このページではjavascriptを使用しています。JavaScriptが無効なため一部の機能が動作しません。
動作させるためにはJavaScriptを有効にしてください。またはブラウザの機能をご利用ください。

スマートフォンサイトへ移動

三重県議会 > 県議会の活動 > 委員会 > 委員会会議録 > 平成17年度 委員会会議録 > 平成17年7月20日 東紀州地域経営調査特別委員会 会議録

平成17年7月20日 東紀州地域経営調査特別委員会 会議録

東紀州地域経営調査特別委員会

会議録

(開 会 中)

開催年月日   平成17年7月20日 自  午後 1時 30分 ~ 至 午後 2時58分

会議室     県尾鷲庁舎大会議室

出席委員    10名

委員長 森本 繁史 君
副委員長 森本 哲生 君
委員 青木 謙順 君
委員 田中 博 君
委員 桜井 義之 君
委員 山本 勝 君
委員 島本 暢夫 君
委員 橋川 犂也 君
委員 中川 正美 君
委員 藤田 正美 君

欠席委員    1名

委員 萩野 虔一 君

参考人     5名

紀伊長島町商工会 

西村 幸彦 経営指導員

みえのみち女性会議

浜中 佳芳子 代表

思いやり支援センターくまの

更谷 令治 理事長

金山パイロットファーム

大西  誠 代表理事

野地木材工業

野地 洋正 社長

議題および協議事項

I 調査

1.東紀州地域住民との意見交換

(1)紀伊長島町商工会 西村幸彦経営指導員

    異業種交流からの各種地域おこし事業について

(2)みえのみち女性会議  浜中佳芳子代表

   生活者の視点からきみちづくりと地域活性化について

(3)思いやり支援センターくまの  更谷令治理事長

   地域の高齢化の現状と対応策

(4)金山パイロットファーム  大西誠代表理事

   地域の柑橘類の今後の展望について

(5)野地木材工業  野地洋正社長

   地域の木材産業の展望について

 質疑応答

2.その他の事項について

II 委員協議

1.今後の予定について

【会議の経過とその結果】

〔開会の宣言〕

○森本委員長 お待たせいたしました。

 ただいまから東紀州地域経営調査特別委員会を開会いたします。

 本日は、東紀州地域での委員会開催ということで、事項書にありますとおり、東紀州地域から住民の方5名にお集まりいただき、地域活性化の方策等についてご意見をちょうだいし、後ほど各委員のご意見を伺いたいと存じますので、よろしくお願いいたします。

 本日の委員会の進め方についてでありますが、まず住民の方5名に続けてご意見をちょうだいし、その後、質疑をお願いしたいと存じますので、ご了承願います。

 なお、本日、野地社長はおくれて到着されますので、ご了承願います。

 本日は、5名の皆さんには、大変、地域を代表するということで、お忙しい中、おいでいただきまして、まず感謝申し上げたいと思います。今、県議会の方も開かれた議会ということで、どんどん地域の方へ出ていって皆さんのご意見をじかに伺い、それを県議会あるいは県政の中に反映させていけという、田中議長の非常に強い要望もありまして、この東紀州地域で、早速委員会を開催させていただくことになったところでございます。そういうことも含めて、より実りのある質疑を期待しておりますので、どうぞ皆さん、徹底的にご意見なり助言なりをお願い申し上げたいと思います。

 それでは、調査に入ります。

 まず、紀伊長島町の西村幸彦経営指導員にお話をいただきたいと思いますが、西村さんは、非常にこの地域だけではなくて、先般も全国からたくさんのお客様がおいでになりましたけれども、商工会の中では、全国をまたにかけて活動されている方でございます。この点、異業種交流ということで、非常に実績を上げてこられました。島本さんに言わせると、紀伊の親分だそうででございますので、どうぞそういうことも含めて、ぜひ詳しいご意見をちょうだいしたいと思います。よろしくお願いいたします。

○西村幸彦経営指導員 紀伊長島の西村です。よろしくお願いいたします。

 私、商工会の立場から、いろいろやらざるを得なくなったという、ここに書いてございますが、昭和56年の商工会法改正ということで、社会一般の福祉の増進に資するというふうに、これまでは、国の予算が出た経営改善普及事業をやりなさいということだったんですけれども、これが社会一般の福祉というような切り口で地域振興をふまえという時期やったんですね。当時、村おこし事業という、村おこしとか地域おこしとかというような言葉がはやりました。そういうのが切り口で、民宿の経営をどうするかというようなテーマで、昭和57年に民宿指導をさせていただいたのがきっかけでございます。

 民宿といえば、宿泊業、ホテル、旅館、民宿、この地区には当時、孫太郎というのがありまして、ホテル、民宿しかないんですね。民宿の方々というのは、ホテルをつくるのに大反対するわけです。何でホテルか。客層が違うのに、民宿として、ホテルへ泊まるのは、大体食事の原価から考えたら32%ぐらいですね。ところが、民宿の食事の原価というのは40%弱なんです。ですから、食事の仕組みについては負けじゃないんですね。そういった切り口で、それぞれの、約6軒ぐらいありましたけれども、民宿が、切り口を設けると、ビールでも、このペットボトルでも、上のキャップを外して飲むというのが定番ですよね。ところが、ビアガーデンと、これを逆さまにしてちょん切ったのがジョッキですね、こういったことで、同じ民宿をしていても、同じ宿泊業ではないよという切り口で、まずはホテルとは違うということを訴えました。

 それと、同じ旅行者の認識ですね、これもまた違うわけです。例えば、食事をメインにする方がおれば、部屋のきれいさをメインにする方もおれば、食事なしをメインにする方。ですから、全然同じようでも、切り口によって違うということなんですね。

 そういうことで、昭和57年に民宿の改革を始めまして、特に料理、その料理に附属する器、それからお客さんに来ていただいたときの環境ですね、ゴミ、こういったことを訴えて、例えば昭和60年代に入ると、ギョルメクラブという任意団体が設立されるんですけれども、例えば民宿美鈴というのは、割烹の宿美鈴というふうにして名前が変わるんですね。それと、民宿美乃島というのは、うまし宿漁亭美乃島、民宿桃太郎というのが、酒蔵と地魚の宿桃太郎。名前が変わるということです。名前が変わるということは、その宿の質が変わるという自信ができるわけですね。民宿のことで、料理も当然わかってなかったけれども、こういうふうに名前を変えると、ちょっと料理もこだわって、普通の民宿と違うような発想をしようじゃないかと出てくるわけですよね。そういった形で、名刺も変えました。

 それと、例えば建物が古いと、中に酒蔵と浜小屋のつくりを見て、そこで料理を食べるようにしたわけです。酒蔵と地魚の宿桃太郎ですね。それと、うまし宿、漁亭美乃島においては、マンボウ料理をしました。マンボウは、この辺、非常にとれるんですけれども、マンボウは身の一部しか食べないですよね。酢みそにして食べる程度の料理の仕方しかわからないわけですね。そういった形で、これは、マンボウの食べ方を勉強せなあかんなということで、有名な梁山泊の料理、それなども読んだりして、そのときにいただいたのが、起業化事業ということで、国、県に1,000万円いただきました。こういう商工会以外の事業で補助金をどんどん取っています。こういった形で小規模起業者の人に充てるわけですね。それの査定をまずしたわけです。

 そういうことで、例えばコワタも食べられる、マンボウの背のゼラチン質ですね、あのコラーゲンたっぷりのところも刺身にすると非常においしいということがわかりました。ですから、切り口を変えて、そういうふうに考えると、どんどんとアイデアもわいてきて、今度はマスコミが飛びついてきます。

 まず一つは、62年から今までの間に、とにかくパブリシティで5億円ぐらいのものを持ってくる。ですので、これは特にJTBの旅の雑誌、20万部ほど出ていたんですけれども、この雑誌に載ればほとんどの雑誌は飛びつくんですね。それと、テレビ局も飛びつきます、1時間番組で。こういったことで、おおむね3点のもの、雑誌とかテレビ、あと、個人の顔ですよね。個人にどういうふうに自信をつけさせてその人たちが対応するかという実力だけですね。そういうお導きをさせていだたいたという経緯があります。

 それで、この商工会発地域振興及び指導・支援事業状況ということが、昭和62年からの運びでございます。

 それと、主な地域振興とか産業振興とか企業振興とかという中身が、おおむね絞られるんではないかというふうに、それが、異業種交流とかまんぼうカード、これは今やっています、これの支援センターに補助金を出しまして、今年、熊野古道カードと名称を変更します。さきに和歌山・奈良に負けずに早く熊野古道参加というか、検討をいただこうというふうに思っております。

 それで、三重きいながしま港市、これにおいても、県民局さんに非常にお世話になりまして、4年間で2,200万円、県・町半分ずつですけれども、補助金をいただいたという経緯。

 それと、外国人研修生共同受入事業、これも、やはり魚の町ですので、加工する方はなかなか人が来ないわけですね。3Kで人が来ない、だから、魚つくる人がいないということなんですね。こういう形で、外国人研修生を受け入れたということです。

 それと、あと、合同祭りとか、老人ホームにもなんですけれども、新しくはJAPANブランドの育成支援事業。これは、中小企業事業団、JAPANブランド、中小企業庁で補助金をつけていただいて、全国連が受けて、全国で25カ所ですか、採択をするという事業で、金額は商工会がいただきました。全国で17カ所のうちに1カ所いただいたという、2005年です。

 この流れとして、今回のテーマは異業種交流からということですもんので、やはり当時、私、いろいろ指導等をしていた都合で、同業種の場合は情報を出さないですね、表に。いわゆる業を成功さすためには、やはり情報収集だと。ですから、同業種ではなかなかまともな話ができないなというふうな感覚に陥りました。それで、異業種だったらどうかということで、業種が違ったらどんどん情報を出すわけですね。こういったことで、じゃあ異業種交流を、当時三重県も行っていますから、我々も参加しましたけれども。ところが、地域が広過ぎて、人の集まりが悪いというようなことを思いました。ですので、これの地域版をじゃあつくろうじゃないかということが始まりなんですけれども。それで、16業種を集めまして、みそ屋さんもいれば漁師さんもいれば製材屋さんもいればというふうなことで、その中で業種転換を図った方がいます。

 漁師の方は年収200万。200万では、息子さんを高校にも出せないということで、じゃあ同じ漁師するんやったら磯を変えるということですね。浜で、磯でひじきを取る。取ったのを、原則的に、漁連へ出すというのがあるんですけれども、それを、三重漁連へ出すのは出すのでいいけれども、自分とこで加工してそれを製品化する。これが業種転換ですね。

 それとか、まな板屋さん、製材所がまな板屋になりました。随分当時は、山を刈って黒字を出す人が多いと聞きますけれども、まな板みたいなものと言われたわけですよ。ところが、このまな板がたくさん売れるんですね。自分のところのオリジナルでつくったまな板なんです。それと、このまな板の原価というのは、ヒノキがもと木ですので、大体、1回3,000円ぐらいなんですね。これをスライスして、これを製品化するわけです。製材が多くなっていったときに、機械を買えば三、四千万かかるんですね。製材業をやめてしまえば、三、四千万ポイするか、そのまま下げさすか、安くかかってくるということになりますね。ですので、転業さすことによってそういった償却があるかないかわかりませんけれども、そういったものをフル活用できるということで業種転換に成功したというふうな事例があります。

 こういったことで、そこから異業種交流が始まって、百貨店の情報とか、みんなで年間10回程度百貨店に行って、自分とこの製品を売るという仕組みをわかっていただくわけです。いわゆる仕組みがわかれば自分と、あとは切り口をどう設けるかの話だと思うんですね。そういう形で成功したように思います。

 それで、当初はこれ昭和62年、任意団体の設立ということでありますけれども、これに入るまでに燈籠祭というのがありました。燈籠祭は、花火とか燈籠いっぱつ上げてしまえば、それで、経済効果はどうだったかということが非常な私のジレンマになったということで、じゃあこういう経済団体をつくってしようじゃないかということが一つの原因。

 その流れで、この平成4年の起業化とありますね。これは、起こす業の化けるということで、国・県でもって1,000万円いただいて、この真ん中のところですね、地域資源等活用型起業化事業1,132万4,000円、これのうちの1,000万いただいたということで、これはソフト事業を行いました。

 このときの県の対応というのが、非常に私はうれしく思いました。もともとハード事業で、成果物がなければ出せないという話だったんですね。ところが、いろいろ規則的に見ると、ハード事業でなくてソフト事業もいけると。ソフトと成果物を出せという形で当時の担当者の方に非常に骨を折っていただいてこういう事業をしました。ギョルメクラブが成功したのは、この事業を取れたからだと思っています。そういう資質を上げたという意味なんですね。ですので、これが次、平成8年に、今度は企業づくりになってきます。

