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平成24年10月10日 スポーツ振興対策調査特別委員会 会議録 

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スポーツ振興対策調査特別委員会

会 議 録

(開 会 中)

 

開催年月日          平成24年10月10日(水) 自 午前10時1分~至 午前11時26分

会  議  室            601特別委員会室

出席委員             9名

                            委  員  長    津村     衛

                            副委員長   石田 成生

                            委       員   下野 幸助

                            委       員   中西     勇

                            委       員   小林 正人

                            委       員   辻 三千宣

                            委       員   舘      直人

                            委       員   津田 健児

                            委       員   中川 正美

欠席委員             なし

出席説明員         なし

参  考  人            3名

                            三重県立津東高等学校           期限付講師     福田 るり子 氏

                            三重県立宇治山田商業高等学校  教諭              濱口 政照 氏

                            伊勢市立厚生中学校                    教諭         大河内 義弘 氏

委員会書記

                            議   事   課      主査  藤堂 恵生

                            企画法務課     主幹  今町 嘉範

傍聴議員             4名

                            藤田 宜三

                  中嶋 年規

                  青木 謙順

                            中森 博文

県政記者クラブ     2名

傍  聴  者            なし

調査事項

Ⅰ 国体、インターハイの開催に向けた、スポーツ振興対策に関する本県の状況について

 1 参考人からの意見聴取

Ⅱ その他

 

【会議の経過とその結果】

 

〔開会の宣言〕

 

Ⅰ 国体、インターハイの開催に向けた、スポーツ振興対策に関する本県の状況について

 1 参考人からの意見聴取

  (1)参考人意見陳述

〇津村委員長 それでは、聴き取り調査に入ります。
 この際、参考人に一言御挨拶を申し上げます。本日はお忙しい中にもかかわりませず、本委員会のために御出席をいただきましてありがとうございます。ぎふ清流国体も終了いたしましたし、本県では団体ではテニスやラグビーが、そして個人では陸上やレスリング、自転車等の競技がすばらしい成績をおさめられました。本日お越しいただいています参考人の方々のそれぞれの競技であります、フェンシングや陸上、相撲におきましてもこれまですばらしい御貢献をいただいております。結果としましては天皇杯38位、皇后杯45位という結果ではございましたが、今後、平成33年の三重国体を目指して、本日は忌憚の無い御意見をいただきますよう心からお願い申し上げます。
 それでは早速ですが、議事の順序等について申し上げます。初めに福田様からお話を伺い、その後、続けて濱口様、大河内様の順にお話を伺いたいと存じます。その後に各委員からの質疑を行うという順番で調査を進めます。なお、参考人からの聴き取りは、質疑を含めて2時間以内といたしたいと存じますので、御了承願います。
 それでは、参考人からの意見聴取を行います。参考人の方からは、昭和50年みえ国体の選手として出場された経験を踏まえ、当時の国体の状況や御感想をお話いただくとともに、現在の指導者としてのお立場から、選手の育成・強化など競技力の向上に向けた思いや取組状況、課題と思われること、また行政に期待することなどについて、御意見をお聞かせいただければと存じます。
 では、初めに、福田るり子様、お願いいたします。

〇福田参考人 ただいま御紹介に預かりましたフェンシング協会の福田と申します。
 私は、山口県出身であります。ちょうど大学を卒業するときに恩師から三重国体があるということで、履歴書を出しなさいということで出したところ、たまたま尾鷲高校に欠員ができ、そして昭和48年に尾鷲高校へ赴任しました。その後、翌年、新規採用として津商業高校に勤務をしました。
 当時の三重県フェンシング協会は、国体のために活動はされていたものの国体選手のメンバーは少なく、成年女子は誰もいない状況でした。高校は、鳥羽高校、当時の津女子高、今、津東高校でございますが、それと海星高校の3校でしたので、私は津商業高校へ勤務すると同時にフェンシングクラブを立ち上げようと考え、職場の理解も得て、すぐにクラブが発足されました。その当時は自分たちでつくり上げていく段階だったと思います。
 そんな状況の中、成年の男女選手も、昭和49年、50年、ちょうど国体があった年なんですけども、50年に国体選手として高校教員や県職員として補強されました。
 日頃の練習は、各自の勤務地の鳥羽、津、四日市で行い、週末、長期の休みは合同練習や合宿を重ね、県外遠征にも数多く出させていただきました。そのときの私たちの勤務については、それぞれ時間軽減をしていただき、とても恵まれた状況の中で国体を迎えることができました。
 私ごとになりますが、厳しい練習と豊富な練習量のおかげをもって、国体直前に日本代表としてハンガリーで行われました世界選手権に出場することもできました。
 三重国体のフェンシングの会場は、鳥羽市の鳥羽市民体育館でした。当時、鳥羽市の方々に応援をしていただき、支えていただき、強化練習や合宿など鳥羽市を中心に活動できたのは、市の関係者の御協力があったからこそだと思います。
 本番の国体では、互いに励まし合い、応援しながら一致団結し、成年男子、成年女子、少年男子、少年女子と各種別入賞し、上位の成績をおさめることができ、天皇杯の優勝は逃したものの、準優勝という結果をおさめることができました。また、翌年の佐賀国体においても好成績をおさめることができました。これも三重国体の練習のおかげだと思っております。
 その後、本来なら現在行っているジュニア育成が行われていれば、さらなる発展もあったと思いますが、残念ながら余り活発な活動が見られず、一時的に停滞の時期を迎えることになってしまいました。これは私たちの大きな反省点でもあります。
 20年前、強化のために底辺拡大をしていこうと協会で話し合いをし、実行に移しました。最初は鳥羽市と津市で小学生を中心にジュニア育成を始めましたが、現在は松阪市、四日市市においても小学生、中学生の育成を始め、ここ数年はその選手が順調に育ってきており、中学校や高校で日本代表として世界大会に出場しています。また、全国高校総体や全国選抜大会でも、優勝や入賞をする選手やチームが出てきました。
 選手として、指導者として、私は長年フェンシングにかかわってきましたが、今思うことは、小学生、中学生からの育成がいかに大切かということです。小さいころからフェンシングを行っていかないと、とても全国では勝利をおさめることができないという時代になってきています。
 40年間高校教員として勤めさせていただき、好きなフェンシングもやらせていただきました。その反省として、幾つかお願いや課題と思われることを挙げさせていただきます。
 現在、ジュニアの育成をしておりますが、そのジュニアの子どもたちが高校に上がる際、高校の受け皿として、なかなか試験だとか、それで入る場所がなく、困っている子どもたちもいます。それで、可能な高校あるいは重点校を決めて、スポーツ推薦入試があるといいと思っております。現に私は、津商業高校でクラブを指導して一番困ったことは、部員確保でした。悩んでいるとき、学校でスポーツ推薦制度を作っていただき、中学生の優秀なスポーツ選手を確保することができ、部員確保の悩みは薄れていきました。強化も思うようにでき、18年前の愛知国体では、少年女子で見事4位に入賞することが来ました。
 2つ目は、教員採用試験でのスポーツ特別選考制度を今後も継続していただきたいと思います。高校生を育成するためには、すぐれた指導者が絶対必要だと思います。また、高校においてクラブ活動の育成を考えると、ある程度長期的、経済的な指導が重要となってきます。スタッフの少ない我々は、勤務年数などで配慮があるとありがたいです。現に私は、新規採用から23年間津商業高校、14年間津東高校に勤務しました。思う存分フェンシングの指導ができたと思います。
 3つ目として、施設、試合会場についてですが、昭和50年の国体では空調施設がありませんでした。でも、国体が10月上旬ぐらいに開催されるのであれば、フェンシングの場合はたくさん安全面で着込みますので、非常に暑く、エアコンが必要です。今年のぎふ清流国体もエアコンをつけて行っておりました。また、会場内でのアップのできる練習場所や会場に近い練習場所が必要になってきますので、今後考えていかないといけない課題かなと思っております。
 4つ目として、強化費が必要だと思います。強化していくためには、用具、遠征で多額の費用がかかりますので、強化費がなければ強化ができないと思います。
 先日終わったばかりのぎふ清流国体で、岐阜県のフェンシングは総合優勝されました。岐阜県が国体のために強化された内容をお聞きしますと、すぐれた選手が他県に行かないよう大学でフェンシング部を作り、強い選手は大垣共立銀行へ採用し、企業のバックアップでフェンシングの練習ができ、今年のロンドンオリンピックには、大垣共立銀行から2名の選手が出場されました。ジュニア育成、高校、大学、企業と縦のつながりがうまく機能し、環境づくりに成功され、優勝という結果が出たのではないかと思います。また、高校においては、若い指導者が新規採用され、各校のフェンシング部に2名の教員が配置されていました。このことも、少年男女が優勝した大きな成功例だと思います。
 最後になりますが、他県の成功例を参考にしながら、9年後の国体に優勝できるように協会が一丸となって、いろいろな方々に御指導、協力をしていただきながら頑張っていきたいと思います。最近終わりましたぎふ清流国体、昨年の山口国体、その前の千葉国体、フェンシングは3年連続入賞することができております。これを持続していきたいと思います。そのためには協会が一致団結し、一丸となることが大切かなと思っております。これからも御指導、御協力をいただきますよう、頑張っていきますので、よろしくお願いいたします。

