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平成22年11月30日

知事定例記者会見

知事定例会見録

平成22年11月26日
於 プレゼンテーションルーム

1.発表項目等

・なし 

2.質疑応答

・知事選挙について
・名古屋市長の方針について
・地域主権関連三法案について
・子ども手当の地方負担について
・知事職の受け止め方について

(質)昨日、3選の出馬をなさらないということで議会でスピーチがありましたけれども、2期8年を振り返っての思いをお聞かせください。それともう1点、不出馬の判断をされた理由をお聞かせ願えればと思います。
(答)まず昨日、県議会のほうで次期知事選には出馬しない旨を表明させていただきました。今、任期8年を迎えてということでありますけれども、まだ私として振り返ってというような、そういう状況ではなくて、残る任期をしっかり取り組んでいかなければいけないと、そういう思いがいっぱいであります。ただ昨日もちょっと触れさせていただきましたけれども、私は2期8年というのは十分に長い、そして充実した期間であったと、こういうふうに思っています。私は知事になる前、松阪市長をやっておりました。2年9カ月、松阪市長であったわけでございます。その2年9カ月の間にも私としてはかなり市政の中でも仕事ができたと、こういう充実感を持っておりました。知事として2期8年というのは、この市長の経験の3倍になる、そういう期間でありまして、私としては1期4年というのも大変十分長い期間だというふうにも思っておりますけれども、しかしそれを2回続けて2期8年、その期間をいただいたということについては大変感謝をしているところでございます。2期8年を振り返りますと、いろんなことがございますけれども、一つは県政運営について、私は県民が主役、県民との協働による県政の展開、それから感性を県民と一緒に磨くというような、県政の運営展開の3つの柱を当初枠組みとして設け、その中でいろんな展開をしてきました。その基軸にはまずは新しい時代の公というのも置きましたし、そしてその後、文化力という考え方も持ち込みました。やはり私自身も国会議員の時、改革、改革と言っておりましたが、いつの間にか何か目的化され、そして本来、いったい誰のため、何のためというようなところが抜けていた。その事を松阪市長の時の経験も通じて強く感じたところでありまして、知事になりましてから、国はまだそういう方向へ向いていない状況で、小泉内閣の今日のひずみを多くした政策に国民も拍手喝采でまっしぐらにいっておりましたが、私はこれを県政の中ではなんとか修正させたい、そんな思いで知事になりました当初から取り組んできたところであります。そして、その中でマネジメントシステムとしては、北川さんはプラン・ドゥー・シーのサイクルということを強調し、県の職員もその考え方に心酔していたというのか、そういう状況でしたが、私はそれがマネジメントの核ではない、核になるのは、実はリスクマネジメントであり、また時代からいけば環境マネジメント、こういったことのほうがより重要なんだということで、マネジメントシステムについてもみえ行政経営体系という形へ手直しをしてきたところでございます。それから、北川さんと一緒に私が松阪市長の時も始めました経営品質、これはやはり職員の意識向上のためには引き続き、大変いいツールだということで、その展開は私もしっかりしてきたつもりでございます。それから少し話の角度を変えますと、我が国は過去の時代の負の遺産を随分多く抱えてきているところであります。近い時の負の遺産もあれば、ずっと昔からの負の遺産もあります。たまたま、RDF貯蔵槽が爆発しました。私にとっては最も悔やまれる県政の上での事件でございましたけれども、ああいったものも後、大変その対処に私も大変な思いをしました。しかし、実はずっと昔からの過去の負の遺産というものもたくさんありまして、その中で気になっておりましたのが産業廃棄物の不法投棄、これがなかなか実態が分からない状況でありました。そこで担当部に調査をするように命じまして、そしてその調査をした結果が、例えば四日市の大矢知地区の産業廃棄物、それは私が調査をしろということで、その調査の結果、出てきたことが全国最大規模であったというようなことでありました。こういう実態が三重県の中にもあったわけでありますが、その大矢知地区もようやくその後、住民の皆さんにもご理解やらご協力をいただいて、いよいよここをどういうふうにしていくのだという新しいステップにいよいよ入っていけるということになりました。私も今年の2月に現地に参りまして、現地の皆さんにお詫びも申し上げ、今後の事についてもまた話し合ったということでございます。こういった負の遺産、何十年も前からのものはやっぱりそう簡単には一気に解決というわけにはいきませんけれども、しかしそういうものをきちっと掘り起こして対処していくという姿勢が大事だと、こう思って、そういったことにも手掛けてまいりました。