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知事定例記者会見

知事退任会見

平成23年4月20日
於 プレゼンテーションルーム

1.退任あいさつ


(知事)今日、一日いっぱいで退任するということでございます。先ほど、県庁講堂で職員の皆さんにもあいさつを申し上げましたが、この場は最後の会見、退任記者会見ということでございます。皆さんにも、これまで2期8年間、大変お世話になったことに心からお礼を申し上げたいと、こう思います。県政にとりましては、やはり皆さんの手をとおして県民にいろんな情報、ニュースを届けていただく、そのことが県政推進にとっては大変重要なことであり、また大きく影響してくるところでもございます。そういう意味におきましては、なかなか私の分かりづらい政策の部分もあったかもしれませんけれども、いろんな角度から、時には厳しい批判も交えながら、皆さんには県民に情報を出していただいたところであります。私としては、大変この8年間充実したと言いますか、自分の思いをしっかり県政にぶつけさせていただいてきたところでございます。そういう意味でも、お世話になった記者クラブの皆さんにも心からお礼を申し上げたいと、こう思います。どうも、本当にありがとうございました。私からは簡単ですが以上にさせていただきます。 

2.質疑応答

 

(質)明日引き継ぎにも来られるかもしれませんが、知事としてあと1時間ほどで県庁を去られるという今のお気持ちをまずお聞かせください。
(答)最後の最後に東日本大震災がございました。私は、やはり振り返って、この防災という関係からいけば、三重県で巨大地震が発生するということがあったら本当にどうなるのだろう、どうしていくか、そのことは常にいつも頭の中においてきたところでございます。それだけに、今東日本、特に東北の各県の知事さんのご心痛なり、ご心労、本当に心から拝するところであります。私は今日の夜中の12時まではまだ県政の指揮者でございます。幸い、これまで三重県は直接大震災ということではありませんでしたし、今日の12時までは多分ないだろうと、そして、これから先もあって欲しくはないのでありますが、やはり100年、150年に1度はこの地域を巨大地震が襲ってくるということでありますので、新しい知事にはしっかりまたお取り組みをいただきたいなと、こう思っております。そういうふうな東北の今の現状に思いをいたしながら、三重県は私としては充実した8年を過ごさせていただいたということに感謝したいと思います。

(質)次の知事になられる方は36才と若くて、知事にとっては子どもの世代にあたるような年代で、世代交代が進んだ感がありますけれども、バトンタッチについて、新しい知事への感想や、何か受け止めをいただければと思います。
(答)先般、鈴木さんが訪ねて来られまして、私からも新知事に『ご当選おめでとう』と祝意を表したところでございます。大変明るく、そしていろいろ毎日の行動を見ておりましても非常に行動的な、やはり若さを、日本一若いんだというふうに前面に押し出してやられているところであります。まだお若いし、それから政策的にも、もっともっと勉強していただく必要もあるのかなと、こう思います。私のほうからは、なかなか三重県の県議会は手強いですよと、なめちゃいけませんよということと、それから非常に三重県の職員は優秀な職員も多くおりますから、しっかり職員と議論して、そして政策を打ち出していくということが大事ですねというようなこと、それからもし私が協力することがあるというふうにお考えならば、いつでも最大限、私も協力を前任者としていたしますということも申し上げたところです。そういう意味では、若いフレッシュな新知事が非常に大きく、三重の希望ある舞台づくりに大きく機能していただくということに私も大いなる期待をいたしたいと、こう思います。

(質)明日からは知事の職を離れるわけですけれども、知事の今後についてすごく関心を持たれている方が多いようですけれども、今何かお決めになっていることはありますでしょうか。
(答)全くありません。いろいろ言ってくださる方もおりますけれども、私は10年ほど前から腰を痛めておりまして、知事になりましてからも年に1、2回、もう本当に腰が立たないというようなことが結構ありました。2年前には腰の手術も考えたことがございました。その時には手術をせずに、神経ブロック注射をやるということで、少し収めようということでやってきました。ゴルフはしたがって、もう10年以上できない状況であります。しかし、私としてはそれがために仕事を休むということには至らなかったところで、そのことは大変ありがたいことだったと、こう思います。先般もある人から、結構あなたはタフですねと言われて、自分では体力の限りを尽くしながら取り組んできたという思いもございます。したがいまして、辞めましたあとは、しばらくはしっかり休養しながら、また自分の楽しみも含めて考えていきたいなと、こう思っております。

