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人口減少の日本で、多様性の豊かさについて考える

NPO法人愛伝舎 理事長 坂本 久海子 
(2012年3月作成)

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  「愛伝舎」では外国人の介護ヘルパー研修を実施しています。その研修中に介護研修生が、鈴鹿市立庄内小学校の児童と交流をしました。 介護の研修生を、「大事なお客様」として温かく迎えてくれます。

  子どもたちの演奏で、涙ぐむ研修生もいます。子どもたちは、「同じ町に住む外国からの人たち」という親しみを感じてくれます。     

                   

 「こんにちは、愛伝舎です」

  NPO法人「愛伝舎」は2005年、多文化共生社会づくりを目指して活動を始めました。私は2002年から鈴鹿市内の小学校で国際教室の非常勤講師として働きましたが、勤務していた学校の日系人の保護者で派遣会社からの解雇により職を失い、次の仕事も貯金もなく、アパートも出なくてはいけなくなった人がいました。行政の各種窓口をあたりましたが、使えるセーフティネットがなく、私の知り合いの会社の社長に相談をし、アパートに入れるようにしてもらいました。このことがきっかけで、外国人の生活の基盤の弱さを知りました。1990年の出入国管理及び難民認定法の改正以降、南米から多くの日系人が日本で働くようになりましたが、教育だけでなく生活全般に外国人を受け入れる仕組みがないと思いました。

  私は、1993年から98年にブラジルで暮らしました。90年代のブラジルは、ハイパーインフレで経済が厳しい状況にありました。一方、バブル期の日本は人手不足で、日系人の労働力は大きな戦力となりました。ブラジルに滞在当時、「出稼ぎ」に行く日系人の様子を現地の新聞でよく読んでいました。男性や独身者が、数年の出稼ぎとして日本に行くという働き方が主流でした。98年に帰国する際の飛行機で、広島に向かう家族と一緒になりました。日系人の父親はこれまで単身で日本で働いていましたが、奥さんと息子さん二人を呼び寄せてこれから日本で暮らすということでした。4年半のブラジル生活で日本との習慣、考え方などの違いを体験して、日本で暮らす日系人家族の生活が厳しいものになるのではないかという危惧がありました。その時の心配が、学校で出会う日系人の子どもたちを通して現実になっていることに気付きました。

  子どもが安心して学校に通うには、保護者の安定した生活が必要です。外国人を受け入れる仕組みが整備されていない状態が続けば、外国人にとっても日本人にとっても将来リスクになると思いました。そのようなことから、2004年に三重県が主催した「外国人コミュニティをサポートするコミュニティビジネス起業セミナー」に参加し、NPO法人「愛伝舎」を設立をしました。携帯電話通訳サービス、生活適応セミナー、日本語教室、介護ヘルパー2級の研修事業、情報配信などを行うようになりました。

 

日本の人口減少を考える

  日本は2006年以降、人口減少になりましたが、それまでは増加が続いていました。GDP世界第2位(現在は第3位)の経済大国に海外から働きに来たい人は多くいましたが、国土が狭く人口が増えている日本では外国人を受け入れる政策はとられませんでした。1990年の出入国管理及び難民認定法の改正により、日系人とその配偶者が日本で働くようになりましたが、短期の出稼ぎから始まった日系人の就労でしたので、子どもの教育、通訳の用意、福祉、医療、住居など生活に必要な受け入れ体制が整えられないまま、定住化が進みました。そのことで多くの子どもたちは十分な教育が受けられないまま、日本で育ちました。「日本に行って、2、3年働いてお金を貯めたらまた国に戻るよ」と言って母国を離れた後、ずっと日本で暮らしている人や日本と母国を何度か行き来する人など、二つの国を移動する人は、いろいろな苦労を背負って暮らしていることを身近に見ながらNPOの活動をしてきました。

  日本の社会は、労働力として外国人を必要としてきました。日本に来た人々は母国を離れてより良き暮らしを求めて働いてきました。外国人が日本で自立して暮らすということは、個人の問題だけではなく日本の社会の問題でもあります。日本の社会には多くの外国人が暮らしています。三重県においては製造業を支える大きな存在です。外国人は社会の構成員なのです。