またやはり県民の信頼を得るということが大事であります。私が知事になりましてからも、いろんな形で県政に対して個人やあるいは企業、そういう立場から『ぜひ世話をしてよ』という要望、要請もありました。いわゆる口利き依頼というやつですね。これについては当選直後から防止を担当部のほうに指示をいたしましたが、やはり議会等の対策から極めて難しいという説明もありました。そこでチャンスを伺っておりましたところ、議長経験者が逮捕というような、そういう事件が起こったり、知事がほかの県で逮捕されるというような事件が起こりました。立て続けにそういうことが起こった、その時にチャンスだということで、口利き防止ということをしっかり対応したところでありまして、三重県はそういう意味ではこの県政運営マネジメントについても、いろいろつらい大変な出来事がありましたけれども、それをピンチをチャンスにという形ではね返してきたと、こう考えております。そのピンチをチャンスにということでは、RDFの反省に基づいてごみゼロプランを県でつくるというようなこともやらせていただいたところでございまして、多分、今も全国では三重県だけだろうと思います、県全体でごみゼロプランの推進にあたっているのは。非常に長期的な課題でありまして、必ずしも選挙ごとのマニフェストで目標どうだというような、そういうものにそぐうものではありません。けれども、やはり大事なものはしっかり目指していくということだと思います。1期目だけでも今、申し上げたようないろんなことがありました。世界新体操の選手権大会も、RDFのああいった爆発事故があって暗い雰囲気の中で、何か夢につながるようなものがないかな、スポーツの世界大会なんかできないかな、そんなことで就任1年目に探ったものでございましたけれども、実際にその選手権大会ができましたのは昨年でありました。リーマン・ショックで非常に民間の皆さんの支援を受けにくい状態で、大変心配したところでありましたが、幸い宝くじの支援もいただいて、何とかああやってできたことを嬉しく思っています。なかなか1期だけではできないああいうスポーツ大会も、実にまる6年、あるいは6年半、開催までにかかったと、こういうことでした。そういったことをやりながら、新しい政策としてもいろんな事に手掛けることができたのではないかなと、こう思います。例えば、学校教育については、学校経営品質というのを持ち込みました。これは意識向上のツールとしてはなかなか成果を出していくというのも難しいのでありますが、徐々に徐々に今県立高校が随分よくなってきました。経営品質で一生懸命取り組んでいただいたところは、高校へ入学した子どもたちが途中で退学していくという事例が極端に少なくなったり、いろんな成果も得られているのではないかなと、こういうふうに思います。2期目はさらにいろんな展開を1期目の継続としてやってまいりましたが、その中には博物館の老朽化について、過去何十年も前から博物館は議論になりながら、非常に政治的な理由でできなかったというふうに私自身感じてきておりました。大変財政事情が厳しい中でありましたけれども、子どもたちに対する未来への投資だということで、県議会でも議論しながら取り組んできたところでございます。まだ、完成までに時間がかかりますけれども。それからもう一つは病院改革でございます。病院改革も県議会のほうから民営化も含めて、県立病院についてはやるようにという意見がありましたから真剣に取り組みましたが、逆に一方で県議会のほうのまた大変なブレーキもございましたから、これについてはしっかり議論をさせていただいたというところでございます。まだ残されました期間、幾多の課題がございますので、こういったものにしっかり取り組んでいきたいと、こう思っています。それから2つ目に今回の次の選挙に出ないという判断について、どういう状況でということでございます。私は知事選に出る時に妻と2期8年という約束をいたしました。しかし2期8年ということについて、外部に対してそれを公表していくということは自らの政治活動を縛りかねない、そういうこともありますから、これは私としてはもうギリギリまでそのことは言ってはいけないと、こう感じてきたところであります。ただ長男のああいった件がありまして、ああいったことと関連付けられて皆さんにいろいろこう言われるところでありますけれども、私自身はこれまで自分の体力、あるいは知力、気力、こういったものを考えながら、2期8年でそれを消化してしまうということが私にとっては大事なことではないかと、こう思ってやってきたところです。最後、どういう形で判断をしていくのかということについては、当初から11月の末から12月の初めというのが大体、周りへご迷惑をかけない最終的な時期かなと、こう思ってまいりました。したがいまして、先般県議会が始まるというその状況の中で最終的に東京のほうで、民主党の国会議員の皆さんにお伝えいただくようにお願いをし、この25日という日を選んで表明させていただいたというところでございます。