 事業協同組合、法人化をしました。その法人化したのが今では2億3,000万になっております。それと、事業協同組合ですので、地域内事業という縛りはないです。ところが、地域の外に出ようと思ったら、株式会社か有限会社でなければならないんですね。ですので、株式会社を一つつくりまして、1人50万ずつ出していただいて、当時29名。社長が100万円ということで、1,500万円で株式会社として設立して、自費負担の地域外事業を行いました。今では1億6,000万売り上げがあります。それで、できませんもんで、2年前に、有限会社Gジャパンという会社をつくりました。これは企画会社でございます。そういった流れで企業づくりを手がけました。

 それで、この流れが、今現在、同業者組合である海産商業協同組合さんというのがあります。その中で、3件の方が外国人研修をしたいという話があって、すぐに取りかかって、商工会の定款も変えて行いました。これが外国人研修のはしりなんですけれども、いわゆる中国の方を研修させて、それを加工して製品をつくるわけですね。紀伊長島は、魚、いわゆる生、干物とか、いわゆるこういうのをやっているうちにその効果がどんどん出てきました。ですので、このJAPANブランドのプロジェクトを組んだときに、この異業種団体グループとその株式会社と、その3件の外国人研修をしていた業者の方に入っていただいてJAPANブランドに至るということです。

 事業においては、JAPANブランドのフォローアップ、昨年上海へ行きました。今年は香港に行きます。あわせて、国内のそういう需要もいだたくということで、セールストークになろうかと思うんですけれども、国会議事堂に紀伊長島の魚が入っています。ですので、これはやはり強いストックになるのではないか。また、海外へこのJAPANブランドの干物を売りに行くという行為が、なかなか中国ですので、商談にはなかなか至りませんけれども、こういった行為がセールストークになるのではないかなというふうに楽しみにしております。

 時間がございませんもので、端的に異業種交流からの地域の振興ということで報告させていただきました。ありがとうございました。

○森本委員長 ありがとうございました。また後刻、質問の時間を取ってありますので、その項でまたいろいろ教えていただきたいと思います。

 続いて、みえのみち女性会議の浜中佳芳子代表にお願いするわけですけれども、浜中さんは、ずっとこの地域の高速道路等を中心にいろいろご活躍いただいておるところでございます。 仄聞 ( そくぶん ) したところでございますけれども、石原大臣が国土交通大臣、それまで行革の大臣をしておって、高速道路はつくらないという方向で進めて、そういうふうな意識を持ちながら、国土交通省へ大臣として赴任したときに、一番、赴任当日に浜中さんにお会いして、浜中さんのご意見を聞いて、日本にもこういうところがあるから、やっぱり高速道路はつくらなきゃいかんという意識を改めて持ったと言われているところでございますし、国土交通省の谷口道路局長とも、振興にかかわって、先般も尾鷲の方へ、めったに道路局長が来るということはないんですけれども、ここで、この場でご公約いただくというようなことの中で、全般に、本当に命の道としての高速道路、そういうものについてご意見を発表していただきます。

 浜中さん、どうぞよろしくお願いいたします。

○浜中佳芳子代表 座ったままで失礼いたします。ただいま紹介いただきました浜中です。いつも、発表させてもらうときには、ほとんど原稿というものを持たずに、思うまましゃべらせてもらっておりますけども、せっかくこのような機会をいただきまして、話し漏れがあったらもったいないなと思いますので、今日は原稿を用意させていただきました。聞き苦しいかもしれませんけれども、しばらくおつき合いいただきますようにお願いいたします。

 私が、女性会議につきまして、手元の地図の裏に最近の活動の紹介がつづられております。それと、昨年11月30日の県議会定例会におきまして、末松則子議員が、男女共同参画についての質問の中で、とても明確にご説明いただいておりましたので、ここでは簡単にさせていただきたいと思います。

 私たちの活動も、今年で4年目を迎えました。初めは、道づくりの何たるかもわからないまま、ただ、自分たちの日常生活の上で、いかに身の回りにある道路が不便なものであるか、それを訴えることから始まりました。

 私たちのグループは、桑名市から熊野まで、各地から集まった11人の女性たちで構成されております。それぞれ、道についての考えを持ち、既に道路に関するボランティアグループを持った方もいらっしゃいます。しかし、公共事業や道づくりに関しては、ほとんどが全くの素人であり、それこそ自分の回りにある道のどれが国道でどれが県道か、道の成り立ちなど全然知らないところから始まりました。

 そのころの世の中の関心事は、道路公団の民営化、公共事業が悪の親玉のように語られ始めたころでした。先ほど、委員長の方からもご紹介いただきました、石原さんが行革大臣で、もう要らないでしょうと言われたころだったんです。漠然と道づくりは無駄だということが報道され、聞こえてきたように記憶しております。待っていれば、順番で当然できると思っていた高速道路が、採算がとれない道路はつくらないということで、ここら辺の道は見直しの一番目だとも言われました。

 この活動に参加する前は、道路は行政や政治家が決めること、私たち一般住民は、でき上がったものを使うだけだと思っておりました。でも、この民営化の話を聞いたとき、一番最初に思ったのは、東京の街中で、机の上に広げた地図を相手に何がわかるんでしょうか。夜中に大雨の中、山道を走ったことのない人に、ここの不安はわからないでしょうということでした。そう考えてみますと、道づくりこそ、それぞれの地域でいつも利用している生活者の声が必要なのではないかと思ったのです。

 今県が提唱しております新しい時代の公、この取り組みを見たときに、私たちがやろうとしていることがここにあったなという気がしました。今まで、道路事業に関して住民から声を出せるのは、こんなに困っていますという訴えがせいぜいで、こうなればいいのにということさえも積み上げ程度でしかありませんでした。あとは、でき上がってきたものに文句を言うだけ。これでは、行政も取り上げてくれるところまでいかなかったのは当然かもしれません。

 そこで、私たちが取り組み始めたことの中に、道づくりをしようということでした。世論の、無駄が多いから道をつくらなくてもいいということに対して、何が無駄と言われるのか、本当に住民に必要とされる道はどんな道なのかを、つくる側だけでない、使う側にもしっかり理解してもらうために、自分たちがまずお勉強しましょうということでした。

 理解が進んでいくうちに、一般の住民とお役所との間にある不思議なギャップを感じることが多くあることに気がつきました。つい先日ですけども、出かけた地方都市圏の意見交換会の話の中で、ある桜の名所に新しい橋が建設されて、仕上げに色をつけるのに、担当の人たちが考えたと。桜の名所であるから、桜色のものはどうだろうか。それに従って桜色の橋ができ上がったそうなんですけども、塗り上げたところ、何とも奇妙なピンクの橋ができ上がったとのことでした。役所はよかれと思ってやったのでしょうけども、それを使う住民にしてみれば、とても一方的な思いがあって、住民の意見は何も反映されずに、使う側の住民は、とてもおかしいような恥ずかしいような気がしたということです。ところが、これを塗り直すにもまた予算が要ります。かといって、お金がかかるからといってそのままにしておくのもどうなのかしらという話が出ております。まだこれは解決に至っていないということです。

 また、とても主婦の感覚で単純に考えたことなんですけれども、例えばお家の中で、押し入れの中に入っているものを洗濯する年もある。全部一度に出しますね。そうすると、当然のように、空になった押し入れは、この際だからきれいに掃除されると思います。そのときに、押し入れの奧にある壁が外れていたり穴が空いていたりしたら、今、この空になったついでに補修をしてしまおえと思うことが、普通に家事の中で行われる動作かと思うんです。今回は、洗濯が目的だから、掃除は後回しでいいとか、補修は次の機会にしましょうよということは、まずしません。そういうことをすれば、かえって面倒であったり、次に洗濯物をしまい込んでしまえば、その穴のあったことさえも忘れてしまうこともあると思います。

 けど、道路工事は、当たり前のようにこのようなことが行われていないでしょうか。道路を掘り返してガス工事をします。それでまた舗装して、1年もたたないうちに次は水道工事、次は電気、何度と掘り返しが繰り返されるのを目の前で見られた方も多いかと思います。それを正すために、何でこういうふうに何度もやるんでしょうかということを質問しますと、それぞれの管轄が違うからと、それが当たり前であるかのようにお役所の方から返事をいただくことがあります。これを多分当然とされてきたのは、それぞれ管轄が違うという縦割り行政の弊害ではないのかなと思っております。

 ここに、この資料の中に一つ、一番最後の新聞記事にあるものを用意いたしました。これは、業界新聞であります旬刊高速道路という新聞に、地方の市長さんとか町長さんからの提言の中に、うちの尾鷲市長の意見が載ったときのものなんですけれども、今三重県では、大型災害に対する防災対策が推進されまして、この地域に住む住民にとっても、とても心強く、非常に感謝しているところであります。今、建設が進んでいる熊野尾鷲道路は、災害に強い高規格道路であることから、尾鷲市、熊野市の周辺地区に住む人々のいい道路ではないかと思っております。

 この資料の中で尾鷲市長が提唱されている、それぞれのインターチェンジの空き地に防災施設を、このくだりを見ていい方法だと感じました。

 自然災害だけではなく、とても長いトンネルが続く道路であります熊野尾鷲道路で、ここでひとたび交通事故が起きれば、当然救援に向かう人も、それぞれのインターチェンジが拠点になると思われます。ぜひ実現してほしい施設であるのですが、ここでふと思ったことがありました。

 道路工事はどんどん進んでおりまして、三木里インターは19年度に完成予定と聞いております。もうアクセス道路は完成に近いのではないかと思っています。防災設備が具体的に計画が持ち上がってからでは、水道管一つとっても、アスファルトを張ってしまってからでは余分な掘り返しが発生することにならないでしょうか。関係すると思われる部署に幾つか質問してみたところ、首をひねってしまう答えが返ってきました。ほとんどのアクセス道路は県道であるそうです。熊野尾鷲道路には、尾鷲北、尾鷲南、それから三木里、賀田、新鹿とあると思うんですけれども、そのほとんどが県にかかわる道路であるそうなんですが、そこに防災設備をというふうに言いますと、それを計画するのは各市町村自治体であるということを言われました。そこに、そしてその設備をもしつくろうとするとき、そこに対する水道管でありますとか、情報を集めるための光ファイバーですとか、そういうものを附帯する設備も各自治体が計画するのだというふうに聞きました。

 ここまでで、もう私たち素人には、ああ、そうなんだという納得のできる、理解のできる旨がなかったんですけれども、例えば上下水道は公共施設だと思います。ガス、電気、情報収集の光ファイバー、電話線なんかは、企業が使う民間の設備となりますと、防災施設一つつくるのに、何度も道路が掘り返される可能性が出てくるのではないかと思うんです。せめて、公共の設備である上下水道ぐらいは、新しい道路ができるときには計画されて、特に高規格道路に関しては、時期がかなり迫っているわけですけれども、このアクセス道路に着工される前に設置することを考えられないかと思います。

 防災に関しては関係自治体の要請に応じて地域ごとに変動があるとすれば、熊野尾鷲道路のように、例えばこれが尾鷲市熊野市と2市にまたがります。それぞれに関係する自治体の長が違えば、それぞれに引くアクセス道路の管理も違ってくるというふうになります、防災に関して。それぞれの市町村ごとに違ってくるとすれば、県行政が目指します県民福祉の普遍性が損なわれるおそれもあるのではないかという気がします。自治体それぞれの地域性の違いもあることから、地域に見合った計画が実行されることは理解の及ぶところではあるんですけれども、財政状況も厳しく、格差もあると思います。せめて、一つの県の中では、隣町の防災計画なら助かったのになどという悲劇が生まれないような、そういう防災は県全体のことと考えて、地域住民を交えた防災懇談会などがどの地域においても必ず開かれるよう県議会からも働きかけていただきたいと思っております。

 今、公共事業におきまして、土木公共物のライフサイクルのトータルコストが重要視されています。耐久性があって、しかも過剰でもなく、将来にも対応できる土木公共物に対する目を、役人政治家だけでなく、一般住民までが養う必要があると思っています。

 この中のもう一つの新聞記事の資料をごらんください。私たちが参加する活動の一つに、全国みちづくり女性団体への参加があります。年1回の全国フォーラムの開催を中心に、インターネットを中心とした情報公開を行っています。ここに参加する団体は、前回のフォーラムで約40団体、現在も交流を進めています。この中には、高速道路の開通率が96%に及ぶ新潟県から、私たちのように、まだ見ぬ高速道路を求める道路事業後進県までさまざまな立場で、道づくり、まちづくりを抱える団体が交じり合っています。

 初めてのフォーラムは、それこそ道を求める不幸自慢のオンパレードでした。私も、第1回のパネリストとして参加して、いかに紀伊半島が取り残され、命さえも保障されない悲しい地域であるかということを訴えて、全国の同情を一身に集めてまいりました。その後、中央での議論が進む中、新直轄方式での事業の推進が決定されて、命の道がつながることを約束いただきました。しかし、道は、それをつくることが最終目的ではないとの思いから、これに続くまちづくりを考えることが必要であると考えております。