〇津村委員長 ありがとうございました。
 それでは、次に濱口政照様、お願いいたします。

〇濱口参考人 私は、濱口政照と申します。
 現在、宇治山田商業高等学校に体育教員として勤務しております。部活動は、相撲の顧問として28年、前任校から数えますと33年目になります。最近の主な成績は、全国高校選抜大会団体5位、インターハイは個人で5位、全日本ジュニア、これは体重別の大会ですけども、全国で重量級3位などに今年は入っております。また、三重県相撲連盟の理事長としても活動をしております。よろしくお願いいたします。
 まず最初に、昭和50年の国体当時です。私は高校生でした。相撲の状況は、現在よりも競技人口は多く、人気もありました。大相撲も日本人力士が中心で、人気力士もたくさんおりました。村相撲とか花相撲、子ども相撲、青年相撲、こういった相撲大会が盛んに地域で行われておりまして、三重県内の高校も多分8校以上あったように思いますけども、今よりは多くありました。
 その中で、私が相撲を始めたのは高校入学してから。当時は全国の中学校大会が開催され間もない頃でしたので、本格的に相撲を始めるのは中学生あたり、高校生から始めるのが多かったように思います。ですので、余り抵抗もなく相撲を始めることができました。
 ただ、入部した当初は結構楽しかったのですけども、昭和48年、三重インターハイ、これが開催されました。1年生で団体の部に出場しました。素人同然であったんですけども、勝つのを要求されたというようなことで、非常につらい練習をした覚えがあります。
 それから、昭和50年の国体は3年生でした。2年生の後半あたりで多分4校ぐらいの高校が集まって稽古を始めて、そこから絞られてきまして、その辺あたりで国体の候補選手になり、優勝を目指して、冬、春、夏の長期の休みはほとんどが合宿や遠征、それから平日も一般の選手との練習、毎日練習から逃げたいと思っていたような記憶があります。ただ、相撲関係者の期待と応援がつらい稽古を耐えさせてくれたと思います。
 また、相撲会場は鳥羽市で、常設の大きな相撲会場をつくっていただきました。今はもうなくなったんですけども、地元の応援団や観客でいっぱいでした。全競技団体が優勝を目標とする中、少年の部は団体5位、少年の部に関しては5人とも地元の選手でした。成年の部は団体2位、これはもう全て県外から来られた選手でした。当時はその成績に肩身が狭いというか、入賞したんですけども、監督や相撲の関係者の肩を落とす姿を見て、高校生ながら申し訳ない思いであったように思います。余り喜べないような記憶があります。また、地元関係者や選手の優勝に対する思い、周りからのプレッシャーというのは、他県開催の大会よりも本当に何倍も強く感じた大会であったように思います。それが当時の国体の私の記憶です。
 次に、中学校の現状ですけども、それから見ますと、相撲競技人口は、もう三重県に始まったことじゃなくて、全国的に激減をしております。三重県内の中学校には、年間を通じて活動している相撲部はありません。また、相撲競技を高校、大学を通じて経験した教員もおりません。ただ、講師のほうは2名ほど今おりますけども。中学校の大会に参加する選手はほとんどが臨時の部員で、一時的にでも中学校で相撲競技会を行っていただいておりますのは、昭和50年の国体の会場地であります鳥羽市、それから志摩市を中心とした地域が相撲の中心で、教育委員会や先生方の努力と、それから相撲競技関係者との連携によって、昭和50年の国体、全国中学校大会をきっかけに始まった中学相撲大会を継続していただいておるおかげであります。
 また、大会の前になりますと、高校の相撲場を開放して中学の練習会をしたり、要請があれば連盟の指導員が出前指導を行ったりしております。現状、中学校に相撲部がないので、小学校で相撲クラブに所属していた選手が中学で他の競技に変わってしまうと。相撲大会の時期になると臨時で出てくるというような状況であります。
 次に、相撲競技の競技力に行きます。
 現在、全国わんぱく相撲大会などが開催され、全国的に見ますと、小学生に限り、割と競技会に参加する人数が多いです。高校、大学で活躍している選手のほとんどが低学年から始めております。技術力、体力、試合経験ということになりますと、私が高校のときよりもはるかに高いレベルであります。三重県内には、まちの相撲道場が2カ所あります。この道場も非常に優秀で、全国の中学校で団体2位とか、個人の3位とか、そういった選手もここから出ております。
 それと、相撲連盟運営の相撲クラブも本年で14年目になります。私のほうもここで指導員をしておりますが、全国のわんぱくで3位に入ったり、ベスト8に入ったり、全中で、六、七年前だと思いますけども、個人で優勝した選手もここから出ております。ジュニア強化ということで、小学生や数人の中学生は年間を通じて稽古をしております。三重県選手も、全国のわんぱく相撲とか全国中学校大会では活躍をしていると、そのように思います。
 ただ、この年代の問題点は、全国的にも選手不足であるというようなことで、全国大会に入賞したりすると、中学生になる時点、高校生になる時点で、全国で活躍している、私学がほとんどですが、有力高校から勧誘がありまして、越境入学しております。チームによっては、ほとんどが他府県の選手で構成されている場合があります。その中で、三重県も他県からの勧誘が入り、優秀な選手が出ていくと、そういうふうな状況もあります。ここ五、六年、毎年トップの選手が出ていっております。