(質)3期目で新県立博物館もしくは「美(うま)し国おこし・三重」、県立病院改革等、3期目で集大成なり、大きな変化を迎えるものが多い中で身を引かれるということで、県政の思い残すようなこと等があれば教えていただきたいのですが。
(答)まず県政の継続性からいくとその時その時、真剣にやらなければいけないというものについては判断して取り組んでまいります。それが時間がかかるものというのは当然、新県立博物館のようにまずは基本となる三重県の芸術文化の指針から始まって、それから計画を詰めていって、そして県議会のほうでも議論をいただいて、その上で予算を出し、そして工事に入っていくと、こういうものはやはり時間がかかるわけでありますから、最後までというのは行政の継続性からいったら、そういう言い方をすればいつまででもやっていかなければならないということになると思います。私はその時その時でやれるものをしっかり手掛けてやっていくということでいいと思っています。それから「美し国おこし・三重」については、これは一番初めの発端は平成25年の御遷宮が、前回平成5年の御遷宮の時には、平成6年にまつり博というのを三重県はやったわけですね、平成25年の御遷宮、これをいいチャンスと見て、今度は何をやるのかということが検討されたわけでございます。その時に、やはり今の時代一過性のイベントをやるということはどうだということがございました。そこで、その後の地域づくりにもずっと影響が残るような、そしてまた、今の時代になっていきますときずなづくりということが非常に言われているところであります。そこで最終的にいろいろこう詰めながら、文化力に基づいてきずなづくりの仕組み、仕掛けづくりになる、そしてまた、多様な主体で地域の資源を生かした地域づくりの仕組みづくりになる、そういう「美し国おこし・三重」という取り組みをやろうということにしたところであります。そしてその集大成の目標年次を平成6年のまつり博と同じように、平成25年の御遷宮の翌年、いわゆるおかげ年と通常言われているところでありますけれども、そのおかげ年に集大成のイベントになるように、発信になるように、そしてこれは仕組みづく・閧ナありますから、その後もそれが定着すれば三重県ではそういうきずなづくり、あるいは地域づくりの仕組みとして残っていくのではないかということでああいうやり方をしたところであります。したがって最初、私が26年までということで、じゃあそれは3期目の間をうまく入れたのではないかとこういうことですが、元々この「美し国おこし・三重」というのは発想が全く違うところから出ていることだということをご承知おきいただきたいと、こう思います。

(質)では、もう十分に取り組まれたということで・・・
(答)いや、十分というのではなくて、したがって私は2期8年で与えられた期間をしっかり自分として取り組んできたということであります。アメリカの大統領やそんな辺は2期8年というようなことで、日本の場合には国の総理だとか大臣はくるくる変わりますね。だから2期8年というのはすごい期間ですよ。私はただ当初、2期8年というのをちょっと言いかけた時ありましたけれども、後で修正して、ないし3期12年とおきましたのはやはり周りで3期目に今度出るのだというような知事さん等がいると、何か私自身がそれを否定するような立場になってはいけないということで、その後は10年前後がいいのかなという言い方で申し上げてきたという経緯がございます。

