加藤隆さん、諸戸孝光さん(伊勢湾台風の話その1)
管内で起こった災害について経験者が語ります。
今回は、前回インタビューさせていただいた花井清司さんの紹介で、木曽岬町にお住まいの加藤隆さんと諸戸孝光さんに伊勢湾台風のお話をうかがいました。
加藤さんは当時学生さんだったのですよね?
(加藤さん)中学3年生でした。諸戸さんは、お子さんが小学校5年生で、ご自身は消防団に入ってご活躍されていたんですよね。
(諸戸さん)そうです。
台風の日のことを振り返っていただきたいのですが。
(加藤さん)夕方あたりまでは、雨こそ降っていましたが静かな日でした。それが、夕方から風が強くなってきて嵐となり、午後の8時頃だったでしょうか、突然水が押し寄せてきてあっという間に飲み込まれました。
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どこでですか? 逃げなかったのですか? |
よくご無事でしたね。ご家族はどうだったのですか?
(加藤さん)
両親、祖母、弟、妹、私の家族6人とも無事でした。
家が新築直後だったので倒壊を免れ助かったのだと思います。
「30秒」とおっしゃいましたが、もう少し詳しく教えて下さい。
(加藤さん)あの時は家を守るため、雨戸にかんぬきを掛け、持ち場を分担して守っていました。
でも、とにかくものすごい台風で、音をたてて家が揺れ吹き飛ばされそうになったため、「危ない!もうダメだ」と思いました。
停電してなかったのですか?
(諸戸さん)7時には真っ暗だったと思います。
(加藤さん)それから、父が「畳みで雨戸を支えるぞ」と呼ぶので、私も持ち場を離れて一緒に畳を積み上げました。
そして、すぐに自分の持ち場である玄関に戻ろうと手探りで履き物を探していたら、突然水が勢いよく流れ込んできました。
私は「水が入ってきた」と叫び、それを聞いた父が「堤防が切れた!逃げろ!」と大声で叫びました。
その間わずか30秒だったと・・・
(加藤さん)何を思ったか、私はとっさに学生服とカバンを取りに行きました。そのあと裏口へ走ろうとした時、畳が浮きかけていました。
その時、母は当時1歳の妹を抱いて「逃げなあかん」と言って慌てていました。弟のことは覚えていません。
でも、結局逃げなかったのですね。
(加藤さん)勝手口から逃げようとしたのですが、倒れた流木だらけで逃げられませんでした。
家の中に戻る時には立ち泳ぎ状態になり、柱や壁づたいに「つし」(2階)へ上りました。
つし(厨子)・・・屋根裏を2階のように作った納屋のような場所のこと
よく皆さん助かりましたね。
(加藤さん)おばあさんは、最初から「あかん、つしに上がれ」と言って家から出ようとしなかったのを覚えています。
それから、窓から屋根へ上がる準備をしていた時に、階段がなくなっている事に気がつきました。
次回に続きます。