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令和04年08月31日

桑名宗社(春日神社)眺憩楼~Muramasa Museum~体験レポート
2022.8.31公開


 今回ご紹介するのは、桑名市の眺憩楼~Muramasa Museum~です。同館は桑名宗社(春日神社)の境内の中にあり、令和4年(2022年)に、名刀「村正」を再現した「写し」や所蔵する複数の「村正」を展示する施設として一般公開されました。
 
 
 

 



<目次>

名刀「村正」
 1)村正とは
 2)桑名宗社と村正
 3)写しの制作
 4)妖刀伝説
建物の由来
MuramasaMuseum
 
館の概要


 

名刀「村正」                       

 

1)村正とは

 歴史や時代劇が好きな人で、「村正」の名を聞いたことがない人はいないのではないでしょうか。「村正」は、室町時代から江戸時代中期まで、代々日本刀を作り続けた刀工と、その作品を呼ぶ名前です。その切れ味の鋭さで実戦刀として武士たちに愛されるとともに、刃の美しさから美術品としても高い評価を受けていることは有名です。
 
 ただ、そんな圧倒的な知名度がある刀工が、この三重県の桑名の人であったことは、刀の高名に比して必ずしも有名とはいえません。それを広報することが、地域を代表する神社である「桑名宗社」で、「村正」の写しを公開する目的の一つです。


桑名宗社公式サイトより

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2)桑名宗社と村正

 同館で展示されている「村正」の写しのもととなった「本歌」の刀も、同社が所蔵しています。天文12年(1543)に2代目村正本人から、二振りの日本刀が奉納されました。そのうちの一振りの写しが打たれ、館内で鑑賞することができます。
 
 「桑名宗社」の宮司である不破義人さんのお話です。
 
代々『村正』の名を継ぐ刀工の中でも、2代目村正はとくに高い評価を得ています。その村正が、地元の総鎮守とされる当神社に作品を奉納するにあたって、大変力を入れて作刀されました。注文を受け対価を得て打つ場合と違い、自らが神社のご祭神へ奉納するため、使う材料や投入する技術に上限を一切設けず、自身の最高の刀を作り奉納したのです。そしてそのことは、刻まれた銘からも見て取れます。通常、村正の銘は『村正』の2文字だけが刻まれますが、当神社の太刀村正には『勢州桑名郡益田庄藤原朝臣村正作』とあり、細かな住所などが刻まれています。この銘は村正史上、最長とされています。」
 
なお、その二振りは平成28年に三重県の指定文化財になっています。この貴重な二振りは、戦時下で十分な手入れができないと考えた当時の宮司によって、刃を保護するため漆(うるし)が塗られました。この度文化財指定を受ける際、刃文などが全く見えない状態でありながら、他に見られる刀身と銘文から文化財の価値ありと認められました。
 
 「この二振りの『村正』は、この桑名で長い歴史を紡いできた当神社ならではの宝物です。
 

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3)写しの制作

 「桑名宗社」の不破宮司は、三重県桑名市に「村正あり」と示すためには、「村正」を常設展示し、多くの人に見てもらうことが必要だと考えました。そこで、令和2年(2020年)、若くして高名な研ぎ師に依頼し、刀身を保護していた漆を外しました。そうして本歌の村正を展示したところ、3日間で5千人を超える人が見に来たそうです。今後も、年に一度は本歌を展示することを計画しています。
 
 しかし、常に本歌を展示することはできません。空気に触れると劣化の危険があり、加えて、指定文化財であることから、展示できる期間が限られています。それでも、いつでも誰でも見ることができる状況にするために、不破宮司は精巧な写しを作る計画を立てました。
 
 天下の名刀の写しを作る費用をクラウドファンディングで募ったところ、あっという間に予定額に達し、最終的には目標を何倍も超えた金額が集まりました。「村正」の名高さがここでも証明された形です。そして、やはり若くして高名な刀鍛冶に依頼し、名刀「村正」が復元されました。
 
 
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4)妖刀伝説について

 他の名刀に比べて「村正」が圧倒的な知名度を誇る理由には、刀剣としての質の高さだけではなく、いわゆる「妖刀伝説」が寄与しています。いわく、「村正は徳川に仇なす刀である」と。「家康の嫡男・信康が切腹した刀だった」「大坂夏の陣で真田幸村(信繁)が村正を手に家康の本陣まで迫った」など、徳川家に関する多くの言い伝えがあります。そのため「徳川家康は村正を妖刀として忌み嫌った」とされ、そんな妖しい伝説が、とくに刀剣に詳しいわけではない一般人にも「村正」の名を強く印象づけています。
 
 そのことに、不破宮司はとても複雑な思いを抱いています。
 
家康公が村正を忌避したというのは、歴史的事実ではありません。家康公も村正を所有していましたし、遺産として息子に譲っていることから、家康公からも大切に扱われていたことがわかります。
 
