら、高速道路がついてから考えるようなことでは遅いと思うんで、高速道路がつくまでにやっぱり、大変難しい問題だとは思うんですけども、今回、県や市町が中心になって、東紀州のまちづくり公社ですか、ああいうものも立ち上げていただいて。やっぱり地域住民はもとよりですけども、やっぱり事業者、行政と官民一体となって、本当にこの地域のことを真剣に考えていかんと、道路はついたけれども、全く通過点というようなことが予想されますので、我々としたら大変、これを今どうしたらこうなるというような、僕もそういう確約は持っておりませんけれども、ただ言えることは、道路がつくということで、我々住む人間としたら、確かに希望が持てるというのか、そういう点では大変、皆さん方も、僕も東紀州地域の振興創造会議も参加させていただいて、そんな議論の中でも大変皆さんやる気が出てきとるんかなという。

 やっぱり僕らもいろんな格差の中でも、僕も大きな心配っていうんですか、ソフト面で、心のあきらめっていうんですか、僕らの地域ではそういう、これは行政も含めてですけども、そういう気持ちに今までは陥ってしまっていたというようなことも大いにあったと思うんで、この討論ができることによって、そういう精神的な面とかで、皆さん方、やっぱり今この機会を逃したら、我々の地域も生き延びていくのは難しいというような、真剣にそんな気持ちを抱いていっておる方が大変増えてきておるように思いますんで。ぜひ、中村さんの質問の答えにはなりませんけれども、我々もこの地域挙げて、行政と先程申し上げましたように民間とが一体となって、何とかこの機会をとらまえて、地域の活性化につなげていきたいと思っておりますんで、ぜひまた皆さん方のいろんなご指導なりいただけたらありがたいと思っておりますので、よろしくお願いします。

 これは本当に中村さんの質問に答えにはなりませんけれども、僕もちょっと立場上、余り踏み込んで言いにくい面もありますので、ちょっとこのへんでご容赦願いたいと思います。

○中村(進)委員 実は、私は伊勢なんですよね。議員になった当初、伊勢自動車道が、あれが伊勢についたら、伊勢地域に企業がどんどんできて、非常に活性化していくという夢があったんですけども、結果、余りそういう状況になっていないということもありますので、地域のまちづくりなんかすごく大事かなということは感じているんですけども、ただ、今お話で、地域の皆さん方が、高速道路ができることによって安全・安心、いわゆる企業誘致以外にもそういった夢といいますか、活力みたいなものが出てくるかなという感じはあったんですが、やっぱりそれに合わせた何らかの地域づくり的なものが要るかなと思いました。

 それから、谷上さんですか、和歌山は県がある程度出資して、同じような事業をされて動き出している。三重県は全然そういう状態に今、そういう新しい企業に対してという話があったんですけれども、多分どこでも、永久的に資金を供与し続けるということはあり得ないと思うんですよね。そういった中で、果たして公がそういうことをかますことによって、もしある程度することによって、その回転ですね、一たん事業に資金を投入して、そのことがそこで足腰を強くしてですね、これからいけていく、そういうのはやっぱり公のお金をつぎ込むことで、可能性としては、そのへんを少しちょっと、もう少し突っ込んでお話ししていただければありがたいなと思うんですが。

○谷上氏 大変お答えしにくい質問なんですけれども、今日、細かいデータ等はちょっと持ち合わせてはないんですけれども、例えばですね、3月17日に一応オープニングをしまして、それで3月の月はお客さん5組で25人だよと。そして、次の月には少しずつ少しずつ増えながら、その間いろんな、テレビがほとんどですけれども、いろいろ放映されて、僕のところへはフランスだったり、アメリカだったり、そういうお客さんもちょくちょくみえていますけれどもね。そうやって全国的に発信をしていただきながら、8月にはざっと200人ぐらいの集客が実績としてもう既に上がっていますので。あと予約も9月の、この間は8月の頭だったのかな、NHKで放映されまして、その後、26日はまた東海テレビの方で放映をされたということで、実は今日もテレビ、中京テレビですけども、打ち合わせに来ていまして、それで、これは来月の5日にまた放映させてくれということで、NHKの方からもまた来月末というようなことで、ちょっと引き合いも来ていますのでね。

 ですから、そんな状況から判断しても、予約状況も9月は非常に多いですし、もう最終11月20日ぐらいまで予約も入っていますしね。そんな状況の中で、どうしてもいきなり黒字に転換と、これはもう難しいとは思いますけれども、どうなんでしょう。私の考えでは、少なくとも2年ぐらいの間には何とか黒字に持っていくという、そういう形。赤字を超せないということは、お客さんのいないときにいかにお金を使わないかというね。ですから、もちろん今は職員を1人も置いていませんし、私自身が、今日なんかも携帯を2つ持ってきていますけども、お客さんから電話が入ったときに、どこにいてもすぐ転送できるような形をとって、極力人件費を抑えるという、そういう形で、今は全く支援がないですから、そういう形で何とか軌道に乗せていかないかんなということでやっているんですけれども。見通しとしてはですね、やっぱり2年ぐらいはどうしても辛抱しなければいけないのかなという。

