第9号 平成8年9月 紀和町 丸山千枚田
農村と都市の交流。復活“千枚田”の田植えまつり
日本の“ふるさと”を象徴する棚田や千枚田。この価値を見直し、保全していこうとする試みが活発化している。三重県紀和町では、都市住民からオーナーを募り、減りつつあった『丸山千枚田』を農村と都市の交流を通して復活させようと取り組んでいる。
(千枚田の復活に地元の熱意)
山あいを歩けば、必ずと言ってよいほど見かけるのが“棚田”。猫の額のような一角の小さなものから、山の斜面一面に広がった千枚田まで、棚田は“日本の原風景”として人々の心に刻まれている。農林水産省の調べでは、棚田を持つのは全国で1,182市町村を数え、全市町村数の3分の1を優に上回る。
しかし、棚田は急な山坂、谷間につくられているため、近代的なほ場の整備は難しい。当然、効率を追い求める産業としての農業からは距離がある。しかも、機械に頼ることができない棚田での農作業は想像以上に厳しく、若者が喜んで働くことは期待できそうにない。過疎化や高齢化が進むにつれ耕作放棄地は増え、地域によってはその消滅も時間の問題といわれるほど事態は深刻化している。
こうした棚田の危機に対し、近年、地域資源としての視点から価値を見直そうとする機運が高まっている。昨年「たんぼシンポジウム」(新潟県松之山町)や「第1回全国棚田(千枚田)サミット」(高知県梼原町)などが相次いで開催されたのも、そうした動きの一つと言える。
棚田や千枚田の価値として挙げられるのは、-国土保全・生態系保全・食糧生産・教育文化-の4つ。何よりも、棚田や千枚田が幾世代もの人々によって受け継がれてきた、歴史的遺産であることを忘れてはならないだろう。いったん、荒れ果てた棚田を復元することは難しい。灌木などの成長により崩れた石積みを再現することは、一朝一夕にはできない。歴史・伝統とは、そうした重みを持つものである。
(地域資源として新たな脚光)
高低差約100メートルの山肌に幾重にも広がる千枚田が、悠然と水を湛える。その一枚一枚に子供達、家族連れ、友人同士、職場の仲間など、多様なグループ800人あまりが張り付き、田植えに精を出す。
「実家が農家で、子供のときに手伝わされたから」とテキパキ苗を植えてゆく初老の夫婦がいると思えば、「田植えなんてこれが初めて」と泥に足をとられ危なっかしい若者達まで、手際も様々。
ここは奈良県と接する山間地の三重県南牟婁郡紀和町『丸山千枚田』。5月26日に行われた第3回「田植えまつり」の一コマである。
『丸山千枚田』は、かつて総数約2,200枚(7ha)を誇っていた。しかし昭和30年代以降、重労働の厳しさや若者の流出により耕作放棄地が増え続け、平成3年にはその数は500枚を切るまで減少した。「このままでは千枚田が消える!」と地元に危機感が募ったのは言うまでもない。
そこで地元農家約30戸が中心となり千枚田保存会が結成され、復田作業が始まった。といっても、荒廃した棚田を生き返らせる作業は簡単ではない。灌木の根を掘り起こし、草を刈り土を耕す。山あいに入り組み高低差があるだけに、人力中心の大変な重労働。しかも農家がやること、稲刈り後の十月から田植え前の翌年四月ごろまでの農閑期に取り組むほかなく、骨休めの時期に手間、暇をかける作業が続いた。
当初から活動をバックアップしていた紀和町も、地元の盛り上がりのなか、平成6年には「千枚田条例」を制定し、復活・保存への姿勢を明らかにした。また、より多くの地域住民、都市住民に『丸山千枚田』の存在を知ってもらおうと、毎年5月~6月に「田植えまつり」を企画。閑静な山あいの千枚田に、にぎやかな田植え風景が見られるようになった。
平成8年には名実ともに千枚田が復活。その数は1,170枚まで達した。
(一般公募した“千枚田オーナー”)
第3回「田植えまつり」には、保存会と地元中学生、団体などが参加し、加えて今回から参加した“千枚田オーナー”が注目を集めた。
“千枚田オーナー”は、復田した紀和町所有の千枚田の一部について広く一般から公募したもので、その保全に都市住民のパワーを活かしながら、交流を深めていこうと企画された。
オーナーになると、一口面積約100平方メートルで3万円(1年間・更新可)を払い、自分の田で田植えや稲刈りなどの農作業を体験でき、その米を送ってもらえる。また、天候不順などの場合は白米20㎏が最低保障される。ほかに特典として交流施設の優先的利用、広報「紀和」と千枚田ニュースの提供、年3回の野菜の提供などが受けられる。
千枚田保全へ向けたこのユニークな試みは、日本経済新聞が一面に掲載するなど、マスコミ各社によってこぞって報道された。公募には地元が期待した以上の反響があり、約150家族(組)の応募の中から書類審査と抽選の結果、晴れて68家族(組)がオーナーとして選ばれた。
今回、「田植えまつり」に参加したのは、このうち日程の都合がついた42家族(組)・約100名。東は東京、埼玉、横浜から、西は島根までのオーナーが集まった。参加者は、地元が用意したお握りや流しそうめんで腹ごしらえの後、グループごとに田んぼへ。懐かしさ、爽快感、家族の絆、先人の苦労など、それぞれの思いを胸に1~2時間あまりの田植えを楽しんだ。
また、こうした取り組みは、地元へも好影響を与えている。注目されることで“地元農家自身のヤル気”が高まってきたというのだ。「恥ずかしい田んぼは見せられない」、そんな農家の自負心がヤル気につながっていく。加えて、千枚田の復活はプロ・アマチュアを問わず多くのカメラマンを『丸山千枚田』に引き付けることになった。美しい景観は、さらに美しさを増してゆくにちがいない。
むろん、まつりの開催やオーナーの来訪は今のところ一時のイベントでしかない。その下準備を行う地元農家、紀和町職員の努力なくして、こうした交流がありえないことは確かである。しかし、千枚田にも最初に開墾された一枚の田があったように、この交流を何段にも重ねることで新しい未来、新しい千枚田の姿が見えてくるのではないだろうか。