 続いて、高校の相撲部ですけども、そういう中で、高校の相撲部のほとんどが高校に入学してから本格的に始める選手です。基礎練習から始まって2年半、これで3年生になるわけなんですけども、ほとんど2年間で全国大会の土俵に上がることになります。上位入賞は非常に難しいのが現状であります。個人的には入賞することもあります。これは小学校から始めている選手に限っております。今のところはそういう選手です。
 相撲の国体の競技得点は団体戦のみですので、国体の5人制、少年の部におきましては5人制になるので、なかなか選手の確保が難しくて入賞が困難になります。その中で、三重県の今年度の1位の高校のレベルは、全国で、単独チームということですけども、ベスト16ぐらいには入ってきます。今回の国体は、予選順位が29位ということで、予選落ちをしました。
 現在、高校の相撲部の活動は、宇治山田商業高校と水産高校の2校、それから明野高校がただいま選手不足による活動休止中で、来年度は再開予定をしております。志摩高校にも屋内練習場がありまして、現在は使われておりません。これはもう指導者不足ということになります。
 現在の高校の相撲の指導者は3名おります。ただ、平成30年のインターハイになりますと1名がその前に退職し、平成33年の三重国体前には1名が退職し、このままでいけば平成33年の国体時には1名だけと、今のところではそういうふうになります。そして相撲経験者以外の教員にも協力は願ってはおるんですけども、サブ的には協力はしてくれますが、けがとか、いろんな問題が出てくると思います。中心になって相撲の指導をやってくれるのはなかなか難しいと思われます。
 その中で、選手の確保を今しておりますと、相撲競技に関してですけども、感じることは、相撲競技にちょっと人気がないと。これはいろんな問題があるんだろうと思いますけども、やはり中学校で3年間通じて相撲をすることができない、部活動がないということが1つ大きく挙げられます。その中で、やっぱり臨時部員でありますので、臨時的に大会に出てきても、本来の中学3年間で続けたクラブを続けるというのが大きな、ほとんどの理由になってきます。それから、ほかにいろいろな人気スポーツや他のクラブにたくさん友達がいるというようなことで、そちらへ流れていくというふうなことがあります。
 相撲競技を今後強化していく中で、選手確保なんですけども、これは勧誘しなければ進んで相撲部へ入部する、興味を示す生徒は、今皆無だと私は思います。指導者が一人ひとり歩いてこつこつと選手発掘をする、この方法しか今のところありません。
 ですので、ここでお願いがあるんですけども、相撲競技というのは体重別もありませんし、全国で入賞して、例えばスポーツ特待生の推薦、教員採用試験の免除の部分も、全国で優勝者は1名、準優勝は2名、3位は2名、この人数しかその枠の中に入る選手がおりません。非常に対象となる選手も少ない流れの中で、やはり指導する人材の確保というのが非常に大きな問題で、相撲をやる、指導者になるというのも、生活保障もありませんし、三重県には企業も実業団もありませんし、三重県への指導者の確保というのは非常に難しい部分があります。
 ただ、強化をしていく流れの中では、ジュニア指導、それから中学校の指導、それから高校へと、これ、3年間続けて一貫教育を行う必要がありますので、やはり私の考えは中学校でのクラブ活動をつくっていかなければいけないというふうに思いますが、なかなかそれをやってくれる指導者がいないという現状でありますので、その辺が問題点だというふうに考えます。
 それから、平成33年の三重国体目指してということですが、当該学年の小学生の発掘や育成を行っていきます。ただ、小学生での発掘はできるんですが、先ほど言うたように、中学校がないということになります。少年の部は地元選手が中心になるだろうというふうに思います。県外の高校生を連れてくるということはまず考えられません。それから、昭和50年の成年のメンバーも同じですけども、やはり三重県選手が大学へ行って、そして戻ってくるというのはなかなか至難のわざで、ベスト8に入る選手をつくっていくというのは非常に難しいことで、このままのレベルでいけば、一般の選手はやはりまた県外の選手をお願いするというふうなことになってくるかもわかりません。そういう状況でございます。
 ですので、一番の問題点は、先ほどから言ってますように、やっぱり中学、高校への指導のできる教員配置や増員、これをお願いしたいという、もうその1点だと思います。今のところ民間の方に強化をしてくれというのは非常に難しいと思われますので、よろしくお願いしたいと思います。
 それから、施設面ですけども、相撲の試合をする場をということもあるんですが、やはり年間を通して、冬場の練習とか、そういう練習をする場所、例えば高校には2カ所です。民間のところには2カ所あるんですが、やはり地域の方が使い勝手がよく、自由にというか、気軽に使える、子ども相撲を開催できるというような場所がありません。ですので、できたら、相撲は今のところ鳥羽、志摩中心でございますので、その辺あたり、伊勢も候補に挙がってくるだろうと思うんですが、南地区にそういう年間を通じて練習のできる練習場があればいいかなと。そうすればジュニア強化のほうももっと教室を増やすことができるのかなというふうに考えております。
 以上でございます。

