<目次>
・寄稿にあたり
・プロフィール
・伊勢根付とは
・中村賢一さんのお話
・梶浦明日香さんのお話
・ご家族のお話
・館の情報
寄稿にあたり
伊勢根付師として長年活動し、伊勢まちかど博物館「伊勢根付彫刻館」の館長でもある中川忠峰さんが、「第24回三重県文化賞」で最高賞である文化大賞を受賞されました。
これまで大賞ご受賞者は、ご本人にお話を伺い、県ホームページ等においてご紹介してまいりました。しかし、表彰式直前の令和7年5月、忠峰さんは永眠されました。そこで、①「まちかど博物館」でともに活動した中村賢一さん、②弟子の梶浦明日香さん、そして③ご家族にお話を伺った上で、忠峰さんのご生前のご功績や、そのお人柄などをご紹介します。


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プロフィール
昭和22年に伊勢市に生まれた中川忠峰さんは、昭和53年に大工から「伊勢一刀彫」をはじめとする木彫の道に進み、程なく「伊勢根付」を活動の中心に据えて制作を始めました。日本橋高島屋や西武百貨店池袋本店での根付彫刻展に出品するなど、伊勢根付を全国にアピールするとともに、米国「根付ソサエティ」誌での紹介、大英博物館への出品、ロサンゼルス・カウンティ美術館への出品など、海外からも高く評価されています。
その技術の高さや活動の功績から、「国際根付彫刻会」会長をはじめ、「伊勢志摩木彫会」会長、「伊勢の匠会」会長、「伊勢市美術展覧会運営委員会」副委員長、木彫根付唯一の公募展である「高山市木彫根付公募展」審査委員長等、数々の団体の要職を歴任してきました。
後継者の育成にも力を入れてきました。各地の教室における生徒はのべ250人を超え、現在活動する伊勢根付職人は、ほぼ全員が忠峰さんの弟子です。
地域の文化振興の活動にも熱心に取り組み、地域の活性化に貢献してきました。例えば、毎年夏休みに「おかげ横丁」で子ども向けの体験会を催すなど、地域に密着した活動を多く行っています。とくに注目すべきは「まちかど博物館」の活動です。三重県内の「まちかど博物館」発祥の地である伊勢で、「伊勢まちかど博物館」に立ち上げ当初から参加し、後に「伊勢まちかど博物館運営委員会」会長にも就任しました。
忠峰さんのこうした活動と功績が高く評価され、第24回三重県文化賞で文化大賞を受賞されました。同賞受賞者表彰式では、出席を楽しみにしていた忠峰さんに代わり、忠峰さんの作品を身に着けた孫の中川杏春(あんず)さんが、知事から表彰状を受け取りました。
1947(昭和22)年 伊勢に生まれる。本名俊夫
1978(昭和53)年 大工職人から木彫の道に入る(伊勢一刀彫りの中本忠道氏に師事)
1980(昭和55)年 師匠につかず独学で根付の制作を始める
伊勢志摩木彫会入会
「海女」伊勢市美術展・伊勢市議長賞('81'82'83'84'87'90に入賞)
1984(昭和59)年 日本根付彫刻会入会
1986(昭和61)年 米国「根付ソサイエティ」誌に作品紹介
1987(昭和62)年 国際根付彫刻会入会
1988(昭和63)年 山田正義著「現代根付」誌に作品紹介
1992(平成4)年 フィンランド大使館「根付のタべ」招待
1993(平成5)年 「伊勢根付彫刻館」開館。ザ・伊勢講まちかど博物館認定
スウェーデン大使館邸「根付のタべ」招待
1994(平成6)年 大英博物館「現代根付彫刻展」
米国ロサンゼルス・カウンティ美術館「現代根付彫刻展」出展
伊勢市朝熊山麗JAPAN EXPO「まつり博'94」展示
1995(平成7)年 「根付たくみとしゃれ」荒井浩之編 (淡交社)に紹介
1996(平成8)年 高円宮同妃両殿下と共に、伊勢根付彫刻館において鑑賞懇親会を持つ
1997(平成9)年 米国カリフォルニア州バワーズ美術館「現代根付彫刻展」出展
「第1回根付学の世界展」(三越横浜店)出展
1998(平成10)年 「第1回伊勢現代根付彫刻展」(近鉄百貨店阿部野店)出展
静岡県三嶋大社宝物殿落成記念現代根付展に出展
1999(平成11)年 伊勢の匠会2代目会長に就任(2011年3月まで)
2003(平成15)年 たばこと塩の博物館「現代根付展」に出品
伊勢志摩木彫会4代目会長に就任
2004(平成16)年 国際根付彫刻会3代目会長に就任
2005(平成17)年 米国サンフランシスコで開催の国際根付ソサエティ世界大会に出席
2006(平成18)年 NPO法人五十鈴塾「根付作りに挑戦!」講師
2008(平成20)年 第7回三重県文化賞 文化功労賞。
多気町彫刻会(根付)講師。
2009(平成21)年 『木で彫る根付入門「匠に学ぶ粋とぬくもり」』(日貿出版社)出版。
2011(平成23)年 「国際根付彫刻会」伊勢支部長に就任
平成22年度 財団法人伝統的工芸品産業功労者褒章
2013(平成25)年 伊勢志摩木会顧問に就任
伊勢市美術展覧会運営委員を務める
2014(平成26)年 「高円宮家根付コレクション」「伊勢の根付展」同時開催(パラミタミュージアム)
2016(平成28)年 「伊勢市美術展覧会運営委員」の副委員長に就任
高山市木彫根付公募展・審査委員
「伊勢まちかど博物館」会長に就任
みえ文化芸術祭・工芸部門「すばらしきみえ賞」
2025(令和7)年 三重県伝統工芸士に認定
第24回三重県文化賞 文化大賞
永眠(享年78歳)
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伊勢根付とは
根付は、煙草入れや印籠(携帯薬入れ)などを腰に下げるために、紐の端に付ける留め具です。誰もがポケットのない着物を着ていた江戸時代に、携帯品を帯に引っ掛ける小物として大流行しました。様々な意匠をこらし彫られる根付は、その芸術性が海外でも高く評価されています。中でも伊勢根付は、地域の名前がついた珍しい存在です。全国から参拝客が訪れた伊勢で、お土産としてさかんに作られました。
他地域の根付では象牙を使うことが多いのですが、神宮のお膝元・伊勢では、「殺生を避ける」という意識から木材が使われました。とくに伊勢神宮の裏山である朝熊山(あさまやま)で採れる黄楊(つげ)が多く用いられています。「木の宝石」とも呼ばれる希少な「朝熊黄楊(あさまつげ)」は、年輪を重ねても木が太くならず堅さと弾力に富み、摩耗等に強い木材であることから、緻密な意匠を彫るのに適し、長く使い続ければ続けるほど色や手触りが落ち着いて味が出る優品を生み出していきました。
中川忠峰さんは、昭和以降に着物を着る機会が激減し伊勢根付が衰退した時代に、伝統的な意匠を現代に再現しながら、斬新なデザインを次々に編み出すとともに、多くの弟子を育成し、伊勢根付を伝統工芸として復活させ、「伊勢根付の中興の祖」と呼ばれています。
現在、根付には、財布や携帯電話に下げるストラップなどの実用的な美術品として現代的な用途が見出されています。「伊勢根付彫刻館」でも、根付の使用例として、忠峰さんが生前に使っていた携帯電話に根付を付けて展示しています。
三重県では、朝熊黄楊を用いる「伊勢の根付」を、「三重県指定伝統工芸品」に指定しています。そして、「三重県指定伝統工芸品」の高度な技術・技法を保持し、伝統産業の振興や伝統工芸品の次世代への継承に寄与する「三重県伝統工芸士」として、忠峰さんを「伊勢の根付」の伝統工芸士に認定しました。