 和歌山県の見方もそうですよ。舟も全部県が作り、送迎用のバスも買い、それでもまだやっぱりなかなか実績が出るまでかかるだろうということで、やっぱり300万ぐらいは必要だろうということで、向こうは職員も3人置いてますからね。ですから、向こう3年間は300万ずつ何とか支援をしましょうと。その間にあんたらはやっぱり本当に独立採算の形で、ひとり歩きができるようにやっていきなさいよというのが向こうの考え方ですよね。こちらはやっぱり意識的に、あれは民間やからかかわったらあかんよみたいな、そんな空気が最初からありありとありましたから、これを言ったらまたしかられるかもしれませんけども。もともとはね、でも、協働、協働ということでスタートしたわけですからね。そんならおれらも何とか頑張るよということで、そこまできてね、2階へ押し上げられたのはいいけど、やっぱりはしごを外されると、僕らもやっぱり大変ですしね。私自身は腹くくってますけどね、支援がなくても何とかせないかんなということで。正直言って相当自腹も切ってます。

○中村(進)委員 ありがとうございました。

 いっぱい聞かせていただきたいこともあるんですけども、とにかく三重県にとって、私どもの地域も含めて南が自立できれば、三重県自体の発展に大きく寄与するということもあって、今日お邪魔させてもらっていますし、高速道路はいろいろ皆さんのお話も聞かせてもらって、絶対必要だというふうに思っておりますので、具体的に何が必要なのかというのをちょっと探りたいなということでお邪魔もさせていただいておりますので、ちょっとほかの委員の皆さんの声も聞かせていただきたいと思います。

○藤田委員 今日はどうも本当にご苦労さんでございます。

 先程、谷上さんから、議論だけではだめで、出資をしてですね、今、熊野川の体感塾ですか、お話を聞かせていただきました。これは、出資者は何人ぐらいで、どのぐらい出資、資本金はいくらで。

○谷上氏 これはね、観光事業といいましても、観光業者のいわゆる旅行業ですか、これの許可を取るとなりますと、1,000万円以上の金がかかるんですよ。これもやっぱり、ここなんかもやっぱりいろいろ規制緩和を本当はしてほしいですけどね。いろんな協会みたいなものがありまして、そこの会費だけでも年間200万とかね。そんな状況で、とてもそれはもう大変ですから。一応僕らの地域で、自分で舟を持っている人を7人集めましてね、それぞれが運送業の許可をとったわけです。これはもうほとんど申請だけで、お金もほとんど要らずに許可をもらえますのでね、日帰りツアーだったらこれでいいんですよ。それで何とかクリアしていこうということで、それぞれの持ち舟を自分らで提供してですね、それぞれが事業者として、7人事業者としてね。それであと、熊野川体感塾が窓口業務とかいろんなことをやっているわけなんです。ですから、別の見方をすればね、7人の事業者に体感塾が雇われているような格好にもなるわけなんですけどね。現実、私が体感塾の塾長ということで、総まとめをさせていただいているという、そういう形なんです。

 ですから、ともかくお金を使わずにやろうということで、一番お金がかかるのは保険なんですよ。クルー、舟の保険が年間7万ぐらい要りますんでね、7そう用意しますと七七、四十九ということで、そのぐらいが当初の出資なんですけどね。これは実際、最初の年には熊野川部会というのが、先程申しました交流空間づくり、その事業が続いてましたんで、そこには国の国交省の予算だったり、県の予算だったり、そういうものがありましたから、最初の一発目はそれで何とか納めてもらったんですよ、保険料はね。それで、この8月で切れましたから、それはもう自分たちでやっていかないかんよということで、そこでまたその保険代が借金になったというようなことで。ですから、もうともかくゼロからスタートしようということで、最初の準備金20万から始めたんですよ。それで、保険の方もこの8月で切れましたから、そのときにも、船頭たちが和歌山県の舟を実際管理しているんですよ、こちら、自分らが預かっているんでね。その管理料も和歌山の方から年間5万円ずつもらっているんで、それも拠出してもらって、これを体感塾へ入れようじゃないかということで、そのお金も15万、保険代として、保険代の足しとしてね。それでも足りないから、その足りない分は私が立て替えたんですけども。あとそれをどうやって回収していくかということなんですけども、いずれにしても、お客さんが来ないときには、ともかくお金の要らないようなことで、船頭さんたちにも、お客が来て、お客を乗せて1日行ってきたときにはいくらという形で支払うようにしているんですよ。

 ですから、今のところ、例えば、本当言うたら1人、どうしても職員1人要る状況ですけどね。それも何とかやったら、もう足引っ張られるということで、今そんな状況ですから、もう本当に借金としても少ないですけど、五、六十万ぐらいの赤にしか今のとこなっていないというか、させてないんですけどね。はい。

○藤田委員 少し角度が変わるんですけど、この東紀州のこの自然とか、先程、芝崎さん言われたように、新しいニーズに合った農業とか、本当にこれから少し南北格差という、従来の所得格差とかそういう人口とか、例えば年少人口であるとか、高齢化率であるとかというデータというだけの数値の問題じゃなくて、価値の転換というものを真剣に考えていくべきではないかと、私は思っておる人間でございます。そんな中で、先程、熊野川のリバーツーリズム、いわゆる川を利用しながらビジネスをしていくということは、非常にすばらしいことかなと思いまして、お尋ねをしたわけです。

 私、思うんですけど、今の格差というのは市場経済というか、競争原理は大事ですけど、そのことによって、ある意味では当然格差がついてくるわけなんです。それをよくよく考えるとですね、本来、この南の地域は、もちろん企業が利益の最大化を求めていくということは、そういう企業も大切でございます。しかし、ひょっとしたら、企業で利益の最大化を求める企業じゃなくて、また非営利でもなくて、ある意味ではその地域づくりであったり、川づくりであったり、農業の安全・安心な産物を届ける職業であったり、そういうものができる地域なんですよね。そうなると、営利でもない、非営利でもない、ちょっと小銭を稼ぐような、そして高齢者が多い、そういうふうな、私は政策がひょっとしたら必要ではないのかなと。