(質)2点お伺いしたいのですけれども、まず1点目が、まだ任期の途中で失礼なのですけれども、後継者にはどのような人がふさわしいかというお考えが1点と、あともう1点が、まだ若くていらっしゃる、生意気な言い方かもしれませんけれども、ご自身の引退後の今後について何かお考えがあればお聞かせください。
(答)次の知事ということについては、これは県民が判断されることだと思います。それぞれふさわしいと考える候補者を政党等も立ててくるのではないか、あるいは自分に自信のある、そういう人が手を挙げてくるということもあるのではないかなと、こう思います。私としては、県政の継続性からいけば、三重県というのはとても素晴らしい資源を持っている所です。産業政策でも、これは北川さんのときのバレー構想を手直しをしましたけれども、しかしその後、知識集約型産業構造へということで、このバレー構想から引き続く産業展開をやってきました。したがって、今リーマン・ショックで落ち込んだとは言いながら、製造品出荷額は県民一人当たりでは日本一に、平成21年、なってしまったわけであります。いろんなところで三重県は本当に自信・誇りを持てる所だと思います。しかも伊勢神宮という、京都や奈良よりももっと古い時代からの素晴らしい歴史・文化というものを持っているということであります。そういうことを引き続きしっかり大事にしていただく方、それが望まれるのかなと、一般的な形で申し上げればそういうことかなと思います。あと県民が判断することだと思います。それからもう一つは、後のことについてはまだ、とにかく4月20日までありますので、それまでの間しっかりやっていかなくてはならんことを取り組んでいくということでございます。後のことはまだこれから考えていったらいいと、こう思っています。

(質)関連ですけれども、後継指名うんぬんとか、初代の青木さんは私も生まれてなかったので知らないのですけれども、田川さん以降ずっと、歴代知事は、三重県の場合はお辞めになるときにある程度後継的なものを打ち出しておられて、前北川さんのときには後継指名という形では名前を出さなかったですけれども、実質的には現ニュースキャスターの方を推されてやっておられましたけれども、その意味からいくと歴代知事はある程度後継者というのを、今おっしゃった県政を担うイメージ像と含めてあるのですけれども、その辺は今回はスパッと、野呂知事の場合はここでは言わないし、今後もそういう形で支援はしないという形なのですか。
(答)私は民主党の皆さんのおかげで知事に最初当選をさせていただいたわけであります。知事としては党籍を持たないし、しかし、政策的な思想も同じ方向、特にまあ最近はベクトルが合ってきたのかなということを感じています。ちょっと前は民主党もいろいろおりましたから。で、私自身はそういう意味ではまた民主党がしかるべくしっかり判断をして、やはり出されてくるのではないかなと、こういうふうに思っているところであります。私自身が後継者についてどうのこうのということは、申し上げることはありません。

(質)民主党が判断して出されてくると思っているということですが、民主党が判断して出された候補が知事にとって素晴らしい候補と思われた場合は、個人として応援されるという意味でしょうか。
(答)あり得ません。私としてはやはり選挙に私自身が絡むということはしてはいけないと、こういうふうに思っております。

(質)具体的に、例えば新人の候補の方が出陣式なりなんなりやられたときに、来賓としてマイクを握るということはないという解釈でよろしいのですか。
(答)ありませんね。今の私の判断としてはありませんね。

(質)先ほどの説明で十分わかったのですが、一応確認で、今回の判断にご長男の事件は関係ないということですね。
(答)元々、私の今回の2期8年ということは、もう1期目の、最初に知事選に出るときからの思いでもあったということです。もちろんいろんな方のご意見も尊重して聞かなければならないということはありますけれども、私自身は、特に体力的にも知事というのは相当きついところがあります。したがって、まあやっぱり、ここら、私にとってはこの辺じゃないかなという思いをずっと持ってきました。したがって、長男の件については、ああいうことになりましたので、皆さんに関連付けられて言われますけれども、私としては当初から今の時期を選んで2期8年の区切りを表明させていただきたいと、こう考えておりました。