〇津村委員長 ありがとうございました。
 それでは、次に、大河内義弘様、お願いいたします。

〇大河内参考人 それでは、まず今回のぎふ清流国体ですけれども、陸上競技、残念な結果に終わったことを申し訳なく思っております。
 私、現在、伊勢市の厚生中学校に勤務をさせてもらっております。教員になりましてから、最初志摩市のほうに5年、あと伊勢市のほうに戻ってまいりまして、伊勢市出身ですので、そこを拠点に陸上競技の方に取り組んでおります。
 私は、昭和50年国体のときには高校の3年生、伊勢工業高校におったわけですが、当時はもう先輩である先生方が陸上競技に関してはかなり優遇されたような施設、特にインターハイで競技場が、確か土のアンツーカか何かのグラウンドだったのが、50年国体にはオールウエザーの競技場にかわったというようなことで、力も入れていただいておりましたし、施設、設備等もどちらかといえば優遇されておったのではないかなというふうに思います。
 当時の先輩方はやはり先を見る目がありまして、指導者の育成にももう手をつけておったというふうなところです。私は高校2年までは全く無名で、もうその辺に転がっとるような石ころと一緒でしたけれども、拾っていただきまして、全国高校総体、その辺でどうやと、国体に出てみるかと。で、入ったところが、やはり先ほど濱口先生からもありましたが、とんでもない集団やなと。昨日ですか、知事が勝つこと云々というような記事も載っておりましたが、やはりやる限りは勝たなあかんだろうというようなことで、当時高校生ですけれども、仲間うちでは、これ、もし入賞せんかったら三重県におられんぞと。といいますのは、強化費をいただいて合宿をさせていただく、そして、優遇とは言いませんけども、恐らく選手は皆思う存分競技に専念できるような姿勢、体制をつくっていただいたんではないのかなと思っております。ですから、当時、節約国体と言われながらも、強化に関しては、各強化ともに恐らくいろいろな部分での支援があったのじゃないかなと。
 今回のぎふ清流国体を見ましても、市町いろいろなところが一致団結してやっておりますが、当時もやはり、私どもの同級生などは、競技場に2週間に1回通いましてマスゲームをして、歓迎のための演技をするいうようなことで、お金をかけなくても盛り上げる、また歓迎はできる、おもてなしの心は発揮できるというような部分があったのじゃないかなと。現在、私の学校でも、それ以来、マスゲームはちょうど運動会のメーン種目でありまして、約40分間、曲、またいろんな行進等に合わせてやっておりますので、その辺がやっぱりいまだに生きておるなと。
 ですので、次回国体が開かれるときにも、やはりおもてなしの心を持ちながら開催をすれば、いろんなところでの皆さん方の応援はできるんじゃないかなと。2月に行われております市町対抗駅伝、それから12月に行われますお伊勢マラソンを見ましても、ほとんどの方がありがとうというような言葉で帰っていかれると。伊勢に来てよかった、また三重県に来てよかったと、三重県にはこういったもんがあるんだなというふうなことを知っていただくいい機会にもなるんではないかなと思っております。
 話がちょっと横へそれたようですけれども、やはり先ほどから出ておりますように、指導者の育成というものに関してが一番のネックになってくるのではないのかなと。指導者につきましては、やはり三重県は企業が非常に少ないといいますか、またスポーツに専念できるようなところ、ただでさえ今は廃部、廃部で追いやられてるこの時代に、やはりスポーツ、どちらかといえばぜいたく品的なものではないのかなという部分も否めないと思います。となりますと、やはり教員、また、もしくは本当に理解のある方々の支援というふうな部分、そう考えますと、育てた子がもう一回帰ってくる、帰ってきてそれを引き継ぐと。
 現在、我々が国体をやっておりました頃の先輩方がそろそろもう引退をされまして、私どもがその後を継がなければいかんなと。早くやめてしまおうかなと思っておりましたが、やはり恩を受けた限りは返さなけりゃいかんというんで、いつの間にやらここまでずるずるやっておりますが、私どもも今、後輩の育成指導にどちらかといえばすごく重きを置いてやっております。
 それと中学の専門委員長をやっておりましたときに感じたことは、例えば三重県で中学校が165校、当時あったんですけれども、名古屋市内の学校だけで200校超えておると。ということは、愛知県全体を考えたらどうなるんだと。競技人口が、三重県は私がやっとる頃は2000人程度の登録人数だったのが、愛知県の場合やと大体2万人ぐらいの登録競技者がいてると。東京都、大阪府、千葉県、埼玉県、やっぱり強い県ですね、そういったところはそれぐらい抱えておる。じゃ、2000人対2万人がどないして勝負するんだとなれば、やはり指導者の中身の濃い緻密な指導方法にあると。そんな中で勝負をしてきましたので、同じように勝負ができる子どもたちを発掘、そして育てて、もう一度恩返しをさせようというふうな狙いで今進んでます。
 普及に関しても、昨年度まで普及の方を担当しておりましたが、小学生大会、特に低学年におきましては、1、2年生という部分がありませんでした。4年生からと。陸上競技は早くからやるとやはり負担が大きいので、ある程度成長と同時に伸びていくもんだからというふうな考えがあったんですが、先ほどから出てますように、いろんなところで、今、クラブチームが発足して、いろんなところに流れておると。そういうものを考えますと、恐らくどの競技も、今のこの少子化という時代、子どもらの取り合いになってくると。無駄な取り合いをしてもこれはいかんので、やはりいろんなことをやらせながら、最終的にどこへ行くのかというのは、本人の希望なり、そしてまた指導者の引き抜きというんですか、勧誘なりというような部分になるのではないかなと思っています。
 とにかく再度三重に国体が来る限りは、やはり頂点を目指してやらなければというふうにも思いますので、いろんな部分での御支援やら御協力があればというように思っております。
 また何かありましたら御質問ください。以上です。

〇津村委員長 ありがとうございました。

  (2)参考人への質疑

〇津村委員長 それでは、ただいまの御意見を受けまして、委員の皆様から御質問等をお願いいたします。なお、念のため申し上げますが、参考人は委員長の許可を得て発言し、また委員に対しては質疑をすることができないこととなっておりますので、御了承を願います。
 それでは、御質疑があればお願いいたします。

〇下野委員 本当にお忙しい中、先生方3名に来ていただきまして、貴重なお話ありがとうございました。
 2点、まず質問がございます。
 1つ目は、先生方3人共通して言われた指導者の確保という面でもうちょっと詳しくお話を聞かせていただきたいと思うんです。1番はやっぱりお給料の面もあるかと思うんですけども、その指導者の確保という面で、どのような制度というか、県が後押ししていけば先生方のその指導者確保というところに近づけられるのか、もうちょっと御意見をお伺いしたいなというふうに思いますが、よろしくお願いいたします。
 それから、2点目なんですけども、福田先生に。4点、5点お話が最後あったと思うんですけども、ジュニア育成という面で底辺を広げなくちゃいけないと。これはいろんなスポーツ審議会の先生方、大学の先生方も、あらゆる面で底辺を広げよ、底辺を広げよと。ここ20年で人口は25万人ぐらい三重県は増えてるんですけども、子どもは十二、三万人減ってるということです。底辺を広げろということでいろんなところでよく言われてるんですけども、具体的にスポーツをする機会を設けるに当たって、どういったことで底辺の拡大を考えていらっしゃるのか、そこのところもあわせてお伺いしたいと思います。よろしくお願いいたします。

〇津村委員長 下野委員、1点目に関しては……

〇下野委員 3人に。

〇津村委員長 じゃ、済みません、よろしくお願いします。

〇福田参考人 1点目に関してですけども、私は今、期限付講師という名前がついております。これは、私の後に指導者がいない。津東高校に今フェンシング部があるんですけども、そこへ指導者として来ていただく方が今みえないということです。今年日大を卒業する子が1人おりまして、採用試験を受けました。その子は全日本で3位、外国にも試合に行っております。ところが、1次は通ったんですけども、2次で残念ながらだめでした。でも講師の口がありますので、来年はいいかなと思って。もう去年は何が何でも津東をつぶすわけにいきませんし、フェンシング、弱小なクラブでもありましたので、私がとにかく今まで、私は先ほど言いましたように山口県から来ております。三重県にいろいろお世話になりました。だから恩返しの意味でもフェンシングを絶対つぶすわけにいかない、炎を消すわけにいかないという強い信念で、2年目でありますけども、今、講師をしております。
 それで、例えば昭和50年の国体の当初は、先ほど言いましたように、私が来たときに全然選手がいなかったんです。それで誰かいい選手はいませんかということで私自身が相談を受けました。それで紹介して県職員とかで採っていただいたから、昭和50年はその点がすごく入りやすかったのかなと思います。時代は変わってきましたので、これは難しいと思います。でも、やっぱり指導者も熱血な指導者、これが必要だと思うので、できたら、協会が推薦をすればそういうので採っていただければ本当にうれしいかなと思っております。
 以上です。