(質)趣味の絵画とか、パソコンとか、魚釣りなんかに興じられますか。
(答)まだ、これからそういったことも含めて考えていくことになるのかなと思いますが、取りあえずは公舎の荷物を引き揚げましたところ、今ゴミの山みたいな荷物が松阪の家に積まれておりまして、その間を通っているというような感じでございますので、この荷物の片付けに相当しばらくは時間がかかるのじゃないかなと、こういうふうに思っております。

(質)そうすると、知事引退後もお住まいというか、拠点は三重県内におかれるということですか。
(答)松阪を中心に動くことになるとこう考えております。

(質)野呂県政8年を振り返って、市町との関係の改善に取り組んだということがひとつあると思うのですけれども、その辺り、北川県政時代との違いとか、ご自身の市町との関係改善に取り組んでこられた思いとか、そのあたりの感想を聞かせていただけますか。
(答)北川さんは、エクセレントガバメントを目指すという形の強力な統治を進めるというのがあの人のリーダーシップ論であったのかなと思います。人にもよるのでしょうけれども、しかし私は昔ならそういう人が独裁者とも言われながら、権力を意のままにしたのでありましょうけれども、今のような時代はそういった政治家は欲しくないと、いても小泉さんのように間違ってしまったら国民全体を不幸にしていく、したがって私は知事就任の時にガバナンス(共治)を目指すのだということを、共治を目指すのだということを職員にも宣言したところでございます。そのガバナンスは多様な主体として、県民やNPO、団体等としっかり協働していくことであり、その協働するパートナーとして最大の役割を担うものが市町村であるということでございます。北川県政の時には市町村長との連携がうまくいっていなかったのを、私は松阪市長として見てきたところでありますので、私としては市町村との、最大のパートナーとの関係、これをしっかり太いものにしていくということが県政にとっては最もまた大事な一つであると考えて取り組んできたところであります。

(質)約42年あまりの政治生活に一つ区切りをつけられるわけですけれども、あらためてその辺のご感想はありますか。
(答)私としては、国会議員もやらせていただき、それから一番先端で住民と向き合う市長も務めさせていただき、そして県のこういった行政の長、知事も務めさせていただきました。こういった国、地方、先端の行政、これらを全部経験する人はそう多くいるわけではないでしょうし、私は、そういう意味では大変良かったと、こう思っております。しかし、やはり議員のときはあまりにも選挙が重荷でございました。正直、政治活動をやる資金集めも苦労の連続でありました。したがって、議員はそのことで、当選してくる苦労のために、本当に日本の将来を論じながらしっかり活動していくエネルギーになかなか100パーセントつぎ込んでいくということができない、そんな感じを特に市長になってから持ったところであります。それと、議員は思いつきで言っていても無責任と言われることはなかったし、自分の支持をしてくれる一部の意見の代表であっても、それも議員としての立場として通じるものであります。しかし、市長とかあるいは知事、これは、私のことを批判する人も大事な市民であり、大事な県民であります。そして、私の言うことそのものも、行政の長ですから、それだけ言えば責任がしっかり生じてくるものでございます。そういう意味では責任の重さがやはり違うということを感じましたが、多くの職員とスタッフに支えられるということから、そういう意味では職員としっかり議論をしながら納得のいくまで議論を戦わせながら取り組む、そのことが私自身のまた大きな糧になった、力になったと、こう思っているところであります。市長になったときは、市長職は2年9カ月間でございました。本当にわずかな間でありましたけれども、かなり思い切った市政改革をやりました。知事になってからは、その市長時代の3倍の期間を知事として勤めさせていただきました。3倍の期間というのはいかに長い、十分な期間であったのか。私も辞めるということになって、自分で、いろんな取り組んできたこと、これを思い出せるだけ挙げてみましたけれども、『こんなにいろいろ自分で手掛けさせていただいたのか。』と、自分でもある面びっくりするぐらいのところがありまして、そういう意味で、こういう首長というのは1期4年が十分な期間であるという思いを持ちながら取りかからなければならないと思います。しかし一方ではつまらないマニフェストに振り回されて、短期間でその成果を県民に見せるパフォーマンスに走るというようなことがあってはいけないと、こう思い、私の場合はかなり、そういう意味ではしたたかな戦略で、例えば病院改革であるとか県立博物館、こういった難物にもしたたかさを持ちながら取り組んできたと、こう思っているところであります。