 この今回の取り組みの中で、道路特定財源に関する間違った報道が出てきたことがありました。本来、道路を整備するために納めている目的税をそれ以外に使いたい。なぜなら、道路事業はほとんど終わってきたのではないか。だから、余ってくるのではないかという報道がされました。とんでもない話で、その特定財源を頼りに道路建設を待ち望む地域こそ全国にあり余っている状況が現実です。

 そこで、全国にいる道路整備を待ち望む地域の女性たちがそれぞれの地域で勉強会を始めました。みえのみち女性会議でも、中部地整の道路部長や三重県の県土整備部の方々を講師にお願いして、自分たちの納めている税金がどのように配分されて、どのように使われているかを勉強しました。

 新しい道路建設だけでなく、現在使われている道路の管理、維持にもかかわる財源であること、国の責任だけでなく、地方も力を持って来なければ道路整備が進められないことなど、さまざまな情報を得ることができました。それを踏まえた上で、私たちが待ち望む道路事業になくてはならない特定財源を確保することを、中央に向けて全国各地から訴えていこうという動きになっています。

 先日、県議会からの特定財源に関する意見書が出されことを聞き、とても心強く感じました。今年1月に行われた第2回フォーラムでは、各方面から女性団体の進化も評価していただきました。初めは、欲しい、欲しい、一辺倒の陳情型から、そのためには何が必要であるか、どうすれば無駄がなくなるかを考える団体への成長が見られたということでした。

 初めて霞が関、永田町へ出向いたころは、女性が道を語り出したことの物珍しさも手伝って、のぼりの先の飾りのような扱いでしたけれども、今、女性の団体が全国に広がって珍しさがなくなってきた今、わあわあどなるだけでは聞いていただけなくなってきています。いかに中身のある回答を展開できるかが重要になってきています。その中にあって、生活に密着した視点を持ち、無駄を省きながら、必要とするものを求めるための提言を続けていくことが大切だと思っています。

 そのフォーラムは、今年11月5日に第3回が開催されます。ぜひ、進化した女性たちの声を聞き、参加していただきたいと思っております。

 道路を使って買い物に、通学、通勤、通院、道の先にはさまざまな目的が待っております。これからの道路づくりは、構造物に対する知識だけでは成り立たず、その道に対する豊富な理解が必要と考えます。あと、8年後には、伊勢神宮の遷宮があります。これは、ただの宮移しではなく、三重県民の意識の中にある精神的な儀式と考えております。ともに、当地の熊野古道を絡めて、伊勢参りから熊野詣でに至る先祖の心をたどる行程が成り立つのではないかと思います。

 今、完成しつつある近畿自動車道紀勢線の早期完成を推し進めることで、観光事業にも拍車をかけられることになるのではないでしょうか。また、高速道路だけではなく、身の回りの身近な生活道路に対してもたくさんの思いがあるんですけれども、時間の関係でちょっとお話しすることができそうもありません。

 三重県の中でも、今まで取り残されてきた感のある東紀州において、住民の気持ちを達成させるためには、日常の安心と安全が確保されることが重要と考えています。財源が潤沢にあった時代は、お上に任せていれば成り立った国民の安心・安全な生活も、現在のように苦しい時代には、知恵を持って対応しなければならないことが山積みではないでしょうか。一つでも多くの声を聞き、それを国民生活に反映するためにも、今までの前提にとらわれない横のつながりを密にした新しい行政の取り組みをお願いしたいと思っております。

 ここにつけました地図なんですけども、実は私、先月から特定財源のことで意見を報告させてもらう機会がありまして、いかにこの地方がこの道を望んでいるかということをあらわすのに一目でわかるものがつくりたいと思いまして、県土整備部の道路企画の方に協力していただきました。道路規制の地図はあったんですけれども、ここに、実は今、尾鷲市では総合病院の医師不足の話も出ておりまして、ここに救急病院と救命センターをあわせた地図を女性会議の提案でつくっていただきました。そうしますと、これを見ただけで、いかにここが悲しい地域であるか一目でわかるというふうに言っていただくことができました。

 このように、女性たちは、自分たちの生活に絡んだ道を考えています。どうかご参考に、ご参考にというのは生意気なんですけれども、また私たちの意見をこういうふうに聞いていただく機会があることをとってもうれしく思っております。またぜひこのような機会をお願いしたいと思います。ありがとうございました。

○森本委員長 ありがとうございました。また後ほど質問等、承りたいと思います。

 続いて、思いやり支援センターくまのの更谷令治理事長さんにお願いするわけでございますけれども、更谷理事長さんは、市役所にずっと在職されて、その間、商工観光課長だとか、介護関係、紀州地域では一番最初にやっておられて、我々もやっていけるのかなというような目で見ておったわけですけれども、非常に、ライフ関係、有力な大きな団体としていろいろな方面で活躍されておりますが、町内の高齢者の現状にかかわらず、広く今までの足跡も含めて、いろいろな御提言を聞かせていただければありがたいと思っております。更谷さん、どうぞよろしくお願いいたします。

○更谷令治理事長 どうも、改めて皆さん、ご苦労さんでございます。

 私、今、森本先生からお話がありましたように、介護の方の仕事をやらせていただきまして、ちょうど6年目、介護保険が始まる前に始めさせていただきまして、有償ボランティアという形でやらせていただきました。

 熊野のこの地域は、非常に高齢化率が高くて、皆さんご存じのように、65歳以上の高齢化率が現在30.84という状況でございます。単身高齢化率は、5年前の国勢調査の資料しかございませんでして、17.40%ということになっております。この17.40というのは、市の中では全国2番目なんです。その前の国勢調査のときには日本一やったんですが、そういう状況になっておりまして、非常にひとり暮らしが多い。なぜひとり暮らしが多いかというと、働く場所がないから、都会へ息子さん方が働きに行かざるを得ん、そういうことからひとり暮らしが非常に多いというのが実態でございます。

 紀和町の現状の中で、今度、紀和と熊野市が合併をしますんですが、それでその関係もございまして、紀和町の現状も書かせていただきました。紀和町の場合は、52.03%というのが現在の高齢化率でございます。そして、ここで2番目、単身高齢化率ですが、けさほど、紀和町へ電話してちょっと言うて調べてもらいましたら、29.7%ということのようです。非常に高い熊野市の高齢化率と紀和町の単身高齢化率と同じというような状況なんです。

 そんな状況の中で、今この地域が、そういう中で何が一番大事なのか。その点、ぜひ先生方に知っていただきたいなというのが、今日参加させていただきました本当の私の心なんです。といいますのは、やっぱりお年を召しますと、介護の仕事をして初めてわかったんですが、一日の中で、体のいいときと悪いときというのは、非常にバランスがとれないんです。よく痴呆─現在、認知症と言われるんですが、これなんかも、ひとり暮らしでずっと物も言わんと人と話をせんということになりますと、認知症なんかがどんどん進んでくるというのが実態でございます。だから、少しでもやっぱり皆さんと話ができる状態をどうするのか、このことが非常に大事なことになるのではないか。

 私、今現在、さわやか福祉財団といって、堀田力さん、前にロッキード事件で検事をして、小佐野賢治さんを裁いたと言われる検事さんなんですが、その方が13年前にさわやか福祉財団というのをつくりまして、そして、「新しいふれあい社会の創造」というのを基調にして、今いろいろなところから基金をもらいながら活動しております。そこのインストラクターが全国に散らばっておりまして、今151名おるんですが、その中で、私、三重県で3人のうちの1人に推薦していただいて、その活動をやらせていただいているんですが、そういう状況の中で、皆さん方とこの話をしましたら、熊野というところはすごいとこなんですねという話になったんです。

 私は、やはりそういう面では、体の非常に不自由な方々が、そのところで、その場所で死ねる状況をどうつくるのか、これが本当に一番大事なことなんじゃないかなと。今、実は特別養護老人ホームは、熊野市南部だけでエイジハウス、それからたちばな園、宝寿園、それが特別養護老人ホーム、それからケアホーム、4つあります。そのほかに、老健施設が2つ、紀南園とむつみ園。それから、療養型病床群は、紀南病院だけ、こういう実態です。

 熊野病院も、今現在、療養型病床群的な関係で対応していただいているんですけれども、そういう状況の中で、やはり地域を、例えば私、二木島の出身なので、おやじもおふくろも、まだ二木島におるんですが、例えば特養に入るとすると、そういう意味では、二木島から離れなければならない。離れるということは、非常にお年を召してからですと、大変、先ほど言った認知症になりやすいという状況があります。だから、できればその地域で、二木島なら二木島、九鬼なら九鬼というところで、体の状態が悪いときには四六時中見てもらえる状況をつくりたい。これが、私どもNPOの関係が全国で散らばってやっておりますのは、宅老所という、泊まってもいいよ、あるいは住んでもいいよと。あるいは、通いでデイサービスに来てもいいよというような施設なんです。これは、介護保険の適用にならない部分が多いんですけれども、それはそれなりの注意を払ってやるという状態で今やっております。これは、今度介護保険の方の関係の厚生労働省の方の関係の提案しておる介護保険の改定の中に、小規模多機能という形があるんです。

 だけどこれは、ただ地域で進めるということになりますと、経営的な面から考えたら非常にもったいないんです。これをどうするのかというのは、やっぱり地方公共団体が考えて、そしてその中でどうやって事業所を各地域の形で私どものようなNPOや社会福祉協議会や、あるいは有限会社というのがある方々と話をして、そしてその中で各事業所の協力を得ながら、行政が若干の手助けをしながら対応していくということなしには、こういう状態にはなれないのではないかというのが、私の予想というか考え方でございます。

 だから、これから地方公共団体に、今、介護保険の関係も含めまして、権限移譲がどんどんされてきます。それと、権限移譲がされてきた状況の中で、果たしてそういう状態をつくり出すのにどうやったらいいのか、このことを進めていくということは、非常に大事なことじゃないかと。

 先ほど、隣の浜中さんも病院のことでちょっと触れましたけれども、この地域には紀南病院と尾鷲総合病院しかないわけです。そして今、総合病院と言われるスタッフが、今いかなる役割を果たしていただいているかというと、実は、人工透析の関係の皆さんがこの2カ所しかないんですね。そのために、午前6時から出発して、尾鷲の総合病院へ私どもが送ってったりする。あるいは、尾鷲の方でも、こちらに入れない人は紀南病院にかかり、そういう状態で、遠いところを、人工透析というのは週に3回やらないと死んでしまうわけですから、そういう面での問題も大変です。

 それから今、尾鷲が問題を抱えていますのは、今申した産婦人科の問題。これも、熊野の場合は、紀南病院を残すということになったようでございますが、それはカイン病院であろうということも一つでしょうし、またもう一つの理由があるようでございますが、しかし、やっぱりこの地域で、浜中さんが書いてくれた地図でもわかるように、これだけの広い地域に2カ所の総合病院しかない。これはやっぱり県が力を入れて頑張ってもらわないとどうしようもないなというのが実態でございます。

 私は、今日、皆さん方に来ていただいて、寄っていただいたことに本当に感謝します。ぜひ、今お年を召して一番大事なことというのは、やっぱり体が悪いときどうしようか、息子や娘に声をかけてこない、その状態をどう救っていくのか。それから、介護の実態を本当にわかってもらって、そして、地域の中で死んでいけるような状態をどうつくり出してくれるのか、そのことが一番考えられることではないのかな、こういうふうに考えております。

 それからもう一つは、こういう少子・高齢化の時代の中で、やっぱり、子供さん方をこれから、一人でも多く地域に育てていただきたいなと思います。そのためには、やはりできるだけ若い人たちが残れる状態をどうつくるのか。よく観光とか交流とかと言われますけれども、交流人口の増大、これも非常に大事なことではあります。ただ、やっぱり定住人口、住んでくれる人たちをどう残すのか、このことに最大の力を注がないと具合悪いんじゃないか。

 これから、ビジネス関係もどんどん変わってきます。私は今、コミュニティビジネスという関係で、いかにして地域の産物あるいは地域の特性、そういうものを生かして日本、世界へ発信をする。そういう中で、この地域で若い人がコミュニティビジネスとして始めていける体制をつくれないかということを、今頑張っておりまして、そのために、資料としてここにふれあいネットというのを皆さん方にちょっと読んでいただければと思いまして持ってきました。

 それから私、今ここに一枚で書いているのは、このふれあいネットへの原稿なんです。この中で、このふれあいネットは、今1万5,000部出ております。アメリカにAARPという退職者の組合があるんです。退職者、60歳以上の人たち、これが3,400万人あるんです。日本の高齢者団体というのは結構あるんですけれども、これがネットを組めば、このアメリカの率で見ますと、アメリカのAARPを超すぐらいの状態になる可能性があります。そこで、長寿社会関係のやつで、ここに書いています、浜中さんあたりと提携しまして、この間、AARPにも行ってきたんですけれども、日本のそういう高齢者の関係の団体をつくっていこうということで、WACというんですけれども、これを今現在考えて、対応しようとしているわけです。これを通じて、この地域の物産を世に出していけないか。