(質)後援会の方をはじめ、周囲には知事の3選出馬を望む声もあったと思いますが、それに対して、知事の中で、当初2期8年ということでしたが、3選に向けて迷いというか、考えたことというのはありましたか。
(答)いや、いろいろとご心配いただいたり、それからお励ましいただいたり、それから『次、絶対出よ』というような、いろんな意見もございました。そういう皆さんにはどこかの時点で出ないのだという表明をすることになるわけでありますけれども、これは、個別に、そんなところで気持ちを言えるということではなくて、進退に関わることというのは政治活動のそのものに直接影響してきますから、やはりギリギリのところでないとその判断を表に明らかにするということができません。まあそんなことで、かなり近づいてくるまでなかなか申し上げることができなかった。私は、そういう意味では、家族以外では安田副知事に少し早めに申し上げたということ、それ以外はありません。

(質)もう迷いはまったくなかったという、そういう期待に対する声に対しても迷いはなかったと。
(答)そういう期待を掛けていただく方の声もだんだん、だんだん強く聞こえてきましたので、そこら辺で、ちょっと、そのまま放っておいてもいけないなというところもありまして、そういう中で、最終的には22日、総理官邸で全国知事会がございましたから、その後、中井代議士に会いまして、思いを伝えてきたということでございました。

(質)副知事に少し早めに言ったのはいつ頃だったのでしょうか。
(答)それは言いません。大分早めです。

(質)2期8年務められて、博物館は今回の議会にも着工議案も上がっていますし、あれですけれども、美し国なんていうのはその年々の計画がありますけれども、それは、例えばどなたに変わられるかわかりませんけれども、そういう知事の感性と合わなくて、途中でもう中止されてしまうとか、そういう懸念とかは持っていらっしゃいませんか、迷いはなかったのですか。
(答)いや、私、誰が知事になってもきずなづくりが必要ないとか否定するとかいう知事はいないのではないか。地域づくり、これも市町や県民多様な主体と連携しながらやっていかなくてはならないということを否定する人はいないと思います。したがって、ただ、その表現の仕方、取り組み方はいろいろな考えあるでしょう。これは新しい知事とそして新しく構成される議会が判断してやっていかれることでございます。そんなことまで気にしていたらいつまででもそれを理由に権力の座に座り続けるということになるでしょうね。

(質)ご自身の政治哲学で、2期8年はよくて、3期以降はなぜどんな弊害があるのかということと、もう一点、衆議院議員は4期やられましたが、その長期の経験というのはそれとどう整合性があるのですか。
(答)まず、最後のほうの話ですが、議員は、これは全く立場が違います。首長というのは一つの集約された権限を持っておりますから、そういう意味では権力の座ということが言えます。議員は、それを何か行使しようと思うと、行政側に圧力をかけて、先ほどの口利きと言いましたね、議員の中には、口利きだめですよと、それは悪質な口利きという意味なのですね、だけど県会議員というのは口利きが仕事みたいなものだと、こう認識している議員の方も多くいらっしゃいましたから、それがいけないと言われたら困るなというような話でありましたけれども、議員活動というのは、そういう意味では議会二元代表制で、いろいろ議会の責任ということも議論されておりますけれども、議員一人一人については全く意味合いが違うものであります。そういう意味では議員の場合には年季重ねるということによって円熟した一つの政治家としての育ちになっていくものもあるのかなと、こう思いますね。それから2期8年ということと、それから3期12年はじゃあどうなのだということですが、これは、それぞれの思いで、私は3期12年というのも10年前後という意味からいけば否定するものではありません。ただ、2期8年というのは私にとっては十分に長い期間でありまして、それに集中をするということをすればいいわけですね。それから長くなっていっても何かやはり新しい発想がきちっと出てこなくてはだめですね。したがって、今まで手掛けたことのできあがり、完結を見てからというのではなくて、もっと、未来のことにどんどん、どんどん、手を付けていかなければいけませんから、そういう意味では8年という期間に集約して仕事に没頭していく、その姿の方が私はやはり大事なのではないかと、こう思ってきました。