 今、三重県でもそれの走りとして、コミュニティビジネスの応援ファンドを10億ばかり積み上げました。その果実で、補助金でという動きも出てきました。私は、もう少しですね、有限責任事業分野みたいな、いわゆる出資した有限責任で、そのファンドでいろんなコミュニティビジネスなり、まちづくりなり、農業のおじいちゃん、おばあちゃんたちが小さなお金で生きがい作りをするとか、そういう政策を、今、谷上さんが出資して、議論だけやなしに実際やり出したという話を聞いて思ったんです。

 そこで、そういう小さなことからですね、いろんな政策を積み上げていく中で、従来は行き詰まるんですよね、人が来なくなったり、経営が行き詰まったり。そのときに本当に真剣に、それを、芽が出て、ちゃんと枝になって、花が咲くまで、どういうふうな融資制度にしていくんだとか、補助金を渡すのがいいのか、融資制度を充実していくのがいいのか、そういうことを本当にこの南北格差の中で構造的な問題をですね、今日はちょっと僕、途中で、話はすべて聞いておりませんけど、やっていくべきではないかなと。

 もう7年後には、いよいよ高速道路が一気通過になるわけでございまして、まさにストロー現象にならんように、7年間というか、おおむね10年間、大きなこの地域の目標が生まれてきたわけであります。そうなると、やっぱりそっちの制度、構造の問題を今考えていくべきではないかなと。先程言ったように、一銭も三重県が民間企業には出せない、お金が出ないとか、これは民間の仕事ですとか、そういう垣根を越えてですね、営利と非営利の間ぐらいのものを我々は作り上げていくべきではないかなと。芝崎さんと、谷上さんは今、民間企業として、これは株式会社なんですよね、共同。

○谷上氏 個人事業としてやっています。それは今、NPO法人とも、そういう法人格もとってませんし、会社組織にもなってません。

○藤田委員 アメリカなんか、企業が100万円支払い込む制度が2000年からできて、そういう有限責任事業組合みたいなLLPが80万社ぐらいできてるんですね。イギリスでも、そういう今言うように、スモールリスク・スモールリターンとは言いません、そういうものを年金と併用して、お年寄りの人が小銭を稼ぐとか、そういうような。また、川を利用して、川をよくして金を稼ぐことによって川の環境をよくしていくとか、そういうようなところの政策に我々も何かこれから融資の制度を、そういうようなことを今ちょっとお話を聞いて感じたので、何か芝崎さん、ご意見がございましたら、逆に教えていただきたいなと思います。

○芝崎氏 特に少子高齢化の高齢化の方の問題なんですけども、皆さん多分もう何度かお立ち寄りになっていただいていると思うんですけども、世界遺産の風伝峠のふもとに、風伝峠は朝霧が有名で、その朝霧をさぎりと私どもは言っているんですが、そこに農産物の直売所ができております。ウルグアイラウンドの事業なんですけども。そこを地域の高齢者の方、今、平均年齢が76歳になっていると思います。1人1万円の出資金を募って、皆さん共同でこの直売所の経営に当たっておりますけれども。

 最初、当初この制度を利用したときに、行政、県の方が試算すると、大体年間750万ぐらい販売できればいいだろうというところだったんですけども、現在約3,000万を超えてまして、小さな、本当に、ごらんになった方はわかると思います。本当に小さな直売所なんですけども、会員さんが60名で、ほぼ毎日出荷されている方が32名。それで、これまでオープンしてから、2名の方が、会員さんがお亡くなりになりました。これが、これからどんどんどんどんそういう状況になってくると思うんですけども、最年少の会員が、今現在40歳かな。平均とりますと、1人約100万円ですね。大体皆さんもうほとんど年金生活者の方で、平均で100万。もちろん少ない方も、多い方も、一番多い方で300万以上あると思います。その方も当然年金受給者でいらっしゃいまして。だけど、非常に元気ですね。開設当初はもんぺ姿で、本当に野良着を着てた方が、だんだんだんだん口紅を差すようになって、最近は本当に非常に小ぎれいな格好をしてみえて、来店されるお客様に気軽にお話しされて、私の作った野菜はおいしいよとかですね、今年とれた新米どうぞ食べてってくださいとか、本当にそれぞれ皆さんが自分の作ったものをPRされながら、本当に生き生きとされている。これは長野県では、こういった同じような事業をPPKとか呼んでるみたいですけど、ピンピンコロリ事業とかいって。とにかく生涯現役で、死ぬまで本当に生き生きと農業に従事すると、そういった事業も既に信州の方ではやられているそうですけども。まさにそれで、朝起きたら本当に静かに幸せそうな顔をして眠ってみえたという方が2名ほどみえました、私どもの会員さんの中で。本当に生涯を全うされて、毎日にこにこ野菜を持ってきてみえた会員さんが、次の日からみえなくなるというのは非常に寂しいことなんですけども、でも逆に言えば、我々としては、そういう高齢者の方たちの受け皿にかかわれてよかったなというのが、毎日の実感でありますね。

 これはもう、10年後、20年後どうなるかっていうのは、もう皆さんの想像つくとおりなんですけども。やはりそれでも、地域にそういう活動、ご年配になってもそういう活動をする場所があるのとないのとは全然違うと思うんですよ。これが本当にただ一般的にですね、30代、40代、ばりばり専業農業で頑張ってた方がやっぱり年々年老いて、70、80になったときに、結局何も自分の生きがいになる場所があるのとないのとは全然違うことであって、本当にこのさぎりの里っていうこの事業に参加させていただいて、その方々の農業に対する歴史の重みっていうものも、私ども若い農業者としては非常に勉強になってますし、その方々の生きる知恵なんかも授かることができる。