 今、世界の方の交流協会ともこの間も会ったんですけれども、そういうことを含めて、人口的には非常に少ないところですから、大きな消費地をやっぱり抱えているところとの提携、私どもNPOの団体ならNPOの団体を使ってそういう対応をする。あるいは今、商工会のお話もありましたけれども、そういう団体との連携の中でいろいろなことをする。そういうことをやりながら、その地域でコミュニティビジネス的なものを発想していかないと、なかなか難しいなという感じをしております。

 そういうことで、私は、今現在、若者の定住促進と消費地に向けての対策ということで、私の今までの人脈をできるだけ使いながら対応したいと思って頑張っているところでございます。

 それから、先生方にぜひお願いをしたいなと思うのは、今、どんどん地方公共団体に権限が移譲されている。そういう状況の中で、また反面、道州制の導入というのが考えられて、そして、3県共同とか、紀州とかいうような形をつくられようとしています。そうすると、どういうことが生まれてくるのか。やっぱり、地域の中で取り残されてくる状態がないように、どうしていくのか。そうすると、私は今、県議会議員の先生方の数を減らすのを議論されておるようにちょっと聞いているんですが、できれば私は、これからは地域の中で市町村長、首長と県議会議員の先生方とやっぱり一緒になって取り組んでいけるという体制が絶対に大事なんじゃないか。そういう状況を、はっきり言えば、市町村の庁舎の中に、県議会議員の立ち寄り所をつくって、そしてその中で、県議会議員の先生と一緒になって県内の会合をすると。そして、住民との対応もやるというようなことでないと、これからはやっぱり大変なんじゃないかな、そういうような感じがしております。

 そういうことで、ぜひ、県議会議員の先生方を少なくするということでは抵抗をしたいなと思うし、先生方にぜひお願いをしたいなと思っております。

 それから、この地域は、病院へ行くのに大変なところでございまして、そのために、今私、この仕事を始めたわけです。その時分、あの近所の人に連れていってもらうからという話を聞いてそこの人のところへ行くと、特に1万7,000円が1万9,000円ぐらいの日当のときに、隣のおばあちゃんに1万円で病院へ連れていってくれと言われて、ガソリン代がわからんけど、近所の人やからせんわけにいかんわいということで、しよるんやと。それで、個タクの形みたいやと言うたら、ぜひやってくれということで始めたんです。

 今、実はこの話をなぜしたかというと、今現在、私、市民福祉ネットワーク組合というものの副理事長をさせていただきまして、そして今、県に対しても、福祉の分野でいろいろなことをお願いをしております。福祉運営士さんの事務局を貸してもらってあれもやらせていただきましたんですが、そういう中で、今輸送サービスですね、これでぜひ特区を申請してくれと。ケア特区を三重県でぜひやってくれということで、今、その方の部分は、何とかやろうかというように県が立ち上がってきたように考えております。

 そのほかにも、各地域で運営協議会をつくって、私どもこれから、道路運送法の80条の第1項の届出をして許可をもらうことになっていくんですけれども、そうすると、講習会の問題とか、そういうこともせんと運転できないということになってきます。そういう面でも、私、市民福祉ネットワーク三重への対応として、そういうことを中心になってやらせていただきたいなというふうに考えております。これがないと、お年寄りが、ちょっと体が不自由な方が、公共交通機関がないような状態の中で病院に行けなくなるわけですから、ぜひひとつ先生方、力を入れていただきまして、何とかうまくいくようにお願いをしたいなと。

 本当に呼んでいただきまして、話を聞いていただきまして、ありがとうございます。本当にどうもありがとうございました。

○森本委員長 ありがとうございました。また、更谷理事長さんは、介護問題についても非常に造詣が深いので、また後ほどそこらも含めて質問等していただきたいと思います。

 続いて、金山パイロットファームの大西誠代表にお願いするところですけれども、大西さんは、去年からこの金山パイロットの理事長に就任していただいております。今までの赤字は、本会議でかなり赤字だ、赤字だと、数千万円の赤字を毎年出しておったんですけれども、そのときには融資を断られるというような赤字続きだったんですけれども、大西理事長さんになってから黒字になったということで、経営手腕については非常に評価されておりますし、ミカンづくりについても、私たちの地域ではミカンはだめだという中にあって、やっぱりその地域で生きていく道はこれしかないんだという持論を持っておられますので、そこらもあわせてひとつご意見をお願いしたいと思います。

 では、大西さんお願いいたします。

○大西誠代表理事 今、ご紹介いただきました、現在、金山パイロットの代表理事を承っております。

 森本先生から、ミカンのことについてちょっと話をしてくれよという形の軽い気持ちで参ったわけでございます。といったところで、何の資料も準備してございません。ひとつよろしくお願いしたいと思います。また、後ほど資料も、こういう資料が欲しいということがございましたら、お申しつけを聞いて用意させていただきたいと思います。

 初めに、金山パイロットの代表ということで、一言御礼を申し上げたいわけでございますけれども、金山パイロットの再開発につきましては、地元議員をはじめ県議会の皆様に金山パイロットの用地の活用につきまして非常にご支援をいただき、大きな予算も組んでいただきまして、地域活性化の拠点となります中核交流施設、中山間活性化事業、そして紀南防災拠点の建設等々の事業も着々と進行している面につきまして、厚く御礼を申し上げたいと思います。

 また、紀南の基幹産業であります柑橘の振興につきましても、いろいろな形で県議会の皆さん方にご指導、ご支援いただいておりますことを、この場をおかりいたしまして厚く御礼申し上げます。

 金山パイロットが関係しております、一部農家と一緒になって取り組みました平成14年からの事業でございますけれども、灌水施設、緊急畑地帯総合整備事業という取り組みをいたしまして、15年度に完成をさせていただきました。今は、この施設をフル活用して経営安定に大きく活用させていただいております。

 この事業でございますけれども、面積はパイロットの用地は90%ぐらい、ほとんど持っておりません。40ヘクタール。事業費といたしましては6億円余りの事業でございまして、補助率は国50、県25、残り25は地元の市町村と受益者の決算コストということです。パイロットといたしましては、利息も入れて7,000万ぐらいの負担になったわけでございますが、その7,000万が、借金もたくさんございまして、経営に非常に影響するということで、大半のパイロットの理事さん方が反対の中で、私たちは水の確保というのを、パイロットのミカン経営にとっていかに大切かというようなことを申し上げまして推進してまいったわけでございますが、今になって本当によかったと、正解だったというように感じております。その当時、担当してくれました県の職員の皆さんには、本当にご苦労をかけましたけれども、感謝をしているところでございます。

 今日は、東紀州地域経営調査特別委員の皆さん方、本当にこの南の地へ来ていただいて私たちの意見現状を把握いただきますこと、私もご指名いただいて、大変光栄にも思っております。

 私は、ミカン歴40年になります。その間、家内と2人で、ちょっと紹介しますけれども、家内は森本委員長さんと同級生なんです。そういうふうなことで、何事も積極的な女性でございますが、私は三男坊でございましたので、親と6年間一緒にやって、どの道へ進むか、私は農家なので農業をいたしたいと思っていたんですが、家内と相談して、家内が申すには、私はサラリーマンの嫁さんになって、旦那の帰りを家のことをして待つようなのは性に合わない、嫌いや。もう、主人と一緒になって仕事をしたいということで、だったら、農業は一番2人で力を合わせてやるんですから、一番いいねということで、その当時はミカンが非常に、米よりも、私の地方は五、六軒ぐらいしかとれなかったですから、ミカンは10倍ぐらい売り上げがありまして、ミカン専業でいこうということになり、本当に頑張ってきました。もう、資力もありませんし、借金、借金の中でやってまいりました。それだけに、本当に真剣にミカン経営に取り組んでまいりました。

 いろいろな経緯があって、基本的に目指すものは、とにかく楽な方で、楽に栽培ができる、効率のいい省力化できればいいので、おもしろい、楽しい農業をやるということで、それを目標に目指してきたわけです。本当に厳しいときもありましたけれども、私は、この経営の中で2つのことを追い求めてきたんです。一つは味。おいしいミカン、それを追求しました。いろいろなことをいろいろな先生から聞いていろいろなことをやりましたけれども、なかなか、気象に一番左右される。どんな、魚肥をやったらおいしくなると言われて魚肥を毎年やっても、今年はおいしかったけど来年はあかん。結局、うまく味が乗ってきましても、台風が来て、雨が何百ミリも降った後、2度ぐらい下がってきますね。もうそれで、絶対これはもう味はハウス、貯蔵、平成に入ってから、ハウスミカンになっておりましたので、ハウスミカンは水管理が出来ますので、本当においしいミカンができました。もうこれしかないのかなと思っておりました。

 平成に入ってからマルチ栽培、シートを全面に張って、そうして実を、今とったんですが、もう7月に入ったらとって、それからの水を全部・・まで出して、ミカンにストレスをかける。ストレスをかけ過ぎますと、根が枯れてきますので、適量に水にやりながら栽培するんです。それを、私は12年に始めて、びっくり、ものすごい、こんなおいしいミカンができたと思いました。そして、うちの面積の、今、私の経営で4町3反、2町ぐらい、温州はほとんどやっております。本当に、送ってあげたところから、こんなおいしいミカンは食べたことがないと、あっちもこっちも言われて、私は農協を中心に共販に出しておりますので積極的にミカンは売っていないんですけれども、どんどん売れて。だから、ミカン、こんなおいしいあれはないねと、ミカンというのはまだおもしろい産業、もうかる産業だと私は皆に申し上げるんです。そして、味は全国だれにも負けない、非常に自信があります、この南紀のミカン。

 もう一つ、出てきたのは、革命できた。熊野は、柿もそうですけれども、1年おきにしかならないんです。今年が終わったら来年は休む。それを技術で毎年やってきた。これは本当に、これも一生懸命、何かいってものんきなあれだなと。剪定してですね。剪定の先進地も見に行ったりしました。でも、剪定では絶対に直らないということになりまして、私は、木の状態を見て管理をする方法を考えまして、うちは七、八年前から、毎年びっしりなります。でも、そういうような栽培方法があるんですね。それで、毎年なると、ほとんどいいミカンがなる。本当に今、ミカンづくりがおもしろくてたまらない、楽しくてたまらないというような状況なんです。

 私の方でも、ミカンはもうだめだと言う方もかなりあります。先ほどご紹介いたしました金山パイロットでも、平成に入ってから、過去を調べてみますと、3回ぐらいしか、ミカンでもうけた年はないんです。その後は、カメムシとか、褐色腐敗とか、サビダニとか、大きな被害を受けて、5,000万円の赤字とか6,000万円、3,000万円、もう何回もあります、そういうことは。一番大きかったのは平成13年度、サビダニというミカンが真っ黒になる病気、ダニ、虫ですけど、それに全部やられまして、7,100万円の赤字を出しました。それを今も、去年も謝ったし、また2,000万円も出たとか。

 そういうような、真剣さが足らん。そして、園地を見たら、結果、2年に一遍しか取っていない。半分しかならん年もある。7割なって、あくる年は3割しかならん。大体、量の少ない年は目安になります。ゼロの年。そこになったら、絶対にいけない。大体、気象によって、花芽の分化が促進されて、全国それでうまく出てきても、人の反対いこうと思って、芽のときに打ち合わせてやるというようなことで、そういう気象問題。それをきちん直していかなミカン経営成り立たないということです。

 私は、去年の3月に、パイロットの代表理事の要請を受けたんですけれども、私、家でも4町3反もハウスもデコポンもつくっていますし、家内は、15年度からは、議員になって。それで、家内はもう全然当てになりません。私は、集大成として、非常におもしろい、ミカンづくりのモデルになる。若い人にも、経営したいようなモデルになるようなことをしてやろうと思っていたところ、パイロットへ。いろいろ考えたんですけれども、やっぱりパイロットもうだめだ、もうこれ以上になったら。

 そして、農協から、前年の肥料代の支払いをようしなかった。農協から、あんたとこは、倒産したのと一緒ですよと言って、取引停止されていた。それで、このパイロットをつぶすようなことになると、本当に紀南のミカンは、値段もいいし、ひとつやろうと。私は、絶対自信があったので、ミカンで経営を絶対に安定しますということで、すぐに経営改革案をみんなに配って、やるという方針でいくということでやったんです。

 そして、まず従業員のやる気を、明日はわからんような状況ですから、やる気がない、本当に。適当に過ごしたらいいような仕事しかしていなかったんですね。それを、私は、絶対にミカン経営はじっくりいけると。ついてこい、マルチ栽培もふやしてやっていく。絶対に今年は、技術的に、技術はあると。それで、もうかったときは、あなた方のとなるんですよと言って、楽しみを持たせて取り組んだんです。

