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三重県議会 > 県議会の活動 > 委員会 > 委員会会議録 > 平成20年度 委員会会議録 > 平成20年7月10日 政策総務常任委員会 会議録

平成20年7月10日 政策総務常任委員会 会議録  

  政策総務常任委員会

会 議 録

(閉 会 中)

 

開催年月日  平成20年7月10日(木) 自 午前10時03分 縲怐@至 午後12時13分

会 議 室   601特別委員会室

出席議員    8名

                       委  員  長   舘  直人 君 

                       副委員長   小林 正人 君

                       委   員   津村  衛 君

                       委   員   村林  聡 君

                       委   員   奥野 英介 君

                       委   員   杉本 熊野 君

                       委   員   中村 進一 君

                       委    員   西場 信行 君

欠席議員    1名

           委   員   藤田 正美 君

 

参 考 人   2名

           有限会社 Landa Associates 代表取締役 宮本 倫明 氏 

           四日市大学総合政策学部教授       岩崎 恭典 氏

 

出席説明員

                          理事(「美(うま) し国おこし・三重」担当)  藤木 和弘 君

                                                                   その他関係職員

傍聴議員        7名

                           中村  勝 君

                           青木 謙順 君

                           真弓 俊郎 君

                           水谷   隆 君

                           前田 剛志 君

                           大野 秀郎 君

                           中森 博文 君

県政記者クラブ 1名

傍 聴 者     1名

議題および協議事項

  1 「美(うま) し国おこし・三重」のめざすところ

 2 住民自治の観点から見た「美(うま) し国おこし・三重」

 3 委員協議

  (1)県内調査について

  (2)県外調査について

  (3)県政報告書について

 

【会議の経過とその結果】

 

〔開会の宣言〕

 

議題および協議事項

  1 「美(うま )し国おこし・三重」のめざすところ

   (1) 資料に基づき説明(参考人:宮本倫明氏)  