〇濱口参考人 実際、土曜日、日曜日、平日も指導をしていこうとするならば、やはり現在、教員に頼っているという状況です。民間の方になかなかそういう練習を見てくれと言うこともできません。そういう中で、クラブ活動等も通してですけども、現実にそういうふうな状況で、連盟運営に関しても公的機関の方にほとんど協力をしていただいて、教員と公的な機関、いろんな市町の職員の方が中心になっております。
 そういう流れの中で、やはり現場を指導できるということでいくならば、先ほどからもお願いしてますように、例えば指導者確保で教員確保ということにおけば、一般的に教員を採るということじゃなくて、できたら例えば種目ごとに何年かに1度そういう者を重点的に採用していこうとか、毎年毎年というわけじゃないんですけど、やはり数名の人材を、例えば教員生活38年の間に、その年代年代のところに、8年に1度とか、何かそういうふうな形もできないかなというふうにも考えております。ある県では、高等学校の指導を事務の方がやっていると。そしてそこに教員の方をサブでつけるというふうなことで、教員以外の機関でもそういうふうな指導ができる方を採用して、それで学校に派遣するとか、現場に派遣するとか、市町なんかでも多分そういうふうな形ができるんじゃないかというふうに私は考えております。
 ですので、そういった面で指導者を、そういう機関の方で生活保障やら、そういったものも含めて採用していただけないかなと。現状で一般的に採ることになれば、成績の問題もいろいろ出てくるだろうとは思うんですけれども、ただ、そういう試験に通りにくい中にも非常に優秀な指導力を持った方もたくさんおりますので、そういったところを見る試験というか、そういったところも観点としてやっていだたいたらと思っております。
 以上でございます。

〇大河内参考人 私は中学校の立場ですので、中学校のほうの立場としてお話しさせていただきます。
 まず、最近ですけれども、今話も出ておりましたけども、その採用試験云々がありました。実をいいますと現場としましては、部活動の指導に当たれる、要するに顧問をしていただける先生が非常に減ってきておるというのが現状です。もちろん高年齢化もございまして、若いのが少ないというような部分もあるんですけども、年齢がいけばそれなりに指導方法はあるはずなので、なのになかなか引き受けていただけないというような部分が現状です。ですので、それだったら、できる人を一人でも先を考えて採用していただければ非常にありがたいなと。
 それと、二、三年前からちょっと思っているのは、新規採用試験で合格した方が専門種目のない学校に行っておると。例えば極端に言いますと、相撲を専門にやっておった人が陸上競技の学校に来ておって、相撲部がないと。ところが、私の採用されたところには相撲部はある、陸上競技部はないというようなのが幾つかありまして、「えっ」と。おいおい、それはちょっと考えなあかんのちゃうと。特にこの先、インターハイ、国体を見据えてやっていくんであれば、まずそういうところをちょっと考えていただけんかなというふうな部分があります。熱心な地域もありますし、それから、先ほどから出てますように、なかなか取組ができないようなときにも、そういう方が1人行かれれば、それでまちおこしみたいなんで相撲頑張ろうぜとやれば、そこからもわいてくる部分もあるかと思いますので。だからといって部活動ができる人ばっかりを採用せえとか、そんなんじゃなくて、できるんであれば、そういうような方向も考えていただくと非常にありがたいなと。だから、確保というのと同時に、その辺のところも見きわめというのかな、お願いしたいなというふうに思います。
 以上です。

〇津村委員長 福田参考人、底辺を広げるというような質問に対して。

〇福田参考人 2点目ですけども、フェンシングの場合、私が高校生を指導していて、なかなか人数も少ない、強化するためには何が必要かなということを考え、そしてまず小学生、ちっちゃい子を育てていけば、その子たちが中学、高校と上がってくれば、インターハイでいい結果が出るんではないかということを考えました。
 でも、底辺拡大でも悩みはたくさんありました。それは施設の開放。現に私は、津商業から津東高校、この施設を使ってジュニア育成をしておりました。今退職して、期限付でまだかかわってはおりますけれども、これからかかわらなければ、高校はいろんなクラブをやっておりますから、そこで練習するというのは難しいです。だから小学校とか、どこかやる場所はないかなといろいろ、今、それが悩みなんですけども。
 そして、確かに今、フェンシングにおいては、もういろんな県が小学生からやっております。そして、その子たちがインターハイに来ておりますと、みんな日の丸を掲げて、もう高校生で3年間、3年もありませんけども、2年とちょっとで仕上げないといけない、そしてちっちゃいときからやってる子と対戦するということは本当に難しいことだと思うんです。だから、三重県もよその県に劣らないように、これは本当に勝ちたい、勝たせたいというような気持ちで底辺拡大ということを考えて、今行っているんです。私は今、高校生を指導しておりますが、来年は今度は9年後の子どもたち、1年生、2年生、3年生のあたりがちょうど高校生になってくると思います。そういう子たちを育てて、9年後の国体ではいい結果を出したいなと思っております。
 それと、あと底辺の拡大では、私の教え子の子どもがやり出して、そうすると親の協力、これも大事だと思います。もう親がただお願いねと預けていくのであればやっぱり気持ちが違うし、親は自分も経験しておりますし、いろんな無理がききます。経済的なことも、費用もかかりますし、東京で大会が非常に多いんです。そういうところにも気持ちよく出していただくことができておりますし、だからそういうことを考えれば、先ほど岐阜県の紹介もしましたが、岐阜県も大体経験者の子どもたちが今育っているわけです。だから、そういうふうにいろいろ経験者の子どもさん、とにかくやっていただければ、私たちは本当にうれしく、そしてその内容も、ただ趣味で楽しくやりたい子、それからやっぱり勝ちたい子、いろいろいると思うんです。それをうまいこと指導して9年後につなげていけたらなということで、底辺拡大。
 だから今年、少し前に松阪も増やしました。松阪にはジュニア、津でやっていた子たちが三重中学校に入っていったんです。三重中でやる場所がないもんで、松阪市の小学校を借りて、今、練習を行っております。だから、そこからまた三重高校に入ってクラブができないかなと思ってはおりますけども、そういうような形で前向きでやっていけたらなと思っております。

〇下野委員 ありがとうございます。
 先生方3人、御意見をお伺いしまして大変参考になりました。土台の部分は、先生3人とも地元に恩返しをしたいという強い気持ちがあるということで、非常にありがたいと思っております。それを具現化するには、やっぱり先ほど大河内先生からありましたように、採用の配置とか、具体的な現場でのそういう課題も一度私も調べさせていただきたいと思いますし、最後の福田先生の底辺拡大、おっしゃるように9年後ですので、小学校の低学年が主役になってきます。これから施設の問題とかあると思うんですけども、その教え子の活用も、非常に今聞いててそうかな、親の教育もそうですけども、そういったことも鑑みながら県といたしましても考えていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。ありがとうございました。

