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平成20年02月22日

加藤隆さん、諸戸孝光さん(伊勢湾台風の話その2)

今回は、前回に引き続き、加藤隆さんと諸戸孝光さんが語る伊勢湾台風のお話です。

ところで、この当時は避難所へ逃げるという発想がなかったのですか?
(諸戸さん)何かあったらこの神社に逃げようとか、集落で決めていた程度で各自の判断でしたね。

諸戸孝光さん







当時を振り返る諸戸孝光さん

消防団はどのような対応をされたのですか?
(諸戸さん)夕方に団長と副団長だけが役場に呼ばれまして、そこに詰めておりました。
その他の団員は堤防などを回っていたと思いますが、8時頃には先ほど説明したような状況がほぼ全域で発生していましたし、当時は無線も持ってないので連絡手段がありませんでした。
そうなると、指揮系統は全く機能せず、分団毎にも統率が取れない状況となりましたので、おそらく近くにいた団員同士で場当たり的な対応をしたのだろうと思います。

被災した当時の役場







被災直後の木曽岬村役場
(木曽岬町「伊勢湾台風30周年」より)
何名ほどの組織だったのですか?
(諸戸さん)当時の村全体では、5分団100名ほどだったと思います。今と違って団員数は結構いました。

消防団からの避難指示を聞いた方もいたそうですが?
(加藤さん)海や川沿いの集落は早くから危険を感じ、自主避難された方が多かったようですね。

避難所もない状況下でも、避難した方がよかったのですか?
(諸戸さん)堤防の上は高いのですが、土堤でしたので歩くと足が沈むほど軟弱でした。何カ所か破堤もしていますし、(結果論ですが)場所によると思います。
破堤した堤防





破堤した堤防(木曽岬町「伊勢湾台風30周年」より)

(加藤さん)輪中で囲まれた小さな村ですから、山のような高波や破堤後の被害は、集落や家の位置、浸水時にどこにいたかで明暗を分けたように思います。

地区によって被害に差があったと・・・
(加藤さん)当然、破堤した周辺と破堤箇所に対面する集落は、直撃を受け一瞬にして倒壊・流出したので甚大な被害が出ましたが、それ以外にも濁流が内部の旧輪中提に沿うか、間を抜けるように流れたため、破堤箇所から北東(奥)に向かって被害が大きかったです。
濁流は、流木と共に次から次と襲いかかり、最後に木曽岬を死体の海にしていきました。
(諸戸さん)そうやった。

台風のピークはいつ頃だったのですか?
(加藤さん)時間ははっきりしませんが、風向きが変わった頃ですね。

次回に続く。
加藤隆さん、諸戸孝光さん(伊勢湾台風の話その1)

その他の災害伝承

 

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三重県 桑名地域防災総合事務所 地域調整防災室(県民防災課) 〒511-8567 
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