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中村賢一さんのお話
中村賢一さんは、三重県内で最初に立ち上がった伊勢の「まちかど博物館」について企画段階から参加し、現在も、故・中川忠峰さんが会長を務めていた「伊勢まちかど博物館運営委員会」の参与として運営に参画しています。中村さんに、忠峰会長の思い出などを教えていただきました。
平成5年の式年遷宮を控えた時期に、伊勢と他地域の人を結ぶ「ザ伊勢講」という町づくりの取り組みがありました。「伊勢講」は、各地で村民などがお金を積み立て順番に伊勢参りする、かつての相互扶助基金のことで、「ザ伊勢講」はその現代版です。その中で、後に三重県全体にも広がる「まちかど博物館」を作り、人に来てもらう拠点づくりの構想をもとに、伊勢をテーマに一般公開できる24館を認定しました。その1館が、自身の工房を公開した中川忠峰さんの「伊勢根付彫刻館」です。
全館の展覧会をしたり、おかげ横丁に常設展示をつくってもらったりと様々に活動する中で、中川さんはどの活動にも参加されました。小さな根付は展示スペースを取らないのでありがたかったです。そのうち、中川さんの根付師の名声が少しずつ上がっていきました。
中川さんは、何を相談しても「ダメ」とは言わないんです。様々なことに協力してもらいました。「まちかど博物館」をここまで続けることができたのは中川さんあってのことであり、功労者といえます。
あまり人には教えたがらない職人も多い中、中川さんは「教えることで自分も成長できる」と積極的に弟子をとって、根付の継承を進めていました。
中川さんは、昔、伊勢一刀彫から木彫の世界に入ったことから、木彫のことをよく知っています。その縁で、岐阜県の飛騨高山から知人を通じて、一刀彫をやっている人たちに根付を教えてもらえないかとの依頼があり、相談された中川さんは快諾しました。中川さんが何度も訪れて指導し繋がりができたことで、高山にも何人かの根付職人が誕生しました。他にも、伊勢の伝統工芸の集まり「匠会」が「おかげ横丁」で展示するときに、中川さんに業者や職人のネットワークの中心として会をまとめてもらったと聞いています。
多岐にわたる活動をしながら、中川さんは根付で次々に新しい意匠を作り、自身の制作を怠らず、作品づくりを充実させていきました。自分には厳しく、新しいものを作るため常に努力していました。伊勢根付がここまで広まったのは、中川さんの人柄と技術、両方の成果です。指導だけ、制作だけではなく、両面で努力して高めていき、ジャンルや地域を越えて何事にも柔軟に対応する、職人としては珍しい人でした。
中川さんが亡くなったことは、根付だけでなく、伊勢の伝統工芸全般にとって大きな損失です。伊勢の伝統工芸のパワーが失われていかないか、大変案じています。