(質)残りの任期で特に力を入れてやっていきたいことがありましたらあらためて。
(答)今度の議会では、一つは病院改革等についても指定管理者の議案を出しているところであります。それから総合医療センターの独法化についても、特定独法(特定地方独立行政法人)、今、総務省とも相談をしているところでありますから、この12月あるいは3月会議に向けてしっかりやっていかなければなりません。それから博物館についても、今度、議会の承認を得ましたら、いよいよ建築工事に、もうこれ業者までも決まっているわけですね、建築に入っていくということでありますが、来年以降、いよいよスタッフの体制もきちっと構築をしていかなければなりません。それから、子どもたちも入る中で、これから魅力ある博物館を共に考え、共に活動し、そして成長する博物館ということを目指しておりまして、全国に今まであまりないような形での博物館運営を今考えていますから、そういうことも任期内にまだ詰められるところは詰めていくということでございます。それから、頭が痛いのは来年以降の計画作りとして、三次戦略をやっているところであります。平成16年から始まっております総合計画、これは県議会の議決をいただいてスタートしているものであります。その総合計画に基づく実施計画として第一次戦略計画、第二次戦略計画を今日までやってきました。その第二次戦略計画が平成22年度までであります。平成23年度以降どうしていくのかということがあります。もちろん新しい議会ができ、新しい知事が誕生してきて、その中で判断されることでありますけれども、実は議会の議決をいただき、そして今度は実施計画も議決対象にするという県議会のルールになりましたから、そういう意味では、知事として来年の、今の総合計画に基づく実施計画を作らざるを得ないし、そしてそのために県民や県議会にも今までご相談を申し上げてきました。県議会は勢い次の知事と議論をしたいというようなことになっていくんだろうと思いますけれども、私の責任としては、来年の予算も編成をしなければなりません。もちろん骨格的予算という形での編成になるわけでありますけれども、その骨格的予算も、例えば、私が知事になりました平成15年、これは北川さんが骨格的予算という形で組んでいったわけでありますが、骨格的予算とは言いながら7千億円を超える予算規模の中で私のほうに財源として与えられたのは28億円、0.4%しかなかったわけですね。それくらい今、行政はなかなか政策的にそんなに自由度がないというようなところがあります。私としては、骨格的予算をどういうふうな形でやっていくのかということをこれから詰めていかなくてはなりませんが、その考え方の整理の基本になるのはやはり第三次戦略計画で準備をしていくものになるのかなと思います。それについては、やはり、しっかり、私のほうとしては準備をさせていただき、パブリックコメントや市長・町長さんからもご意見もいただいているところでありますし、そういったことも網羅しながら計画案の検討を進め、最終的にはその上で新しい知事とそして新しい構成によります県議会の皆さんのご議論に委ねご判断をいただくものだと、こういうふうに思っております。そういった意味合いでは、今の第三次戦略計画も、一応、次の新しい知事に参考としてお示しできるようにさせていただきたいと、こう思ってますし、そういう意味での骨格的予算、これも編成するということになります。なお、「美し国おこし・三重」は、県議会のほうが議決対象にするということで、議決対象にしてしまったんですね。ですから、県議会の議決に基づくものでありますから、来年度の「美し国おこし・三重」の事業は県議会の議決に基づくものとして当初予算の中で組み込んでいかざるを得ないのかなと、そうしないと条例違反というようなことになりますね。なかなか、したがっていろんな課題が、難しいところがあるのだということです。

(質)三次戦略についてなのですけれども、29日の全協(全員協議会)で協議することになっていたと思うのですけれども、それが中止になりましたよね。これについては先ほど、今の知事の話でいくと、第三次戦略を作ってということですが、議会側がもう全協を中止してしまったということについてはいかがですか。
(答)議会がもう議論したくないということですから、淡々と事務局サイドで準備をしていくと、そうせざるを得ないですね。二元代表制に基づいて議会がいろんな議決でも縛ってきましたから、その議決対象のものを私が知事としてその責務を放棄するわけにいきませんから、淡々と準備していきます。それがうまい具合に、次に立候補される方のマニフェストの参考にもなればと、こう思うのですけれどもね。

