災害伝承
このコーナーは、過去に起こった大災害についてその経験者に語っていただき、その教訓を伝承しようというものです。
今回は、先日「防災の星」で取り上げた佐藤嘉平さん美江さんご夫妻のご紹介で、桑名市長島町にお住まいの方々に桑名市長島防災コミュニティーセンターをお借りしてインタビューさせていただいた伊勢湾台風のお話です。
お一人目は、佐藤さんが主宰する長島防災支援ネットのメンバーでもある伊藤吉計(よしかず)さんです。
当時の年齢をお聴きしてもよろしいですか?
25、6歳でまだ独身でした。
一人暮らしだったのですか?
いいえ、実家で両親や兄夫婦らと一緒に殿名(とのめ)という地区で暮らしておりました。
とにかく風が強くて、戸の内側から押さえていましたが、どこかの戸を開けた時、水が入ってきたので堤防が決壊したなと思いました。
それからは、2階に上がって台風が過ぎるのを待ったということです。
別の場所に避難しようとは思いませんでしたか?
3年前に茅葺きの家から新築していましたので、もし茅葺きのままでしたら逃げたと思いますが、その時は親の言うとおりに行動しました。
すぐに2階に上がれましたか?
上がれることは上がれました。自分は母と兄嫁の子らとすぐ上がりましたが、父親や兄は米俵を一生懸命上に上げてから上がったと思います。
今は台風前に収穫しますが、昨年の米で残っていた物を上げていたのだと思います。
家は無事だったのですね?
地区で3軒全壊しましたが、うちは無事でした。
当時の桑名郡長島町地内で堤防が15ヶ所も決壊しましたから、1ヶ月間は水没したままでしたね。
汚い話ですが、満潮になると糞便が漂ってきて、潮が引くとどこかへ流れていく繰り返しでしたね。
国鉄(現在のJR東海)職員でしたので、仕事に行くと1週間は帰れませんでした。
ですから週に1回帰って、また1週間という生活がしばらく続きました。
亡くなられた方を堤防の傍らで火葬したのですが、子どもを抱きしめたまま亡くなった方がいたことを憶えています。結局、引き離せなくてそのまま焼かれたのでしょうね。
それから、小学校(伊曽島小、長島小、楠小)がだめになったので、小学生は伊勢の皇学館へしばらく行っていたと思います。