〇舘委員 今日はどうも本当にありがとうございます。昨日までぎふ清流国体、昨日で閉幕ということで、私も新聞の「20位台を目指す」からずっと結果も見せていただきながら、最終的には38位、ああ惜しかったなと、意気込みはあったんやけれども、もうちょっと頑張れと。それで知事のやるなら勝たなあかんという、その意思もそうやなという思いがします。
 今、ずっとお話をお伺いしておりまして、やはり私もこれまで議会の中でもいろいろ、人・物・金、まあ金はないよね、これは後にして、物、施設、これも満足なものは一つもない、これから、さあどうするんだ、しかしながら、一番大事なんは人やろうというふうに思ってます。その中で、今まで出てきましたけれども、指導者の皆さんは本当にえらい目していただいてるな、大変な思いをして頑張っていただいてるのがここに来てるんだろう。それは、先ほどもお話がありましたけども、皆さんのプロフィールを見せていただいてもそうですけども、昭和50年の三重国体のときに選手として出ていただいて、そしてそれが今、指導者という立場になって頑張っていただいてるということだと思います。
 指導者の中では、職員採用のスポーツ特別選考、このことのお話が出ました。まさに教員になっていただければ即戦力でいけるわけで、先ほどのミスマッチがあるようなことはあきませんけれども、そこら辺のことを考えながら、今までずっと6人やら5人やらということで大体採ってきているんですけれども、平成21年にはゼロやったというふうな状況もある。そして、その新しい教員も皆さん方にお育ていただいた選手も多くあるんだろうということからいきますと、あの昭和50年のときの大切な大切なためてきたものがもうだんだん薄れていってしまう、それではあかんやないかということで今来てるんだろうと思います。けれども、特にインターハイ、国体があるから、それは平生からやっていればちゃんとしたことができるやないか、県の方の対応はどうなんだということを今おっしゃっていただいてるんだと思います。
 もう一つの委員会の中でも、今、施設が十分になってないのは、やはり県体等々継続していっておれば、その不足したところが整備できるやないかという意見もあるぐらいで、平生からの県としての努力が足らない部分がみんな指導者の先生方にいってるんだな、このような思いがしています。
 ですから、教員の問題とか、強化指導員の配置とかいったこと、またスポーツの国際交流員といいましょうか、そんな人をつけるということも私は提案してるんですけれども、それについては今お話が出ましたんで、今は申しませんけれども、今、スポーツ指定校を指定しようとして、これ、もう始めております。指定もさせていただきました。そうなると、当然指定校ですから、遠征の関係とか、備品とか、用具のこともあろうかと思います。そんなことやら、また指定するだけでは足らんやないかというのが現場のお声やと思いますので、その指定を受けることによっての各競技でのお話をちょっとお伺いしたいのと、そしてもう一つは、皆様方におかれては、この各競技団体の責任者も兼務をいただいておる。そして当然、教員ということで学校のことがある。そして選手の指導、発掘、確保、いろいろなことがあるわけでありますけれども、県としていったときには、その部分についてどんなような負担軽減、一番初めに福田先生の方から負担軽減の話、あれは選手のときやったかなと思いますけれども、今、指導者としてのその負担軽減、若い指導者もいるわけですから、それに対するお考えもお伺いをしたいなというふうに思います。その2点について、どうでしょうか。

〇津村委員長 それぞれお三方にということですか。

〇舘委員 もう時間もあれですので。

〇津村委員長 どなたか代表にされますか。

〇舘委員 はい。1点目、スポーツ指定校制度、これに対する、現状やら、いろんなお話があるんだと思います。そのお話と、競技団体の長とか、いろいろな兼務をされているその負担軽減について、競技団体としても、また先生としてもどうだろうと。

〇福田参考人 私が津商業高校のときに愛知国体で4位に入賞して、その後、その前も、三重国体のときも強化指定というのがあったと思います。もうかなり前ですので思い出すのがちょっと大変なんですけども、その愛知国体のときに成果を出して、そのときにフェンシングの場合、津商業高校を指定校にしますということで県のほうから挨拶がありまして、そしてその当初、金額大体50万円ぐらいだったんです、でも、それをいただいて。もうフェンシングの場合は三重県で少ないですし、近くにも、本当に各県みんな少ない校数ですから、なかなか練習ができません。それで関東とか、九州とかいろんなところで、みんなが集まってみえるところ、合同練習とか合同強化試合をされるところに行って試合をしてきました。そうすると、生徒の負担が、やはり私どもは生徒の負担を非常に気にしております。親からもかなり強化費だとか、用具とか、お金がかかりますから、できるだけ負担がかからないようにということを頭に入れて強化をしてきました。だからその強化費というのは非常に助かって、今後もし、9年後、国体、またインターハイもありますけども、強化指定でそういうふうに強化費をつけてもらえれば本当に助かると思いますから、ぜひそれは実行していただきたいなと思っております。
 それと、あと指導者としてですけども、そのとき強化費もつけていただいて、私自身にも授業軽減がありました。10時間は講師の方をいただいて、私自身にもいろんなところでお勉強してくださいということで、県外へ行っていろんな大会を見てきたり講習会に行ったりというようなことで軽減をしていただいたし、本当にもうありがたかったと思います。
 以上です。

〇舘委員 今も講師をつける等々の軽減策はあるんでしょうかね。ちゃんと思うように、皆さんが願うようなことがあるんだろうかということと、今の強化費の問題、そのころそれはちゃんとあったよということですけれども、現在の指定校がいろいろ指定されて、フェンシングでも鳥羽高校が指定されてるとか、ほかの種目でもあるわけですけれども、それらについてのもっと要望的な、これはこうせなあかんに決まってるやないかみたいなことはありませんか。もうええ話より悪い話を出してもらわんと、こちらも。問題点を提起してください。

〇濱口参考人 指定校って、経済的な部分だけじゃなくて、先ほども、観点がちょっとずれるかわかりませんけども、私は商業高校におります。優秀な選手がおってもとることができない現状もあります。受け皿としてもう少し、だから例えば県外へ出ていく場合もありますし、いろんな条件をつけられて出ていく場合もありますけども、その学校へ子どもたちを受けるというのは、やっぱりその後の保障も我々はしなければいけませんので。と言いながらも、やっぱり選手の確保というのは非常に大事になってきます。できたらいろんな学校をつくって指定をしていただいて、経済的な部分よりも、おまえのところはもう相撲せえと、例えばそれぐらいのやはり気構えでしていかないと。選手の流出も防ぎたいし、それから強化も当然そこでしていって、やっぱりそこで育った子らを例えば育てて、その後大学に送るとか、また社会人に出すとかということをしていくという、そういう指定もあってもいいかなというふうに思います。やっぱりお金よりも人を確保したいという指定をお願いしたいかなと思います。その上に立って、強くなれば経済的にも、もう当然、その上で強くしないことには、やっぱり経済的なものも要求できませんので。ただ、今の相撲の現状としては、それができてないということです。それが指定校についての私の考え方です。
 負担軽減については、私は55歳ですけども、指導者というか、毎日見る者がおりませんので、今もまわしを巻いて胸を出しております。2日ぐらいすると次の日はもう腰が痛いかなと思いながらも、道場へ行けば胸を出さなければいけないというようなことで、高校生のレベルですとそれよりも、競技によってはいろいろコーチングというか、言葉で指導できる競技もありますけども、私どもの競技は胸を出して練習をさせると。高校生同士の練習では非常に練習にはなりません。ですので、社会人の中には、国体には通用しないけども胸ぐらいは出せるというのもおりまして、学校には外部指導者という制度もあるんですけども、非常にまだ少ないかなというふうに思います。仕事休んで来いと言う以上はそれなりのやっぱりことも、個人的にはやってはおりますけども、できたらそういう面での部分というのが相撲競技の軽減策としては欲しいというふうに考えます。
 以上です。