加えて、家康公の孫である千姫が、当社の境内に、家康公を祀る東照宮を勧請(建立)しています。その千姫の行動は、村正伝説に根も葉もないことの証明だと思います。
 
「豊臣秀頼に嫁いだ千姫は、大坂夏の陣で大坂城から脱出した際、この桑名・七里の渡しから千姫を船に乗せる役目を仰せつかった本多忠勝の孫・忠刻と出会い、すぐに家康公に願い出て再婚します。家康公は最愛の孫娘である千姫の幸せを願っておりましたが、嫁ぐ直前にこの世を去ります。千姫は、自らを救い出し、結婚を認めてくれた家康公を、本多忠刻と暮らす桑名の総鎮守である当神社に祀りました。もし徳川家が本当に『村正』を忌み嫌っていたならば、『村正』が奉納されていることが知られている神社に、家康公を祀ったりするでしょうか。」
 
「『村正』の写しを展示し、多くの人に見てもらうことで、『村正』の真偽を理解してもらいたいと考えています。妖刀伝説』の存在を否定するつもりはありませんし、知名度を上げたなどの効果もあります。しかし、これだけ素晴らしい刀を納めた村正に対し、軽々しく妖刀』あるいは呪われた刀』という言葉は不本意に思います。」
 
「これだけ素晴らしい刀を作るには、私たちには計り知れない、思いや技術が込められています。神社に奉納されて約470年の月日が流れても、村正の思いを決して傷つけてはなりません。村正』を展示することで、妖刀などという風評を払しょくしていけたら幸いです。
 
 
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建物の由来                        

 
 眺憩楼は、桑名宗社(春日神社)の境内にある社務所の建物の中にあります。この社務所は、明治時代の料亭旅館「船津屋」を移築したものです。船津屋は東海道五十三次の42番目の宿場「桑名宿」の関所にあった「大塚本陣」の宿でした。本陣とは皇室や大名が宿泊する施設をいいます。「大塚本陣」は桑名宿の本陣の中で最高の格式を持ち、船津屋には明治天皇も宿泊しました。「眺憩楼」の名は、明治21年に有栖川宮熾仁親王が同宿に訪れたときに名付けられたものです。
 
 江戸時代に建築された由緒ある建物は、昭和35年(1960年)に同社の境内に移築されました。戦争で焼けた社務所の代わりにと寄進されたものでした。これまで一般公開などはされていませんでしたが、歴史と格式ある建物を改修し、神社の宝物である「村正」写しを展示する場所としてオープンしました。建物の改修はクラウドファンディングで集まった資金により行われ、新しい文化施設として生まれ変わりました。メイン展示である「村正」写しや他の展示品に加え、この格調高い室内も鑑賞することができます。
 
 

 
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MuramasaMuseum

 
 「村正」の写しを展示するガラスケースは、直接畳の上に置かれ、低い場所で鑑賞するよう設置されています。改修の監修を行ったデザイナーの提案によるものです。日本家屋に相応しく、座ってじっくり見てもらいたいという思いから、この少し珍しい展示方法が採用されました。
 
 「村正」を前にすると、つい身を正して正座に座り直す人もいらっしゃいますが、不破宮司は「無理をせず、リラックスして見ていただければ」とおっしゃっています。正座でも、胡坐(あぐら)でも、それ以外の座り方でも、心を落ち着けて、集中して名刀に向き合うことが大事なのだと思いました。
 
 
 
 
 「村正」の写しの他にも、由来は不明ながら400年前から伝わる短刀「村正」、長らく宝物庫にあった鉾(ほこ)、戦争で焼けた建物の屋根にあった江戸時代製の丸瓦、江戸時代に桑名の職人が制作した刀の鍔(つば)など、同社の長い歴史をうかがわせる貴重な品が展示されています。写し以外のものは時期を見て展示替えがありますので、何があるかはお楽しみです。
 
 

  


 これだけ貴重な品と建物ですが、不破宮司は、できる限り無料で入館してもらいたいと考えています。皆に村正のことを知ってもらい、また桑名ゆかりの品や建物を、地域の人をはじめ多くの人に見てもらいたいからです。
 
 神社隣にあるカキ氷屋さんが大人気で、とくに夏には多くの人が訪れることから、展示会場に自由に出入りしてもらうのは難しく、心が落ち着く贅沢な空間を維持するため、やむを得ず入場制限をとっていますが、その上で、眺憩楼は、誰に対しても開かれた空間であることを目指しています。


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館の概要                                    

 
桑名宗社(春日神社) 眺憩楼~Muramasa Museum~
 
三重県桑名市本町46
関西本線・桑名駅から三重交通バスで「本町」バス停を下車後(乗車5分)、徒歩1分
駐車場 40台
 
開館時間 毎日10時~15時 (不定休)
電話 0594-22-1913
E-mail kuwanasousha@gmail.com
 
同館の公式サイトはこちらから
県HPでのご紹介はこちらから



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本ページに関する問い合わせ先

三重県 環境生活部 文化振興課 〒514-8570 
津市広明町13番地
電話番号:059-224-2176 
ファクス番号:059-224-2408 
メールアドレス:bunka@pref.mie.lg.jp

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