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平成20年05月01日

災害伝承 

 このコーナーは、過去に起こった大災害についてその経験者に語っていただき、その教訓を伝承しようというものです。
 今回は、先日「防災の星」で取り上げた佐藤嘉平さん美江さんご夫妻のご紹介で、桑名市長島町にお住まいの方々に桑名市長島防災コミュニティーセンターをお借りしてインタビューさせていただいた伊勢湾台風のお話です。
 お一人目は、佐藤さんが主宰する長島防災支援ネットのメンバーでもある伊藤吉計(よしかず)さんです。

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当時の年齢をお聴きしてもよろしいですか?
 25、6歳でまだ独身でした。

 一人暮らしだったのですか?
 いいえ、実家で両親や兄夫婦らと一緒に殿名(とのめ)という地区で暮らしておりました。

 台風が来た時の状況をお聴かせいただけませんか?

 とにかく風が強くて、戸の内側から押さえていましたが、どこかの戸を開けた時、水が入ってきたので堤防が決壊したなと思いました。
 それからは、2階に上がって台風が過ぎるのを待ったということです。

 別の場所に避難しようとは思いませんでしたか?
 3年前に茅葺きの家から新築していましたので、もし茅葺きのままでしたら逃げたと思いますが、その時は親の言うとおりに行動しました。

 すぐに2階に上がれましたか?
 上がれることは上がれました。自分は母と兄嫁の子らとすぐ上がりましたが、父親や兄は米俵を一生懸命上に上げてから上がったと思います。

 収穫前ではなかったのですか?

 今は台風前に収穫しますが、昨年の米で残っていた物を上げていたのだと思います。

 家は無事だったのですね?
 地区で3軒全壊しましたが、うちは無事でした。

 全壊された方はどうなったのでしょうね?

 親戚の家に行ったか、隣組で助けたのだと思いますよ。

 台風が過ぎ去ってどうなりましたか?

 当時の桑名郡長島町地内で堤防が15ヶ所も決壊しましたから、1ヶ月間は水没したままでしたね。
 汚い話ですが、満潮になると糞便が漂ってきて、潮が引くとどこかへ流れていく繰り返しでしたね。

 疫病とかは大丈夫だったのですか?

 そういう話は聞きませんでしたね。

 お仕事には影響はなかったのですか?

 国鉄(現在のJR東海)職員でしたので、仕事に行くと1週間は帰れませんでした。
 ですから週に1回帰って、また1週間という生活がしばらく続きました。

 あと何か憶えていることがあれば?

 亡くなられた方を堤防の傍らで火葬したのですが、子どもを抱きしめたまま亡くなった方がいたことを憶えています。結局、引き離せなくてそのまま焼かれたのでしょうね。
 それから、小学校(伊曽島小、長島小、楠小)がだめになったので、小学生は伊勢の皇学館へしばらく行っていたと思います。

 教訓みたいなものはありませんか?
 教訓ではありませんが、救援物資で一番嬉しかったのは水ですね。
 水は大事だと思います。

 ありがとうございました。

本ページに関する問い合わせ先

三重県 桑名地域防災総合事務所 地域調整防災室(県民防災課) 〒511-8567 
桑名市中央町5-71(桑名庁舎2階)
電話番号:0594-24-3821 
ファクス番号:0594-24-3795 
メールアドレス:wchiiki@pref.mie.lg.jp

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