 だから、逆に言えばですね、これ、最近、三重大の川口先生が、私ども尾呂志地区が今度三重県の防災のモデル事業の地域を受けることになるんですけども、都会じゃないですね、先程、藤田委員がおっしゃったようにやっぱり、ただ単に経済的なものとかそういう数字で判断するんじゃなくて、近所同士のコミュニティがしっかりしているということは、そのコミュニティビジネスも一つのコミュニティをしっかりするための原動力だと思うんですけども、そのコミュニティをしっかりすることによって、何かあったときにお互いに助け合うことが自然にできるとこなんですよね。これは大きいんですよ。

 例えば、来るべき予想されている東南海、南海、東海地震のときにですね、やはり隣同士の安否確認なんていうのは、その近所同士がよく規範となるような、よくテレビで放映されているようなことはよく聞くんですけども、実際都会でその論理が通じるかというと、なかなかやっぱり核家族化しちゃったり、隣近所のつき合いがなかったりして、誰がどこで倒れていて、誰がどこで生き埋めになってるかってわかんない中の話からいうと、私どもの地域というのは、それほど経済的に豊かではないけども、精神的にそういう地域とのつながりがあることによって、何か事が起きたときにはみんなで助け合えるという、そういう力を持ってるんですよね。

 例えば、まず、隣に見える下川前町長のところ、風伝峠を挟んで旧紀和町、このへんなんかも多分孤立するかもわかりませんよね。ただ、あちらの方も、丸山千枚田とかいろんな、中山間地でありながらも、地域のやっぱりコミュニティが充実してることによって、完全に孤立して防災ヘリも来ない、自衛隊も来ない中、多分1カ月ぐらいは皆さん生き延びられると思うんです。これがやっぱり本来ある熊野がずっと熊野であり続けてきた力であり、その生活の知恵を持った人々の暮らしがここにあるんではないかなというのはすごく感じますね。

 というのは、私ども農業をやっていると、農業のいろんなネットワークがあるんですけども、例えば私ども、尾呂志地区というところは畜産業もあり、養鶏もやってたり、さぎりの里みたいに野菜があると。こう完全に1カ月ぐらい、どんな支援が来なくても、米もありますし何もある、何もかもあるんで。水は最上流域だから川の水はそのまま飲める。そういうすべての生活する条件が、じゃあ都会とどう違うかというと、皆さんそれぞれそういうコミュニティがしっかりしているところは、川口先生もびっくりされていました。ここは何でもあるねと。本当に1年ぐらい、もしかしたら、自分ところに蓄えた米なんかをみんなで供出しながらやっていけば、1年ぐらい本当に孤立しても生活できるかもわかんないよねという。これがやはり熊野が熊野である一番強みだなと。

 だから、経済的にここのデータを見てますと、例えば年間所得の金額なんかも東紀州が一番低いです。中勢地域に比べれば約100万以上、年間の所得というのは違うと思いますけども。所得は低くても、やはり生活の中で多分非常に豊か、精神的に豊か、新鮮なものを毎日食べられる。ここに尾鷲の多分生活があると思う。新鮮な魚、新鮮な野菜、新鮮な果物を毎日、中国の変な薬を使ったようなものを、安いとはいえ、そのへんのスーパーで買ってみえる生活者の方よりも、やはりこの地域の人たちは非常にぜいたくな暮らしをされていると思います。ただ、それはその一つの生活する上での強みであっていいと思うんですよ。その中で、なおかつ、例えば農業を一つの主としながら、都会の方との交流事業とか、例えば最終的に、定年したら熊野に住みたくなるというふうな魅力を感じるような地域にしていくことも一つの考え方かなというふうに思いますけども、いかがでしょうか。答えになってますでしょうか。

○藤田委員 余り私で長くなるといかんのですけど、ありがとうございました。

 まさにそういう、医療の対策であるとか、医者不足であるとか、そういうところはもう完全に格差としてしっかりやっていくという問題はしかり、道路の問題にしろ。しかし、そういう強み、そういうものをやはりやっていく中で、一つの切り口として、こんな都会であるようなまねをせずにですね、やっぱり経済でも、市場経済もあれば非営利もあれば、しかし、自分らで弱い者同士力を合わせてやっていくんだというような、そういうビジネス、そういうものなんかを作り上げていくことも東紀州というか、南の方の力になっていくんかなと。特に一次産業、二次産業、三次産業というものが、やはり一次産業だけではもうけられませんから、それを加工する、そしてそれを売っていく、それを自分たちでビジネスとしていく、そういうふうなことが大切かなと思いましたので、ちょっと話が、時間が十分ございませんので、この程度にさせていただきますけど、しっかりそれから出てくる問題を、課題を我々は次にまた解決していくような、またそのことをやることによって出てくる課題を今の時期に考えて解決していくと。それしかないんかなと思っておりますので、えらいすいません、ありがとうございました。

○真弓委員 どうも、地域での大変取り組みご苦労さまです。

 私は、この地域に一番最初じっくりと腰を据えて見さしてもうたのは、大学を卒業して、同級生が楊枝中学というところへ流されてきまして、そこへ1週間ばかり夏休みに遊びに行ったと。多分今はもう楊枝中学はないだろうと思うんですけども、楊枝川のほとりにあったんですけども。大変な山奥で、道路もなくて、新宮から熊野川を舟で渡って、楊枝川を素足で渡って中学校へたどり着くという、そういう状況でした。