 そして、理事の方々にも、失敗は絶対にさせたらあかんということで、そして、15年度の計画は生産量で770トンぐらい、売上金で1億5,000万円の計画。私たちは、この計画だけは絶対に達成せんなんと思って取り組んだんです。結果的には、生産量で1,100トン、300何トンか上乗せできましたし、そして売り上げも2億1,000万円の売り上げ。そして、1億円くらいあった借金を7,800万ぐらい支払いました。あと、残ったのは2,800万ぐらい。平成13年度に7,100万の赤字をこしらえたときに、農協から5,000万借りた、2,000万が残った、その2,000万円と近代化がちーと残っとる。今年全部払たるというふうに思っているので、だから、勝ったのは私一人です。私一人しか勝っていない。他のもの、従業員は男女合わせて、事務職もあわせて、29名、3年ぐらいです。そして、臨時は結果取りましたらミカンの採集が終わるまで12月まで40名ぐらい。もう、全部、農協の指導員とか、市役所、技術検討会というので、決めてやっておったんです。全部ひっくり返して、私の考えでやらしたんです。それで、従業員もボーナスも渡せましたしね。今、従業員も、また、さらに頑張ってということで、ボーナス渡そうということで頑張っております。

 先ほどの灌水事業、これで本当に夢が見られたんです。点滴灌水で、金山が本当に少量で効果がある。普通、スプリンクラーで水撒きますと、10アールで20トンから30トン、水が要るんです。それを5トン、2時間ぐらいポタっポタっポタっ落とすんです。そうすると、中で広まって、少量の水で効果が上がる。そして、上へシートを張っておりましたので、下に入れておりますので、下で水がたまるというようなことです。あの事業は、最高にあれで経営がうまくいって、本当にありがたいと思っております。

 そういったことで、私も1年ですけれども、今年も十分ミカンがなっていますし、そして今年は全国、表でミカンが安いと予測しております。ですから、今年の計画は950トン、そして1億7,000万円の売り上げの計画ですけども、これを達成できたら上々だと思っておりますが、そして、来年対策をやります。来年は、もうかることで、一本もなっていない木がないようならばということで、全力を上げて取り組んでもらってる。ですから、もうけるのは来年やぞと言っておるんですけれども、来年はとにかく生産。そこがミカン経営の一番の秘訣、極意だというふうに思っております。

 その過程の中で私が従業員に説明したのは、おれはミカンの木は、一本、一本は社員だぞと。この社員に、目一杯働いてもらわなんだら、今のところ、厳しいミカン経営成り立っていかんよと。ミカンの木も、能力、性質がありまして、人間と一緒。それに合った、結果になった。絶対にこたえる。どんどんこたえてくれる、ミカンというのが楽しくなる。そして、とにかく、今までのパイロットの状況を見ていると、社員を半分休ませて、半分しか働いていなかったのではないか。半分で、どんな立派な会社でも経営成り立つはずがない、半分は社員を遊ばせて。これを、目一杯、働かせなあかん。だんだんとそれがいい方向へ行っております。やっと従業員も、私の経営方針を理解もしてくれていますし、みんなで頑張っていけば経営が成り立ってくると。そして、この紀南地域のモデル、みんながやっぱりやり方一つでもうかるんやなみたいな部分もあるということを実績を示したということに大きな意義があったかなというように思っております。ミカンも、やり方ひとつで楽しくできますよということを申し上げたいと思います。

 それから、いろいろ南紀の産地におりましても、産地を盛り上げるために、いろいろなJAや産地プロジェクトの中で取り組みもしておりますので、ちょっとわかる範囲で申し上げて、ぜひさらに紀南の産業が発展しますように、委員会の方々にもご支援をお願いしたいと思います。

 まず、第1点として申し上げたいのは、担い手とか地域就農者の経営基盤の強化があります。JAと産地プロジェクトの合同によるリースハウス、ハウス建設を計画しております。品目としては、これまでは温州でしたけれども、ブンタン類で、そしてデコポン、キンカン、これを3年計画、17年から19年まで、面積では7ヘクタール、17年度1ヘクタール、18、19と3ヘクタールの予定をしております。事業費といたしましては、6億3,000万円かかるそうです。そして、10アールのリース代、そこへ参加する生産者は年に40万のリース代を15年間払う。そして、15年後は廃止という事業であります。国の補助は50%、それは決まっているわけでございますけれども、また県の方もご検討いただきたいと思います。

 それから、統一選果場、選果施設でございますけれども、10年、11年で3カ所ありました紀宝・御浜・熊野の選果場を、今の選果場を統一いたしまして、地域内のハウスの選果、出荷の一元化、作業の効率化ということで図ってまいりましたけれども、その後、マルチ栽培が普及してまいりまして、その内容をそろえるために糖酸センサーを導入して、優良販売に努めてまいりましたけれども、最近は、各産地全部、そこで生産されたミカンは、全部糖酸センサーを通して、内容をそろえて、ばらつきのないようにしていると。うちの産地としても、今は唯一マルチ栽培のミカン以外は、最終、内容は生産者でばらばらですけれども、それで私も産地共販にかけないよということで今回、現在、糖酸センターが14機あるのを8機ふやして、全部糖酸センサーの方で出荷するというような計画を立てております。

 そして、階級選別もドラム式でやっておりましたけれども、今度は、等階級と大きさをカラムレーダーで選別して作業効率を上げるというような計画しております。これが、事業費が14億ぐらいかかる。これまでも、前回改修したときも十六、七億ぐらいかかりまして、生産者は今、6円から7円ぐらいのキロあたり負担しておりますけど、またこれで2、3円上乗せになるのではないかというように思っております。大変厳しい予算の中で、ひとつ県の方でもご支援をお願いしたいと思います。

 それからもう1点として、大変この紀南自身が高齢化しておりまして、荒れたミカン園がどんどん出てきております。もう、高齢化してようつくらない。まだまだ生産力の上がる園です。

 そういうことで、都会から若者を呼び込むような環境をつくっていただいて、何とか、守っていくことを考えてもらいたいということをね。私も、研修生を取り入れてたんです。もう立派に一本立ちして、自立してやっておる方もあるし、いろいろミカンについてもしっかりやってくれている方もあります。そして先日、7月2日でしたか、津の就農セミナーへも私も初めて行ってまいりましたけれども、びっくりしたのは、全国から農業をしたいという若い人たちがたくさんあるということを知りました。そういう人たちも呼び込んで来てくれるように、あの方たちは、いい条件を揃えてやれば、できると思うんです。

 この間、私行って4人、若い方を、一遍見に来いと、農業したいということで、一遍パイロットの園地も見て、そしてよければ1年ぐらい研修をして、そして、なってもいいよと。やっぱり、私も優秀な後継者をどうしても入れていかないかんというように思いますから、若者を入れ、さらに計画していきたいというふうに思っております。

 とにかく南紀のミカン産業を守るためにも、かなり県の方も支援体制をとってくれていますけれども、さらに地元と力を合わせて取り組んでいただきたいというように思います。

 大変長々と申し上げてまいりましたけれども、私は、やっぱり、南紀のミカンづくりのこつは、ミカンしかない、基幹産業でございますし、さらに発展をするように、私も地域のためにこれからますます貢献もしていきたい、栽培技術等の問題も貢献をしていきたいと思っておりますし、今後、県の方へもそういう支援をいたしまして、後進の人たちが・ようにお願いいたしまして、皆さん方、どうかわかりませんけれども、またもし質問があれば、またお答えさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。どうもありがとうございました。

○森本委員長 ありがとうございました。大西さんには、午前中はパイロットの方で・・をとっていただいて、午後から、自分の畑の方へやっていただいておるわけですけれども、非常に、大事にして、きちっとミカンセンターへ紹介していただいた関係もあって、何を売ったらいいんだろうと思っておったところ、ふっと思い出して。僕も、デコポンを配りまして、それ以降ずっとリクエストいただいておるんですけれども、奥さんは私の同級生ですので、私から言えば少しは安く・・・。

 それでは、引き続いて、野地木材工業の野地洋正社長にお願いするわけでございます。

 野地社長は今、先般申し上げましたように、非常に材木が低迷を続けております、五、六十年生の杉にしてもヒノキにしても、価格が、値段がつかないほど安いというような状況の中でございますけれども、製品として非常に頑張っていただいて、建材への搬出が非常に野地木材の場合は多いわけでございます。

 今日も20日で原木市があったんです。ちょっと無理してでも出てほしいと要望して、昼から、1時からだったんですけれども、ともかく野地さんのところは熊野原木市場で大体半分原木市場の扱い高の50%は野地さんのところが購入するというようなあれで、無理してでも、早く何とかということでお願いしてまいったわけですけれども、では、野地社長さん、お願いします。

○野地洋正社長 こんにちは。おくれまして申しわけございません。

 森本先生から聞いたので、地域の木材産業の展望についてという形でしゃべるということで、僕もどうかなと思っておるんですけど、こういうものを見ますと、まずいんじゃないかと思うんですけれども、ちょっと座らせていただきます。

 この展望についてということで言われたんですけれども、余り長い時間しゃべれないと思いますので、学生時代にゼミナールで、ちょっとこういう形でお話しさせてもらったのが二十何年前で、こういう形でお話しさせてもらうのもなかなか、いろいろと上手にしゃべれないかもわからないですけれども、簡単に述べさせていただきます。

 結論と書いているんですけれども、これは現状、いわゆる、現在の地元木材産業の展望はないということで書かせてもらったんですけれども、とりあえず、なぜ展望がないかということなんですけれども、そのことをちょっと書かせてもらったんですけれども、いわゆる戦後の住宅着工戸数がかなりふえてますんですけれども、それに対して国産材、いわゆる内地材が供給力不足、これはいろいろな理由があって、素材へ安定的な供給もあるんですけれども、我々の製材加工する業界が、これをやっぱり安定的にユーザーに供給できない状態にまだあるということが最大の原因だと思います。

 それと、昔は暖房とか冷房とか、そういった形の家じゃなくて、やっぱり通気性のいい家とか、そして・・系統の・・・価値とかという形でやってたんですけれども、価値観は変化して、阪神・淡路大震災とか、そういう形で強度に強い家、それから、冷暖房とかという形にしても、狂いのない材を要求されているんですけれども、それに対しての対応が全くできていないと。

 それと、価格競争の面でも、国産材の・・というのは、中間にいろいろかなり介しているわけですわね、問屋さんとか、1次問屋、2次問屋、こういう形で、末端につくまでに二、三割高くなるような傾向があって、そういう形で、直接、外材というのは、直に入る材と比べて、流通コストがかかって、それを特に売るとかという形の体制が、ちょっと対応がおそいと。

 それと、環境問題というかごみの処理が、現場加工でも、ただ寸法も、大きければいいとあと現場で加工してくれるという形で、やはりそういう工場で生産して、きっちりしたものをつくろうという努力がなかったと。それに対して、やっぱり新建材とか、そういったきっちりしたものが必要とされたという形で、結局国産材がこういう形になった状態は、我々こういう業界の責任が大だと思っております。

 今日も、そうなんですけれども、市場へちょっと行ってきたんですけれども、ほとんど少ないですね、原木は。原木がちょっと少なくなると、前回の市より二、三割高い状況になるんです。それだけ安定供給ができない。それと、いわゆる我々業界がそれを買う力がないということですね。そういう形で、国産材の離れ、国産材が違ったものにとって変わられている状況が続いておるということです。

 これがこのままの状況で続けば、地元木材産業の展望はないんじゃないかと、こう思ってここへ参りました。

 じゃあ、今求められている住宅の価値の本質とは何かといったときに、快適で安全に暮らせる住まい、快適で安全に暮らすことのできる家に必要な材というのは、いわゆる先ほど言いましたように、精度、材桧じゃなしに高性能な材、いわゆるモルダーというのはプレーナーみたいなやつで、四角に切れるやつなんですけれども、いろいろな加工ができる機械なんですけれども、そういう形で12センチのものなら12センチきっちり、あと加工しなくてもすぐ使えるような材料。

 それと、一番ネックになるのが乾燥なんです。今、全国で、乾燥機の普及率というのは20%ぐらいなんです。乾燥材が必要とされている中で、20%しか導入されていないような状況なんです。だから、こういう形のもので、まだこれからもずっと、やはりまた国産材を。だから、高性能な材をいかに使っていくか。

 それと、強度ですね、強度も、グレーチングマシンと、強度をはかる機械があるんですけれども、それで強度が幾つ以上あるという形のものを認証して、そういったものを安心して使ってもらえる、そういったことも必要になってくると思います。

 それから、ちょっとお配りをしてもらいたいんですけれども、うちが県外とかいろいろな形で出している家なんですけれども、いわゆる人工乾燥で乾燥機にかける場合、いわゆる温度を上げて乾かしますので、色が変わったり、ちょっと茶色っぽくなったり、割れたりするんですけれども、そういう形のものをなくして、どうしたらいいかということで、やはり、見えるところに使うやつには、割れたり、そういう形のものが色が変わったりすると、なかなか難しい面が出てくるので、それを解決するにはどうしたらいいかということでいろいろと研究はしているんですけれども、見た目に美しい材を、20何%以下に含水率を落としてでも美しい材で使えるというような材をということです。