○舘委員長 それでは、調査に入ります。
 まず、初めに、「美し国おこし・三重」の目指すところにつきまして、宮本さんの方からご説明をよろしくお願いいたします。

○宮本氏 皆さん、おはようございます。
 早速ですので、説明させていただきます。
 お手元の紙の資料と同じものでございます。それで1時間ぐらいでお話しするような内容ですので、ちょっと途中はしょりながらという部分もあろうかと思いますけれども、本質的なところだけをかいつまんでお話をさせていただきたいというふうに思います。
 まず、ここにその「地域づくりを加速する」という言葉と「心を動かす」という言葉がございます。地域づくりは、日々営々各地でそれぞれ有志の方やいろいろな方が取り組まれておることでございまして、それを、足を引っ張ったりとか歩みを遅めるようなことであってはならない。いかにそのやる気と、地域を作っていこう、大事にしていこう、守っていこう、もしくはにぎやかにしていこうという、そういった動きをいかに支えて、環境を作ったりとかいうことを含めてバックアップをしていくというか、こういうような趣旨をまず冒頭に置くべきだろうと。
 それから、もう一つのポイントは、なかなか手続とか財政出動等というようなことで、本質的なことがなかなかこう琴線に触れないとか、もしくは人の心を動かさないという、そういったようなこともございます。それで、地域を作っていくには何が一番大事かというと、やっぱり人が心を動かすことから始まるというふうに、私の今までのつたない経験からはそういうふうに思っておりまして、そういった意味では、心を動かす地域づくりということについて、常にこれを念頭に置きながら進めていければいいんじゃないかというふうに考えているところでございます。
 それで、一言で言って何だということで、これは、「美し国おこし・三重」というのは、自立・持続可能な地域づくりということの総体の名前だと、運動の名前であると。これを言いかえると、三重から発信する自治変革運動、これは住民の自治に関する意識も変えていこう、それから自治体や自治体の職員の方々の意識も変革をしていこう、変えていこうと、そのきっかけになるような事業というような位置づけ、これを「美し国おこし・三重」というようにとらえていければいいんじゃないかということでございます。
 それから、役割としては、まずは今回の事業はすべて事業の根幹となる住民のグループ、これをすべての基盤にしていこうという考え方でございます。したがって、制度とか、そのやり方とかということが先にあるのではなくて、いろいろな住民のグループの方々の自発的な活動とか、地域づくりに対する思いというようなものを吸い上げるところからスタートしていくというのが、事業のファーストステップ、第1ステップでございます。
 それから、そのグループがいろいろな力を発揮できるように、要するに潜在力を発揮できるような、そういう環境を整えていこう。さらにはそれを、これが、3番目が大事なところなんですが、地域のグループは一生懸命いろいろなグループが活動していますけれども、それがほかの地域とつながったり、ほかのグループとつながったり、それがもっともっと広がって、県外、それから国外のグループとつながることで大きく飛躍をする可能性が生まれる、こういったことを、その連携を促すという形で重要視をしていこう。さらに、それをプロセスや集大成と、イベントという形で情報発信をしていく、これ知ってもらう、認知をしてもらうということが、社会的に存在をはっきりさせる一つの大きな手段になりますので、そういったことをイベントという形で発信をしていく。これらの一連の流れを踏まえて、美し国おこしというような一つの事業ということで構成をしていったらどうでしょうかという考え方でございます。
 具体的にはどういうことになるかといいますと、各市町で座談会というようなものを構成いたしまして、これでさまざまなその地域づくりの実務者や、直接地域づくりにはかかわっていないんだけれども
 最近何かこんなことがちょっと気になるとかというような方々を集めて、いろいろなディスカッションをやっていく、その中でさまざまなテーマが出てくるわけですが、こういったテーマに基づいて、それぞれのグループをグループ化をしてもらう、これを自発的組織ということで、パートナーというふうに称しまして、その活動の内容が地域に密着した、地域の個性を生かした取組の場合は、地域におけるそのパートナーということで、この今回の事業に参画を促していこうと。
 さらには、そういったグループの中で、ほかの地域でも同じような、似たようなグループ、テーマを持ったグループがいた場合はこれを連携して、全県でそういったテーマに基づいた運動をすることによって、情報の発信力を高めたりとかということでやっていこう、これをテーマに基づくパートナーという形で参画を求めていこうということでございます。
 それから、そのグループができ上がりましたら、そのグループに広報や誘客の支援、また担い手づくりやネットワークの支援と、それから補助事業としてその具体的な事業やイベントの支援、さらには専門家によるノウハウの支援、それから県の各部局と連携した支援と、こういったことを生活者の視点で組み合わせをしながら、各グループに一番適した処方せんといいますか、手当てをしていこうじゃないかということでございます。そうすることで、各グループが、それぞれが地域をまたいで連携をしたり、それが国内の団体や海外の団体とも連携することで、活動の領域やすそ野を広げ、さらに共同事業や、お互いに何か一緒にやりましょうというような事業を探っていくということでございます。
 これは、例えば、私も4月に県の全29市町を回らせていただいたんですが、やはりその問題意識とか課題とかというのはそれぞれの地域によって違うということでございます。したがって、それぞれの地域でそれぞれの地域づくりをやってらっしゃる活動グループはたくさんいらっしゃるんですけれども、今回議会の方で地域づくり推進条例ということを定められたということなんですが、県の役割としては、例えばそういう市町が、それぞれ地域づくりの団体を広域でやりましょうとなると、伊賀地域とか伊勢地域とかという地域ごとのエリアぐらいまでは何とか広がるんですが、例えば四日市と熊野をつなげるとか、そういった東紀州と北勢をつなげるとかというようなことを、そういったことをその県の、今回美し国おこし・三重の中でどんどん連携をとっていく、お互いがお互いのメリットを生かし合えるような関係を作っていく、そういう機会をたくさん持つことによって、その地域を活性化していくことができるんじゃないだろうかというふうに考えるところでございます。したがって、この連携というところが今回は、この事業の中では非常に重きを置くということになるのではないかというふうに考えます。
 ステップの4で、その集大成やプロセスを、要所要所見ながら、タイミングを見ながら、世の中にやっぱりアピールをしていくということも大事でございまして、そういった意味では、来年度、まずオープニングをするというところで地域づくりを対話する、実践するというような事業を行ってキックオフ、スタートを切っていくと。それから、その途中においては、こういう食をテーマにしたような、食と一言で言っても、生産者もいればコミュニティレストランをやるような人もいるし、食育の問題もあるし、さまざまなブランドの問題もある、いろいろこの食ということは非常に多面的なテーマを持つテーマであるものですから、全県的な取組ということが1つ考えられるのではないかというふうに思います。
 そのほかにも、県内にはさまざまな街道があったり、今地元学ということで地域をもっと深く知ろう、それから地域の資源をもうちょっと掘り起こしてみようというような、こういった自発的な運動も起こっているようでございますので、それを、これを機会に全県的に進めていくプロジェクトをやってみたらどうだろうかでありますとか、海と森を交流させるプロジェクト、それからアートと福祉をつなぐプロジェクト、要するに日頃連携が余りとられていない、そういったグループ同士、領域同士をシャッフルというと語弊がありますが、かき回せるというともっと語弊があるかもしれませんが、お互いがお互いを知り合って、いろいろなことを知恵を絞ってやっていこうじゃないかと、こういうような事業を成果として発表していくというのが一つの流れになるというふうに考えております。
 これはもう皆様方には釈迦に説法かも知れませんが、やっぱり地域づくりというのは人づくりから始まって、人が育ってくるとその人の心の中に、頭の中に、こんなことをやってみたいとか、こういう地域にしてみたいとか、こういうことをこういうふうに利用すればこうなるじゃないかというような物語ができてくるわけですね。その物語を実現するサポートをしてあげることで、その物語を実現する過程でいろいろな人との絆ができてくる。こういったことを繰り返し、またその絆がまたその人間を成長させてくれるというように、こういう循環を意識的に作り上げていく、最終的にはこの地で暮らしたいとか、子どもを生み育てたいというふうに感じることができる地域をつくる、これが地域づくりの一つの考え方ではないだろうかというふうに思います。
 このあたりからちょっとスピードアップさせていただきたいんですが、人というのは志、動機、技術、知恵、経験とさまざまな、人づくりといってもいろいろな側面がございまして、非常に志はある若者がいるんだけれども、技術とか経験がないという人もいるし、技術、経験はあるんだけれども、もうこのままでいいと、このうちの代で、このミカンの畑はこれでもう終わりでいいんだというような、そういうような方もいらっしゃいます。もっともうけよう、もっともうけることでまた新しい担い手が入ってくるというところまでなかなか腰が動かない、そういった人に、例えばこういうような出荷の体制をとることで、これだけの利益が出るじゃないですかというようなことを、どんどんお話を申し上げてやる気になってもらう。そして、地域を盛り立てていく、その一つのグループになっていただくとか、さまざまな人づくりには側面があるということでございます。こういったことなども、各グループや各特性を見ながら接していく必要があるんじゃないだろうかということでございます。
 物語づくりについては、ちょっと省かせていただきます。
 それから、基本構想検討委員会でたびたび出てきた言葉が、絆づくりという、絆という言葉でございました。長時間にわたって何度も各界の先生方やその地域の代表の方々が集まって、いろいろな議論を重ねたんですが、人と人、人と自然、人と地域のきずなが弱まっているんじゃないか、特に人と地域ということに関しましては20世紀的、ちょっと巨視的な話をしますが、20世紀は個人主義という、自分自身さえよければいいとか、自分がよければいいという考え方と、もう一方ではグローバリズムという、すべての価値観が全地球的に共通するんだ、グローバルスタンダードがすべてを律するんだというような、そういった考え方が肥大化した時代だというふうに思います。
 それで、すっぽり抜けているのが、やっぱり地域に対する考え方というものが、これはヨーロッパでも今、その地域コミュニティをどうやって元気にしていけばいいかというのはさまざまな試みがされております。特にイギリスなんかではCICという、そのコミュニティ・インタレスト・カンパニーという、地域に利益を還元するような会社を優遇しようということで、2004年に日本の経済産業省に相当するところが、ソーシャル・エンタープライズ・ユニットという、ソーシャル・エンタープライズというのは社会的な起業というか、「キ」は起こすという方の起業ですが、社会起業局というような局を作って、要は地域の利益になるような会社は優遇していこうという、そういうような政策をとったり、全国で、世界的にも今地域に対する見直しということが進んでいる。こういう中で、三重県として、一つのイベントという形をとりながらも、そういう地域に対する新しいきずなづくりというものを進めていこうという試みの、一つの大きな政策の事業ではないかというふうに感じさせていただいた次第です。
 これは伊江島という、ちょっと話がずれますが、私が2005年ぐらいからちょっと間接的にアドバイスをさせていただいた地域なんですが、沖縄には戦争のいろいろな、いわゆる傷跡もありますし、ここの島には、人口5,100人なんですが、米軍の基地、滑走路も2本あります。民間を入れて3本ありますが、そういった地域で今、修学旅行で大変多くの人が来ていると。
 例えば、大阪の、窓ガラスががんがん割れるような高校が、この伊江島に1泊しただけで、帰ってきた子どもたちが目の色が変わって、全くその学校で悪さをしなくなったと。こういうことから、校長先生がずっと毎年、とにかく伊江島に子どもたちを送り出したいという、そういったことで、このようなグラフのような、ちょっと考えられないような状況になっているんですが、これ以上受け入れると島の生業が民宿業になってしまうということで、一応上限を定めようという自主規制をされているんですが、子どもたちにとってはそれだけその絆というか、特に一番印象に残ったことは、自分たちを受け入れてくれる民宿のおじいさんやおばあさんたちとの、その会話や思い出が一番の思い出になると、こんなことで、要するに、人と人との絆や人と自然との絆ということをまだまだ色濃く残している、そこをうまく次世代に継いでいく、つないでいく、残していくというようなことも非常に大事なんではないだろうかというふうに考えます。
 それから、ちょっと後半は、私が2004年に愛媛の町並博という、これは観光振興をテーマにしたイベントでございます。ここに書いてございますように、観光振興のイベントをやるべしということでご相談をいただきまして、地域の観光ブランドを作りましょう、ただし余り財政的な、100億も200億もかけてというような事業はできない。したがって、パビリオンのないまちづくり型の観光博覧会をやろう。それから、何を見せるかというと、住民の地域づくりの活動自体が観光資源になるようにしよう。それから、広域で、長期で同時にやろう、社会実験だと。それから、4つ目は継続する仕組み、これが一番大事で、いかにイベントというのは今まで、1回やったら疲れた、終わった、もう二度とやりたくないわとか、1回やったけれども後は何も、またもとに戻ったなとかというようなこと、私もそれに携わっているものとして常々そのことは考えてきまして、何とか継続する仕組みというのは、あらかじめ組み込む方法はないかということを考えたわけでございます。
 それで、1番目の特徴の、まちづくり型の観光博覧会というのは普通、例えばおしょうゆ屋さんがやっていらっしゃる、それとは別にボランティアで清掃活動なんかもやっているよというような方、たくさんいらっしゃるんですが、そのおしょうゆ屋さんに、ちょっとその軒先でおもちを焼いてもらえませんかという話をしまして、そうすると、おもちのしょうゆの焦げるにおいにふっと人が集まってきて、それまでは、町並みはきれいだけれども何もないねというふうに言われていた地域が、そうすることによって観光客の方がちょっと立ち寄って、そうすると中を見ると、そこは古代米で赤い甘酒を作っているんですよね。普通、甘酒といったら白いんですが、古代米というちょっと黒いお米で赤い甘酒を作って、それを紅白甘酒で売っているお店でして、非常にいいものなんだけれども、全然誰もそれを今まで気づかなかったんです。それを、おもちをやることで、お客さんがおもちを食べるときに、ちょっと店先でものぞきましょうかねということでのぞいてみて、あらおもしろいと言って買って帰られると。それがまた新しいお土産になって、地元に帰って、こんなものがあったのよと言っていろいろな人にプレゼントしていくうちに、その町の名前が皆さんの記憶の中に残る。その記憶が、要するにブランドというものでございまして、いくらそのパッケージに、これは何とかブランドですといってシールを張ることがブランドづくりじゃなくて、人の記憶に、いかにいい頭の記憶のところに残してもらえるかということが、ブランドを作るということの一つの、唯一のアプローチの手段でございます。そういったようなことを積み重ねながら、生業とまちづくりと観光ということの接点を探っていこうということを一つの柱にしたわけでございます。
