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三重県水産研究に100年(創立百周年記念誌)

三重県水産試験場・水産技術センターにおける研究史のトピックス

4.アワビに関する研究

日本におけるアワビに関する研究は、その移殖・放流から始まった。民間においては明治以前に行われていたことが記録として残されており、大正年間にも若干の記録が残っているといわれる。「水産増・養殖技術資料集(日本栽培漁業協会)」によると、明治27年(1894年)三重県から愛知県知多半島南部にアワビが移殖されたのが移殖試験の最初の記録のようである。また同資料集-Ⅱでは、昭和年代に入って、昭和7年(1932年)に水産増殖奨励規則が改正されたことにより、各府県でアワビの移殖放流や繁殖施設の造成が広く行われるようになったことが記載されている。三重県では、昭和6年(1931年)の「稚飽の成長の一例」がアワビに関する最初の報告であり(三重県水産試験場時報第14号)、この研究では歯科用セメントを用いて標識放流を行い、約10ケ月後に再捕されたアワビの成長が報告されている。その後昭和11年(1936年)には北海道産や岩手県産のアワビを放流するために、発動機船や鉄道を利用した輸送試験が行われる等、主として、移殖や、移殖のための輸送試験、放流後の成長などに関する研究が行われた。これらの試験研究は、北方系のアワビ(エゾアワビ)は成長が遅いため、温暖な水域に移殖放流すれば成長が促進され、有効なアワビ増殖対策となると考えられたため実施されたものである。この他、漁獲管理を目的とした漁期の制限についての検討が既にこの時代から行われている。昭和15年(1940年)にはアワビの成長に関する本格的な研究が行われ、この中で、貝殻を焼くことによって年輪を剥離するという手法によって鳥羽市国崎産、志摩町片田産の天然アワビの成長が初めて明らかにされた。この成果はその後のアワビの成長に関する研究の貴重な資料となり、数多くの文献に引用され、現代においてもその価値が広く認められている。

戦後になると、研究のテーマは人工種苗の生産研究に移る。種苗生産研究の基礎は昭和27年(1952年)、水産庁東海区水産研究所の猪野峻によって築かれた。若干の先人の研究はあるものの、実用的な見地から見れば同氏の研究がアワビ種苗生産研究を全国的に展開させる端緒となった。「磯根資源とその増殖1」によれば「昭和34年頃よりアワビ種苗生産研究の試みが各県水産試験場で行われるようになり、昭和37年に水産試験場、水産研究所によって〝アワビ種苗生産連絡協議会″が結成された」とある。

三重県では昭和35年(1960年)から浜島において研究が開始され、昭和38年度の三重県水産試験場事業報告に昭和35~37年の研究結果が初めて記載されている。当時の研究課題は、(1)効率的な産卵誘発方法の開発による大量の受精卵入手 (2)浮遊期間中の生残率および付着率の向上 (3)付着初期の餌料である珪藻類(単細胞の藻類)の効率的かつ安定的な培養法の開発、等であった。産卵誘発については、後に昭和49年(1974年)水産庁東北区水産研究所によって、紫外線照射海水がきわめて有効であることが発見されるが、この頃は、親アワビを一定時間陰干しの後水槽に戻し、更に直射日光によって水温を上昇させるという刺激によって産卵を促すというものであった。

昭和45年ごろのアワビ採卵水槽
昭和45年ごろのアワビ採卵水槽

以上のような問題については全国的な規模で研究が行われ、前述したアワビ種苗生産連絡協議会や各地域のブロック会議等において各県が情報交換を行いながら共同研究のような形で研究が進められ、これらの諸問題は徐々に解決が図られていった。この間の研究では昭和40年(1965年)に、三重県水産試験場(浜島)が開発した飼育装置は、小型ではあるが高い生産効率を示し、全国的に大きな注目を集めた。しかし、これを実用段階にまで発展させることは出来なかった。また、他の研究機関では産卵時期の調節や初期餌料の種類に関する研究、人工飼料に関する研究なども実施された。