 それから、それと同じようなことなんですけれども、ニーズが変わる、住宅が変わる、欲しい材が変わる、業者は対応できる材をつくらなければ、対応する材をつくらなければ国産材離れを起こしてきます。住宅が高性能になっていく上で、用材も日々変化していく必要がある。高気密・高断熱住宅には、材の狂いが少ない乾燥材が、先ほども言いましたけれども、地震に強い住宅に必要なのは高強度材、高精度材が必要であれば先ほどお話したことなんですけれども、それと顧客のニーズを変える面では、つくったものが、自分のものをいかにどういう形で売っていくか、そういうことも国産材の我々業者には欠けている面があると思います。そういう方たちを売る努力をして、それがいわゆるユーザーにわかってもらえる、それがリピーターとなって帰ってきて、売り手、いわゆるつくったものの売り手市場に変わるようなことが、うちの場合は、結構そういう形でリピーターとしてつくっております。

 これから、いわゆる国産材のなるためには、安定した供給量、精度、それから、木が本来持っている自然で美しい、先ほど言いましたように、自然さを残したような状態でどう狂いをなくすか。

 それと、そういう状況なんですけれども、この中で、健康住宅というのが、今、アトピーとか、そういった面で要求されているんですけれども、これからの木材は、地域ビルダー、50棟から100棟ぐらい建てている地域のビルダーさんというのは、やはり、いわゆる大手の住宅メーカーと競争するためには、サービスさせていかなければならないということで、いわゆる健康住宅というのをテーマに上げて、国産材の無垢材を多く使用していく傾向があります。それに対して、また安定的な供給ができなかったり、そういった品質の問題等を、また同じようなことを繰り返したら、地域のユーザーさんがまたもとに戻ってしまうような状況になると思いますので、いろいろと、これはうちがやっているんですけれども、だけど、やっぱり地域全体としては、そういう取り組みが少ないから、そういう形になるという状況です。

 とりとめもないんですけれども、ここでの要望といたしまして、今、県材が多いんですけれども、県産材の使用という形で、三重県の県材でなきゃだめだと。奈良だったらは奈良だけとか。和歌山県は、かなり和歌山県産材ということで、うちは三重県ですから、和歌山県の業者じゃないと考えております。結局、三重、奈良、和歌山、この紀伊半島ですね、紀伊半島に、一体、民有林では日本では宝庫ですわね。民有林の一番多いところが三重・奈良であり和歌山。結局、その三重なり和歌山は生産県で、自給自足といいますか、その中で売るだけでは、やっぱり外へ売らなければならないような県なんだと思うんですけれども、それが、三重県は三重県産材だけではだめだと、和歌山は和歌山だけじゃだめだと。じゃそういう形で、日本全体が県産材をとなったら、どこへも物が売れない状況になってくると思うんです。だから、やっぱり、宝庫である三重、奈良、和歌山ぐらいのプロジェクトをつくって、この紀伊半島の木をいかに外へ売っていくか、そういった方向性の中で、行政の方もちょっと考えていただきたいんです。

 結局これが、先ほどの沈滞ムードというか、売れないとか、じゃあそこで三重県の公共施設を、いわゆる分離でここに任すとか、そういう形でやるので、よけいに力が弱くなっていくと。そうしたら、市場は狭くなってくる。結局、みんなが努力して、国産材の動向いうか市場を大きくしていくんじゃなしに、自分からでも、助ける行政行政も、そういうことで、どんどん市場を縮ませていくような、生かしていくようなところが今あると思うので、さっき言ったように、3県でもいいから、外へいわゆる紀伊半島材をどういう形で売っていくPRとか。それに対して、受け皿として我々が、いわゆる安定供給できるような、ぜひ、お互い精進をしたり、売れるように努力すると。そういう形でやっていくためには、県の要望で、そういう県単位とかという形のものは、あまり僕は好ましくないと思うんですけど。

 うちの工場の場合は、この9月にもう1機導入する形なんですけれども、結局これから、いろいろな写真にもありますけれども、いろんな形で、杉材が結構多くなってきているんですけれども、その杉材でも、今の家というのは、全部・・・なんですね。だから、主婦世代とかに競合しない部分の需要があると思いますので、これからも杉材の地域もかなり使っていけば、需要も拡大できるんじゃないかと思っております。

 とりとめのない話になっていますけれども、このままの状況が続くと、この地域の木材業界はだめになることははっきりしております。何かありましたら、とりとめもない話ですけれども、終わらせていただきます。

○森本委員長 ありがとうございました。非常にいいお話を聞かせていただいたと思います。過保護というのは、この地域の木材業者の体力ですが、その低下を招くというような新しい発想をいただきました。野地さんのところの強みは、安定供給ができるというのが特色ではないかなというふうに思います。

 ちょっと、ご報告いただいたことで、委員の皆さんからご質問も受けたいと思うんですけれども、少し時間についてはオーバーしてもいいと思いますので、5分間だけ、半までちょっとトイレ休憩なりさせていただきますので、3時半から再開しますので、どうぞ5分間だけ休憩いたします。

(休  憩)

○森本委員長 それでは、5人の方々にご報告いただいたことを受けまして、先生方、どなたからでも質問していただきたいと思いますので、どうぞ先生方の方から手を挙げてご質問していただきたいと思います。時間は4時までとなっておりますけれども、エンドレスでやっていただいて結構ですので、よろしくお願いします。

〇田中博委員 田中と申します。鈴鹿市の選出議員なんですが、今日は本当に有意義なお話をお聞かせいただき、大変ありがとうございました。

 私どもの委員会も、議会で大変議論になっておりますことを、今回、特別委員会にご設定いただいて、何とか南の方の活性化なり地域の経営といいますか、そんなことで、いい提言ができないかということで活動させていただいておりますけれども、私、実は変なアイデアを持っていまして、鈴鹿市には、ちょうど紀和町のお話が出ましたけれども、石原産業の関係で、鈴鹿の方で催されております。また、私、本田技研というところでずっといまして、随分南にお見えになりまして、私の同僚の市会議員、実は紀和町出身ということで、紀和の会というのがございますけれども、鈴鹿市と交流させていただいたこともございます。

 彼らと話をしておりますと、やっぱり、定年になったら戻ってみたいなというようなことをよく言われるんですね。高齢化が進んでいるところに高齢者の話でまことに申しわけないんですが、最初にいただきました道の話も、実は、議会で話すんですが、道のいい道路ができれば逆に出やすくなって、人がどんどん出ていってしまうということの方が、傾向が強いと思いますね。ですけども、そうした皆さん方が、また、戻りたいなという地元であれば、サラリーマンと言えば、年金もあるだろうし、所得はある。そういうものを考えながら、最近テレビを見ておりますと、一時は東南アジアへ定年退職者たちが移住をするというのがありましたが、最近は国内で生活をする人が多くなった。こういうことというのは、実に、一つ、地域の人口をふやすという意味ですごくいい方法であるのではないかなというふうに思ったりするんですね。そうすれば、人が増えればそれなりに消費もふえるわけですし、それから、先ほど言われましたボランティアの話も、有償ボランティア、それのみでなかなか生活が成り立たなくても、有償ボランティアをネットワークすることで、例えば週1回か2回、例えば移送のお手伝いができるとか、そういったことで言いますと、ミカンはもうかるという話をされたわけですが、そういうことであれば、若い方たちの・・・・・。

 ちょうど私の友達も、ミカンが取れる季節になると、もぎにこちらへ来るんですね。手入れしないものですから、取るだけ取って、みんなで分けていただくんですけれども、そういうことを少しずつうまく組み合わせていけば、こうして頑張っておられる皆さん方がみえるんで、何か人も増える、生活していくというのがやられるのではないか。特に退職者については、2007年問題で、団塊の世代が一斉に退職をはじめる、そういうところで、私は、お話をお伺いしましたし、それからミカンの話、それからボランティアの話をしましたけど、一つ何かいいものが出てこないかなというふうに思ったりするんですけれども、もし、ご感想なり、今現在考えておられることがあれば、2名とか3名の方、もし、ご意見がございましたらお聞かせいただくとありがたいなというふうに思いますが。

〇森本委員長 どうですか。

〇浜中佳芳子代表 実は、やっぱり、飛騨の方でスキー場を経営する方が、高速道路ができたことによって、交通がよくなると市外の方がふえるというような話がありまして、そうすると、民宿ですとか旅館業がふえていったという、そういう現象が起こっているということも聞いております。

 それは、高速道路を問題とするには、皆さん、ついて回る話のようで、全国ネットでも、それを心配して、結局、道をつくることを目的としてしまった結果がそういうふうになっている。道の先にあるまちづくりをしていなかったという思いがあるというふうにも考えていると聞かされておりましたので、特に今、こちら熊野古道で観光面でも非常に期待されておりますけれども、今も更谷さんと話しておりましたけれども、東京で会議をするときに、尾鷲熊野の時間を合わせてもらうんですね。それだけ首都圏から遠いということ、時間的には遠いということで、そうすると、観光面においても、2泊3日としても、この伊勢道を全部制覇できないという話がありました。結局、迎える側の準備を進めていくのと、道が来るのを同じように進めていけばということも、今、課題の一つだと思います。

 結局、道だけに頼れば、この交通の便の悪さにすぐ帰ってしまわれるとか、外へ出ていくことも考えます。だけど、交通の便がいいことで、入ってくる人が多いというふうな考え方もできるかと思うんです。私たち、これから子供を育てていく中で、高校の通学とかも考えてみますけれども、雨が降るたびに、木本高校へ行く子の親御さんは休ませてしまおうかということを考えるということも言われていました。全く、あの辺では、下宿をしなければ通わせられないということも聞いております。

 結局、道ができることに対して、プラスに考える部分というのを、今度はまちづくりという視点で考えていったときに、その土地に住むたちが魅力をいかに出せるかということをつくっていくためにも、地元での交流、意見の交換、何を求めているか。あと、今私、四十半ばなんですけれども、女たちがどうしても高齢化しておりまして、たまたま地元で生活できる私たちは、まだ仕事があるということで幸せですけれども、都会に住んでいる人たちは、親の死に目にも会えないということを言われてます。地元に仕事があれば地元に残りたいというのが、結構意見として聞きます。若いときみたい都会一辺倒ではないということ。そうすると、道ができることによって企業を呼ぶ土壌ができるのではないか。それができるんであれば、じゃあ地元はどういうふうにして引っ張ってこようかという思いを持っている人たちがまた話を企画していく。そういう循環型のまちづくり、これが、道をつくるだけを目的としたり、道づくりということにつなげていく方法があるのではないかなとというのが、今の私たちの思いです。

〇森本委員長 ありがとうございました。

〇更谷令治理事長 高齢者、確かに紀和の方へ、紀和か鈴鹿の方は四日市に行っているかと思うんですけれども、そういう方たちも含めて、熊野といえば雪が降らないんですよ。非常に暖かいところです。そういう面から見まして、ミカンづくりができるということがあるのではないかと思うんですが、ただ、今現在非常にいろいろな面で変わってきている時代、時代がどんどん変わってきていると思うんですね。今のこの、資材のトヨタというのはどのような、3年、ケア付き住宅に、ハウスの方はちょっと入っていましたんですけど、今度はトヨタからケア付き住宅に乗り出すという発表がありました。これからは、やはりこの雪の降らないところで、高齢者の皆さんが、ちょっと年配になったらかえって暖かいところでゆっくりしたいな、そういうところへ住みたいなという方が結構多いんですよ。そういう人たちをどう受け入れていくのか、対応していくのか。

 そうなると、この道の問題もありまして、やはり宿泊客なんかの、また、高速ができれば見に来てもらえる。こういうことも含めまして、やっぱりそこら辺の対応というのがこれから必要なんじゃないかというように考えております。

 今、隣の浜中さんが循環型と言いましたけれども、私、今実は循環型社会をつくらないと、これから日本にいたらだめになる。だから、ごみがどんどん出てくる、その中のごみを肥料化させていない。肥料化させることによって、都会と田舎とを結びつけて、村おこしスタイルができないかということで、今実は東京の港区と提携をしまして、港区の役場を通じて、今、経済産業省ですかね、あの方へ申請をして、明日ロードプロジェクト熊野ラインということで、今取り組んでおります。

 そんなようなことで、これからはやっぱり地域の方、田舎と都会とを結ぶための方策というものをこれからどんどん考え出していかないとだめなんじゃないか、そんなような形で考えているので、できるだけ努力していきたいと思っているところなんですが。

〇森本委員長 あと、どうですか。

〇山本勝委員 尾鷲の木材を、プレカットホームですか、木材だけでも、なかなかあれだけあんばいするというのはなかなか難しいようなことでして、プレカット工法というのが何かあるそうで、一つの木の加工品まで、例えば大工さんが太いとか、柱が反るとかいうことで、その辺まで加工をしてくるような、そんなことを考えておられるのではないかと思うんですが、その辺のところの展望というのは考えているのかどうか。

