<目次>
寄稿にあたり
加藤子華氏の歩み
作品づくりと功績
今後のこと
寄稿にあたり
第62回 県民功労者表彰の文化功労として、書道家の加藤節子(子華)氏が受章者となられました。
県民功労者表彰は、最高位の知事表彰として、本県の「公共」「福祉衛生」「産業」「生活」そして「教育文化」などの各界において、県民の模範となり、かつ県勢の伸展に寄与した方を顕彰するため、毎年表彰するものです。

県民功労章
加藤節子(子華)氏の長年の「文化」における長年の功績が県民功労者としてふさわしいものとして、令和8年、三重県知事より表彰状と県民功労章が授与されました。
そこで、この機会に加藤節子(子華)氏のこれまでを振り返り、さらに、今後の展望などをご紹介いたします。
なお、加藤氏は「加藤子華(しか)」として長年ご活躍されて広く一般に知られていることから、この記事においては、「加藤子華氏」または「子華氏」と表記させていただきます。

そこで、この機会に加藤節子(子華)氏のこれまでを振り返り、さらに、今後の展望などをご紹介いたします。
なお、加藤氏は「加藤子華(しか)」として長年ご活躍されて広く一般に知られていることから、この記事においては、「加藤子華氏」または「子華氏」と表記させていただきます。