 それから、こちらの方、私は美術の教師でしたもので、何度も訪問させてもらう中で、ちょうど30年ぐらい前は、中央が考えた開発、例えば熊野オレンジとか、ホテルを作ったり、あるいは30年ぐらい前、ちょうど尾鷲は駅前の再開発をやって、尾鷲銀座とかいう名前でやってましたし、それから、ミカンのパイロットもその時期だったと思うんです。後で考えると、こういう中央で考えたような、どこでもあるようなことをやったけども、結局、全部あかんかったと。結局、熊野は、僕らから考えると、特別な地域だなと。特別な地域を利用してやっていかなあかんかなと。

 先般も、この創造会議の報告会に参加させていただきまして、そこでどなたかが言ってみえた、人情を壊すことなく食べていける地域づくり、皆さんの話っていうのはこれに尽きるのではないかなというふうに考えています。ただし、その食べていける地域づくりっていうのは、それこそ中央かどっかで考えられた開発という考えで食べていけることではなくて、やはりこの地域が食べていくのは林業、漁業、農業という第一次産業で生きていかざるを得ないだろうと。その第一次産業で生きていける地域が日本のどこにあるかというと、どこにもないと。それこそ熊野で、第一次産業で生きていける地域ができるのは、やはりもう一遍、熊野は特別な地域になると。やっぱりそれは、熊野学をやったり、いろんな人もみえますけども、そういうことのうちで一番、熊野で生活ができるということが一番のメリットというか宣伝というか、売り物になってくると思うので。

 芝崎さんも随分苦労してみえてやってもろうてますけども、この間もミカンの青年の方も非常に苦労を言うてみえましたけども、もっとね、例えば一次産業特区に東紀州を設定せよと。もう中国とか海外の農産物は一切うちは要らへんのやと。自分とこで何とかしていくとかいうぐらいの、県や国へですね、制度の上でも、全国的にはめちゃくちゃになっている農業政策をもう一遍見直せと。漁業でも見直せと。一次産業特区にしていくというふうな、そういう考え方を地域で作り上げられないのかというふうに考えています。

 もう一つは、この東紀州の売り込み方、谷上さんは、フランスやアメリカの人もようけ来るというふうに言ってみえましたけども、確かに熊野川は昔、朝ドラで取り上げられたこともあって、結構、海外の人も来てもうてんねけども、そこにも書いてあるように、世界遺産熊野古道というふうに、三重県では一生懸命言っているけども、これが大阪とか東京なんかに行くと、紀州の世界遺産になっちゃって、熊野古道っていうのは出てこないんですね。僕らが思うているほど熊野古道っていうのは認識がされてないのではないかと。今、熊野古道、熊野古道って、県も住民の人たちも一生懸命言うているし、三交もバス一生懸命走らせてますけども、もっともっと、結局は、この熊野古道が世界遺産に認定されたのも、その風土の中で人がどう生きてきたかということが世界遺産になったんだろうと。そういう点で言えばね、観光シーズっていうか、そういうのはこの紀州には雨だけじゃなくて、世界的に有名なものがあると思うんですよね。私ごとであれなんですけども、こんな本ご存じでしょうか。日貿出版社というところから出している水彩画の本があるわけです。本来は、これ熊野路ということで出したんですけど、結局、大和路で、そういうとこが主な作品になって、私も熊野の大丹倉とか何カ所か見せてもらったんですが、実際に三重県のこと余り知らないんです。楯ヶ岬ぐらいは最近有名になってきたけども、大丹倉だって知らないし、他にも絵を描くいい場所、僕ら絵を描くというのは、要するにそれを見た人に感動をおぼえてもらうわけですから、気持ちのいい、景観のいい場所でもあるわけですけども、それが知られてない。それじゃ、もっとこれ宣伝するために、もっと皆さんの方から三重県ももっと汗かくとかですね。例えば、三重県もいろんなコンサルタントみたいな人たちもいるわけですよね、商工の部門なんかでは。そういう人ら、要するに皆さんの地域外の人も使って、この熊野、東紀州を売り出す、そんな考え、先程お伺いさせてもうたら、公社を作ってますよね。ここらの地域外の人も何人かは参加してみえるんですか。地域の中だけではなくて、例えば東京とか大阪とか、そこらへんから東紀州を見た人たちのサポートみたいなのが必要なので、そこらへんの応援は、体制みたいなのはどうなっているのという、この2つを教えていただければと思います。

○谷上氏 すみません。ちょっとだけ時間いただいてですね、私どもへの今のお客さんの反応をまず申し上げますとね、これも一応8,000部ほど、県だったり、国だったり、支援いただいて作って、もうほとんどというぐらいもう全国にもばらまいているんですよ。でもね、これを見ましたっていうお客さん、今一人もいません。こんなもの、本当に氾濫しているんですね。私自身もいろんな企業の雑誌だったり、そんなのも、もう本当に数え切れないぐらい取材を受けましてね、実際、私、そのへん載せてもらってますけれどもね、それを見ましたというようなお客さんもまたいません。ですから90%までがテレビを見ましたっていうお客さんです。それは私自身も3年、熊野川が世界遺産になった当時から熊野川川筋、あのかいわいを含めてもう私1人しか船大工がいないみたいなことで、さらに世界遺産、熊野川には川舟文化というのもありますしね、そんな関係で勝手に変な反応をしてメディアが動いたということもあるんでしょうけれどもね。結果から申し上げまして、ほとんど今僕のとこへ問い合わせがあるのはテレビです。それで、テレビを見まして、ネット検索しましたというお客さんが結構いるんです。あと新聞を見ましたというのが20%ぐらいだろうと思いますね。新聞もね、共同通信なんかは世界発信しているんですけど、この熊野川、私を中心にしてね。