〇大河内参考人 私は中学校ですので、軽減というものはございません。もう普通どおり、一般教員と全く同じです。ですので授業もちゃんとやってますし、何ら差はありません。
 もう一つのほうですけれども、陸上競技の場合は例えば個人1人に強化というような形で費用がついてもと思います。こちらの方のような団体スポーツですとそういうような、例えば高校で陸上競技でいいますと、伊賀白鳳高校のように駅伝でとかになれば、また別だとは思うんですけれども。ですので、できましたら各競技団体のほうとかにいろんな援助があればなと。
 ただ、私、中学校の全国の委員長会議に行ったときでも、この東海地区、愛知県、静岡県、岐阜県の話を聞いてますと、えーと思うような、結局は協会と体育連盟がうまくいってない部分が多いんやと思いますが、それでやってるんですかとこちらが逆に聞きたくなるような。ですので、それはもうよそから見れば三重県はいいなと言ってもらえます、まだ三重県はいいよなと。だから案外うまくいってる関係上、今、協会のほうからもジュニア強化の方にお金をなるべく使うようにお願いをして、小学生、中学生の遠征なり何なりは少しでも援助をするようにというんで使っております。もちろん高校総体とか今回の国体のような場面でもそうですが。もう強化に関してはなるべく持っていく。でもそれ以外については、もう軽減等も含めまして僕なんか聞いたことないんで。高校の先生方は何かそういうのがあると聞いてますが。
 以上です。

〇福田参考人 先ほどのお話にちょっと補足なんですけども、以前はそういうふうに学校へ強化費というのがつけられておりましたけども、最近はついておりません。私はフェンシング協会の理事長をやっておりますので、事務局のほうから国体で入賞すればいくらか強化費としてつけていただいて、そして後は、私たちジュニア育成をしておりますから、そういう指導者にいくらか強化費がつけられております。だからそういう面からすると、少ないか多いかはちょっとわかりませんが、助かってる面があります。
 以上です。

〇舘委員 ありがとうございます。もう本当に、現場のまさに今、取り組まなあかん部分がそこに来たんだなと僕は思ってます。
 どうしても体育協会のほうからいけば競技団体がずっとあるわけで、その競技団体の皆さんなんかが直接体育協会にどうかというのは難しいんかな。体育協会からおりてくる、おりてくるというとおかしいけれども、県も負担しながら、そこでの強化費等々という形になっていくんだというふうに思います。強化費、経済的な部分も含めて、特にフェンシングなんていうと防具というんですか、そういうふうな部分からいったら大変な負担になりますし、遠征等々を考えれば、やはりレベルを上げていくことこそが選手が寄ってくることですし、そして指導いただく皆さんのことやと思いますんで、やはりもとは指導者の皆さんだろうというふうに思います。
 体育協会の組織図も私はいただいておりまして、その中でどうやっていくかというのが大きなことなんだろうというふうに思いますし、やはり指導者の皆さん、大変ですけれども、今日お話をお伺いしたこと、自分の心に入れてその対策ができるように、そして、これもそれだけじゃなくてずっと続くようなものにするように頑張りたいと思います。またいろいろと現場のお声をお聞かせいただいて、御指導いただくことをお願いします。ありがとうございました。

〇中川委員 本当に今日は御苦労さんでございます。個人的にも大変親しくさせていただいておりますし、本当に昭和50年の三重国体のときに頑張っていただいて、その後も指導者として今日を迎えておると、本当に心から敬意を、感謝を申し上げたいと思うんです。
 今、3人の先生から課題が話されました。1つにはジュニア選手の強化とか、あるいは指導者の養成、確保、それから環境の整備とか、県民や企業のスポーツを支える仕組みづくり等々あったかと思うんです。これはこれとして厳粛に受け止めて、いろんなハード・ソフトで対応していかなきゃならんわけなんですが、私どものこの特別委員会というのは、平成33年の三重国体に県が標榜しております天皇杯、これを目指すためにどうしたらいいんだろう、これがやはり私どもの目標だと思うんです。そういった中で、本年6月21日に国体活性化プロジェクト中間報告というのが発表されまして、その中で、1つにはこの国体というものが国内最大・最高のスポーツ大会であると、それから2つ目が、将来性豊かなアスリートの発掘・育成を行う大会であると、3つ目が、国民のスポーツへの関心やスポーツ文化の認識を高める大会、こういったことが示されて、このためにどうしたらいいんだということなんです。そういった中で、現在は毎年開催ということですよね。今年も岐阜県であったわけなんですが、例えばそういう都道府県の持ち回りが本当にいいんだろうか。せっかくそういう形で隣の岐阜県でやって、そのノウハウ等々があると思うんですが、それをやはりもうすぐに生かすことが必要じゃないかなと。現在、都道府県対抗になっとるけれども、これで本当にいいんだろうかと。本来こういう形で、先ほど目指した目標、アスリートの育成とか、あるいは国民のスポーツへの関心を高める大会ということで県民バージョンでやっとるわけなんですが、これが本当にいいんだろうかという問題が出てくると思うんです。
 皆さん方がせっかくそういう形で現場でやってきて、この姿でずっと今日を迎えとるわけなんですが、昔の国体の姿、今の姿、そして目指すべき国体の姿ってあると思うんです。今申し上げた国レベルでも、そういったプロジェクトでいろんなことを考えられとるんですが、そういったことに対して、今も濱口先生が、三重県の優秀な子どもたちがほかへ行ったり、あるいは他県から優秀な子どもたちの勧誘に出てくるという、その現状も話をされましたよね。あるいは選択と集中ということで、もうある面、その種目を絞ってやった方がいいんじゃないかと、こういう話もあったんですが、今はいろんなハード・ソフトの話があったけれども、やはり9年後の三重国体で目指すべき、やはりそういう目標とすべき方向性というのは一体どうなんだろうかと。今、僕が申し上げたようなことも含めておっしゃっていただきたいと思うんですが、どうでしょうか。県知事とか教育長が答弁すべき話かわからんけれども、現場のベースで今申し上げたことをどう思われるかお聞きしたいと思いますが。