   日本が人類史上最速の人口減少社会に入ったということが、最近多く話題になります。人口減少になることはずっと前からわかっていましたが、少子化対策が十分に進まず、他の先進国のような移民政策も十分な議論がされずにきました。2008年に経団連が「移民1000万人」の提言を出しましたが、2009年のリーマンショックで景気が悪化すると、派遣の外国人が最初に解雇されました。職を失った人たちは派遣会社で借りていたアパートも出され、職と住居を一緒に失いました。外国人は企業の求人で日本に来ましたが、企業が求めているのは労働力であり、労働力として必要がなくなれば解雇され、解雇された人たちの支援は自治体と地域住民、NPOの役割となりました。

 

労働の担い手として

  三重県内の外国人登録者数は45,547人(平成23年末)、人口に占める割合は2.41%で全国第3位です。外国人労働者は19,649人(平成23年10月現在)で全国第8位です。三重県内の公立小中学校560校のうち38%の212校に日本語指導が必要な児童生徒がいます(平成23年9月1日現在)。リーマンショックを機に、外国人登録者数は3年連続で減少していますが、外国籍の児童生徒在籍数はそれほど減っていません。かつて私が小学校で講師をしていたころ、5年生の社会の教科書に地元の自動車工場のことが載っていて、国際教室に来ているブラジル人の生徒は、「私のお母さんは、この会社の車のエアバックをハンドルに入れる仕事をしている。とても難しい仕事をやっています」と、誇らしげに話してくれました。鈴鹿市を代表する企業の関連工場でつくられる部品を、多くの外国人が作っていて、その子どもたちが日本で育ち教育を受けています。

 

ルールの違いを認識しながら…

  外国人が急激に増えて、当初、地域によっては様々な軋轢(あつれき)が生まれました。ゴミの分別、騒音、自治会活動など、日本社会のルールを知らないまま暮らし始めた外国人は、「困った存在」にされました。ある日系ブラジル人の友人は、「日本に来て派遣会社のアパートに入って、すぐに送迎のバスで工場とアパートの往復の生活が始まって、誰も日本のゴミのことなんか教えてくれなかったよ」と言っていました。日本にはすでに、200万人以上の外国人がいますが、移民政策もせず、いるのにいないような存在となっているように私は思います。例えば、日本では自動車は左側通行ですが、右側通行の国もたくさんあります。それと同じように国によってルールが違います。日本で暮らす外国人に日本のルールを理解してもらい、私たちも伝えていくことが大事だと思います。 #

 

  鈴鹿市の公営住宅で行っている「生活ガイダンス」。顔の見える関係、挨拶をしあう関係になり、仲良くなっていきます。

 

 

 

外国籍の子どもの高校進学

  2012年3月4日の朝日新聞の「ザ・コラム」の「日本の移民」という記事に、静岡県の浜松学院大学の津村公博教授による調査結果が出ています。2006年から2011年までに日本の公立小学校に在籍したことがあり、静岡県西部に住む359人の南米日系人の若者に調査をしました。その調査によると、中学中退が71人にも及び、高校卒業は14人だけだったということです。

    71人もの中学生が中退をし、高校を卒業した生徒はわずか3.8%ということが、今の日本の現状です。就学義務の対象ではない、外国人の子どもの教育は地域によって大きな格差があります。教育は人権として保障されるべき最も大事なことだと思いますが、日ごろ多文化共生や外国につながる子どもの教育に関わる各地の仲間から、胸の痛むような話を聞くことは少なくありません。三重県の外国籍生徒の高校進学率は、比較的高いと言われますが、学力の内容や中退率を考えると更なる充実が必要だと思います。日本で暮らしながら、どうやって日本の社会に入ったらいいのか、居場所を見つけられない青少年の姿は三重県でもあります。

 

先生方にお願い

  私は数年間、学校で非常勤講師として働いていました。国際教室の担当者としていろいろな外国籍の子どもたちの授業や、教室でのTTに入りました。担任の先生が外国籍の子どもをクラスの中心に据えてクラスづくりをしていくと、周りの子どもたちも外国籍の子どもの存在を意識して、話しかけたり一緒に遊んだりできます。先生に関心がないのをクラスの子どもたちが察知すると、教室では誰も話しかけてくれていないようになります。日本語の学習を国際教室で行いますが、クラスで周りの子どもたちがいつも一緒に遊び話しかけてくれたら、日常の会話は日々のやり取りの中で身についていきます。是非、外国につながる子どもを意識してクラス経営をしていただきたいと思います。