 そのために何をやったかというと、まずは、大洲にはお城があります、いや肱川がありますという今までの観光資源の売り方じゃなくて、全くそれとは違うアプローチを行ったわけです。したがって、このまちづくりをやっている住民の方々に集まってもらって、どうすればよそから来た人が楽しんでもらえるだろうかということの議論を繰り返すわけです。これには最初から委員会名簿があったりとか座談会の会員名簿があるわけじゃなくて、本当に出入り自由の会議でございまして、おもしろかったら次回来てもらえる、おもしろくなかったら次回から来なくてもいい。でも、例えばおもしろくて、あいつも呼んでみたいというんだったら仲間を増やすこともできるというようなことをルールにしてやっていきました。あるところでは市長さんも、ぜひ座談会に出させてくれというお話がありまして、でもその市長さんも、市長という肩書きを外して、個人の立場で入ってくる、これが2つ目のルールです。
 1つ目は出入りが自由、2つ目は個人の肩書きで入って、わいわいみんなで夢を語り合ったりとか、課題を語り合ったりとかする。そうすると、3回ぐらいやっていますと、いろいろなテーマが出てきて、そのテーマごとに、じゃあ今度は別にグループを作りましょうということで、愛媛の場合はプログラムグループという名前をつけたんですが、各グループができます。そうすると、グループがまた新しい人をそこに取り込んだりとか、グループ同士が連携をしたりとかというような動きが発生してきたわけでございます。
 こういう座談会は、車座になってやったり、田舎の方だといろり端でやったりとかいうようなこともございました。何回も何回も繰り返さざるを得ない、これはこの場合、2002年からですが、2年度で延べ56回やったわけです。
 それで、この座談会を繰り広げますと、いろいろなグループが出てくる。特に、ご婦人のグループは動きが早くて、さっといろいろなグループが出てくるんですね。その後を継いで、いろいろな若い人たちとか学生、高校生とか、真ん中の方に詰め襟で写っているのは大州農業高校という高校生ですが、彼らは麦を育てて、じゃ麦をみそにしようということで新しい特産品、麦みそを作ろう、こういうような活動を先生の指導のもとでやって、じゃその隣の商業高校の子がパッケージのデザインとか売り方を、マーケティングですね、その勉強をもとにして、こういうふうに売ったら売れるんじゃないかというようなことをやる。要するに、農業高校と商業高校が連携してプロジェクトを作ったりとかという、そういうように、子どもたちや学校も含めて取り組んだ事業でございました。
 そうすることでさまざまなグループが生まれてくるわけなんですが、ここが大事なんですが、継続させるためには、やっぱりボランタリー、要するに持ち出しだけじゃ続かない。したがって、何らかの対価をサービスや商品につけていこう。そうすると、途端に今までの勢いがなくなって、おっかないと、お金を人からもらうのはどうかと、特にその愛媛の南予というのは本当に人柄のいい田舎なものですから、そんなことをやって粗相があったらどうしようかとかと、いろいろなことが心配になる。
 それを、大丈夫だということで今度は専門家をそれぞれ派遣をして、具体的にお客様にこういうふうに接するのであるとか、商品はこういうふうに売れるとか、もしくは関西の百貨店で流通の講座を持っていらっしゃる方にアドバイスに来ていただいて、直接そこのお店で取り上げてもらえるようなことをしたり、これを繰り返し繰り返し、各グループに対して支援をしていく。その結果、これはちょっと省きますが、町並博といったって、うちには町並みはないからなとかという反応はあるわけですね。山の方とか海の方へ行くと、町並みは関係ないからうちは関係ない、美し国おこしでも今回、回らせていただきましたけれども、いやうちはどうだろうというような反応の市町もございました。
 そういういろいろな方々いらっしゃるんですけれども、すべてつながっているんだと、例えば町並みは景観があってこその町並みだし、その景観は自然があってこその景観だし、さらにその自然を構成するものには田んぼがあって、いやこの田んぼを使ってこういうプログラムを作っていきましょうよというようなことで、いろいろなその関係性、多くの人に参加していただけるような、そういった事業にしていこうということで考えた図でございますが、3番目の特徴、これが広域・長期・同時多催ということで、今回のイベントというんじゃない、どこか会場があって、何か人がそこにたくさん集まってというのがイベントだというふうに、皆さんお考えになると思うんですが、例えば私が今までイベントをやってきた中で、一番の特徴は何かと申しますと、例えば誕生日もイベントというわけですね、結婚式もイベントと申します。これ、よくよく考えたら、18歳から19歳に年が変わるとか、今まで別々に住んでいた人間が一つに暮らし始めるようになるとか、今までおじいちゃん、おばあちゃんと5人家族で暮らしていたのが1人欠けて、お葬式がイベントだということでは家族構成が変わるという、要するに人間というのは変化のタイミングにイベントをやる習性があるんです。集まったりとか、悲しんだり、喜んだり、楽しんだりとかという習性がある。
 この変化のタイミングに集まるということを活用しながら逆に変化を起こしていくという、イベントをやることによって変化を起こしていくということができるというのが、これが私が今まで20年近く、20年間やってきて、一番大事にしたいなと思うことでございます。したがって、やっても何の変化もないことは最初からやる意味がない、それはイベントじゃないんだというふうに私は考えております。
 それから、最後、一番大事だと申しました継続する仕組みでございます。これは、ここまでは来るんですね、大概来るんですが、なかなかこの後に続かない。したがって、各グループを育成する段階から、今回はこの事業を継続することが一番の条件なんですよ、だから継続するような事業を考えましょうね、そのための仕組みも考えましょうね、いくらこれやればコストがかかりますか、いくらこれを売ればもうかりますかという話をとことんまで詰めるわけです。したがって、こういうそのイベントの場を、イベントをやらなくちゃいけないから、あんたのところでこういうことのイベントを手伝ってほしいんだというような、そんなアプローチとは全く違うアプローチをしたわけです。
 したがって、その継続するグループは終わった後、80%ですね。これは目標を100にしたんですが、84のグループができまして、終わった後も活動を継続すると表明してくれたのが約8割の66のグループが活動を継続するということになりました。したがって、逆に言うと活動を継続できなくなった残りのグループは、大変申し訳なかったと、申し訳ないけれどもちょっとこれはもういろいろな事情でできないんだということで、県の方とか実行委員会の方に、申し訳ないということで謝りに来られたような方もいらっしゃいました。基本的には、ですから継続するということを最初から皆さん理解していたために、例えば1年で補助がなくなるとか、2年目からなくなってサポートがないのでどうしてくれるんだとかというような、全く、クレームは一切なかったわけでございます。
 それで、これはまとめの表でございますが、ちょっとこれも本当は一つ一つご説明したいユニークな取組がたくさんあるんですが、例えば右の着物体験のおばちゃまたちが最初にグループを作りました。それに触発されて、じゃその着物を着たグループを僕ら人力車で町へ引っ張ってあげるよ、要するにブランドというかその特徴というものは、ほかとどう違うかということが特徴でございまして、昔の着物体験をやっているところは京都にもあるし、奈良にもあるし、金沢にもあるし、どこでもあるぞ、何もそのためにわざわざ愛媛まで来ないよ。いや、じゃもうちょっと工夫しようと言って、じゃ人力車で案内しよう。いや、それだって京都も、今最近は浅草でもやり始めたと。それじゃもっと考えようということで、左側の「甦れ!明治の婚礼」というこれは、もっと考えよう、もっと考えようという中から生まれてきたアイデアなんですが、あるおばあちゃんが、昔、明治時代にはろうそくの光の中だけで結婚式をやっておったと、あれはすごかったという話をヒントに、じゃそれを再現しようということで、いろいろなグループが協力し合って再現したんですが、北は北海道から募集があって、大変ユニークな風物詩として、今も続けておられます。
 それから、内子町というところでは「レトロバスを走らせよう」、内子というのは重要伝統的建造物群保存地区、重伝地区の一つに選ばれている、非常に古い建物がある町並みなんですが、そこは町並みはそこそこの人が来るんだけれども、ちょっと離れた商店街にはほとんど人が寄ってくれないと。何とかならんかということで若者のグループが、じゃバスを走らせて人を引っ張ってこようと、ただのバスじゃ乗らないからレトロバスを買おう、調べたら380万円すると。でも100万円が上限だから、その上限の助成に自分たちでお金を出し合ってこのバスを買おう。仲間内のタクシー会社が路線を申請して、そのお客さんを引っ張ってくることに成功しています。それで、これ2004年にこれをやったんですけれども、2005年にはもう1台バスを買おうと。今3台目のバスを探していて、今NPO法人化して事業活動を継続されております。
 そのほかにも、大洲というところではこういう地域のれんがを、建物がたくさん残っているという、こういった地元学の一つの延長ですが、そういった資源を活用したツアーを作ったりとか、郷土料理のお店をやったりとか、いろいろな例がございます。それから、ホリデーインカヌーというのは、今までカヌーで遊んでいたグループなんですね。先ほどの三角形のピラミッドでいうと、地域に対する志はほとんどない、でも自分たちで楽しみたいという動機があった。でも、それを地域のために何かやれることがないかと考えたときに、じゃこういうことは我々だったらサービスが提供できるんじゃないかということで、そういうプログラムを作って体験のメニューになったりとか、そういうことでございます。
 そのほかにもさまざまな、子どもたちに昔の生活、文化を体験させるというような石垣の復元体験ツアーとか、あとは、これは当時、肱川町ですが、文楽が残っておりまして、ただ後継者がいない、もうこれで誰も継いでくれる人がいないので、もう終わりかけていたんですが、考え方を変えて、交流後継者という考え方をとろうと。要するに、通いで後継者としてその技術を学んでもらうような人たちを迎え入れようじゃないかと発想を変えたことで、何とか先が見えてきたとか、そういうような例もございます。
 このちりめん祭りもそうです。漁業従事者が1,000万、2,000万の年収を稼ぐ、非常にここはいい、ちりめんというのは魚種なんですが、ただ自分たちが地域に対する思いがなかった。それをほんのちょっとでもいいから地域でそれを食べさせるような場を作ろうということで、このちりめん祭りということをやり始めたんですが、これが今評判になって、どんどん人が来るようになって、漁師のおっちゃん、漁師の方は非常にきっぷがいいものですから、それだけ人が来るんだったらといって自分の2階を全部改造して、お客さんが食べられるようなスペースをつくって、観光客を受け入れていると。こんなような、状況が変化してきたわけですね。
 そんなことでやってきたんですが、当然この実行委員会というものが解散をして、後はこういう協議会というものができる、3年限定で後のフォローをしましょうということだったんですが、なかなかこの協議会というものを作っても、うまくファンクション、機能しない。もっと違う手だてが要るんじゃないかということで、その中間の部分、最前線のちょっと後ろの方に、その活動をフォローする中間支援の組織が必要だということで、これを民間の旅行業の事業者にとっていただきまして、各地域の資源をマネジメントして、代表して大手の旅行代理店や、その航空会社にそれを売りに行くというような役目を持っていったわけです。当然手数料なんかも取るわけですが、その一つでも売れれば自分たちももうかるということで、中間支援の組織が機能すると。これは今現在3つできています。この図には書いてございませんが、宇和島の南にもう一つできまして、こういう着地型エージェントを地域にたくさん作る、こういうことでグループの数が先ほどの、66と言いましたけれども、一たん66に落ち込んだんですが、今では115にグループは増えております。
 そういったことで、愛媛の場合は観光振興ということだけを目的としたわけですが、今回美し国おこしでは、基本構想検討委員会でさまざまな議論の中で、観光だけじゃないだろうと、物産とか産業とかいうこういった経済部門ですね、下を支えるのは経済部門でございますが、それだけでもないだろうと。教育や生活、福祉、安全、防災や、それから環境の問題も重要な問題じゃないかと、こういうように、すぐにお金にはなかなかかわらないような非経済部門というか、教育、生活、環境というような部門も含めて、いろいろなグループがいろいろな活動をしている、それをみんなでバックアップをするというような事業をぜひするべきじゃないだろうかと、こういうことで、1つは公共サービスの公民連携という形でどんどん民間に任せられるものは民間に、住民と連携してやれるものはどんどんそういったグループに責任を任せていく、そういったことが必要なのと同時に、やはり守りだけじゃなくて攻めも大事だということで、新しい経済活動をどうやって創出していくかというような、この1番と2番、2つの柱を一緒にしながらやっていく必要があるだろうと。
 最後にはある意味ゴアさん、もと副大統領がオバマさんを称して、彼はワシントンとかで世の中が変わるということをはなから思っていないと。世の中を変えるのは、地域から変わっていくんだということをよく理解している男だというような評価をされていましたけれども、まさにその、本当にこう地域のそれぞれが変化していくことで日本全体が変わっていくという、そんなモデルを作り上げるんだというぐらいの気概で、この事業を取り組まれたらいかがでしょうかというお話をさせていただいているところでございます。
 1つは、その文化力を生かした、これはやっぱり戦前の軍事力、それから戦後の経済力に次ぐ、これからその文化力というものをどうやって生かして、住民の総合的な、暮らすということに関する幸せ感というものをどういうふうに高めていくかと、こんな時代に突入しているということと、先ほどのように、ただの税収の問題だけではありませんけれども、どんどんパブリックの領域というものが拡大、拡張していきている。これをどうやって住民の方々の意識を持ってもらって、新しい意識でその公をともに担ってもらえるかというような、そういったグループをたくさん作っていく必要があるだろうと。それから、ハード主導からソフト主導である、それから、数値をやっぱり確認することが、わかりやすい、見得る化というか、数値で確認できるようなことを常にやりながら事業というものを、特に長期でありますので、進めていく必要があるでしょうと、こんなことを今お話をさせていただきながら進めさせていただいているところでございます。