昭和40年に開発した飼育装置の図
昭和40年に開発した飼育装置の図

昭和45年ごろのアワビ種苗飼育装置
昭和45年ごろのアワビ種苗飼育装置

このようにして、ある程度の数量の生産が可能となった昭和41年になると、これらの人工種苗を効果的に活用するために、アワビ資源の生態や種苗放流、漁場造成などの研究を目的とした「磯根資源調査」が水産庁の研究助成事業として取り上げられた(磯根資源とその増殖1)。この研究に、三重県水産試験場(浜島)も参加することとなり、伊勢神宮への熨斗アワビの奉納で古来からアワビ漁場として名高い、また、輪採法による漁獲規制が行われていた鳥羽市国崎地区において、東京水産大学との共同研究を行い、アワビの生態や資源管理に関して多くの知見を得た。国崎におけるアワビの資源管理は、この三重県水産試験場の研究によって全国的に知られることとなり、いくつかの専門書にもその成果が記載されている。以上のように、三重県水産試験場のアワビに関する主要な研究テーマは、昭和40年代の半ばまでには移殖・放流や種苗生産から、人工種苗の放流効果を含めたアワビ資源の生態とその管理に関する研究に移行して行った。

一方、昭和48年(1973年)から建設が開始された各県の栽培漁業センターでは、昭和50年頃になると、ある程度の数量の種苗生産が可能となったため、生産規模はさらに拡大され、県によっては栽培漁業センターの最重要業務となっていった。因みに、昭和52年(1977年)の全国のアワビの種苗生産数は約800万個となっている。三重県では昭和56年(1981年)に浜島町に三重県栽培漁業センターが建設され、当初のアワビの生産目標数は10mmサイズが10万個、25mmサイズが11万個であった。しかし、これら栽培漁業センターの事業現場では種苗の量産化に伴い新たな問題が発生するようになった。このため、効率的なアワビの人工種苗生産を目指して、今度は栽培漁業センターサイドでの種苗生産研究が、生産事業と並行して開始されることとなった。

栽培漁業センターのような量産現場では、単なる量的な生産だけではなく、放流効果の高い活力のある種苗を如何に安価に生産することが出来るかという、これまでの水産試験場サイドとは異なった視点での研究が必要とされ、この意味で最大の問題は5月後半以降の中間育成時に発生する、10mmサイズの小型種苗の大量斃死(斃死率50%以上)であった。この斃死問題は、千葉県以西のクロアワビを生産している県で特に昭和60年頃から大きな問題となり、県によっては種苗の生産量が激減した。このため平成5年、水産庁が新たな研究事業をスタートさせることになり、三重、京都、山口等の6府県が参加して共同研究が開始された。三重県では、水産技術センターと栽培漁業センターが共同で研究チームを組んでこの間題の解決に当たることになった。現在、この原因は感染症であるとされているが、病原体はまだ確認されていない。しかし、感染症対策としては徹底的な防疫体制の確立がまず重要となるため、三重県では平成8年(1996年)に新たに開所した尾鷲栽培漁業センターにおいて、事業規模での実用的な研究を行い、この結果、平成9年以降、平成11年現在まで同センターでは、中間育成時のアワビ稚貝の大量斃死の発生は全くなく、平均生残率95%以上という画期的な成果を得ている。

また、種苗の放流効果についても両者が共同で研究を継続しており、漁獲アワビに占める放流種苗の割合は高くなっているが、資源量全体の嵩上げには至らず、近年三重県全体の漁獲量の減少傾向が著しいため、これらの課題に対するさらなる研究の必要性が高まっている。

本ページに関する問い合わせ先

三重県 水産研究所 企画・水産利用研究課 〒517-0404 
志摩市浜島町浜島3564-3
電話番号:0599-53-0016 
ファクス番号:0599-53-1843 
メールアドレス:suigi@pref.mie.lg.jp

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