  私たちは、日系人の大人の就職支援をしてきました。以前は派遣会社の送迎バスで工場に行っていましたが、リーマンショック以降、送迎バスが減り、自分の車で通勤する必要が出てきました。三重県では2012年4月から自動車運転免許のポルトガル語の学科試験が始まります。日本語を話せない人にとって朗報となりましたが、日本で育ってポルトガル語が読めない子どもも多く育っています。クラスにいる外国籍の子どもに、将来日本語で自動車運転免許が取れるだけの力をいかに身につけさせるのか、そういうことも想定しながら指導をしていただきたいと思います。

 

日本を好きと思ってもらうこと

  東日本大震災では世界中の国から日本へ支援が寄せられました。世界中から資源や食糧を輸入している日本です。中国からのレアアースの輸入が制限されたことは大変なダメージでした。国と国との仲が悪くなると必要なものの輸入も止まってしまうという体験をしました。外交や経済のことは国や政治家だけの問題でなく、周りの外国人との関係でもつながっているように思っています。リーマンショック以降、多くの日系人が帰国しました。日本での印象が良かったのか、悪かったのか、どうだったのだろうと思います。去年ブラジルに行った際に通訳をしてもらった女性は、「日本にいる時は気がつかなかったけれど、ブラジルに戻ってから、日本っていい国だなと思った」と話してくれました。彼女は、90年代初期に日本に来たそうで、学校で初めての外国人だったそうです。初めての外国人で学校中がとっても可愛がってくれたと言っていました。今サンパウロの日系団体で通訳の仕事をしています。この20年間に日本で生活した人たちが母国に帰り、日本と母国をつなぐ役割をしてくれています。「愛伝舎」に来る人たちの中には、「日本人はやさしい」と言ってくれる人も多くいます。そういう話を聞くとホッとします。

  「愛伝舎」では、外国人と日本人が一緒の日帰りツアーを時々やっています。日本の観光地を案内して楽しんでもらっています。「日本っていい国だな、日本に来て良かったな。」と思ってもらいたいです。

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日本とブラジルの子どもが一緒にサンバ

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京都の日帰り旅行を、一緒に楽しみました

 

これからの日本を考えつつ…

  日本の人口減少が加速するということは周知の事実です。そういう中で日本に来てくれた人たちをどう見ていくか、日本人が真剣に考えていくべきことだと思います。三重県にはすでに多くの外国人が暮らしていて、社会の構成員になっています。スーツケース一つで母国を離れた人が、日本で働き生活必需品を買いそろえ、車を買い、家も買うことによる経済効果は大きなものです。

    日本で身近にいる外国人と交流があると、日本にいながらにして国際交流体験ができます。私自身、外国人の仲間と一緒に日々過ごしていることはとても楽しいことです。冒頭に紹介した介護の研修でも、日本人が講師を務め、外国人と触れ合う機会を持つことで交流を楽しむようになりました。そして、いろいろな国の人たちと交流することは、私たち自身の考え方の幅や人との付き合い方を豊かにしてくれます。これから日本の国の姿は大きく変わっていくと思います。私たち自身、外国人との共生をしっかり考え、実践することが必要な時代になってきたと思います。外国人の人口比率の高い三重県は、日本の将来の先取りをしていると言えます。「多様性が豊かさになる社会づくり」を描きながら、外国人との共生を進めていきたいと思います。

NPO法人 愛伝舎

  〒513-0806

  三重県鈴鹿市算所3-9-50

  Tel   050-3532-9911

  Fax    059-379-5610

  Mail aiden@hotmail.co.jp

  

                    

本ページに関する問い合わせ先

三重県 教育委員会事務局 人権教育課 調査研修班 〒514-0113 
津市一身田大古曽693-1(人権センター内)
電話番号:059-233-5520 
ファクス番号:059-233-5523 
メールアドレス:jinkyoui@pref.mie.lg.jp

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