 もう1点は、県産材の使用ということで、僕は桑名、名古屋のすぐそばのところですけれども、確かに尾鷲とか、それから紀伊長島とか熊野あたりで県産材を使用ということで、そんなことが、県産材を使ったら、補助しますよというふうな話が出ていますけれども、僕は、需要の少ないところでいろいろ話をしていても、なかなかやっぱり大きな商いには結びつかんということで、でも私の桑名に住んどって桑名は、14万人住んどって、そのかわり四日市は29万か30万ぐらいになるんですけど、そんなところへ日常的にどんどん、そういう県産材の使用ということで、情報がどんどん入ってくると、もうちょっとそういう面のところについての展望が開けてくるのではないかなと、こんな気がするんですけれども、その辺のところ、ちょっとどうですか。

〇野地洋正社長 まず、プレカットというのは、いわゆる構造材を、建前までのカットをやるのがプレカット工法なんです。それで、木を建前までの状態で材料を刻んで持っていくわけです。うちの場合は、木を切る、尾鷲が一番近いもんで、尾鷲のプレカットへ材料を運んで、プレカットまでに、一応とりあえず柱にして、1.5メーターの形のものをちゃんと入れて、あとは、臍を掘ったりするわけですからね。そういう形で、とりあえず、プレカットの材料を持ってきて、桑名とかあっちの方も結構入れさせてもらっているんですけれども、その後、写真も見てもらったらいいんですけれども、あとの板ずりとかなんとかというのは、うちのはほとんど工場でなくて、その都度、宅急便とか何かで、部材で、切ったり張ったりしないよう、キット方式ですね、そういう形にして、大工さんは、金槌と鋸ぐらいしか持っていないわけでございます。そして材料を供給しているんですけども、ただ、一番ネックなのは、やっぱり乾燥です。

 いわゆる構造材の方は、僕は思うんですけど、やっぱり20%から25%までで十分だと思いますけど、いわゆる内装材の場合は15%以下ぐらいにちゃんとしないと、やっぱり加工しにくいんです。だから、プレカットというのはそういう形で。

 県産材の使用というのは、この辺は結構、国産材は使いますので、やはり地元の場合はクリアできるんですけれども、だけど、県産材でも、ちょっと今日何回も言ったんですけれども、熊野原木市場の場合、かなり県境が多いですわ。奈良県があって、和歌山県があって三重県。ちょっと離れると奈良県になったり和歌山県になったりするわけですよね。だから、この前も言ったんですけれども、この辺の原木では一番いいのは尾鷲でも、ほとんどがこの地域の木なんですわ。これが奈良県に入ったり、和歌山県に入っていくような形になると思うので、そういう形のものは、やっぱりある程度、この辺の木という形で、いろいろと言ったんですけれども、やはり一つ一つという形で、全部仕分けしてあってますよね。

 だから、いわゆる松阪の方とか、あっちの方は、かなり、少・ですからね、どっちか言うたら、原木に関してはね。だから、産地じゃないから、かなり静岡とか、岐阜、それから滋賀とか、あそこら辺に集まって、だから、一番上材でも、この辺の市場と、この辺は産地市場ですから、ほとんどこの辺の産地ですね。

〇森本委員長 どうもありがとうございました。

〇山本勝委員 私も、流通コストはちょっとわからないんですけれども、例えば、桑名四日市に住んで、私もここは県内産の材料で家を建てようかなと思っているんですよ。北勢を見ていると、飛騨の材料を持ってきて、家を建てますよとというのが最近流行ってるんですわ。しかしせっかく県内産の尾鷲であり、それから、熊野でいろいろありましたが、飛騨の材料を持ってきて家を建てますよということを、いろいろとPR的にやってみえて、割とそうすると、飛びつく人が見えるので、できればこういうことをPRしたらどうか。PRすれば、少しくらい需要に繋がっていくのではないかと思うんです。

〇野地洋正社長 逆にこちらから、三重県産材を、滋賀とか奈良とか、愛知とかを逆にPRして、熊野材を使ってくださいとやっていますから、そこは、いわゆる、そういうところで大きな気持ちでする方が僕はいいと思うんですけどね。

〇山本勝委員 それともう一つは、プレカット工法ですけど、例えば、あの話を、反論するのは、最近は木を切ったら、半年ぐらいその場で寝やすとかいうふうなことを聞くんですけれども、プレカットを例えば、ミサワホームなんかに1社でももらったら、ものすごい需要があって、尾鷲くらいでは需要が追いつかんというような感じもするんですけど、とにかく国産材の方は、地域でも金がかかっているから、拡販に繋がらんと、そんなところと提携してどんどんやっていくということはどうなんですか。

〇野地洋正社長 大手のハウスメーカーには敬遠します。なぜかといったら、いわゆる部材をつくるぐらいにはなると思うんです。ただ、そこに、7割も8割も下げてきた場合、でコストダウンに繋がりやすい大変な状態でありますと。

 じゃなしに、この辺の木を、地域の、各地域のビルダーあたりに、そういった形で、木を豊富に使って、木を大事に使っていただくところをターゲットにして材料を供給するというような形をとっていると思うので、大手のハウスメーカーの部材にという形は、市としてはこの辺でも、どちらかというと供給不足ですよね、それだけの供給力はないと思うんです。

〇青木謙順委員 一志郡から選出の青木でございます。今日は、いろいろと皆さん方と共通する田舎のということで、ありがとうございました。

 皆さん、それぞれの分野で、限られた時間でございましたけれども、成功されて、それぞれ積極的に、また、次世代にどのように地域を引き継いでいくのかというような熱い思いで語っていただきましたので、私もひしひしと感じさせてもらったんですけれども、今までの皆さん方のいろいろの取り組みの中で、一朝一夕にできたものではないなという思いを持って感じさてもらったわけなんですけれども、皆さん方の事業や取り組みにかける中でも、いろいろ失敗例とかあると思うんですけれども、ご苦労された例とか、それからどうしてもこういったものがダメでなかなか進まなかったと、それがこういった形になっているとか、そういった具体的な例があればお教えいただきたいなと思いますし、それは私も教訓にさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。一つずつで結構でございますので、お願いします。

〇森本委員長 西村さん、どうですか、その辺。

〇西村幸彦経営指導員 私も、一件一件口説く作業、商店主の魚屋さんとすれば、お父さんから口説くわけですよね。お父さんは別に奥さんに何も言わへんですね。だから、情報は自分で終わって忘れてしまうという、日々の生活ではあるんです。だから、外に出ることを知らないわけです。ですから、じゃお母さんはというと、お父さんに聞こうともしない。だから、お母さんに言いに行くわけですね。そしたら、後継者とかそういう問題があったりすると、じゃあ、息子さんが聞きますと。そしたら、息子さんあてに話します。だから、1軒に3回言わなあかんわけですよ。じゃあ、1軒に3回言わなあかんけれども、今度は、1週間たったら忘れる。また行って話をせないかんわけです。ですから、その情報が、一家の中で一つの、自分とこがこうやってしたいというところに行くまでに、相当時間がかかるわけです。ですから、例えば、1カ月で終わる場合もあるけれども1年かかる場合もある。

 ですので、試作品なんかをつくる場合は、もう、時既に遅しなんです。こんな小規模というのは弱いわけですね。ですから、やはり私はここで思ったのは、これを即座にわからす方法はないかなと。商売だから、すぐに利益を出す方法を、やっぱり味わってもらうことが大切ですね。味わっていただくと、今度は自分の手法を取り入れて、また今度は、それをもとに何か考えてくる。そこでやっぱり、我々の知恵を聞く。どうしたらいいかなという話だと思うんですね。

 どうしたらいいかということは、資本も要ります。資本が要る話もします。ですが、ここまで持ってくるまでに非常に時間がかかるわけですね。ちょっと客観的な話になりましたけれども、そういうことです。

〇浜中佳芳子代表 私たちの会議におきましては、各地域、地域で、ボランティア組んでる人と違いまして、三重県全部に広がっておりますので、桑名から熊野までの女性たち全部が集まって会議をすることというのが、年に3回持てればいいぐらいなんですね、それぞれ仕事を持ってやっておりますので。

 それで、私たちの仕事は、三重県の道路協会の所属となっております。そこで、一応、事務仕事なんかをやってもらって、情報をいただいたりしております。ほとんどが公共事業が相手ですので、行政の方たちといろいろやりとりをやってもらうことが多いんですね。資料をもらったりですとか、別の情報をもらったりですとかいうことが結構ありまして、市町村の関係の建築課の方ですとか、あと県でしたら県土整備部の方ですとか、そういう方を介して情報のやりとりをすることが多いんです。

 そうしますと、初めは、一緒に立ち上げた方がおりまして、いろいろな情報交換もスムーズにいったんですけれども、行政も、私たちから見れば悲しい慣習なんですけれども、配置転換がありますよね。異動がありますと、私たちが今までやってきた活動をまた一から説明しなければならない。そうすると、もうちょっと、これ、批判ととられてはいけないんですけれども、昔からのやり方でやってきた方にすれば、たまたま来たおばさんが、何をややこしいことを言うとるんやと。そうじゃないんです、私たちはこういうことを考えて、こういうやり方をやって、こういう意見交換をやる、全部一から説明してまた理解をしてもらって情報をもらう、そういう繰り返しで、やっぱり、異動があるたびに、各自治体でも行われて、今回県でもそういうことがあったという。

 異動があれば、私たちの活動を理解してもらう方々が広がるということで、新しい出会いのチャンスでもあるんですけれども、理解を求めるための、ちょっと手間もありまして、そういう部分があります。私は、国に対しても同じです。理解を持って聞いてくださる方が変わってしまうと、また一から理解を求めていくという、そういう繰り返しの中で、やっぱり県あたりでは、できればお話のわかる方が次の方にきちんとした申し送りをしていだたくとか、こういう活動をやって、こういうことになっていますよというようなことが、私たちの活動を認めていただければの話ですけれども、そういったことで、もうちょっとスムーズさがあればありがたいなというふうに思っております。

〇大西誠代表理事 先ほどの質問で、今、うちのパイロットでも、何とか、労力といいますか、何とか、作業に支障を来さない状況でございますけれども、ほんまに近い将来、労働力不足が起きてきます。特に、今でも男性の方はありますけれども、女性の農業への作業する方が極端に少なくなってきています。もうこれから、労力の確保というのが、一番要になってくるというふうに思います。

〇森本委員長 いいですか、あと先生方、何か。

〇橋川犂也委員 私、南勢町五ケ所というところでございまして、田舎で、こことよく似た感じで、悩みも同じような共通の悩みを持って、ずっと今まで暮らしてまいりました。

 そんな中で、今日は、地元のそれぞれの優秀な方々のお話を聞かせていただいて、本当に心強い思いをさせていただいたわけでありますが、実は、皆さん方に関連する話になってしまうんですけれども、私は今、230年ぐらい続いてきた店を、つい最近閉めました。これは、道路ができたせいなんです。だけど、子供たちは、全部都会に、通いながらでも勤めることができました。それは、道路ができたおかげなんです。ですから、そういう面で道路というのはいろいろな役割があろうかと思うんです。

 それから、商売を長くやっていましたものですから、私今、昔からの200年以上前の土蔵がございまして、そこを改良しまして、その土蔵の中で暮らしております。ところが、そこへ入ってもう2年ぐらいになるんですけれども、非常に、夜、よく眠れるんです。ものすごく体にいいことを感じております。昔の土蔵ですから、土と材木だけで何も使っておりません。そういう中で2年間生活をしておりましたが、非常に夜よく眠れて、ストレスが少なくなった。だから、今野地社長がおっしゃられておった健康についての木材の使用ということが、これからはやっぱり注目されてこようかなと思うんです。

 私は、名前とかはっきり覚えてないんですけれども、アメリカのサンシティ、お年寄りだけが2万人も3万人も暮らしてみえる町がございます。そういうのが幾つか放射線状に集まりまして、6万、7万の大きな都市をつくっている。

 アメリカは現在、早ければ早くリタイアしたほどステイタスが高いそうでございまして、だから、早くみんな引退してそういう町へ行って生活する。ゴルフ場が真ん中にありまして、いろんな住宅がその回りにいっぱい建っていまして、どこからでもゴルフができたり、あるいは文化サークルというんですかね、そういうセンターがあったり、いろんな老人向けの施設がいっぱいある町でございます。

 そこへ、アメリカじゅうからどんどん集まってきて、そして、日曜日になりますと、息子たちのところへ集まってくる。そういうふうなシティを見学に行ってきたことがあるんです。

 私は、野地さんにお願いして、この地方に、どこかそういうセンターをつくっていただいて、そこに木材の住宅を、それも健康住宅に特化したバリアフリーの住宅をつくっていただいて、都会のリタイアした人たちをそこへ集める。そして、更谷さんにお世話をしていただく。そして、まだまだ十分働けますからね、リタイアした人は。それは、大西さんのところへ働きに行く。そして、ミカンとりでも野菜づくりでも何でも教えてもらいながら、私はそういう理想的な生活が、今後熊野ではできるのではないか。