 

  2 住民自治の観点から見た「美(

うま) し国おこし・三重」

   (1) 説明(参考人:岩崎恭典氏)

○舘委員長 どうもすみません、ありがとうございました。
 次に、引き続きまして、住民自治の観点から、今回のこの「美し国おこし・三重」について、岩崎教授の方からご意見等々をお願いをいたしたいと思います。

○岩崎氏 では、きょうは、宮本さんの実際に、今、「美し国おこし・三重」に携わっていただいている宮本さんが、この議会の皆さんに説明させていただくというのがメーンということもございます。私としましては、それに対して、若干、三重県内のいろんな地域をうろうろしていたという経験をもとに、多分、目指すところは同じだろうと思うのですが、幾つか問題の提起といいますか、課題の提起を、コメントをさせていただくということで役割を果たしたいというふうに思っております。
 非常に今、スライドを拝見いたしまして、象徴的だなというふうに思っていましたのが、皆様のお手元にもございますが、最後のところ、「新たなイベントの概念」の提唱のところで、ずっといろんなケースを教えていただきました南予の地域観光振興イベントというところで、観光振興がメーン、今回は、美し国おこしイベントは、これは観光振興というのはインフラの部分になっているんですね。インフラの部分になっていて、そして上の部分に教育、生活、環境回復といった、こういうテーマが入っているというところが非常に象徴的だなと思いました。
 どういうふうに象徴的かといいますと、私、委員長の地元であります菰野町の湯の山温泉の活性化の調査というのを2年ほどやらせていただきました。春夏秋冬、湯の山温泉に来たお客さんに、どこがよかったか、どこが悪かったかということを100人ずつ聞くというお話、それからその一方で、やはりターゲットは中年の奥様方だろうということで、名古屋の栄の中心商店街で、学生に分担させまして、100人の中年のお母さんに話聞いてこいと。ちょうど同じ圏域にありますさまざまな温泉地と、それから湯の山温泉を比較して、「行ったことがあるか」から始まって、「何がネックになっているのか」というような調査をしたことがあります。そうしましたら、圧倒的に湯の山温泉、知名度はあるんです。知名度はあるんだけれども、皆さん、その記憶はセピア色なんですね。かつて行ったことがある、長い間、行ったことがないなあという状況でありました。
 このことは、私、その一例で語るつもりはございませんけれども、三重県に2000年から住みまして、つくづく思うことは、本当に恵まれた土地だということです。ですから、あくせくされませんし、ご遷宮に合わせて、ある意味、神風が吹いて、全国からお客さんがいらっしゃる。ですから、その一大イベントに合わせて、そこが過ぎれば、また20年間、寝ていてもいいというぐらいの地域のストックが非常にある土地だろうと思っています。ただ、そのことが20年たちますと、三重県というのを周辺の皆さんからは、「かつて行ったことあるよね」というセピア色に変えてしまいまして、地元の皆さんもセピア色のまんまで、それを磨き上げるというところについては、なかなか思いが及ばないのではないか、そういうふうに思っています。
 だからこそ今回、この新たなイベントということで、観光振興はあくまでも副次的なもの、本来、観光という言葉は、国の光を見るという中国の古い文書にあるんだそうでありまして、何も珍しいもの、変わったものというわけじゃなくて、その地域の暮らし、生活そのものに触れてみることによって、違う暮らし方、そして住まい方、価値観があるんだなということを体験すること、それが多分観光の本来の意味なんだろうと思います。そういう観点からいうと、我が土地は、ほかの地域とどう違うのか、どこが一緒で、どう違うのか、そして、どれを生かしていくのか、今おっしゃいました地元学であるとか、そういうことが最初に必要だということ。そしてそれをできるだけ関係者が集まって語り合うこと、座談会、こういう進め方というのは、それはそれで非常に正しいだろうと思います。
 ただ、非常に懸念をいたしますのは、それを事業化していくときに、先程申し上げましたが、20年に1回神風が吹く土地柄もありまして、恐らくほかの地域に比べて、よりお金に対する執着心はないのではないかという気がします。私もこちらに参りまして、非常に面食らいましたのが、何かというと振る舞いがあるということであります。後ほど申し上げますが、幾つかのイベント等にもかかわりまして、必ず振る舞いが出るんですね。振る舞いが悪いとは言いません、悪いとは言わないけれども、例えば市・町からの補助金でイベントをやる、それが全部振る舞いに消えるというのは、これはいかがなものか。だったら、振る舞いは自分たちの金でやろうよということを何度申し上げたかというのがよくあります。けれど振る舞いをやる、そして振る舞いを有料にする、有料にすると振る舞いとは言わないんですけれども、そうすると、そういうことが許されるだろうかという形なんですね。そこについては非常に臆病だという県民性がどうしてもおありだなというふうに思うということ。
 それから、これはまたケースを申し上げますと、私、今は桑名になりましたが、旧多度町、あそこの門前で何とかしようよという話を4年、5年続けてきましたですか、で、結局、これはインターネットでも流れているそうですので、余りあれですけれども、今ちょっとしりすぼみ状態になりつつあります。これは非常に残念なことです。それはなぜなのかなというふうに思いましたら、結局、ご存じかと思いますが、養老鉄道の多度の駅から多度大社までの門前というのは、ちょっと右に曲がりながら、大黒屋さんという、いいレストランといいますか、料理屋があったりして風情のある町並みになっています。あそこを何とか地元の商店街、地元にお住まいの方々の手でうまく修景できないだろうか、東京大学の西村先生にも来ていただいて、講演をしていただいて、「おまえはここを世界遺産に登録するつもりか」というような批判まで受けましたけれども、そういうような話をさせていただいて、地元にこんないいものがあるんですよという話をさせていただいても、次にアクションがなかなか動かなかった。
 今、馬車を走らせたりしようなんていうような話で、木を植えようというような話を、いろいろやってはいただいていますけれども、非常に懸念するのが補助金の切れ目が縁の切れ目になるというところであります。これはどうもいろいろとお話をお伺いしていますと、自分の代でもう商売はやらなくていい、だから店も閉めっ放しでいい、いろいろとせんさくをしたわけじゃありませんけれども、お話をお伺いすると、もう十分、15年、20年前に稼いでいて、そしてあとは年に2回、多度でいいますと上げ馬と流鏑馬ですか、このときにちょこっともうかれば、もう日常的には店は閉めていていいんだ、そういう形での皆さん方が、なかなか次のステップに進むというところを非常に苦労したというのは確かです。ようやく、この町並みはすごいんだなということまではご理解いただいたと思います。
 しかしその後、じゃ、それを生かして、もう一度勝負をしてみようというときの意欲の問題というのが、僕は結構あるかなと。それをどういうふうに引き出すのか、座談会でやるという方法も正しいと思います。ただ、それをうまく回していくファシリテーターというのが、どういうふうに確保できるのかなというのが、すごく大きなポイントのような気はします。
 その一方で、今度は南に目を転じますと、例えば丸山千枚田であります。丸山千枚田は、旧の紀和町が棚田の景観回復ということで復田をしながら、あそこまで広げていった。そのときには、まだ丸山千枚田を持って、そしてそこで米を作っていらっしゃる農家の方々が元気でした。ところが今、丸山千枚田の付近に住んでいらっしゃる農家の方々が、もう日常の農作業ができそうにないぐらいまで高齢化が進んでいる。そういう中で、丸山千枚田はオーナー制度等でうまく資金導入はできています。資金導入はできたとしても、それを実際、日常の農作業をやってくれる農家が既に近隣から消え始めている。今、例えば丸山千枚田を何らかの形で支援していこうという動きをやろうというときには、それが最終的に丸山千枚田を日常的に管理する、そのために住みつくという人までを視野に入れたイベントにしていかなけりゃいかんのだなということ、これは何も、丸山千枚田を例として申し上げましたけれども、東紀州全般にかかわる問題だというふうに考えています。
 その意味でいいますと、東紀州と、そこの点から例えば今回、このイベントといいますか、こういう6年間の長期の取組を県がされる意味というのは、先程宮本さんもおっしゃっていましたけれども、恐らく地域と地域をつなぐ役回りということが一番中心なんだろうなと思うんです。例えば東紀州と、それから北勢地域をつないでいく。
 もう一点、それに関して申し上げれば、東紀州の場合には、どんどん担い手自身がいなくなっている。その状況からいうと、北勢地域で県がかかわる、あるいは市町がかかわるというかかわり方と、東紀州で県・市町がかかわるかかわり方とは、おのずと濃淡があるだろうと。つまりある意味、東紀州では、新しい時代の公を担うのに、やはり公が担い続けなければ─公とは、古い意味での、行政が担い続けなければいけない部分というのがどうしてもあるだろう。そのあるということを前提に、南と北では行政の果たす役割、市町・県が果たすべき役割が違うんだ、同じ県の中で違うんだということを、はっきりさせていくというのも、そしてそれを北勢地域の方々にも、住民の方々にも理解いただくということが非常に重要なことなのかなというふうに思っております。
 さてもう一点、県の役割というところで申し上げますと、かつて私がこちらに参ったときには69あった市町村が29まで減っております。そういう中で、広域化をした市でありますが、市の中では、既に市の中でさまざまな交流あるいは座談会という形式だけとは限りませんけれども、さまざまな地域でいろんなことをやっていこうという取組が、市レベルでは始まっているところであります。
 例えば、私自身がかかわらせていただいた事例でいいますと、伊賀市であります。伊賀市では、合併に際しまして、自治基本条例に根拠を置いた住民自治協議会を37小学校区程度について作っております。もちろん中には作らない自由もあるということで、作っていない地区もあるわけでありますけれども、そういう中で、地域のまちづくり計画、地域づくり計画というのを、まず作りましょうということで、設立支援交付金で2年間で100万ずつの200万、そこである意味、座談会を開いて、主語つきの計画を作っていただけた住民自治協議会は、その主語つき計画をもとにして、いろんな事業を今始めています。その事業を始める中で、3年間に限りということで、事業費に対する支援を伊賀市はやっているわけであります。徐々にそういう動きが地域に起こってきている。伊賀市、それから名張市、それから伊勢市でもこれから取り組もうとされているようでありますし、松阪市も今、大胆にやっていらっしゃいます。仕組みを作ろうということからいいますと、四日市、それから鈴鹿も今、取組をされているところです。
 残念ながら、東紀州の各地域では、そういった取組をやろうという形の、変な話、体力がちょっともう落ちているのかなと、そんな印象すら受けてしまうような状況を持っています。その話はまた別にしまして、そういった地域では、広域化した市の中で、さまざまな地域で連携が始まっているんですね。
 そういう中で、例えばでありますけれども、ことし第1回のイベントをやりました伊賀の比自岐では、若い奥さんのグループが、たまたまその奥さんが、鳥羽の答志島の出身だったもんですから、伊賀の山の中で伊賀米と、それから答志島の魚、それを交換しようと、そんな話が事業計画として出てきてます。伊賀の山の中で答志島の新鮮な魚が買えるということで、その直売所が非常にいいものになりつつあるし、答志島の方からは、伊賀米が入ってくるということでいいものになっている、そういったウィン・ウィンの関係が今できつつありますが、その一方で、そういったことを多分支援していくのが県の役割だろうなと、今お話を聞きながらお伺いしたんですけれども、伊賀であれば、伊賀の中で20ほど今もう、20を超える直売所ができています。農産物を売ろうという直売所ができています。その直売所に、関西からいらっしゃる、特に大山田のさるびの温泉にいらっしゃるお客さんというのは膨大な数があります。そのお客さんたちに、私たちの作ったものをちょっとでも買ってもらおう、そして、あるところでなくなったら、そしたら、そちらに自分のところから産品を供給すると、そんな仕組みまで作られようとしているんですね。
 そういう形の取組をされているところに対して、例えばこれからこの「美し国おこし」イベントの中でいうと、どういうアドバイス、あるいは県の役割というのが果たしていけるんだろうか。答志島とつなぐという話は大丈夫だろう。しかし、広域になった伊賀の中で、どういうことが考えられるのか、県の果たすべき役割というのは何なのかということは、いろいろ地域活動を、市町が第一義的に非常に支援をされているという中からいうと、県の役割というものを、どういうふうになっていくのかなというのは、やや私もまだわからないという状況であります。
 もうすぐ終わろうと思いますが、じゃ、担い手の話をちょっとさせていただこうと思っています。
 今、少子・高齢化ということは、もう皆さん、重々ご承知のとおりであります。恐らく2005年という年号は、10年もすれば日本史の教科書に載る年号のはずであります。要するに2005年をピークにして、国勢調査ですから、人口が落ち始めたという状況であります。人口が落ち始めて今、巷間でいわれる2007年問題のように、団塊の世代の皆さんのリタイアが一斉に始まりつつあります。その方々がこれからどういうふうに生活をされるのかというのは、非常に大きな課題だと思っています。と申しますのは、もしも少子化が急速に回復する、合計特殊出生率が4とか5とかに、あした回復したとしても、その方々が地域の担い手になっていただけるのには15年から20年かかるわけです。つまり今の状況が、逆に言えば15年から20年は続くということです。東紀州でいきますと、15年から20年たつと、多分、次の国勢調査で、尾鷲も熊野も2万人切るんじゃないかというような状況、高齢化率でいうと35%を全部超えていくだろうという状況の中で、15年から20年、次の担い手が育つまでかかる、その間に60歳をことし迎えられた方は、今の状況が15年、20年続く中で75歳になっちゃうということですよね、後期高齢者の仲間入りされる。だからこそ、後期高齢者医療制度というのも広域連合でやったんだろうという話だろうと思います。
 ところが、それは一方では、我が三重県に、全国的にそうなんですけれども、今まで地域から離れる人の比率と、それから地域に戻ってくる、戻ってくるというのは、実際に居を構えるという話もそうですけれども、意識を地域に向ける人が、これから数年の間にクロスするということであることは確かだと思います。
 要するにリタイアして暇になって、そして何かをやってみよう、趣味に生きられたら基礎自治体、市町は費用の持ち出しだけでもちません。趣味ではなくて、そのときに新しい時代の公です。かつて住民の皆さんがやっていた、だから住民にお返しできる、そしてそれが40年の、行政がいろんな仕事を引き受けてきた間の時代の変化によって小金になるような仕組み、小金になるようなネタといいますか、こういうものを実は行政がたくさん抱えているだろう。それから、それは住民がいろんなことをやることによって、お金もうけができるような仕組みというのは、たくさん地域にはあるはずです。そういったネタを座談会の中では、ぜひ見つけていきたいな、そしてそのネタを継続的に生きがい、私はよく言うんですけれども、小金を稼いで大きな生きがいを得られるような、そういう仕組み、これは伊勢のときもよく申し上げたわけでありますが、その仕組みを継続させるために、何といっても小金を稼ぐ必要があるんだということです。
 小金を稼ぐということからいいますと、今、地域に戻られようとしている団塊の世代の皆さんは、いろんな技能を持って地域に戻られようとしています。1997年に、私は千葉県の我孫子市で50歳代の東京に通勤するお父さん2,000人に聞く調査をさせていただきました。2000年に45歳から55歳の四日市に在住する勤労者、男女含むですが、その4,000人の調査をさせていただきました。そして今、またこれも委員長の地元でありますけれども、菰野町の大羽根の団地、自治会さんのご協力を得まして、大羽根にお住まいの55歳から65歳の男女の方に意識調査を行っています。そういうピンポイントの調査をさせていただく中で、ほぼ3つとも同じような傾向を得ることができました。
 どういうことかといいますと、みんな何か通勤時間ゼロのところでやってみたいとはお考えなんです。そしてそのためには、会社で得た技能、とにかく環境であるとか、環境系の技術を持っている人であるとか、そういう人というのは、もう地域に山のようにこれから帰ってきます。そういう人たちが、実は絵にかいたようなサラリーマンあるいはサラリーウーマン生活をされていて、隣近所でどんな人がいるのかというのをご存じない、そして地域がどうなっているのかということもご存じない、そういう方々がたくさんいらっしゃるということです。その方々が暇になられる。暇になられると、先程も言いましたけれども、趣味に生きられて、そしてたちまち介護保険のお世話になられたら、基礎自治体はもちません。そうではなくて、できるだけいろんなことにかかわっていただいて、そして、いつまでもお元気にいていただいて、そして私はよく団塊の世代の皆さんの学習会に呼ばれると言うんですけれども、先程のような話からの延長で言うと、「今、皆さんが、地域で特に介護にかかわってのさまざまな仕組みを作っておくということは、ほかならぬ皆さんたち自身のためですよ。今のままいくと、75に、後期高齢者になられたとき、皆さんを地域で支える仕組みはありませんよ、介護難民にならざるを得ないと僕は思います」というようなことを言って嫌な顔をされるんでありますけれど、そういった地域のちょっと先を見ながら、そして皆さんに、この地域のいいこと悪いことを知っていただき、そして小金を稼いで大きな生きがいを得られるような仕組み、私はこれがこれからの住民自治の仕組みだと思っています。
 そういった仕組みを作っていくためのイベントですね、そういうものに、この「美し国おこし・三重」の取組がなっていけばいいなというふうに思っていますし、そういう中で、県の役割というのがどういうものなのか、そこについては、この委員会でもよくご議論をいただきたいというふうなことを申し上げて、私の半分感想のような発言にさせていただきます。
 以上でございます。

○舘委員長 ありがとうございました。
 宮本さん、特にそのお話を聞かれて、今、これだけは追加といいましょうか、おっしゃりたいことがあれば、今いただきたいと思います。

○宮本氏 今、団塊の世代に焦点を当ててお話をいただきました。まさに有用な地域の本当の人材というか資源というか、それをどうやって活用するかというのが非常に大事だというご指摘は、そのとおりだというふうに思います。
 本当にその地域というのは、基本的には、人がどう、住んでいる人がですね、どういう活動、あしたからどういうふうにして動いていくかとか、生きていくかとか考えていくかということに大きく影響する、そのために、やっぱりそういった方々と対話をする、話をする、問題を共有する、四日市の人は、四日市のもちろん課題があるだろうけれども、ちょっと視線を広げていただいて、やっぱり三重県全体を見ていただく、もしくは北勢の人たちがもうちょっと意識を、気持ちを持つだけで、先程の答志島と伊賀米の話じゃありませんけれども、さまざまな交流というものが可能になるんじゃないかというふうに思いました。
 ですから、そういったことをこの「美し国おこし」の中でも、ある程度意識しながら、そういった県内の交流も盛んにしていくということも意識していく必要があるんだろうなというふうに感想を持ちました。

○舘委員長 はい、ありがとうございました。
 お二人の参考人の方には、本当にいろいろな観点からのお話をお伺いできたと思います。

 