(質)名古屋市の河村市長がリコール不成立ということを受けて、来年の愛知県知事選挙とダブル選挙で出ようという方針を固められたということで、2期8年務められた先輩ということもありますし、三重県のほうは議会との適度な緊張感を持ちながらやってこられたと思うのですが、そういう隣県の市長の方針についてどのように感じてらっしゃるかということをお聞かせください。
(答)名古屋市の状況を見てますと、議会と市長が真っ向から政治闘争をやっているという感じでありますから、政治闘争をやっている渦中の中で私のほうからどうのこうのという評価を与えることは差し控えた方がいいのかなと、こう思います。いろんなやり方あるのでしょうけど、私の流儀では、ああいうことというのはあり得ないことだと、こう思ってます。

(質)国会の会期末があと1週間、平日だとあと5日と迫っている中で、地域主権関連三法案が採決、不透明なのですけど、改めて知事のご意見を伺いたいということと、子ども手当、知事、プロジェクトチームの座長をやられていましたけれども、来年度、知事職離れるわけなのですけれども、改めてその地方負担分のあり方についてご意見いただけたらと。
(答)まず地域主権関連三法でありますけれども、先般ちょっと別の機会に知事会の会長等ともいろいろとご相談を申し上げてまいりました。かなりもう継続審議になったままでこられてしまうのかなという心配をしてましたが、実は全国知事会のほうも、いろいろと会長も、各党とも接触しながら動いてきたところでありまして、いわゆる自民党は地域主権というあの言葉が、憲法の国民主権という言葉に対して地域主権という言葉はあまりそぐうものではないということで、反対だということも言ってきたところであります。それで今、自民、公明も含めて、そして民主党もこの地域主権という言葉を修正すると、なくすと、あの法案の名前を取ってしまうという形でほぼ合意になってきているということでありますので、私は今国会、非常に詰まってきているところでありますけれども、思いきってそこはやろうという意志を示していただいたら通るのではないかなと、こう思ってます。しかし、そうでなくても次の通常国会にはそういう合意ができれば通るということになります。一日も早く通していただきたいと思うので、ぜひこの臨時国会で成立をさせていただきたいなということを強く思っているところであります。それから、子ども手当並びに子ども・子育ての新システムについてでございますが、非常に次世代の育成ということについては大変重視をされてきて、そういう意味では民主党が新しい子ども・子育てシステムを作っていくということ、大変いい方向だと思います。そしてその手始めとして子ども手当も、もう今、今年から始まっているところでございますが、ただその中で私は、例えば評価するところの一つは、控除から給付へという今まで自民党の中ではなかった、そういう発想が今度の政策では出てきているところでありますし、所得制限を設けないという、これはいわゆるユニバーサリズム、普遍主義に基づく政策を実行していくのだということで、民主党らしい高邁(まい)な理念というものが見えるところでありますから、その面からは私は評価をしていたのでありますけれども、しかし一丁目一番地と言われている地域主権からいきますと、いったいこの新システムの中で国の役割はどういう役割をするのだ、地方の役割はどういう役割なのだというようなことを言った時に、こういうシステムの中では憲法に基づくような、あるいは生存権に基づくような、そういう給付をやる場合には、これは現金給付として国が責任を持ってやっていくべきである。それから個々のニーズ、多様なニーズにきめ細かく応えていくような、そういう現物給付、これは地方のほうがその状況がよく分かるわけでありますし、地域ごとのいろんな違いというものもあるでしょう、だからそれは地方が責任を持っていくのだと、そういう意味で地域主権が一丁目一番地と言っている民主党は、もっと国の役割と地方の役割をきれいにスパッと整理しなければなりませんね。そこが財源のないまま、子ども手当ということが出てきた、新システムの設計ということが出てきただけに、何かお金のために理解してよというような言い方をずっと政府は言ってきたところでありますね。私は財源問題はもっときちっと本当に詰めてやっていただいて、それと合わせてしっかり構築をしていくべきものだと思います。だけれども、そういう意味では新システムをやる時にはこういう国の責任、地方の責任ということをほかの控除から給付へとか、ユニバーサリズムと同じように高邁(まい)な思想に基づいてしっかり制度設計してもらいたいなと、こう思ってます。とにもかくにも子ども手当の中の地方負担というのについてはだめですよということを言い続けてきたところであります。