 それと、もう一つはですね、今、お客さんが何を考えているのかなという、どこどこの地域こんなことをやってますよというのはもちろん発信するんですけれども、それをやっているのが誰なんだという。誰がやってるんだということに非常に関心をやっぱり持たれてますね。

 それと、熊野というところは、関西よりか関東の皆さん、愛知県も含めて、東京の皆さん、神奈川の皆さん、そのあたりの人が非常に関心が高いようです。大阪とかあのへんは近過ぎるのかもしれませんけどね、昔からやっぱり熊野にはなじみがあるから、むしろ反応しないのかもしれませんけれども、非常にそっちの方が非常に多いですね。

 それともう一つの傾向としてね、これ、余りよくないんですけれども、僕んとこへのお客さんは、まず三反帆に乗りたいんですという、その一言がまずあれですね。それともう一つ、自分で言うのもおかしいですけれども、谷上さんに会いたいんですというのがね、三反帆に乗るのは別にどうでもいいけども、谷上さんに会いたいんですということで、神奈川だったり東京だったり、個人でわざわざ電車に乗ってきてくれるお客さんもいます。ですからね、世の中本当に、僕らから見ると、変な世の中やなというふうに感じるんですよね。そのあたりをね、いろいろ事業展開していく中で、そういったことのやっぱりニーズの違いというんですかね、そういったことも我々はしっかりと受け止めて、やっぱり反応していかないと。昔のままで、いいもの作ってぱっと売り出したらそれでいいんやという時代ではないなというのが、私の今考えているところなんです。

 でもね、長くなって申し訳ないです。谷上さんに会いたいとか言うんじゃなしに、やっぱり紀宝町へ来たいなとか、熊野に来たいなという、そんなふうにお客さんが感じるように我々がどう仕掛けをしていくかだろうと、最終的には思いますね。

○下川氏 すみません。真弓委員さん、公社について、外部の力も入っておるんかというような質問だったと思うんですけど、ふるさと公社については、熊野市さんと合併して、その前から千枚田のオーナー制度というのがありまして、これ外部の方の応援もいただいておるわけですけども、熊野市さんと合併してから、熊野市人会というのを、関東、関西、東海とあって、そのへんで、先程申し上げたうちの特産物の販売についても、皆さん方の協力をいただいて、相当販路も拡大をさせていただいておりますんで、真弓委員さん言われたように、やっぱり自分たちだけじゃなしに、やっぱりいろんな方々の支援をいただくというのは大変効果があるんだろうと思います。

 また、観光開発公社については、本当に親方日の丸的な発想でずっと来ておったんですけど、僕、町長になったときに、これではちょっと今からの時代、もうこういうことでは生き残っていけんだろうというようなことで、外部の方に来ていただいて、いろんな社員教育とか、また給与体系とか、いろんな点で5年ほどご指導もいただいた結果、大変経営的には以前と比べたらうんとよくはなったんですけれども、今年は、今までかつてない大変厳しい状況になって、僕もそこの理事長というような立場をさせていただいて、大変責任を感じておるところですけども、やっぱり真弓委員さん言われたように、僕も先程申し上げましたけども、やっぱりつい地元だけでいろんな汗をかくんじゃなしに、やっぱりいろんな外部の方の意見も聞いたり、そんなことというのは大変大きな力になるんかなという、今まさしくそういう実感をしておるとこですので、そのへんも今後十分頭に入れながら、この公社経営に携わっていきたいと思っております。

○真弓委員 ありがとうございます。私は津市の選出なんですけども、合併して大きくなったんですけども、私どもの旧津市は商店街が中心で、やはり商店街が疲弊してまして、何とか人を呼べるということで観光にもという、力を注ぎたいということでやってるんですけども、そこでやってるのは、お城を中心に運動してる人、岩田川という中心市街地を流れる川を中心に運動してる人、観音さんというのを大事にしていこうと運動してる人、いろいろ運動してる人はいるんですけども、それぞれがばらばらになってしまって、有効的な、旧津市のまち全体の活性化になかなかつながっていかないと。これは、この間、報告会に行かせてもうてね、東紀州の市や町の皆さんが、行政も一体になりながら、それぞれのシーズというか、観光施設を生かしながら、大きなものにしていくと。それを先程僕が質問させてもらったのは、今、東紀州の市や町の人たちが一体になってやってきたみたいに、それを関西方面、関東方面にももっと広げていく。せっかくよその地域に先駆けて、その大きな、それぞれの地域の、それこそ大丹倉だったら大丹倉、楯ヶ崎だったら楯ヶ崎、熊野川なら熊野川というとこをやってきた人たちが、大同団結して東紀州全体を売り出そうという形になってるわけだから、それをもっと広げる、まず一歩もう踏み出してみえてるわけだから、それをもう一歩踏み出して大きなものにしていけば、それこそオルチア渓谷、この間の講演でもありましたけども、ああいうふうに世界的にもなっていくのではないかなという、それこそ期待を込めまして質問をさせていただきました。どうもありがとうございました。

○竹上委員 下川さんには、昨年ですね、たしか地域活性化委員会で丸山千枚田へお邪魔したときにお相手いただきましてありがとうございました。

 私も実は熊野に3年間住んでおった経験がございまして、昭和の終わりぐらいなんですけど、風伝トンネルが抜けた最後の監督員が私でございまして、それからしばらくして、この前熊野に行ってつくづく思ったのが、やっぱり過疎化は進んでいるなというふうな気がいたしました。今、芝崎さん言われたのが、全く私そのとおりだなと思うのはね、このこういうふうな5地域のすがたとか比較を見ると、例えば1人当たりの所得とか出てきますよね。ところが、これって本当かというと、そうでないんですよね。1人当たりの所得って何かっていうと、この総生産の方から割っちゃうので、北が豊かで南がそれじゃ貧しいのかというと、全然そんなことなくてですね、生活レベルとかはそんなに変わらない。私は松阪ですけども。