  3 質疑

○舘委員長 それではこの際、委員の皆様方からご質疑等がありましたら、お願いをいたしたいと思います。

○中村委員 団塊の世代の1人として、私ぐらいしか、後ろにちょっとおりますけれども、きょうはありがとうございます。非常に今までは「美し国おこし・三重」というのは、余りぴんとこなかったんです。本会議でも何度か質問もしているんでするけれども、なかなか我々には、かなり時間をかけて聞いとってもですね、いまいちわからなかった。今、パワーポイントで、いろいろと聞かせていただいて、理解がちょっとだけ深まったかなという感じがいたしております。
 戻りますけれども、団塊の世代というか、今の時代をとらまえて、将来ですね、10年、15年先、本当にどういう状況になるのかということを考えていかないかんというのは、多分、今の議員、皆、それぞれの行政課題にかかわりながら、そのことを想定して動いているのではないかな、私なんか、まさにこのままでいったら私ども、私自身が15年たったら、この社会はですね、本当に受け入れられるんだろうかということを踏まえて、本当に仕事もしておりますので、そういった意味では、今回の美し国はですね、そういったものにもちょっと触れていく、そういったことを想定していただいているということは、非常にありがたいなというふうに思っております。
 それで、いつも私がこの常任委員会でも質問させてもらっておりますのは、県民は今回もですね、たくさん、県民はもう三重県の場合は北から南、非常に長い、横のつながりをするということは非常にいいことだと思うんですけれども、これから何をしようかということを県民に理解をせしめないと、どう動いていいかわからないということになるわけですよね。私自身は伊勢の出身なので、今回ですね、県がこうして、美し国づくりをやるんだということで、当初から動き出したことに対してですね、さっきお話がありましたけれども、20年に1回の遷宮があると。そういうことで、大体伊勢の人はわあっと上がってきて、それが終わると、すうっと沈んでいく、こういう波の中でずっと来ているんですが、それ自体は余り私は悪いことではないと思っているんです。だって、1,300年、それが続いておるわけですから、急に1,300年の歴史の中で、突然ここでそれを変えようたって、変える必要はないと思うし、それがまた文化だというふうに思うんですが、ただ、やはり人間、欲がありますし、それからいつまでも地域がやっぱり元気でいたいし、それから十数年たったら、今までと違うのは、今までの1,300年、同じときがあったかもわからんけれども、ちょっと違うのは、将来、一体、地域ずっと、東紀州の厳しい話を聞かせてもらいましたけれども、もしかしたら、もっとそういった状態が続くかもわからんということが簡単に想像されますよね。そのことをもう少し全体を元気にしていく、そういったことにもこれをつなげたいんじゃないかな、つなげたらいいかなと私は思っているんです。
 そのためには、もう少し今みたいなお話をわかりやすくしていく必要があるんやないかなということと、やっぱり美し国という言葉、それから三重県のずっと1,300年続いてきた、その風土的なもの、そういったものをもっと掘って磨くようなことも意識として入れていく必要があるんじゃないかなというふうに思います。
 前回もちょっとこの場で言わせてもらったんですが、アンケートの中に、その他の意見の中に、伊勢にこだわり過ぎてるので、そんなのはいかんとかありましたんで、ちょっと僕もそのことを紹介しながら、今、伊勢の各地域で地域集会をしながら、美し国とは、三重県はやっぱり昔から伝わっている伊勢のというか、伊勢地域というのはすごく広い意味であるわけですよね、三重県全体を盛り上げようと、こんなことをしようとしているんですよという話をするんですが、いまいち住民にはぴんとこない、僕の説明の仕方も悪いんやと思うんですけれども、そんなところをもっともっとくっきりさせていく、そんな工夫をしていただけるだろうかなというふうに思うんですが、ちょっとそのへんのご意見をお二人の先生方にですね、求めさせていただきたいと思います。感想をまぜての話なので申し訳ないですけれども。

○宮本氏 伊勢のご遷宮は、本当に国民的行事というか、国民的な、国家的な注目を浴びる事業でございまして、やはり一瞬でも新旧両宮が並び立つというような、そこに近年はそういった神社へパワースポットめぐりとか、いろんな意味でも、そういった関心が高まってくるだろうというふうに思います。ですから、伊勢のご遷宮を確かに契機にするということで、タイミングを、1つはそこにセットをしてあるイベントでございますが、今回、ご遷宮にかかる費用は550億円ですか、全国の奉賛会からお金を集めて、元三井不動産の田中会長が旗振ってお金を集められる。要するに、そのうち全部使うわけじゃないですけれども、そういった意味では、ご遷宮自体がはるかに金額的な問題を見ますと、この「美し国おこし」とは、けた違いの一つの事業として、国家的に行われる事業、国家的というか、国全体で盛り上げていこうとする行事だということでですね、この中で、逆に言うと、そのおかげをおかりして、三重に対する注目を、伊勢神宮に来られる方にも、ああ、三重ではこういう地域づくりをやっているんだとか、ああ、三重ではこんなおもしろいことをやっているんだなとかというような関心を広げてもらえるためにも、ぜひともそういう連携と申しますか、伊勢のおかげをもちまして、いろんなPRを全国的にもしていくというようなことは、今後、限られた予算の中で、いかにその「美し国おこし」ということの世の中の認知を広めるためには、そういった考え方も必要なんじゃないかなというふうには感じます。

○岩崎氏 今、中村委員の方から、何をするかを住民に理解をしてもらわないかん。ですから、そのための美し国のトランスレーションというと語弊がありますけれども、翻訳といいますか、それをもっとやっていかにゃいかんというお話をいただきました。私自身、これから6年の長期にわたってやっていく価値というのは、多分一番長くかかるところは6年間、その議論で終わってしまうかもしれないというふうに思うんです。けれども、そういう議論をやることに僕は意味があるだろうと思っています。
 団塊の世代の話を、きょうは中心にさせていただいていますが、伊賀で合併後の地域まちづくり計画というのを、先程申し上げました住民自治協議会で作ると。そのときによく申し上げたのは、主語つきの計画を作ろう。誰が、いつ頃までに、何をやるかという計画を作っていきましょうよと、そうしないと、「この地域はこういうふうにしたいね」と言うと、アイデアはたくさん出るんです。それは必要だと思うんです。夢がなくなっちゃって、いかにも現実的な話ばかりだったら、これは計画としては、何もそういう計画を住民がみずから作る必要はないかもしれません。けれども、やっぱり実効性を保とう、そしていろんなことを課題がある。その課題を解決するためには、どういうグループが、どういう個人が、あるいは中には行政が、こういうことをいつ頃までにやらないといけないよねという、そういう主語つきの計画を作ろうということ。それから計画年数をいつ頃までに周知するかというときに5年10年という切りのいい数字は、これはやっぱり行政は、そういう計画を作りたがるけれども、それは全然何年でも構わないんじゃないですかという話をしたことを、よく覚えています。
 特に私がお勧めしたのは、6年から7年の計画でいいんじゃないのか。6年から7年というのはどういうことかというと、伊賀の小さな小学校区ですと、ことし地域で生まれた子どもの数を行政から教えてもらえば、そしたら住民の皆さんは、それの7年後ということでいうと、この小学校は、7年後どれぐらい空き教室ができるかということが計算できるんですね。その計算をする過程で初めて、ああ、少子化とはこういうものなんだというふうにお感じになる。その地域での、ことし58歳の男女の数さえ教えてもらえば、地域を語るときに、これから人が死ぬなんて縁起の悪いことを考えちゃまずいからということで、7年後は全部それが65歳になりますよということで高齢化を計算する。そういう過程で初めて、7年後にはこの地域はこうなるのかというふうに住民の皆さんはおわかりになるだろう。じゃ、そのためにはどういうことをしなければいけないのかという次のステップに進むんだろうと思うんです。
 1,300年の間、こういうふうに20年ごとに遷宮というお話がございましたけれども、この人口減ということからいうと、人口が爆発的に増えて、そしてこれから急速に減るという中での遷宮ですから、これは多分次の遷宮の20年でいうと、はるかにこの次の遷宮までの20年というのは、いろんなことが日本はあるだろうというふうに思っています。その意味で言うと、今までのような遷宮の後、ふあんと沈んじゃったら、本当に沈みっ放しになっちゃうんじゃないかという気がしまして、ですから、遷宮という大きな機会をとらえるということは重要だし、それは三重県の最大の資源ですから、これを磨かずになるものかというところはあるんですが、じゃ、磨くんだったら、それを地域でぐるぐる回したいと思うんです。三重県の悪いところというと語弊がありますけれども、人がよ過ぎて、どんどん地域でお金を落としてもらったら、それをどんどん外に出していっちゃうというのがありましてね、それをできるだけ地域の中で循環させるような仕組みも、この次の20年のことを考えたら絶対に必要だろう。
 そういった仕組みを考えていただけるのは、多分、より狭い地域の住民の皆さん、その人たちが6年後、7年後には地域がこういうふうになる、こういうふうになるためには、ならないようにこういう課題が出てくる、こういう課題を解決するためには、地域をもう一遍見直したら、こういうものがあるじゃないか、こういうものは生かせないだろうか、こういうものを作ろうかというような話で、次に金稼ぎを考えていただくというような形で、何をするかを理解していただくことになるだろうと。だから、地域によっては6年、その議論で終わってしまうこともあり得るだろうと思っています。逆に、一、二年でいろんなところが全部事業を立ち上げたりしたら、これはかえって怖いと思います。やれる自由もあるけれども、やらない自由も持っておく必要はあるだろうなというふうに思っています。
 以上です。

○中村委員 ありがとうございました。
 これは四国の愛媛県の場合ですと、観光ということで絞り込まれているし、全体が集中しやすいのかなと思ったんですけれども、ちょっと三重県の場合は本当に拡散するので、ちょっとそのへんがどうなるのか、私ども未経験というか、想像がなかなかつきにくいんで、ちょっとそれが心配だったので聞かさせていただきました。
 それから、その遷宮の話なんですけれども、20年というのは、本当に20年に一度というのは、前の20年、その前の20年、戦時中でしたですけれども、結構コミュニティーがですね、あるわけですよね。その地域の何というんですか、人口バランスもうまく、子どもがおって、青年がおって、中年がおって、老人がおって、それぞれ役割がある。日本全国的にそういったものが、今、崩れつつあるんですよね。7年たったらですね、あるいは20年後はもう本当に崩れる可能性は大ですよね。ということは、前回も事務局の方とお話をさせてもらいましたら、そのお金をどれだけかけてもですね、環境問題からいっても大事な木材も含めて、柱も含めて、いろいろな造る、鳥の羽だとか、いろいろなもの、そういったものもない、人間の技術や職人も育たなくなる可能性がある、そういったことを考えると、今ですね、これからしようとしていただいている、こういった全体が元気になっていくような、この美し国自体が、そんなところからもつながるのかなという感じも今ちょっとさせてもらいましたんで、またこれから詳しくいろいろ聞かさせていただきながら応援をしていかなきゃいかんかなというふうに思っています。何かコメントがありましたら。

○宮本氏 前段の方にお話、中村委員の方からお話のありました、テーマが観光振興だけにとどまらないということで、多少混乱するんじゃないか、拡散するんじゃないかというようなお話がありました。愛媛県で実際に私が得た感触なんですが、住民の方、それぞれ個人個人はですね、自分が観光としてしゃべっているとかというふうに余り意識されないケースが多いんですね。
 例えばこういう例がございました。五十崎町というところで、湖に400種類のトンボがいる池を大事にしようというグループがあったんですね。これはいわゆるカテゴリーからすると、環境グループなわけでございますが、そんな中に人が入っていろいろ議論する中でですね、じゃ、その池を一日10人に限ってですね、たくさん入れるとまた環境を棄損するので、一日10人に絞って、ガイドするということをやってみようかと。そうすると、逆に言うと、その冊子を作る今までお金がなかったけれども、それでいっそ冊子を作って、逆にそれをお客さんに売ることでですね、そういった資金循環を作って活動費に充てていこうかというようなことも生まれまして、それはまさに生活環境を守りつつ、観光も視野に入れながらみたいな、そういったプログラムだったのかなというふうに思います。
 だから、軸足をどこに置いていくかということで、話し合いを進めていく中で、それはどこの分野で、じゃ、やろうかというようなことが決まってくるのかなというふうに思います。