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加藤子華氏の歩み
【略歴】
昭和13年(1938) 四日市市生まれ
昭和31年(1956) 三重県立四日市高等学校卒業
津金 寉仙氏に師事
日展に初出品し、初入選 以降31回入選
昭和33年(1958) 青山学院女子短期大学卒業
昭和35年(1960) 大東文化大学日文学科卒業
木村知石氏に師事
昭和55年(1980) 東大寺昭和大納経揮毫
昭和58年(1983) 毎日書道展大賞受賞
昭和59年(1984) 三重県文化奨励賞受賞
昭和60年(1985) 甫田鵄川氏に師事
平成10年(1998) 第30回日展特選受賞
平成14年(2002) 第34回日展特選受賞
平成21年(2009) 中日功労者表彰
第41回日展審査員
平成22年(2010) 日展会員推挙
平成27年(2015) 三重県文化大賞受賞
第1回個展開催(東京銀座画廊・美術館)
平成28年(2016) 第2回個展開催(四日市市立博物館)
改組新第3回日展審査員
令和元年 (2019) 文化庁地域文化功労者として文部科学大臣表彰
令和6年 (2024) 第3回個展開催(澄懐堂美術館)
令和7年 (2025) 第4回個展(パラミタミュージアム)
高校の書道教師であったお父様(加藤光城氏)の影響で、幼いころより自然に書道に親しんでおられました。当時は、現代の社会以上に父親の存在は絶対的であり、父に意見することは考えられない世の中でした。そのような時代背景を加味せずとも、子華氏はお父様のことを、父としても師匠としても尊敬し、常に意識していたと話します。
父・光城氏自身も日展に7回連続入選するなど、かなりの実力者でした。そのお父様が、教えの要にしていたのは「基礎を疎かにしないこと」であったそうです。とてもシンプルですが、この教えはどのような場面においても重要かつ普遍的であり、子華氏はこの教えを実直に守ってきたとのことです。基礎である楷書を何度も繰り返し手習いし、高校入学後に書道部へ所属。そこから行書や草書といった、いわば「作品作り」に力を入れていかれたそうです。「作品としての書は、基礎ができてから挑戦するもの。何事もまずは土台作りと、その土台を固めないといけません。」と子華氏は話します。
さて、子華氏の別の一面を少しご紹介しましょう。御年88歳の現在、とてもお元気で活動的な子華氏は、「毎朝6時半からのラジオ体操を欠かさないのです。そして、毎食をきちんといただきます。」と笑顔で教えてくださいました。中学時代は走ることが得意な女の子だったそうです。高校卒業後は青山学院女子短期大学へ進学。お父様の「社会勉強のため」という一言で、子華氏は東京での生活を送りました。「その時代にしては進歩的な考え方の父だった」と振り返る子華氏。また、大学時代については「とても楽しかったですよ。6畳のお部屋(寮)に3人で住んでいました。お休みの日は、銀座に出かけて帽子屋さんやお洋服を見て歩きました。」と、学生時代の楽しい思い出をお話してくださいました。書に打ち込む一方、たくさんの友人とともに、かけがえのない時間を過ごされていたことが伝わってきました。
昭和13年(1938) 四日市市生まれ
昭和31年(1956) 三重県立四日市高等学校卒業
津金 寉仙氏に師事
日展に初出品し、初入選 以降31回入選
昭和33年(1958) 青山学院女子短期大学卒業
昭和35年(1960) 大東文化大学日文学科卒業
木村知石氏に師事
昭和55年(1980) 東大寺昭和大納経揮毫
昭和58年(1983) 毎日書道展大賞受賞
昭和59年(1984) 三重県文化奨励賞受賞
昭和60年(1985) 甫田鵄川氏に師事
平成10年(1998) 第30回日展特選受賞
平成14年(2002) 第34回日展特選受賞
平成21年(2009) 中日功労者表彰
第41回日展審査員
平成22年(2010) 日展会員推挙
平成27年(2015) 三重県文化大賞受賞
第1回個展開催(東京銀座画廊・美術館)
平成28年(2016) 第2回個展開催(四日市市立博物館)
改組新第3回日展審査員
令和元年 (2019) 文化庁地域文化功労者として文部科学大臣表彰
令和6年 (2024) 第3回個展開催(澄懐堂美術館)
令和7年 (2025) 第4回個展(パラミタミュージアム)
高校の書道教師であったお父様(加藤光城氏)の影響で、幼いころより自然に書道に親しんでおられました。当時は、現代の社会以上に父親の存在は絶対的であり、父に意見することは考えられない世の中でした。そのような時代背景を加味せずとも、子華氏はお父様のことを、父としても師匠としても尊敬し、常に意識していたと話します。
父・光城氏自身も日展に7回連続入選するなど、かなりの実力者でした。そのお父様が、教えの要にしていたのは「基礎を疎かにしないこと」であったそうです。とてもシンプルですが、この教えはどのような場面においても重要かつ普遍的であり、子華氏はこの教えを実直に守ってきたとのことです。基礎である楷書を何度も繰り返し手習いし、高校入学後に書道部へ所属。そこから行書や草書といった、いわば「作品作り」に力を入れていかれたそうです。「作品としての書は、基礎ができてから挑戦するもの。何事もまずは土台作りと、その土台を固めないといけません。」と子華氏は話します。
さて、子華氏の別の一面を少しご紹介しましょう。御年88歳の現在、とてもお元気で活動的な子華氏は、「毎朝6時半からのラジオ体操を欠かさないのです。そして、毎食をきちんといただきます。」と笑顔で教えてくださいました。中学時代は走ることが得意な女の子だったそうです。高校卒業後は青山学院女子短期大学へ進学。お父様の「社会勉強のため」という一言で、子華氏は東京での生活を送りました。「その時代にしては進歩的な考え方の父だった」と振り返る子華氏。また、大学時代については「とても楽しかったですよ。6畳のお部屋(寮)に3人で住んでいました。お休みの日は、銀座に出かけて帽子屋さんやお洋服を見て歩きました。」と、学生時代の楽しい思い出をお話してくださいました。書に打ち込む一方、たくさんの友人とともに、かけがえのない時間を過ごされていたことが伝わってきました。
作品づくりと功績
学生生活を謳歌していた1年生の秋、とても嬉しい知らせが入ります。日展に初出品した子華氏の作品が初入選を果たします。しかも、父娘共に入選するという快挙。ここから日展31回入選、平成10年と平成14年には特選受賞の他、毎日書道展では大賞に輝くなど、数々の受賞歴を誇ります。19歳から87歳までの間、1度だけ不出品の年があったそうですが、それ以外は欠かさず作品を出品されていたそうです。「常に良い作品を生み出したい」という想いとともに、「父も日展入選の常連でしたが惜しくも特選は逃していたので、父のために特選をとるぞという想いは強かったと思います。」と、お父様のことを意識していたことも明かされました。
数えきれないほどの実績が評価され、県内においては県展や市展で審査員や運営委員を歴任、また、全国的な書道団体においても主要な役職を務められました。そしてついに平成21年には、三重県初の日展五科の審査員に、さらに翌年からは狭き門である会員にも名を連ねることとなりました。
展覧会の世界で活躍されるだけではなく、書道教室を主宰され、子どもから大人まで幅広い年齢の生徒を持ち、指導をされました。また、昭和51年から書道団体「墨友会」を主宰。展覧会を45回開催したり、30人以上もの日展入選者を誕生させたりするなど、後進の育成にも情熱を注がれました。現在も加藤氏のもとで作品作りに励む方々が大勢いらっしゃいます。取材に伺ったこの日は、ちょうどお稽古日。展覧会への出品作品を一枚ずつ広げ、加藤氏に評価してもらう門下生の姿がありました。
数えきれないほどの実績が評価され、県内においては県展や市展で審査員や運営委員を歴任、また、全国的な書道団体においても主要な役職を務められました。そしてついに平成21年には、三重県初の日展五科の審査員に、さらに翌年からは狭き門である会員にも名を連ねることとなりました。
展覧会の世界で活躍されるだけではなく、書道教室を主宰され、子どもから大人まで幅広い年齢の生徒を持ち、指導をされました。また、昭和51年から書道団体「墨友会」を主宰。展覧会を45回開催したり、30人以上もの日展入選者を誕生させたりするなど、後進の育成にも情熱を注がれました。現在も加藤氏のもとで作品作りに励む方々が大勢いらっしゃいます。取材に伺ったこの日は、ちょうどお稽古日。展覧会への出品作品を一枚ずつ広げ、加藤氏に評価してもらう門下生の姿がありました。
取材でお話をうかがっている時には、芯がありながらも優しいまなざしが印象的だった加藤氏。一方、門下生の作品を隅々まで見るその表情は、それまでとは打ってかわり、周りの空気を凛とさせるものでした。