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梶浦明日香さんのお話
第24回三重県文化賞で文化奨励賞を受賞し、師匠の中川忠峰さんの文化大賞と同時受賞となった梶浦明日香さんは、現在、一門で最も活躍する伊勢根付職人の一人です。梶浦さんに、師匠・忠峰さんの思い出などを教えていただきました。
私の前職であるNHKキャスター時代に担当した、様々な職人を取材し紹介する「東海の技」という番組で、伊勢根付の存在と、その職人である師匠のことを初めて知り、本取材の準備としてお会いしたのが最初です。
第一印象は、朗らかで温かい「ポカポカした人」というものでした。師匠の工房にはいろいろな人が根付を習いに来るのですが、中にはお茶を飲みに来るだけの人もいました。海外の人、近所の人、「ネギが採れた」と持ってくる人などもいましたね。師匠はとにかく「来る者は拒まず」という人で、仕事を中断して世間話をしていました。迷惑がるどころか、「最近あの人が来ない」と気になって電話したりするんです。
根付の指導者としては、厳し過ぎも甘過ぎもせず、「絵に描いたような良い師匠」でした。例えば、師匠自身には理解できないことを弟子が「やりたい」と言ったときでも、反対である旨を明確にした上で、「やりたいことをやればいい」とそれ以上は反対をしませんでした。ここでも「来る者は拒まず」の精神でした。ただし、弟子が質問して初めて教えます。「失敗することで学ぶことがある」と常に言っていました。経験的に「聞く耳をもって初めて身に付く」と実感していたことから、「教えるのを我慢している」と話していました。
私が職人として独立した後も、話せる機会には、努めて今取り組んでいることなどを相談するようにしていました。伝統工芸を積極的に発信し、作り手を支えていくという私の今の活動は、師匠の姿勢に学んで取り組んでいます。
偉大な存在を失った伊勢根付と伝統工芸の火を消さないために何をすればいいか、梶浦さんは考え続けています。