○舘委員長 他にどうぞ、せっかくの機会でございますので、いかがですか。

○奥野委員 この美し国イベントというのは、多分、失敗か成功かといったら失敗に終わるかと思います。こんな予想をしたらいかんのですけれども、なぜというと、これをやろうという意識を持ったのがいつであったろうかと僕は思うんですよ。ご遷宮が6年先にあります。県の方は、観光局もできたし、何かをやらないかんやろうと、遷宮もあるし、そして合併もしているし、そしてまたそういうことで、だけれども、この中間案は多分、宮本先生らが中心になって、これをお作りになったのではないかなと思うんですよ。この中間案を作る前に、本当は県の役割とここに書いてありますけれども、県がほとんど役割していないと私は想像できるんですよ。
 まず、県が何年か前に野呂知事が、もう5年になりますから、遷宮はもうすぐあるわけですから、そのときに、こういうことをしたいんやという夢とロマンを持ってやるのが僕は普通じゃないかなと思うんですけれども、これは急に立ち上がったわけではないかと思うんですけれども、余りにもその雑というのか、予算にしたって雑、去年も議会の方で認めにくかったという部分もあります。そういう意味で、やっぱり皆さん方にお手伝いしていただくのは非常にありがたいんですけれども、県自身がもっと、さっき、岩崎先生がおっしゃった、もう65歳、団塊の世代がすぐそこまでくるのは、もう何年か前からわかっているわけですから、そういう人をいかに活用するかということを、その中でも考えていかないかんでしょう。そこらへんがなかなか入っていないですからね、この美し国の素案の中にも、そこらへんで何か用意というのか、準備というのか、そういうのを補足しながらやっていこうかなと。岩崎先生のおっしゃるきっかけづくりというのが、するとこもせんとこもあってもいいんじゃないですか、その程度ならいいんですけれども、やっぱりやるからには、岩崎先生のおっしゃる、もう少し二つ、三つ、ステップの高いところまで行ってほしいなと思うんですけれども、多分これはなかなかうまくいきにくいんじゃないかなと。
 そして、これまでのように、私らも地方行政を預かっていましたから、県からの丸投げによって、それでも、これまでは丸投げばかりでしたからね、それはもう否定できないと思うんですよ。またこれ、市町に丸投げになって、遷宮が終わって、はい、終わりました。さて、何が残ったんでしょうというのが、その後が検証だと思うんですけれども、そのころには私らも政治やめているかもわかりませんから、皆さん方で検証していただいて、この費用対効果がどれだけ残ったということが大事ではないかなと思います。コメントあれば、岩崎先生の方からでも理事の方からでも。

○岩崎氏 昔の法定協のやりとりを思い出しましたですけれども、奥野委員から今、ご指摘がございましたけれども、これだけの大きなといいますか、私は逆に言えば、この美し国って、県がやる割には、ささやかかなという気がしますね。やっぱり一昔前だったら、もっと派手に一点集中型のイベントをぶち上げたり、そういうやり方をされたんじゃないかと。そうではなくて、もちろん食の祭典とか、そういうものが適宜入っていますけれども、それは言ってみれば、今までの成果の発表会みたいな形式でやっていかれるわけですから、その意味で言うと、奥野委員がご指摘になるように、失敗に終わるというふうには思えない。何らかの成果は残るだろう。
 それから、あえて申し上げておかなければならんですが、私、きょう、参考人として呼ばれていますけれども、残念ながら、この「美し国おこし・三重」のイベントというか、この基本計画の策定には、一切かかわっておりませんので、第三者的に意見を申し上げているということを、まずご理解いただきたいと思います。
 その意味で言うと、中間案で県自身の役割という、先程も申し上げましたけれども、県自身がどういう役割を果たすのか、いい意味でも悪い意味でも生活創造圏の反省は踏まえておいていただきたい。北勢地域におりますと、あの生活創造圏というのは四日市市にいますのでね、四日市市から言わせると、あんな余計なことをやってという話でしょう。けれども、伊賀のいろんな動きを見ていますと、伊賀の蔵びらきという形でずっと連続してやってきたことが、今、例えば答志島と交流してみようかなんていうところに結びついていることも確かだろうと思うんです。だから、その意味で言うと、利害得失というのは、なかなか短期では言えるところではないだろうなというふうに思っているということが1点。
 それから、きょう、じゃ、団塊の世代の話を中心にお話ししようかなと思っていて、案の定、奥野委員から突っ込まれたわけでありますが、それがこの時点で、もう既にリタイア始めている時点では遅いのではないかというご指摘です。私も若干もう時期を失しているのかもしれないと思っています。
 先程も申し上げましたが、私、最初にこの団塊の世代の話に気づいたのが、1997年の時点ですから、今から10年以上前ですね。それでアンケート調査をやってみようということでやったわけでありますが、じゃ、そこでかかわっていた自治体が今どうなっているのかといいますと、一生懸命やっていますけれども、なかなか火がつかないことも確かです。だから団塊の世代の皆さんが、量は多いですが、すぐにいろいろ立ち上がるとは思えない。ただ、その方々がいろんな技能を持って、そして暇な時間と退職金の一部を使って、自分のことだけではなくて、何らか公のことをやってみたいと思う人がたくさん帰ってくることは確かだから、そのときに、もう一点、申し上げておきたかったのは、特に、きょうは選挙で出られている皆さんでありますから、地域には町内会、自治会だけではないということなんですよね。
 町内会、自治会が非常に三重の場合には網羅されている部分があります。でありますけれども、その町内会、自治会さん自体、例えば何かをやろうと思っているリタイアされた方々がですね、地域で何か活動をやろうと思って、その手がかりを得に、自治会の事務所に行ったら、ドアをあけた途端、並んでいらっしゃる方が70歳、80歳の、自分よりも年上の方ばかりで、もう一遍、ぞうきんがけから地域でしなければいけないというと、これは余りにももったいないんです。
 そうではなくて、いろんなことがやれるメニューがあって、私らはこういうことをしたいと思ったら、じゃ、こういうことをやってくださいというふうに言えるような組織が地域には欲しいな。それが、そういう場を設定する役割は自治会が担えると思うんです。ただ、自治会のつらいところは、設定した役割、自分たちがやっていた役割あるいは行政から依頼されたことを、今度は全部自分たちで無償でやろうというところで、あるいは物すごくペイしないところでやろうとすることで、だからペイをさせようとするNPOと、どうしても衝突してしまう。その意味で言うと、自治会さんがもう少し地域のある意味、協議の場を作る役割があるんだよということで、自治会さんの役割というものを認識していただく必要はあるんじゃないのかな。
 そういうことをやっていくことによって、団塊の世代がこれから地域にデビューできるような場所というのは、まだ作ることが可能なのではないか。幸いにして、定年延長等で70ぐらいまでは何となく働いて、まだ税金も払ってもらえる方が多くいそうですので、ちょっとほっとはしていますけれども、私どものやっているアンケートでいきますと、自治会活動に参加したいという人は75歳を超えてからです、顕著なのは。これは東京都がやった調査もそういうふうに出ていまして、やはりもう一働きしてから自治会をという方なんですね。そうすると、もう一働き、地域でする仕組みというのが、今の段階ではないということを、きょうはちょっとお話をしたかったということであります。
 以上です。

○藤本理事 推進担当の方としてお答えをさせていただきたいと思いますけれども、そもそもこの取組、まず、いつぐらいから始まったかということでございますが、私ども記憶をしていますのが、3年ぐらい前からですね、やはり20年に一遍、いろんなイベントをこれまで展開してきている中で、やはりこの好機ということでもございますから、そういうものを生かしたですね、やはり三重県を売り出す何らかのことをやっていこうじゃないかというのが発端だというふうに記憶をしております。
 ただ、時代がやはりですね、従来型の、先程来、話がありますように、前の20年と同じかと、あるいは40年、60年前と同じかというと、そうではないだろう。そうすると、今はどういうふうなことをやっていったらいいのかというのを構想委員会の方でいろいろ議論していただいた中でですね、やはり地域づくりというのをベースに、それを成果を披露していくという、それも従来型でないイベントという、この2つの柱に落ちついたのかなというふうに思っております。
 もう一点ですね、しかし、そういう取組の中で、市町とのかかわりとか、本当にそれだけの準備をやってきたのかというふうに問われますと、正直なところ準備不足は否めないかというふうに思っております。しかしながら、これは議会からもいろいろありますように、やはり計画を立てて進めていかなければならないという現状の中ではですね、私も4月以降、この担当をしているわけですが、短い期間の中でですね、大まかなものはまとめて、実際にやっぱりこれは入っていかないとわかっていかないと。地域づくりですから、地域に入って、皆さん方と一緒になってやっていくことが、本当の実践だと思いますので、計画は計画としてという言い方は語弊がございますけれども、まとめた中で進めていきたいなと。
 もちろん、機会あるたびに、今、市町の関係の方々、市町の町長さん方、市長さん方とも意見交換をさせていただきながら、計画をまとめていきたいというふうに思っております。当然、実践する中では、もっともっと密接な連携をとりながらですね、進めてまいりたいというふうに思っておりますので、ご理解を賜ればというふうに思います。

○奥野委員 ありがとう。3年前からと言われると、ちょっと合併でごちゃごちゃしていてできなかったかわからんけれども、地域づくりというのは、やはり市町が中心ですよね。だからそのへんを市町との連携、県はどれだけ応援できるか、だから、こういうことをしたいんや、ああいうことをしたいんやということをきっちり言ってしていかないと、県を余り信用していませんからね、市町は根本的には。みんな構えますから、丸投げかい、後の始末はどうしてくれるんやというような意識を持っていますから、その意識をまず取り去って、本当にこういう美し国という、物すごい難しい言葉やけれども、僕はいまだにわからんし、知事には笑われるんですけれどもわからないんですよ。そういう、本当に美し国によって、どういう地域を作っていくのかという、やっぱり夢とロマンが欠けているんですよ、僕から見ると。この伊勢市なら、こういうふうなまちにしていきたいんやとか、松阪だからこういうのやというのを、じゃ、県は持っていないじゃないですか、それ。地域は、まだこういうまちにしようやという持っているというんか、意欲はあると思うんですよ。県はそこらへんを把握していないで、そこらへん、県も把握しながら、この松阪市、津市と県と、どういうまちを作っていくんやということを真剣にとらえていかないと、このイベントというか、この事業も本当にまた一過性に終わってしまって、知事もあなたも、みんなおらんで、まあ、終わったでいいかということにならんようにだけはしていただきたいなと思います。それだけで結構です。

○杉本委員 細かい話になると思うんですけれども、3点ほど、細かい話というか、このたたき台のことで、オープニングまでのところはよくわかりました。その後、22年から25年の間が、私は大事かなと思っているんですけれども、特にオープニングに行くまでに、住民グループと先に意見交換をして座談会をするという形になってくるんですが、私が心配するのは、最初に集まっていただいた、参加していただいた住民グループから、次、座談会を設定して、オープンに開いていくときに、どれだけの人に自由に出入りというか、多数の方に参加していただけるかというところが、1つポイントかなというふうに思っているんです。
 けれども、そういうことをやりながら、パートナーグループを作って、そしてオープニングイベントが終わりました。その後、22年から25年は、地域での美し国おこしとしか書いてないんですが、その後の展開の仕方ですが、もう一度、また座談会を各地域で繰り返しながら、新しい人をまた新陳代謝として入れながら、育ったグループはそのまま育っていくし、また新たなグループの形成とか、そういう更新とか、パートナーグループ自身も状況を、やる中で更新していく部分もあると思うんですが、そういう新陳代謝というか、それがこの22年から25年の間で行われていくのか、そのあたりのところはどういうふうにお考えですかというのがひとつです。
 2つ目は、検証のところなんですが、全体指標と目標の設定をしますとあるんですが、私はこの検証こそが、それぞれのグループ、それぞれのプロジェクトの中から、何を指標とするのかと、それはもう自分たちの活動をどう見るかというところにもかかわるので、これこそ私はボトムアップでというか、住民自治というところにつなげていくわけですから、そこから積み上がった上で、私は全体指標がまとまっていくというか、それを作っていくというのも一つの地域づくりの観点かなというふうに思うので、トップダウンで指標を落として、グループに検証してどうやったという形は、ぜひこの中ではご検討いただきたいなというのが2つ目です。
 3つ目は、特に人を呼び込んでいく、新たな人を呼び込んでいくときの情報発信がすごい難しいと思うんですけれども、本当は口コミとかが、結局は紙ベースやなくて、人から人へ、それこそがつながりの中で口コミで広がっていくというのが一番大きいんだろうと思うんですが、何というかな、特に最初のときに、地域づくりしませんかみたいな、そういう落とし込み方ではなくて、私は自分の生活というのが、暮らしというのが先にあって、その中での自分の暮らしの中での願いもあるだろうし、社会全体というか、地域全体にも願いもあるだろうと思うんですが、そういうことを誘導するというか、それについて考えてみませんかじゃないけれども、一緒にやってみませんかという、あなた自身のところから出発しますよというか、地域づくりが先、地域づくりありきじゃなくて、あなた自身から出発できるような情報発信の仕方をぜひお願いしたいなと思うんです。
 私は、こういう地域づくりの場で、女性たちがなぜ元気かというと、やっぱり自分の暮らしの中の持っているものと、その活動が結びつくから元気が出るんだと思います。それは今、女性が結びつけやすいテーマが多く今まで出されてきたからで、今、団塊の世代の、男性というのがすごくイメージとしてあるんですけれども、そういった年代の方たちが、じゃ、これから地域の中でどんな暮らしを考えていったらいいのか、そこを見たときの、やっぱり情報発信の仕方とかもあると思うので、そういうところをぜひご検討いただきたいなというような感じを私は持っていますが、いかがでしょうか。