(質)あらためて2期8年を振り返って自己評価をすると、どういった評価でしょうか。
(答)私は今日も申しましたように、思いのたけをぶつけさせていただいて、そして県民のご理解、県議会の真摯(しんし)な議論、さらに最も大事なことは県の職員の大きな支えの中でやらせていただいた、このことを非常に満足に思っているところであります。自己評価という点については、これは県民がやってくれることでありますし、また、そのときそのときの評価というより、政治家は将来・未来に対して責任を持つ、すなわち歴史的な経緯とともに評価というものがしっかり加わってくるのだろうと、こういうふうに思っております。

(質)一つ特徴的なあれで、文化力の取り組みについてのご自身の総括と、そのあたりの取り組みを新知事にどう引き継いでいきたいかとか、引き継いでもらいたいとか、そのあたりのお考えはどうですか。
(答)私は、国政にも携わりながら、そして市政もやらせていただいた、そのときに市長としては、何のために、誰のために、その政策をやっていくんだ、これが常に私の考える基本でございます。いったい何のために誰のためにやるのかということを厳しく追及をしていくと、自ずとやらなくてはならない政策の方向あるいは質のあり方、こういったものが出てくるところであります。私としては、経済性だとか、効率性という、何といいますか財政の赤字をなくすためには、出している支出を減らせばいいわけで、こういう軽薄な理屈で行政ができるのなら簡単なことであります。そうではなくて住民が自分たちの生活をどういうふうにしていきたいのか、そのために自分たちの住んでいる地域がどうあってほしいのか、その舞台づくりがどうあるべきかとか、行政サービスがどうあるべきだとか、そのことをやはりしっかり追求していくことであります。すなわち住民、国民の生き方、生き様それぞれ望んでおられるそういったものを構築しやすい舞台づくりをやるということになりますと、その生き様、生き方を広い意味で文化ととらえるならば、その文化力という政策にこれは行き着くところであります。もちろん、こういった政策をまとめるのにも県庁の職員と本当に時間をかけて平成17年、実際には16年頃から議論を始めましたけれど、しっかり議論した17年、そして18年に政策に反映するツールとして文化力指針というのを作り、そしてそのあと、第二次戦略計画へ向けて政策全てをその物差しで見直す作業をやったところであります。基本は、学生の時の政治を向学するというところにも根ざし、誰のために、何のためにというのを追求し続けた結果、当然行き着くべきものであるとこう考えております。鈴木新知事はまだお若いし、官僚としての経験も浅いわけであります。でも、灘高、東大、経産省という、エリートコースを歩んできた方でありますから、今後いろいろ議論を積み重ねながら、自らもしっかり経験を積まれる中で、非常に幅広いこれからの三重県の希望の舞台づくりに立ち向かっていただけるのではないかなとそんな期待をしているところであります。

(質)長きにわたる政治家生活で悔いが残る点は何ですか。
(答)県政の中で、私はやりたかったけれどもできなかったことというのは、一つだけあげられるのかなと思っているのは、森林環境税を知事に就任した当初から導入したいと考えておりました。しかし、県議会との議論等もあり、タイミングを逃してしまった。それが大変残念であります。それからもっと昔からの長い中でというのは、私にとりましては、衆議院の選挙で新進党を結党した直後でありましたけれども、選挙で敗れたこと、これが最大ですね。当時、惜敗率では、新進党で一番高かったわけでありますが、重複立候補しないというその方針の下で、多くの私に投票した方々の意を国政に・・鼾桙゙ことができなかった、このことは誠に残念な、今思っても悔やまれることであります。しかしながら私にとってのピンチが逆に多くの皆さんから、金もないお前は衆議院選のああいうことよりも、松阪市長として政治家の役割をやったらどうだと強いお勧めをいただきました。そのことが、まさに私の政治家としての見方も大きく変えることにもなった松阪市長を経験させていただくということになったところであり、また、そのことがなければ三重県知事になることもなかったのではないかなと、こういうふうに思ってもおります。あえてあげるならそのことをあげておきたいと、こう思います。