(質)先ほど8年を振り返ってというお話をいただいてはいるのですけれども、国会議員を経験され、松阪市長を経験され,さらには知事を8年経験されたということで、あらためて知事にとっての知事職ということをどう受け止めていらしたのかということと、地方の首長というのを経験されていた思いをお聞かせ願えればと思います。
(答)国政にありました時には、ちょうど世界に冠たる日本と、こう言われていた時に国政の場に出まして、しかしその時に、既に超高齢化社会というのは予想されたところでありますし、それから前川レポートなどというようなものも出て、経済構造も変わっていかなければならないというような議論も出ておりました。その時の議論の延長の中にずっと小泉内閣まであったのかなと、こう思いますと、あの時の議論というものは、本当はもっとしっかり議論をしておくべきだったのではないかなと、そういうふうな少し悔やむ思いも今になればございます。しかし、私どももそういう意味ではこの国は変わっていかなければいけない、変化しなければならない、改革、改革ということを一生懸命やってきたわけですが、結局は何か国民の目を引くために改革という言葉を多く使い、いろんな騒ぎもやってきましたが、そのことが結果的には格差社会だとか、ひずみの社会を生み出してしまった、国会の中で居てやはりそういうことがなかなか気が付かない面があったのかなと、こう思っております。今の国政にある人もややもすると、選挙、選挙に追われて何か成果を強調するために、改革をついつい目的化した形の中で表現してしまう、こういうことがずっと続いているとすれば大変残念なことであります。私は自民党政権を野党として見てきた民主党は、もっとしっかり腰を落ち着けてやるべきだと思いますし、自民党は野党として民主党を攻める前に、過去の自分たちの政治を強く反省するところからスタートすべきではないかなと、こういうふうに思っております。私自身は選挙で落選したあと方向変えということで松阪市長を少し経験させていただきました、その時にやっぱり本当に近い所でしっかり住民を見つめ直して、市長として何をやったらいいのかということを、私としては頭を真っ白にしながら、ゼロから考えて、そしてやはり改革、改革と言っているけれども市民はもっと自分の生活に潤いやら、希望やら、安らぎやら、そういうものを求めて自分の人生を構築しようとしているのだから、そういうことにもっと行政は機能していかなければならない。それが松阪市長としての仕事もスタートになっていったところであります。知事になってもこの市長の時の経験は非常によかったと今思っているところでありまして、そういう意味では国会での議論、こういったものも、反省点も含めていろいろ持ちながら、そして市長の経験というものを大いに生かしながら知事職というものをやれたのかなと、こう思ってます。知事になりますとやはり周囲ももっと幅広く、課題も大きい、それから県外との交流だとか、仕事の関係、産業政策なんかでいくとまさに国際的なものまで出てまいります。そういう意味ではなかなか重い仕事だと、こういうふうに思ってますが、正直は市長の時のほうが思うようになったという気があります。それはなぜかというと、どうしても知事の場合には、特定の地域の何か課題があった時には、そこにはやはり市長さんがおられ、そこの市民がおられますから、議会を持ったそういう基礎自治体というものと、どこまでしっかり意気投合してやれるかというところあります。なかなか基礎自治体の考え方がこちらと一緒でない場合には、こっちの思うように展開できませんね。ですから、その点は基礎自治体の市長というのは、かなり思いきってやるのだというのを議会さえしっかり、議会あるいは市民に直接訴えて、やるということになればできていくわけですね。県議会はやっぱりそういう意味では中間にはさかっているという意味での県政の難しさ、まどろっこしいところもあるということは感じましたね。


                                                           以上

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津市広明町13番地(本庁3階)
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