○宮本氏 まず1点目の座談会の、オープニングまで座談会をやって、オープニングがあって、その後どうなるのかというご質問に関してなんですが、座談会は引き続きですね、ずっとこの6年間ですね、継続してやっていこうというふうに考えています。と申しますのは、やっぱり新しいプレーヤーというか、新しい気持ちを持って参入したいという方もいらっしゃるでしょうし、岩崎先生の言われるように、その土地に帰ってこられたメンバーも新しくいらっしゃるかもしれません。そういった意味では、どんどん新陳代謝ですね、座談会という全体を見れば、メンバーは入れかわるけれども、座談会というものはずっと続いていくという、そこからまた新しいいろんなテーマを持ったグループや活動の目標を決めたグループが、そこから生まれてくるというような、そういったイメージかなというふうに思います。
 その座談会から出て、新しいグループとして活動を始めたときに、その人たちが人を巻き込める力があるかどうかということに関しましては、そこを支援をしていこうという、そういったグループをバックアップしていこうというのが、中間のたたき台の中でもですね、いろんな方法でそういったグループ支援をしていこうというふうに計画されているところでございます。
 それから、2番目に関しては、まさにそのとおりで、一方ではその検証に関して、その指標を明らかにするべきだというような議論も一方であります。それももちろん正しいと思うんですが、なかなかそこを積み上げるに至っては、こちらで簡単に机上で書くということに余り意味がないという。したがって、今、杉本委員がおっしゃったように、各グループが自主的に決めた指標を集めて、全体の指標とするという考え方も非常に重要なアドバイスをいただいたんじゃないかなというふうに思います。
 それから3点目の情報発信、人を巻き込む、呼び込む情報発信や、地域づくりをやりましょうという大上段から構えていくんじゃなくて、もっと本当に暮らしの視点からいろいろお話をする。そういった意味で、何とか会議とか、何とか委員会という名前をつけずに、井戸端会議のような座談会というようなやわらかい言葉のイメージをとっているのも、そのことでございまして、先程の出入りが自由であったりとか、個人の立場でいろんな物を言えるというようなそういった場、場づくりをこの実行委員会の方でですね、市町と連携しながら、どんどん進めていこうと、こういうことで考えているところでございます。
 以上です。

○杉本委員 ありがとうございます。そのへんのところを進めていってくださるのは、やっぱり核になるのは、最初は県であったり市町の担当の方であったりということになると思うので、その出発、そのうちそれが地域の方になってくるんだろうと思うんですけれども、出発のその行政の担当の方が、やはり皆さん、そういう形でこの長い期間を、ずっと継続してやっていただけるんでしょうか。

○藤本理事 ご指摘のとおりでございまして、私ども、市長、町長はもちろんのこと、市町の担当の方、できれば市町の職員、担当以外の方にもですね、この取組についてのご理解をしていただき、一緒になって取り組んでいただけるような機会を作っていきたいというふうに思っています。

○舘委員長 他に、いかがでしょうか。

○津村委員 すみません、補助金の切れ目が縁の切れ目ということを痛切に感じている東紀州から来ました津村といいます、すみません。
 大変失礼な言い方になってしまうかもしれないんですが、確かに宮本さんのプロデューサーとしてのお話、宮本さんだけじゃなくて、今までいろんなコンサルさんであったり、プロデューサーさんの話を聞いても、やっぱりみんな、どれを聞いても正しいと思うし、ああ、そうやなと、納得するには納得するんですけど、大切なのは県としてのスタンスが今一番問われているんじゃないかなというふうに私は思うんですけど、先程理事の説明の中で、例えば今まで地域に入ってこなかったから、まだまだ準備不足は否めないとか、これからどんどん入ってくるんや、現場を知らなあかんのやというのは説明はあったんですけど、じゃ、今まで県は何をしてきたのかなというところが、やはりまずそこが基本になければ、今までだって、例えば尾鷲の地域に対しても、たくさんいろんな方、県の方々がいっぱい入ってきて現場を知っていただいて、今までいろんなことを積み重ねてきた。でも、そのことをまたなしにして、またさらにこれから新しく入っていくということが、果たしていいのかどうか、行政として。じゃ、今まで積み重ねてきたものは何だったのかというところが、私はちょっと非常に、聞いていてちょっと理解に苦しむところがございまして、この取組のステップ1からステップ4までも説明いただいていますけど、これは今までも県が実際にやられてきたことであって、このキーワードというのは、今までの県主導のまちづくりの中にも入っていた言葉であって、じゃ、今までとこれからと、美し国のイベントと、違うものはどこなのかなというところが、正直わからなくなってきているというのが、私の今の実際の感想なんです。
 ですから、じゃ、今までのまちづくりが、なぜ持続可能でなかったのか、じゃ、どうすれば持続可能になるのか。まず、やはり検証をすることが一番大切であって、さらに言うのであれば、僕はまず県として、まず持続可能な県政とは何のか、まずそこを基本に置いて、持続可能な教育とは、持続可能な福祉とは、持続可能な医療とは何なのかということを、県としてまずきちんと1本線を引いて、その中で持続可能なまちづくりは何なのかということを、地域の方と話をしていくというスタンスでなければ、私は各地域の足元が固まらんのじゃないかなというふうに非常に思っているんですが、そのへんに関しまして、いかがでしょうか。

○藤本理事 県は何をしてきたのかということでございますので、県の方からお答えをさせていただきたいと思いますけれども、私どものこれからやろうとする取組と、これまでの県のやってきた取組というのは、やり方が違っていると思っています。それは、従来ですと縦割りの各部局の中でですね、それぞれ地域づくりについて考えていらっしゃいましたけれども、自分のセクションの中でのいろんな事業、メニュー、支援の内容をもって、それを地域におろしていったと。これに当てはまる、これについてやる気はありますかと、やりませんかという形で進めてきたのが従来のやり方だったのではないかなというふうに思います。
 ところが、我々は今回やろうとしていますのは、いわばこういうものがありますよではなくて、地域の皆さん方が、地域で日頃、地域づくりをやっていらっしゃるときに、何が悩みで何が課題ですかというのをまず吸い上げたいと。こちらから、ですから何らかのものを持っていくわけじゃなくて、向こうからお聞きしたいと、そこが違うところだというふうに思っています。そのやり方がですね、いわばボトムアップかトップダウンかという形でいえばですね、明らかに私どもは地域と一緒になって、ボトムアップでやっていきたい。ただ、いろんな取組をその中で我々聞かせていただく中であると思います。その取組は、ひょっとしたら従来の各部局さんでやっている事業でご支援できるものもあるかと思います。それは、そういうものを活用させていただき、一緒になって地域づくりのそれぞれのプロジェクトを進めさせていただきたいと。あるいはないものについては、今回、実行委員会という形でですね、いろんな支援のメニューを用意しておりますので、それで支援をして持続可能な地域づくりに育てていきたい。これは違いだと思います。
 もう一点、どうして今までのが、じゃ、持続可能でなかったのか。これは非常に難しい言い方になりますけど、私、個人的に端的に言うならば、持続可能なやり方ではなかったからだろうと。非常に逆説的な言い方ですけれども、従来型ですと、先程委員ご指摘のように、まさに補助金の切れ目が縁の切れ目というような形でですね、こちらからやっぱり用意していったというやり方がですね、非常にいけなかったんではないかなという気は、私ども今反省をしています。それはどういうことかというと、本当に皆さん方がやりたいものに対して、どこが足らないか、その足らない分をやったら、それが持続できるものになるのか、そこまできっちりとですね、やっぱり一緒になって考えを育て、あるいは検証しながらやっていくということが重要なんだろうと。しかも、なかなかない予算の中で効率的に使うということは、やはり地域づくりを持続可能にしていく、グループさんを自立できるようにしていく、こういう方向でですね、いろんな支援メニューを考えていくことではないかと。
 もう一点、誤解を恐れずに申し上げるならば、私ども財政的支援も考えておりますけれども、これは最終的な支援の一つのメニューでありましてですね、財政的支援が目的ではなく、やはり自立持続していただけるグループなり団体として育てていっていきたい、成長していただきたいということですので、そこに対するですね、いろんな人的支援とかネットワークの支援とか、あるいは情報提供とか専門家派遣とか、こういうものをまずはメーンに進めていきたいなというふうに考えております。

○津村委員 はい、わかります。わかるんです。確かに持続可能でなかったから、持続可能な支援の仕方じゃなかったから持続可能じゃなかった、それはわかるし、それを持続可能にしていくために、市民とか地域におろしていきたいというのは、すごくわかるんですけれども、それをまず市民の人に、地域の人におろす前に、じゃ、県としてまず、各課、各部局でどうすれば今までの反省に立って、どうすれば各支援の方法が持続可能なのかどうかということを、もっと先に、県庁の中でもむべきじゃないのかなというふうに私自身が考えていますので、ぜひ、そのへんに関しまして、ちょっとコメントをいただけましたら。

○藤本理事 県内部につきましても、推進本部の中でですね、そういう議論もさせていただいております。ただ、私、大変重要だなと思うのは、ややもすると行政の議論というのは議論で時間だけを食ってしまってですね、今、求められている、本当に地域づくりが進まなくなるというところがございますので、そのためにも我々の組織は新しくできたと思いますので、一方では議論をさせていただきますけれども、実践はやはり同時に進めさせていただきたいというふうに考えております。
 しかも、運よくといいますか、大変珍しい取組で、6年間これから続けさせていただきますので、検証しながらですね、取組をもっと進化をさせていきたいなというふうに思っております。

○宮本氏 先程の県政に対するご質問なんで、感想ということでお聞きいただければと思うんですが、持続可能な県政というのは、持続可能な地域を作ることという、それに尽きると思うんですね。ですから、その持続可能というのは何なのか、漁村なら漁村なりの一つのなりわいを、どうやって存続させるか、持続させるかということを一生懸命考えよう、農村だったら農村で考えよう、茶畑でも畜産でも何でもそうですね、四日市のコンビナートも一つのそういった持続ということに関して、会社は一生懸命考えていこう。そういう中で、それぞれがみんなが地元の自分たちの地方で足を踏ん張ってですね、生きていこうと、暮らしていこうと。できれば子どもたちも、ずっとそこで暮らしていければ、一番良いにこしたことはない、こんなことが一つのそういう地域を作ろうという、その努力とか動きとかということ自体がまつりごと、それを取りまとめられるのが皆様方のお仕事じゃないかなというふうに思う次第です。
 参考までに、最近ちょっと、なかなか地域だけで見ていると、なかなか本当に八方ふさがりのような、もう出口がないんじゃないかなと思うようなことも、場にも私もよく出るんですけれども、ちょっと上を見るとですね、空を映していろいろ抜けるわけ、八方はふさがっているけれども、空だけあいているというような感覚が私にはありましてですね、例えば今、若い、学生なんかの都市住民の中では、エコビレッジというエネルギーも食料もすべて自分たちで賄えるような地域づくりをしようという、こういう動きがあるんですね。これはヨーロッパでもエコビレッジということで、盛んにそういった事例が取り上げられておったりとか、日本の中でもやっぱりそういった意識を持った人たちが、自分たちの場所を、じゃ、どこにするかというときに、場所が当然、都会にはないですね。ですから、そういった場所を探して、自分たちで村を作ろうと、こういうようなグループや賛同者たちが集まって、新しい村づくり運動をやっていこうと、こんな動きも一方ではあるわけです。ですから、それを全くよそ者の人間だから、なかなか土地になじむのは大変かもしれませんけれども、それこそ先程理事から話もあった、今回の事業というのは、1年で結果を出そうとか、2年で出そうとかということではなくて、ある程度長い期間を置いてやりましょうと、こういう事業ですので、最初はお見合いから始まって、お互いを知りながら理解しながら、そういった活動なんかも受け入れていく素地をですね、地域の人にも意識を持ってもらうということが可能なんじゃないかなという気がします。
 これは和歌山県の例ですけれども、私の知り合いの大泉という人間、お茶畑、世界を放浪した末に、結局いいお茶を作りたいということで、和歌山県で茶畑を自分で作って、その商品をインターネットや、いろんなところで売る手伝いなんかもしてくれとかというような、いろんな話が来る、そういったものをどんどん世の中に広めてあげる、さらには海外のマーケットにまで、そういったものを販路を作っていくという、そういう八方ふさがりだけれども、上があいている、空があいているというような、それぐらいの気持ちでですね、やっていくということが、今からの持続可能性ということを考えるときに、世界を見て、いろいろな活動を世界とつなげてあげるということも、今回の美し国おこしの中では、非常に大事なことになるんじゃないかなというふうに思います。
 以上です。