〇濱口参考人 ちょっと的外れなんかわかりませんけど、私も最初に話をしましたように、国体当時に相撲とめぐり合いまして、それで相撲競技の魅力を教えていただいて、指導者として帰ってくる気は最初はなかったんですけど、大学へ違う競技を目指しながら行ったつもりですが、途中で相撲をまたやるというようなことで大学を卒業して、県の方に採用していただいた。先ほどから出てますように、やっぱり恩返し。私もそんな大した選手でもありませんでしたし、生き方もそんな、まだふらふらしてた高校生がある程度鍛えていただいた、それの恩返しということでスポーツを子どもたちに教えたいと、これが基本でしたので。
 インターハイですと学校対抗ですので、そこで子どもたちと勝ったり負けたり、また頑張れというふうなことで、負けてもまたいいじゃないかというようなことで指導をしております。国体になりますと、やはり県対抗ということで、8月から10月の期間、今度は子どもたちを県の選手としていく流れの中で、行くまでにはみんなに頑張れと言われて、今回みたいに負けて帰ってくると、何かスポーツのちょっと落伍者的な気分が出てきまして、県に帰ってきて点数も見たり、ほかの競技も見たりしております。
 確かにこの国体というのは、競技成績というのは非常にプレッシャーには感じます。でも、そのプレッシャーが、行く前にはやっぱり頑張るという力にもなりますし、競技力を向上させるのは間違いないというふうに思います。ですので、委員が言われた得点というのがいいか悪いかは別として、負けても子どもたちは非常に国体を経験してよかったと。そして負けた者も結果として受け止めて、また前へ進む者もおれば違う道に行く者もおるというようなことですので、ここで得点がいいのか悪いのかというよりも、その国体のあり方というのは、僕は非常にいいというふうに思います。
 以上です。

〇中川委員 私も国体を否定しとるわけじゃなくて、こういう形で三重県としても天皇杯というのはもう標榜したわけですから、それに向かってやはりこれからいろんなことで構築していかなきゃならんと。まさしくそういった、子どもたちもライバルを作り、ライバルを倒す。そういうことによって感動なんかもあるんじゃないかなと思いますし、やはりしょせんは人づくりに対する投資だと思いますので、私も頑張りますし、また先生方もぜひとも頑張ってもらいたいなとエールを送らせていただいて終わります。

〇津村委員長 ほかにございませんか。

〇津田委員 ちょっと相撲の方に御質問させていただきたいなと。ちょっとずれるかもしれませんけれども、今年度から中学校で武道を教えると。剣道や、柔道や、なぎなたや弓道、いろいろあろうかと思いますけども、三重県では相撲を選択する中学校というのはないんですかね。

〇濱口参考人 大体26ぐらいの学校が武道の中で相撲を選択するということを聞いてます。女子と男子と若干数は違うと思うんですけど、26から28ぐらいあります。それで、今度11月の中旬あたりですけども、小俣の体育館の方を使いまして、全国から講師を呼びまして、武道必修化に対する先生方の講習会というようなこともやる予定でおります。
 以上です。

〇津田委員 三重県は志摩、鳥羽が中心で、その広がっていかない理由というのは、やっぱり施設の問題、土俵の問題、指導者の問題ですか。

〇濱口参考人 中心になりますのはやっぱり鳥羽、志摩、それで伊勢も選択をしてくれたというふうに聞いております。広がらないというよりも、理由というのは、結局年間を通してやってもらう指導者がいない、これがやっぱり1番だと思います。中学校には、大体鳥羽、志摩のほうには、練習できる土俵は、今消えていったところもあるんですけども、過去にはほとんどの学校にありまして、外に屋根があって夏場できるというような土俵はところどころにありますので、施設の問題ではないというふうに思います。指導者の問題だというふうに思います。
 以上です。

〇津田委員 それから、高校の先生になってこようかと思いますけども、やっぱり生徒の進学指導というのは顧問の先生がやられるわけですか、進路のほうがやられるわけですか。その後はどういったところへ子どもたちは進学されてるのか、就職されてるのか、その感覚だけちょっと教えていただきたいなと思います。

〇福田参考人 津商業高校のときは、商業高校でしたので、卒業すると企業の方へ就職しておりました。現に今、私は進学校、津東高校で、それがまた頭が悩まされるんですけども、今回も高校3年生を国体に出場させたんです。けれども、やっぱりレベルの高いところを受けたいという希望を持った子でしたので、進路の勉強のほうが、もう本当に引っ張っていくのが大変でした。だから進学校で本当に引っ張っていくのは大変だなということを今回感じましたが、去年、おととしと、今年、成年女子で頑張ってくれた子が千葉国体で高校のときに2位に入賞したんです。その子たちは、もう教え子の子どもでもありましたし、将来は大学でフェンシングをやりたいという子でしたので、最後まで引っ張ることができました。だから、そういう場合は大学との話を推薦でお願いして入学させたし、あとの子は、本当になかなか大学でフェンシングをやりたいという子が、やってるんですけども大学まではという子が多いんです。だからそういう子たちについては、自分で進路を決めて卒業しております。
 以上です。

〇濱口参考人 基本的には、就職に関しては学校の進路が就職をあっせんしております。ただ、相撲を志す子に関しては、大学に関してはもう顧問の方でやっております。中には愛知県のほうに企業がありますので、そういった相撲部のあるところにあっせんをするのも監督の仕事というふうに思います。ですので、相撲に関しての進学、就職に関しては、顧問がほとんど中心になってやっております。
 以上です。

〇津田委員 スポーツにしても、相撲にしても、それだけで成功する人って本当に一部だと思うんですね。ちょっと矛盾するような言い方かもしれませんけれども、その進学指導に対する学校の体制というのは、先生方から見れば、まあまあ整ってるかなというような感想ですか。

〇濱口参考人 基本的に商業高校は、大学に関しては2通りありまして、指定校推薦というような進学の仕方と、それから一般試験ということですので、この点については本人の学力が中心になってきます。普通科高校の場合ですと、もう本当に勉強、勉強ですけども、商業高校に関しての指定校推薦については、まずまず整っているんだというふうに思います。
 以上です。

〇津田委員 わかりました。

〇津村委員長 よろしいですか。
 ほかにございませんか。

                〔「なし」の声あり〕

〇津村委員長 ほかになければ、これで質疑を終了いたします。
 この際、参考人に対し、委員会を代表して一言お礼を申し上げます。
 本日は、大変お忙しい中、当委員会のために出席をいただきまして本当にありがとうございました。現場の本当の生の声を聞かせていただきましたので、やはり参考人招致、非常に意義があるもんだなというふうに思っております。いろいろお話を聞かせていただきましたが、やはり競技の継続性というのが一番大事なのかなというふうに思いましたし、あとは選手がいずれ指導者として帰ってこれる、そしてまた次の世代を育てていくという一つのサイクルをしっかりと制度化していくということも大切なのかなというふうに思った次第であります。
 今後は、本日いただきましたこの貴重な御意見、今後の三重国体がすばらしい大会になりますように、私たちも委員会としてしっかりと取り組んでいきたいと思いますので、3名の参考人の方々には、現場で指導に、そして三重県のスポーツ振興にこれからも御尽力いただきますことを心からお願いを申し上げまして、本日の御挨拶にかえさせていただきます。
 本日はどうもありがとうございました。
 それでは、参考人におかれましては、御退席をいただきますようお願いいたします。ありがとうございました。

                〔参考人 退室〕

Ⅱ その他

  (1)次回の委員会について

 今後の委員会の進め方について委員間討議を行うため、県外調査終了後に開催し、別途日程調整することを決定

 

〔閉会の宣言〕

 

三重県議会委員会条例第28条第1項の規定により記名押印する。

スポーツ振興対策調査特別委員長  津村  衛

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