「作品作りには線が大切」と話してくださった子華氏。「白と黒の変化、白の中に黒。これこそが究極の美です。そして、美しさを感じてもらうためには「線」が大切なのです。」さらに、「基礎をしっかり学ぶこと。そうすると自ずと分かってくることがある。身体が覚えるの。」とお話してくださいました。

今後のこと
現在もなお新たな作品を生み出し、展覧会に出品することはもちろん、後進の育成にも力を注ぎ続ける子華氏。父である光城氏が戦後すぐの昭和23年、書の発展を願って設立した新生日本書道会。この歴史ある会を子華氏が引継ぎ、今もなお牽引し続けています。そして、この会が主催する公募展「全国書道展覧会」は、今回で80回を迎えます。
書道の魅力について尋ねると「書には終わりがありません。これで良しということはなく、奥深いのです。」と教えてくださいました。また、今後の目標として「良寛のような飄々とした字が書きたい。時代にあった字も。柔軟でいたいと思います。」とのこと。
書道の魅力について尋ねると「書には終わりがありません。これで良しということはなく、奥深いのです。」と教えてくださいました。また、今後の目標として「良寛のような飄々とした字が書きたい。時代にあった字も。柔軟でいたいと思います。」とのこと。

「灼然」(三重県庁)
自身の作品を県内公共施設や県内外の美術館、銀行など様々な場所に寄贈され、地域の書道文化の振興にも努めておられます。常に第一線で活躍され、その勢いは止まることなく作品作りに意欲的な子華氏。更なる今後のご活躍も楽しみです。