 私の住んでいる松阪というのは、実は東西問題なんです。合併をいたしまして、旧の飯南郡飯高町であるとか飯南町というところと今の市地域と、南北問題じゃなくて東西問題という形で、私の一つのテーマは、やっぱりそういった過疎地域を一体どうしていくのかというのが一つのやっぱりテーマなんです。三重県全体で言うても、やっぱり東紀州全体が過疎になっていってるんで、ただ、こんなことを言う方がありました。過疎地域っていうのは、これから日本全体どんどんどんどん人口減少していくんだと。言ってみりゃあ人口減少社会の先進地だわなと。そこの知恵を日本全体に生かせる方法ってあるんじゃないのというふうなことを言われた方がみえた。そういうもんなのかなというふうな気はするんです。

 私、最近、全国で成功している町とか村おこしとか、そういうのがあると、極力その現場へ見に行くようにしております。そこで、気がつくことは、皆さんやっぱり強みを生かすということやと思うんですよね。例えば過疎のところへ一生懸命産業、工場を誘致してくるなんて努力したって、そんなに実を結ばないでしょう。それは当たり前の話である。そんな努力をするよりも、自分とこにある強みをいかに生かすか。人はどうして私たちの地域に、何を求めて来るのか。そこからの発想を皆さんされる。そこにまた必ず1人、天才がいますね、その地域に。人望があって、またそれだけの情熱があって。そういう、そこがマッチすれば必ずまちづくりであるとか、村おこしは成功していくんではないかなというふうな、私そういう思いがあるんですよ。

 特にこの、今日も皆さん方がね、我々今南北格差なんですけども、やはり話がどうしても地域活性化の話に行くんですね。それはやっぱり、しかも東紀州ってひとまとめにしたって、これ地域いろいろですよ、やっぱり。紀北の部分と、じゃあ前の旧鵜殿村で一緒なのと言えば、これは全然違う話で、旧の紀和町と熊野市比べたって、これも全然違う話でして、十把一からげの議論なんて全く私はむだやと思うんです。その住んでる地域、例えば尾呂志の話されてましたけども、そこのまちで、ここでいかに我々の、自分たちの生活をよくしようよと、自分らの地域住みよいまちにしよう、活性化していこうという、そういう努力がいろいろ成功することがですね、結局は地域の活性化ということに多分なるんだろうなと。

 そこで、ちょっとお聞かせ願いたいのが、今日は各町の代表で皆さん方おみえになってますんでね、方向的に、例えば紀北だったらこういった方向が多分あるんだろうなとか、今、紀宝町の谷上さん、私、竹上ですけども、一文字違うだけなんですね、随分親近感あるんですがね。そういったその、こういったところでやっていくんであるとか、そんな、もし方向があるならば、なかなかないかもわかりません、これは。もう地域の中でももっと細かい地域おこしなんていっぱいありますから。ただ、どういう方向でやっていこうと、そんなものがもしあるならば、ちょっとお答えをいただければと思います。

○塩谷氏 方向性と、まるっきり自分のことだけを言いますと、私のとこは昔の海山町というところでございまして、平成16年に災害が出たことがございます。河川の方はしゅんせつとかしていただいているんですけども、それよりも何で水が出たかと。もちろん山が深いから水が出たんですけども、一説には、山が荒れとるから水が出たという説もあるんですわ。ですもんで、ちょっと今、たまたま、立木の値段というか、木の値段が下がってて採算が合わないんですけども、採算が合う合わないじゃなしに、地元を守る意味で、林業の整備というか、森林の整備っていうのを息を長くお願いしたいと、こういうふうに考えています。

 以上です。

○竹上委員 ありがとうございました。

 それと、さっき池田さん、尾鷲市民病院のことを言われてたけど、尾鷲市民病院って、私、全国のモデルになるような病院だなと思ってましてですね。食事療法ですよね、あれがもう全国トップレベル、たしか藤田衛生学院の先生がされて、もう全国から視察に来るぐらいですね、何というか、先進病院やと思っとるんですよ。ああいうものが一つ、それ一つとっても、地域で、例えば食事療法を地域に広げましょうよ、これも一つの大きなまちづくりような気がするんです。それによって病気にかからない。一つ一つはばらばらなことをしているようで、実は地域は一つにつながっていくというのが、これからの我々がやっていかなあかん方向ではないかなというふうな、私はそんな気がしとるんです。

 一つ、私、実は思うとんのはね、前々から思うとったんですけど、熊野って何かなとずっと考えますとね、私やっぱり熊野もうでだなというふうな気がするんですよ。お伊勢参りがあって、熊野もうで。熊野もうでって何かっていえば、やっぱり極楽浄土なんですよね。よみの国思想やと思とるんですけど。こんなことを言われた方がみえて、例えば楯ヶ崎の方、岬の手前に霊園作ったらどうやと。千の風になってっていう歌があるだろうと、まさしくあれだわなと。そこに霊園を作って、そこにお墓を入れて、そしたら必ず1年に1回、2年に1回は家族総出でやってきてくれるよと。そんなことも一つの観光なんじゃないかと。それは、もともと熊野思想っていうものとマッチしてるんじゃないのというふうなことを伺って、なるほどなと思ったりもするんですよ。こんなことはできるかどうかはわかりませんけれども、ぜひとも一考いただければと思います。終わります。