(質)県政で一番印象に残っている事業は何でしょうか。その理由を・・・。
(答)県政では、やはり病院改革、これはしんどかったですね。何しろ県職や自治労、そしてその支援を受けている議員の皆さんから最後まで徹底して反対されました。しかし一方で、この課題は、議員の議論からもぶつけられた、託された議題でありましたから、私としては自分の思いをしっかり通すということを、まさに政治家の命をかけてでもやらなければならない、そういうことだと、こう感じたところであります。それから、もう一つは私が知事になりました時にすぐさま県警の本部長がまいりまして、私に、これまでは箱物抑制ということで地震で倒れそうな、津波で押し流されそうな、ひどい状況の警察署を建て直すことができなかったところであり、ぜひそれを野呂県政では、安全・安心のため働く警察官のその拠点を整備させてくださいというお話でありました。箱物抑制というのは、そういう県民の安全・安心にかかるものとか、あるいは未来への投資にかかるものに当てはめるとすれば、まさに私は、それも軽薄なことではないかと、こう思っております。そういう意味で博物館につきましても、学校の校舎が古く傷んできたら建て替えなければならないように、博物館のタイルが落ちて、もう危なくて閉鎖をしなければならない、そんな状況をやはり子どもたちの未来のために、私はやらなければならないのではないかなと、こういうふうに考えて取り組もうとしたところであります。この課題は田川県政の時から大きな課題でありましたけれども、この話が出るたびに県議会の議論が煮詰まらずに伸びてきました。これは基本は箱物抑制といったような、そんなつまらない議論ではありません。むしろ四日市に造れとか、あるいはこの地に造れとかいうような、どろどろした議論、これがいつも出てきて、実際にできなかったということであります。私はそういう点について、それを打破するという気力で取り組んだところでございました。ようやく工事に着工したところであります。文化力のこととか、三重県の状況とか、今、新しい博物館のイメージとかそんなことを理解せずに外部の大学教授が勝手な事を言っておりましたけれども、私は、新知事はしっかりこれについても学ばれ、検討をしてやっていただけるものだと、こう思っております。特に、これは私の一人で決めたことではなくて、県議会で最終結論を出しているというものであるということがもう一つ重要なことであると、こう思っております。

(質)2期目最後はご長男の事件のこともありました。これからは、おひとりの父親としてという部分と、元知事としてという意味でも、影響力大きいと思うのですが、薬物の関係というのを、今後どういうふうに、何かやられていくお気持ちが今あるかどうかというのを教えてください。
(答)全国のダルクの会長が三重県にお見えになった時に、お目にかかって、そしてまたいろいろお話も伺いました。私としては知事を辞めた後、またそういったことについても、改めていろいろ考えていきたいと思っておりますし、またその関係でお話を伺いたい方も前からございまして、その方はまだお目にかかってませんけれども、いろいろそういった面で今後考えていきたいと、こう思っております。

(質)今の、最後考えていきたいというのは、薬物の撲滅とか、そういう運動とかをやられるという意味で取っていいですか。
(答)今、薬物については日本で、全体で、どれだけですかね、5人に1人か、10人に1人、薬物にはまっているといわれております。実は実態として、確か10人に1人か、あるいはもうちょっと少なかったかもしれません、とにかくちょっと今数字すぐ覚えてませんけれども、相当な、びっくりするような状況であります。アメリカでは一度これにはまるとなかなか抜け出せない、したがってこれは病気として、これをどう直していけるのかというような取組を、裁判制度の中、司法制度も含めて対応しているところであります。私が伺っているダルクの会長も、日本で撲滅などというようなことの政策は非現実的であるし、そのことでこれが治せるはずはないと、こういうふうなことを言わ・黷トおります。皆さんも興味あったら、少し書物等を読んでいけばこのことの難しさが分かるのではないかなと、こう思います。私は、もう学生の時からたばこを非常に吸いまして、まあ私ほどたばこを吸った人は少ないのじゃないかなと思うぐらいでありました。そのたばこを正直何度かやめたいと思ったこともありましたけど、絶対やまらなかったのであります。私は昨年夏、長男の件がありまして、息子に薬物をやめろと言っても、これほど難しいものはない。しかし、考えてみれば自分もたばこがなかなかやめようと思ってもやめられない、ということもあり、あの事件で私自身はたばこを今ずっと禁煙して、これで8カ月になってまいります。そうしましたら体重が5、6キロ肥えてきまして、これちょっとそういう面では、ちょっと困ったなというところありまして、たばこをまた吸うかもしれませんけれども、しかし、世の中禁煙が本当に難しくて治療もあるように、この薬物もなかなかそういう意味では難しいものであります。日本でも一部、これからもっとそういった制度を、国としても変えていくべきではないかという議論もあるようでございます。私自身もさらにそういったことも勉強していかければならないかなと、こういうふうに思っています。

(質)最後に真摯(しんし)に8年間向き合ってきた県民に対して、何かメッセージ頂ければと思うのですが。
(答)私は先ほど申し上げたように、この8年間、県民の皆さんのご支援、そしてご理解とご協力、これがありまして自分の思いを県政の中に通していくということをさせていただいてきたところであります。そういう意味では県民の皆さんに深くお礼を申し上げ、また感謝を申し上げたいと、こう思います。本当にありがとうございました。 

 

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