○岩崎氏 今のご発言の中で、一、二点、感想めいたことだけを申し上げます。県に対するご質問もありましたので。
 持続可能、地域が持続可能であれば、今後も東紀州では十分、地域は持続可能だろうと思います。ただ、そこに人が住むかどうかということは、やっぱり6年の間には少し考えていかなければいけない地域が多分出てくるであろう。私はよく申し上げるんですが、地域の手じまいといいますか、そういったことを、人が住むという意味で、地域の手じまいというものも考えていく必要が、この6年の間には出てくるのではないかというふうに思っています。じゃ、その手じまいの仕方をどういうふうに行政が手伝うのか、あるいは都市住民との交流の中で手じまいをしていくのか、そういったことを考えていくのが必要だろうな。その後も地域としては、人が住まないけれども、地域としては持続可能だということを考えていく必要はあるだろうということが1点ございます。
 それから、6年もの長期のイベントであります。その中で、県の組織というのも、私、行政、地方自治を勉強しておりまして変わってほしいと思います。十年一日のごとく、よく言われました縄のれんというやつですね、飲み屋の縄のれんという、あのやり方がどうしても続いていることは確かだと思います。じゃ、それを市町が、ちゃんとそれを横につないで、地域は総合的なものなのだから、市町がそれを横につないでいるのかというと、どうもそうもなかなか言えなくなってきている。じゃ、どこが一体横でつないでいるのかと。どうも自治会が存在する一つの意義は、それを横につなげるのを一番身近なところでやっているからかなと、そんなことを最近思ったりもします。
 だけれども、それを何も任意の団体に任せているという状況自体がおかしい話だなと。市町がそれをまずやらなければいけないということ。それから、何よりも県が地方自治体なわけでありますから、何も国の出先機関のように、あれですね、それを縄のれんで、国の省庁別にやっていく必要は私は絶対ないだろうというふうには思っていまして、恐らくこのイベントの中で、イベントと言っていいのかな、この計画の中で、6年の長期にわたって、県が再度地域に行くということは、県と市町の役割分担が、住民の方からついていないですから、いろんなことが出てきます。そのときに、これは市町ですよ、これは県ですよという仕分けがつかない中で、三重県にかかわって、三重県の行政職員として、じゃ、これは市町と一緒にどうやるべきなのか、あるいは県も含めて、これは市町ではやるべき話じゃないとか、そういう形でこの場で県の職員の皆さんも物すごく勉強していくことになるだろうと、そこも期待したいと思っていますし、その結果として、農林水産と環境とが全然違うことをやっているとかいうのが、多分徐々に統合されていってほしいなというふうには思っています。それが、知事がおっしゃる文化力の多分真のねらいとするところなんじゃないかと思います。
 1980年に、よく言われる話ですが、物の豊かさより心の豊かさというのが、国民生活調査で逆転して、それを受けて、その当時、どこの県でも文化行政というのをやりました。そしてその中で、行政の文化化ということをよく言いました。それは実際はなかなか進まなかった。それは1つには、分権がそれほどされていなかったから、結局、文化行政といっても、各部門行政の中の1つみたいな話になっちゃったんですね。ところが、それが今だからこそ、文化ということを語れるんですけれども、そういうことを殊さら語るのが、僕は県の役割なんだろうと。それは十年一日変わらなくてもいい。けれども、そういうことを語って、そしてそれを実際に第一線に立つ市町を県がバックアップする、そのバックアップする体制が、今までどおり各省庁の縦割りを市町に流していくだけではなくて、そこが文化として統合していく話なんだろうと、そういうふうに思って今回のこのプロジェクトに期待をするものであります。
 以上です。

○舘委員長 ありがとうございます。
 予定をされた時間に大体近づいてきているんですが、何かご意見、委員の皆さんで、あれば。
 せっかくの機会ですので、もしなんでしたら、傍聴の議員さん、1つでも。

○大野議員 簡単に2つ、この計画大変良いのですが、やっぱり市町との関係、特に県がすべてできるだけではありませんから、市町の職員の人づくりをどうするかという、ここのところがやっぱり欠落しておるんじゃないかと。
 それから2つ目は、私この前も言いましたけどね、この計画の中で、地域の実態の把握がないと。たまたま四日市大学の岩崎先生から、東紀州の地域の例が実体験の1つとして出していただきましたけれども、やっぱりこの計画を作っていただくときには、やっぱり三重県の地域の実態というのをきちっとつかんでいただかないと、この計画は宙に浮いたものになると思うんです。だから、この計画の一番もとになる地域の実態を、どのようにつかまえて反映していくのか。それから2つ目は、県だけではできませんから、市町の職員と協働していくために、市町の職員の皆さんの人づくりなり、これを支えていただく、そういうようなものをどうしていくのか。この2点について。

○宮本氏 今、基本計画の中間案で、まさにご指摘の地域づくりを担える人材を育てていくことが非常に重要であるということと、市町の職員の方々が、そういうリーダーシップを発揮して、地域づくりのいろんなノウハウや、先程の座談会、要するにいろんな方々の意見を集約する、そういった司会、会議の進め方や、そういったノウハウといってはあれですけれども、心構えやノウハウというものを学んでいただけるような研修の機会を、もう当初からそれをどんどん作ってやっていきましょうというような計画を、今一応立てているところでございます。その実際のご教示に当たっては、私が今までやってきたことも含めて、すべて提供できれば提供したいというふうに思いますし、先進のいろんな講師の方々をお招きしてですね、そういった自治体職員の方々の地域づくりに対する取組ということに関する研修を進めていこうというふうに考えているところでございます。それをもとに来年度のオープニングがようやく成立するということですから、前提条件として、最優先事項としてそれをやっていこうというふうに考えておるところでございます。
 2点目の地域の実態をどういうふうに把握した上で計画を作っているのかというご指摘につきましては、まさにそれは、そのためにそれがないと何を考えたかということが意味をなさないわけですから、できるだけ限られた時間ではありますけれども、そういった地域の実情を事務局の方ともご相談しながら把握をして、それに基づいた有効な手段であるというようなつなぎ方に、この計画を持っていきたいというふうに考えております。
 以上でございます。

○大野議員 ぜひそのようにお願いいたします。
 以上です。

○舘委員長 じゃ、ほかには。
 それでは、以上で参考人をお呼びをいたしての調査を終了させていただきたいと思います。
 参考人のお二人におかれましては、本当にご多忙の中、ありがとうございました。
 参考人の方、退席をいただきたいと思います。そのままで、委員の皆さん、お待ちいただきたい。当局は残っていてください。

〔参考人 退室〕

○舘委員長 お待たせをいたしました。
 本日の委員会を受けまして、何かご意見があればというふうに思うんですが、既に昨日の事務連絡で、議長名においてですね、8月12日、火曜日10時から、全員協議会ということで、この「美し国おこし・三重」三重県基本計画中間案について説明をいただくという日程ができております。
 きょうの参考人をお呼びしてのお話は本当に意義があったのではないかなというふうに思いますけれども、それまでに向かってと言ったって、もう1カ月なんですが、特にこの点について考慮しなさいということがございましたら、委員の皆さん、お話、提案をいただきたいんですが。

○西場委員 今まで何回かやってきましたが、重要なことは、この委員会で出たことが、今度説明する中間案の中に、どのように反映されたかということですよ。それで反映されないものは、なぜ反映されなかったのかということを、きちっとその報告と説明がないと、我々が言っていることが聞きっ放しではいかんと。だから、そこのところは今はもう時間がないですから、ちゃんとそれなりにご説明をお願いします。

○舘委員長 今ご指摘のところについて。

○藤本理事 この委員会はもちろんでございますけれども、さまざまな意見聴取の機会をこれまでいただいております。ぜひ反映させていただいてですね、報告をさせていただきたいというふうに考えております。

○西場委員 我々の委員会は、委員会としての公の会議ですから、これはインターネットを通じて全部放映されているということですから、それなりのここでの発言というのは重きを置かざるを得ないと思いますが、どうですか。

○藤本理事 重々ご意見を生かしてまいりたいというふうに考えております。

○西場委員 じゃ、期待しております。

○舘委員長 ほかに。

○中村委員 何度も同じことを言っているんですけれども、きょうもちょっと触れさせてもらいましたけれども、この「美し国おこし・三重」というのは、非常にわかりにくいと。わかりにくい中に、何と言うんですか、遷宮とか、この20年に一度の大きな流れがある、そんなこともわかっているんでということで、外そうとしているように見える部分があるんです。例えば今回いただいた基本計画の中でも多分最初の頃は、来年は宇治橋の渡始式というのが入っておったはずなんです。それをいろんな意見の中から、伊勢とか神宮とか、そんなものは外そうという中で、それが外されていった。ご遷宮、そんなのわかっていると言いながら、ご遷宮という言葉が外されていく、そんなことをしていく中でですね、私実は、伊勢の市役所の企画の方へ行ったんですよ。この「美し国おこし・三重」について、この間、僕が発言したら、いや、それぞれの市町に担当者がいて、その人たちが今、一生懸命各自、成功させるためにやっていますよという発言やったと思うんですが、「どうなんですか」と言ったら、特に伊勢方面から見ると、こういうイベントは、やはり伊勢のこういった20年に一度をうまく波に乗って生かしていただきたいなという思いがあるんですけれども、そういったものは全く見受けられい、そんなんと違うんですよみたいな、むしろ逆のですね、そういった、一部のそういった声を受けて、何かそういうものを縮めようとしているように見えてしまうのでね、多分そうじゃないんだと思うんですけれども、そのへんはもう少し方向性というか、環境というものを明確にしながらですね、進めていただきますように、決して、政教一体化でせいということを言っているのじゃないので、政教分離でいいんやけれども、ただ、環境はそういうことでやっているんだから、そのことをやっぱり明確にしないと、特に地域なんかはわかりにくくなる、ぼやけてしまう、そのことを私は心配する。非常に答えにくいかわからんけれども、事実的にそういうものが出てきているのでね、そのことを申し上げておきます。

○舘委員長 その意見で、まず、委員会の進め方としての話をいただきたいと思いますけれども、今のお話は話として、ちゃんと受け止めておいてください。
 ということで、12日、来月になりますけれども、それらの方向について、これまでの意見、今出ましたけれども、出していただいた意見等々、重々に理解いただきながら整理をして、それも含めた話の中のことも事例で上げていただければ、もっとわかるかなと、こういうふうに思います。
 それまでの間の期間についてですね、皆様方、いろいろなご意見もあろうかと思います。今のところでは、とりあえず12日を、このような状況で迎えるということでよろしいでしょうか。それまでに、いろいろなことがございましたらお話をいただきながら、正副委員長にご一任いただくということでよろしいか。
 ありがとうございます。

 

  3 委員協議

  (1)県内調査について   正副委員長案で了承

  (2)県外調査について   正副委員長案で了承

  (3)県政報告書について  正副委員長案の配付      

 

〔閉会の宣言〕

 

 

以上、会議の要綱を記し、ここに押印する。

平成20年 7月10日         

政策総務常任委員長   舘   直 人

 

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