今回は、「古墳時代祭祀(さいし)と渡来集団入植の実態―志登茂(しとも)川流域・津市六大(ろくだい)A遺跡が提起した諸問題―」と題して、三重県埋蔵文化財センター職員穂積裕昌(ほづみ ひろまさ)が講演を行いました。時折小雨の降る寒い中にもかかわらず、84名の方に参加いただきました。
六大A遺跡の発掘調査では、土器・木製品・石製品・金属製品など多様な遺物が膨大な量出土したことを最初に紹介しました。その数は報告書に掲載したものだけで9,000点以上にもなることに参加された方は驚かれたことと思います。
今回の講演の一つ目のポイントである古墳時代祭祀については、これら多数の遺物の中で、銅鏃(どうぞく)・ベンガラで彩色された壺・龍や蛇が線刻(せんこく)された土器・木製精製容器・他地域から搬入された土器など、祭祀に用いられたりカミに供せられたりしたと考えられる出土品について説明しました。そして、盾(たて)・鞘(さや)・刀装具(とうそうぐ)といった遺物や、礫敷(れきじき)・井泉(せいせん)といった遺構(いこう)の存在から、六大A遺跡は首長主宰の祭祀の場であったとしました。さらに、木製武器形・滑石製模造品・琴などから具体的に復元しうる祭祀のようすを『日本書紀』などの記述を引用しながら解説しました。
講演のもう一つのポイントである渡来系集団については、初期須恵器(しょきすえき)や韓式系(かんしきけい)土器が多数出土していること、それらの中に組紐文(くみひももん)・火焔透孔(かえんすかしあな)といった日本では類例の少ない意匠があることについて、朝鮮半島の例などを紹介しながら説明しました。そして、送風管や煙筒・横櫛・壺鐙(つぼあぶみ)なども朝鮮半島に類例のある遺物であることに触れ、六大A遺跡は渡来系集団との関係性が高い遺跡であるとしました。また、報告書で砥石とされた遺物は、近年北九州で確認された石製硯(すずり)ではないかという最近の研究も紹介され、渡来系集団との関係性を一層追求する必要性が示されました。
さらに、周辺の遺跡でも渡来系集団の入植を示す痕跡が確認されており、六大A遺跡で準構造船(じゅんこうぞうせん)の部材が出土していることと合わせて、渡来系集団は伊勢湾から志登茂川に至る水運を利用し、地域拠点を形成したのではないかと結論づけました。
会場には、講演で紹介された出土遺物が展示されました。今回初公開の遺物も多く、参加者の方々は熱心に観察され、疑問点を講師に尋ねておられました。
いただいたアンケートでは、多くの方に「良く分かった」、「分かった」という評価をいただきました。一方で、「もっと長く聞きたかった」、「会場が狭い」といったご意見も頂戴しました。可能なところから改善してまいりたいと思います。
大勢の方においでいただき満席でした | ケースには県指定文化財も展示されました |
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