(梶浦明日香さんご提供)
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ご家族のお話
妻・中川雅恵さんに、夫・忠峰さんの思い出などを教えてもらいました。
伊勢で生まれた夫は、若い頃に東京へ出て大工の道に入りました。東京・蒲田で修業を重ねるなかで私たちは出会い、結婚しました。その後、夫の地元である伊勢へ一家で戻り、夫は再び大工として働き始めました。
転機となったのは、朝熊山の現場近くで、一刀彫による干支を制作する職人の仕事を目にしたことでした。木と静かに向き合い、迷いなく彫り進めていくその姿に、夫は強い衝撃を受けたようでした。帰宅後、「木彫に専念したい」と打ち明けられたときのことを、今でもよく覚えています。
家族の生活を考えると、私はその決断をすぐには受け入れられず、大きな戸惑いを覚えました。それでも夫は、自ら選んだ道に一切の妥協をせず、木彫の修行に没頭していきました。
評価を得るまでの道のりは決して平坦ではなく、作品が売れない時期もありましたが、生活面では家族で支え合いながら、夫が制作に集中できる時間を守ることを何より大切にしてきました。
夫は、大工として培ってきた技術や感覚を、木彫にも自然に活かしていました。道具を大切に扱い、木の性質を見極める姿勢は、長年の経験に裏打ちされたものでした。一方で制作においては極めて繊細で、感覚を乱さぬよう、日々の身体の使い方にまで気を配っていました。
根付は独学で取り組み、伝統を踏まえながらも自らの表現を模索し、「伊勢の地で生まれた、自分自身の根付」として、その仕事を「伊勢の根付 忠峰流」と語っていました。
幾度もの試行錯誤を重ね、ようやく自身の代表作といえるダリアを彫り上げたとき、夫はその作品を私に見せてくれました。その表情には、長い年月をかけて積み重ねてきたものが、ようやく形になったという静かな達成感がにじんでいました。
伊勢根付彫刻館は、夫にとって制作の場であると同時に、生活の一部でもありました。館に寝泊まりし、朝から晩まで作品と向き合う日々を送りながらも、家族との節目の時間は大切にしていました。誕生日や年中行事には必ず家族で食卓を囲み、その後、再び館へ戻っていくのが常でした。
今でもこの館を訪れると、夫がどこかで制作を続けているような気がしてなりません。それほどまでに、この場所と夫の人生は、深く結びついていたのだと思います。

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「伊勢根付彫刻館」管理人で、孫である中川杏春さんに、祖父・忠峰さんの思い出などを教えてもらいました。
幼い頃から、私は祖父のそばで過ごす時間が多く、仕事場にもよく出入りしていました。「仕事があるから向こうへ行きなさい」と言われながらも、彫刻刀を握る手元や道具の扱いを眺めている時間が好きでした。多くを語らずとも、仕事に向き合う背中から伝わってくるものがありました。
祖父は感情を大きく表に出す人ではありませんでしたが、どこか人間味のある人でした。地元の花火大会に誘った際も、最初は気乗りしない様子を見せながら、後になって周囲の人にその話をしていたと聞き、祖父らしい照れ隠しだったのだと思います。
毎朝の散歩では、道端の草花や鳥の名前を教えてくれました。そうした自然への眼差しや観察眼は、根付の題材や表現にもそのまま生かされていたのではないかと感じています。
また、祖父はからくりや知恵の輪など、仕組みのあるものを好みました。作品にも遊び心を取り入れ、見る人が不思議さや面白さを感じることを大切にしていたように思います。その発想は、「からくり根付」をはじめとする作品にも色濃く表れています。
依頼があれば、根付に限らずさまざまなものを彫っていました。お面制作もその一つで、実際に身につけることのできるものでした。中学生の頃、文化祭で祖父の作ったお面を借りて舞台に立ったことは、今でも強く印象に残っています。
私は職人ではありませんが、この伊勢根付彫刻館を祖父から託されました。館長はただ一人、忠峰のみであるという考えのもと、私は管理人として、この場所と祖父の仕事を守り、伝える役割を担っています。
伊勢根付は、伊勢の地に根ざした文化でありながら、専門的に学び、実際に触れることのできる場は決して多くありません。この彫刻館を、作品を鑑賞し、手に取り、学び、制作へとつながる場として育て、根付を後世へと残していくための拠点としていきたいと考えています。
かつてこの館には、近所の方やお弟子さん方、友人など、多くの人が集っていました。その賑わいをもう一度取り戻し、祖父が大切にしてきた伊勢根付の文化を次の世代へ繋いでいくことが、私の役割だと思っています。

中の表情がクルっと入れ替わります

(左)「絆」(知恵の輪状の根付)(右)「幼風神」(ヨットに乗る人からの依頼、適度な風を送る)

360度精密な彫り
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館の情報
いせねつけちょうこくかん
伊勢根付彫刻館
館長 故・中川忠峰 (ナカガワタダミネ)
管理人 中川杏春 (ナカガワアンズ)
伊勢市上地町1358-1
JR「宮川駅」徒歩約20分
駐車場3台
開館時間9:00~18:00 完全予約制
体験
レンコン根付 約30分 3,000円(彫刻刀を使わずペーパーのみ。小さなお子さまも安心)
自由形根付 約90分2,500円(彫刻刀とペーパーで、自分だけの形に挑戦)
入館無料
同館の公式SNS:X(Twitter)、Facebook、Instagram
県ホームページでのご紹介はこちらから)
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