○池田氏 今のことについてでしょうか。霊園のことについてですか、そうじゃなくてですか。

 今、尾鷲市として目指しているところはですね、観光元年といって、市長が目指しています。私個人としては、私は尾鷲ヒノキを薄くスライスしたものをいろんなクラフトにして、ひのきアートとか考案して、全国に発信しているんですが、この熊野古道センターでも毎週、尾鷲ヒノキを使ったはし作りとか、いろんなクラフトをやっているんですけど、その中で、ナイフの使い方だとか歴史、文化、自然環境のことなどをみんなに考えてもらうきっかけづくりを提供しております。その中で、一番思っているのは、ここでしかできないこと、ここだからできることと思って、いつも体験メニューを考えています。私としてはそういうふうに、私はこれからこうやっていきたいというのは、そういうふうな思いで毎日毎日、日々やっているんですけど、それはやっぱり地域の人たちと一緒に協力してもらいながらやっていこうというのがあって、みんなを抱え込んでやっていきたいなって、いつも思っています。

 今まで言われた中で、熊野古道っていうのが全然なくて、平成11年にやっとできて、それまで全然なかったんですよね。ただの山道だったのが、やっと10年ぐらいたってきて、これから先、やっと10年たった今、追肥が必要な時期。それまで人づくりや何やといって、種をまいてもらったんですね、県の事業の中で。これからは追肥が必要な時期になってきていると思うので、大きな意味で追肥を県がやっていただければいいなと。それはお金とかそういうんじゃなくて、私は体験フェスタのときは、結構今活動している方たちは、考え方とか思いとか、人づくりをしてくれたわけですね、11カ月かかって。だから、そういうような、やっぱりまた追肥もそういった人づくりのための追肥であってほしいなって思っています。

○津村委員 何か大変申し訳ない。怒らんと聞いてくださいね。大変申し訳ない言い方をさせてもらうかもしれないんですけど、僕、1回目のこの特別委員会のときも言わせていただいたんですけど、南北格差を考える上で、いろんな格差問題であったり、いろんなまちづくりを考える中で、この委員会として最終的に、やはり地域は地域のあるものを生かしてまちづくりしなければいけないですよねっていうふうな方向でまとまってしまうんであれば、そんなもん最初からわかっとることやもんで、そういうことを目指すんじゃなくて、やはりこの南北格差っていう、格差っていうのをどうとらえて、どう解決していくかという中で、格差っていうのは僕は、隣の家と自分の家ですらあると思うんですね。だから、格差なんてどこでもある中で、やはりこの地域として、どこでもある格差の中で格差があってはならないもの。さっきの話の中ではやはり医療であったり、私は、今回出なかったですけど教育の格差も確実にこの地域にはあります。例えば学校の先生がこの地域を希望しない、そういう中で、やはり教師の高齢化であったり、若返りができないという問題も必ずありますので、そんな中でやはりこの委員会としても、こうやって地域の方の意見を聞くことも本当に大事ですし、ここまで足を運んでいただいたことは非常にうれしいんですけど、じゃあ、この意見を受けて、この委員会として、格差の中でも、いろんな格差がある中でも、どの格差を対策調査していくかということをですね、これから選んでいって、やはりピンポイントで、少しでも具体的に格差を是正していけるような取り組みを今後していかなければいけないんではないかなというふうに、今ずっと聞かせていただいていたんですね。

 もう確かにね、こうやって足を運んでいただいて、住民の方の意見を聞いていただくことは、本当に大切なことですし、大切なことなんですけど、やはり特別委員会としてこの地域まで足を運んでいただいたので、さらに一歩進んで具体的にやはり目標を持って、ピンポイントで一つ一つ対策を練っていくべきではないのかなというふうに、私ちょっと考えてまして、その中で、私はやはりこの地域にとって、まず医療の充実なのではないかなというふうに思っています。

 医療といいますと、常任委員会もありますので、そことはかぶらないような医療対策の中、地域医療の中でも例えば医師確保ということに対してピンポイントでこの特別委員会として取り組んでいくとかですね、そういうふうな形で今後議論をしていくことが、やはり南北格差の是正につながるのではないのかなというふうに、私自身、感想も含めてなんですけど、そういうふうに感じております。

 以上です。

○水谷委員長 はい、どうもありがとうございました。

 後でもちろん委員協議もしますのでね、その中でもまたいろいろと協議をしたいなというふうに思っております。

 ほかになければよろしいですかね。

 これで本日の調査を終わらせていただきたいなと思います。本当にご出席いただきました5名の皆様には、ご多忙中にもかかわりませずこの特別委員会の調査にご協力をいただきまして、本当にありがとうございました。大変貴重なお時間、長時間にわたり、皆さんには本当に貴重なご意見を賜りまして、ありがとうございます。我々委員会としても、いただいたご意見、あるいはご要望等につきましては、我々この特別委員会の今後の活動に十分生かした中で、何らかの形として活動、実現をできればなと、このように思っていますので、どうぞこれからもひとつよろしくお願いをいたしたいなというふうに思います。

 それでは、委員以外の方は退出をお願いいたします。本当にありがとうございました。

II 委員協議

  1.次回の予定について           第3回定例会中に開催予定

  2.その他

   (1)県内調査について            正副委員長に一任

   (2)県外調査について            正副委員長に一任(11/19・20)

 〔閉会の宣言〕

以上、会議の要綱を記し、ここに押印する。

平成19年 8月30日         

南北格差対策調査特別委員長   水 谷   隆

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