 特に最近、やはり生活様式が変わってきまして、スローライフという、野呂さんも、しょっちゅう言うようになりましたね、知事がね。スローライフ、それから風土、それから食べ物、あるいは生活そのものが、やはり昔のそういったものをよくしていこうという、昔の方に戻しながら充実した人生を送っていこう、そういうふうなことに、この東紀州地域というのは、絶対にすべて条件を満たす、こういう場所じゃないかな。

 そういう面で、高速道路ができるということについても、先ほどもお話がありました、都会から来るのも楽だし、息子さんたちがやってくるのも楽だし、そういった意味で、私は非常にそういう面では将来的にスローライフというのを売り物にしていった場合、東紀州地域というのは、すべて条件がそろっているというふうに考えます。何とか西村さん、その辺の企画を、どうしたらスローライフで都会から呼び込めるか、ぜひひとつお考えをいただいた中で東紀州地域を盛り上げていく。

 NHKの朝ドラでやっていました。やっぱりあれも本物を提供したり、本物の人間らしい生活を提供したり、健康な、長生きができる楽しい働けるような場所をつくったり、そういったものをこれから与えていくことによって、私は、生きる道がそこにまた生まれるんじゃないかと、こんなふうに思うものですから、ぜひひとつ、皆さん方、今お話をいただいておりますけど、それをぜひ結集していただいて、それぞれのオーソリティが中にいらっしゃるわけですから、横の連携をとりながらやれば、今言ったような話が実現化あるいは現実化してくるんじゃないかな、こんな感じで聞かせていただいておりましたので、ひとつ希望ですけど、ぜひまた横の連絡もとりながら、労働人口が足りなくなると大西さん心配しておりけれども、年寄りに働いてもらいましょうよ。もう、ちょっと疲れたらいいから、更谷さんとこでちゃんとしてくれますということで、ぜひひとつそういうことでお願いいたしたいなと、こう思っていますので、よろしくお願いいたします。

〇中川正美委員 私もちょっと要望みたいな、浜中さんのご高名は前から知っておりまして、今日お会いできて大変うれしく思っておるんですが、その中で、みえのみち女性会議ということで、三重県すべての地域ですね、見ましたら、伊勢が入っていないんですね。そして、先ほど伊勢遷宮と熊野古道の連携等々の話ですね、うちところの女将さん会とか、女性部とか、それから今度、翁の会という会をつくって、式年遷宮へ向かって女性からと、天照なんか女性の神様ということでやってるんですが、ぜひともやはり県の施策の遷宮に向かって云々と、こういうことですので、ぜひとも勉強してもらいたいなという要望なんですけれども、入っていないから。

〇浜中佳芳子代表 実はですね、私たちの会は、本当に初めのとっかかりは、完全な充て職でございまして、道について何をしゃべらせてもらえばいいかわからんようなところでパッと集められまして、しゃべれるもん集めてこいぐらいの話だったと思うんです。ですので、別にこれは地域を限定した会議ではございませんで、この間も末松さんのご紹介したときに、鈴鹿の女性が入っておりませんというお話がありました。どんどんお声をかけていただきたいと思っております。

 それで、同じようにこの活動に賛同していただけるのであれば、今、北の方では第二名神が大変な状況になっておりまして、第二名神に関する会が幾つかできております。そこの代表の方もうちの会に入ってもらったりしておりますので、本当に地域、地域で声を出せる方が、できる方ができることをやればよいというのがうちの会のモットーでございますので、会議があるときに来ていただければいいし、全国フォーラムの中でも一緒にしていただくと、三重県の力がものすごく力強く思いますので、ぜひお願いいたします。

〇藤田正美委員 今日はどうもありがとうございました。本当に皆さん方のお話を聞かせていただいて、非常に頼もしく思わせていただきました。

 というのは、今までの、何でもかんでも官がやっていくというような時代から、やっぱり地域住民の方から内発的に物を考えていかないかん時代になったと思うんです。我々は、この県議会の地域経営創造会議というとこからこの特別委員会を採択しまして、いよいよ先ほど浜中さんが言われたように、行政の担当者が親切に教えていただいても、何偏もこの2年ぐらいでかわっていくと。持続可能性がないんですよね。ですが、そういう意味では、こういう特別委員会になったということは、これからも議事録に残ることですから、こういうものが一つあるんです。そこにやっぱり住民参加をしながら物事を考えていくということがこれからのベースになるんではないかなと私は思っております。

 そんな中で、今までの右肩経済というか、そういう時代から、やっぱり人口も減ってくるし、経済自体も減速するかわからない。マクロでは、そういう時代であったと思うんですよ。我々が一番これから教えていただきたいのは、やはりこの地域の皆さん方が、この地域をどのような地域に持っていこうか、今、橋川先生がスローライフにしようかなとか、高齢者の復帰を目指すまちづくりをしようとか、さまざまなこれからの方向性によって、この地域がどうなっていくかということが試されると思うんですね。

 そういう意味では、例えばこういう活性化とよく言うんですけれども、例えばこの地域はGDPを上げていくのか、あるいはスローライフをしていくのかというような大きな方向づけというのか、そのときに大切ではないか。そういう意味では、今まで官が専門家といろいろな情報を収集して、それをつくり上げて住民に流すよりは、今みたいな会議をして、その場から、ある意味ではそういう、この地域のグランドデザインを我々はつくり上げたらいいと思っておるんです。よ

 そういう意味で、ちょっと難しい抽象的な質問でございますけれども、皆さん方に、この地域はどういうふうな活性化並びに方向に持っていったらいいかというようなことを一遍お聞きしたいと思うんです。ちょっと難しい質問でございますが。

〇森本委員長 西村さん、どうですか、今の。

〇西村幸彦経営指導員 資本があれば黙っててもということもできると思うんですね。だけども、この辺の地域の方というのは、余りないですね。ですから、待っていただくとだんだんだめになるんですね。だから、例えば原野でいくと、やっぱり、足で踏んでそれを平地にせなあかわけですよね。だから、せめてそのぐらいはできるような感性をしなければいけないということだと思います。

 ほっとけば何にもならないですね。ですから、高速の問題でも、例えば小浜なんかそうですよね。つきましたですね、高速。だから、小浜の方というのは、人口が減って、何にも地域にお金が落ちないと。これがどういうことか。それまでに何も考えなかったという話なんです、簡単に言うと。考えてみたけども、形になっていない。ですから、少なくとも足で原野を踏んで、それをお尻で座れるぐらいまでせないかん。だから、私はそれを具体的に皆さんで語り合って、つくっていく。

〇浜中佳芳子代表 高速道路の利便性で、出ていくことを心配するということですけれども、実は私、今、紀勢線としてできる道路と、熊野尾鷲道路に関しては、決してほかの地域と同じように考えるものではないなと思うことがありまして、実は、42号線を、夜、走られたことがあると思うんですけれども、へたな自動車道より走れるんですよ。ですから、時間距離を縮めるための高速道路ではないものと私は考えております。それよりも、ここにできてくる高規格道路は、災害に強いということがうたい文句だと思っておりますので、大雨が降ろうが、地震や災害になろうが、確実にボランティアなり物資の供給ができるという安全のための道と考えておりますので、この高速道路の持つ意味を、もちろん流通ですとか、交通に使うことが必要なんですけれども、そういう確実な道というふうに考えていなければ、流出ばかりを心配をするものではないのかなと思います。しかも、1車線ずつですので、本当に、下手したら42号のが走れたぞという話になるかもしれない道なんですけれども、雨が降っても、確実に親の病気を見に行けるという、私はこちらのプロジェクトの方で進まれた方がいいのではないかというふうに考えています。

〇森本委員長 更谷さんから、あとは懇談会の方に、熊野の方に行っていただいて、そのときに発表しておられるので。あと、桜井さん。

〇桜井義之委員 貴重なご意見、お聞かせいただいたというふうに、力強く思いました。今日は、県民局長以下県の職員さんも、後ろに控えていただいているんですが、遠慮なく、率直に、今、東紀州の地域政策に何が欠けていて、これから何を注ぎ込まないかんのかとか、率直なご意見をちょっと聞かせていただきたい。

〇森本委員長 西村さん、どうですか、今の。

〇西村幸彦経営指導員 私ども、いろいろ、県と行わせていただいている企業ですけれども、国・県その他、随分いただいているんですね。本来の仕事もしながら、もちろんしていますけれども、こういった補助金をもらうための資料ができていないんです。事業をやるための補助金ですから、それを活用していかないかん。ただ、行政の参画については、官民一体というもう、形ができ上がってきていますのでね。

 じゃあ、例えば一つの資料を、官と民と一緒につくりました。それをもらったら、それで終わりというのではなくて、これは、単年度主義の、やっぱり悪いところですね。それを、やはり、その後でというような、継続性というような、そういったものが、お金ばかりじゃなくて、その意識が欲しいということです。

〇浜中佳芳子代表 本当に長期の考えをお持ちいただきたいと、先ほどと同じことです。

 それと、私たち女性が何を、そういう生活に密着したということに関して言えば、行政の常識と私たちの主婦感覚の常識の違いを、本当に真摯に聞いていただきたい。本当に感覚が違うというだけで、首を捻られると、次に話が進まない。その辺を、普通感覚、家計簿感覚で行政を行ってもらうと、無駄が一つずつ減らせるのではないかというふうに思います。

〇森本副委員長 時間もありませんので、まことにありがとうございました。やはり、いろいろ聞かせていただいて、人に尽きるのだなというのを、改めて思っているわけでございますし、本当に皆さん、ありがとうございました。

 ですから、こういう方々を一人でも多く、どう後継者をつくられていくかということが、この地域の最大の課題なのかなということで、私どもの地域も、松阪なんですけれども、同じような山間部を抱えて、私もそこに住んでおりますので、少し勉強させていただいて、ありがとうございました。

 ただ、今回のお約束の質問時間も余りなくなってきましたので、浜中さんには、私自身、今度、県土整備部の委員長を仰せつかっておりますので、いろいろな構想につきましては、また、できる限りの応援をさせていただきますので、お約束をさせていただいて、終わらせていただきます。

〇島本暢夫委員 私、地元ですので、委員としても、お礼で、それぞれの分野でこんなにいろいろなことを、最初からずっと、改めて感じます。

 商工会では西村さん、ある話をして欲しかったんですけれども、資料の中でありました。次回にしていただきたい。高速道路の浜中さん、ごくろうさまでした。命の道と、いい名前をつけました。

 私は、今、更谷さん、福祉の方とも関係があるんですけれども、親がひとりで、病気になったというときに、やっぱり高速道路だったら、2時間で名古屋からでも来れるということが、離れて暮らしていても、そういうことが安心だと思って、高速道路があれば。隣に住んでいるのと同じなんですから。ですから、いっぱいあるけれども、それも一つの命の道だなと思います。

 福祉の問題でも、有名な方もおられますし、名前は言いませんけれども、福祉では、親というのは、自分の家で死にたい。みんなそうだと思いますけれども、自分の家で死にたいんですけれども、やっぱり、今の日本の情勢からいくと、そうはいかない。ひとりで、高齢化社会になって、ここらの人の高齢化というのを多いんですね、この親というのは、一番えらいものです。子供はやっぱり、ここらで一人前、お金が、所得が少ない中で子供を育てて、みんな、親になったら、東京、大阪、名古屋、鈴鹿と出ていくんですよ。そこで、税金を払っておるんです、みんな、自分の育てた、苦労した子が。だから、その地域は、税金がない。日本のどこかでいっぱいあると思っております。それが、ここに住んでいる。ここは老人高齢化ですから、育てた人がいっぱい散らばっているんだから、東紀州にも何とかと思います。

 以下、私も子供とき、小さいころ、うちは、ミカンの木が200本ぐらいあったんです。島勝というところですけど。で、ミカンで大きくなったようなもので、そのとき200本あったんです。今のように、立派なミカンじゃないですけど。だから、懐かしい話を聞かせていただきました。ありがとうございました。

 また、ここを終わったら、ミカンでもつくり、間に合わんですかな。野地さん、私の隣が速水林業ですので、私のおやじも林業で、栃原の山ですべってけがをして死んだわけです。ですから、道というものが、うちはもともと林業ですから、林業に興味をもって、いろいろなことがあるのかなと思います。

 皆さん、本当にありがとうございました。

〇森本委員長 島本さん、今日中に閉めようと思っていますので。

 別に委員長からの発言は無いんですけれども、今日は、皆さんからいただいた意見を、私たちの意見として、自分なりに体内で消化して、この委員会でも消化して、県の執行部の方へ、適切な提言、この地域の振興にかかわるような提言という形で実らせていきたいと思います。

 どうも、本当に長時間ありがとうございました。よろしくどうぞ。

 これで閉会といたします。

 2.その他の事項について    (なし)

II 委員協議           (なし)

〔閉会の宣言〕

以上、会議の要綱を記し、ここに押印する。 

平成17年 7月20日          

東紀州地域経営調査特別委員長   森本 繁史

ページID:000019418
ページの先頭へ