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令和04年10月21日

松浦武四郎記念館 体験レポート
2022.10.21公開

 
 今回ご紹介するのは、松阪市の松浦武四郎記念館です。

 松浦武四郎は現在の松阪市(旧・三雲町)出身で、「北海道(蝦夷地)」をくまなく探検したことで知られています。三重が誇る偉人の一人である武四郎を顕彰するため市町合併前に建設されていた施設が、このたび松阪市によって大幅にリニューアルされました。

 この機会に、同館と、松浦武四郎について詳しくレポートします。



展示室の入り口に等身大の松浦武四郎の銅像があります。ぜひ背比べしてみてください。とても小柄な人だとわかると思います。しかし、この身体のどこにそんな力があるのか不思議になるくらい、あらゆる意味でパワフルな人です。



目次
松浦武四郎の知名度について
松浦武四郎と北海道
「北海道以外」の武四郎
松阪と武四郎
企画展示室
リニューアルについて

 
館の概要


 

松浦武四郎の知名度について

 
 この、幕末から明治にかけて活躍した三重出身の偉人について、皆様はどのくらいご存知でしょうか。2019年にドラマになり、日本で最も人気のあるアイドルが松浦武四郎を演じましたので、そちらでご存知の方もおられるでしょう。
 
 それでも、その功績と幅広い活躍からすれば、全国的な知名度としては決して十分とはいえません。綺羅星のごとく英雄がいた幕末に、謀略や戦争と距離を取り、ある意味で地道な活動を重ねて明治を迎えた武四郎は、歴史ファンの耳目が集まる時代に生きながら、必ずしも身近な存在にはなってきませんでした。
 
 しかし、幕末といわれる時代のかなり早いうちから、当時の「蝦夷地」に何度も訪れて探検し、その日本有数の専門家となっていた武四郎は、幕府側からも倒幕側からも極めて重要な人物として認識されていました。武四郎と交友のあった人物としては、吉田松陰、藤田東湖、勝海舟、大久保利通など、ビッグネームが並びます。皆、鎖国が解かれた日本を守る上で「蝦夷地」はとても重要な場所であるという武四郎の危機感に共鳴しました。他にも、たとえば池田屋事件で「階段落ち」をした北添佶磨(きたぞえきつま)とも交流があったそうです。幕末史がお好きな人なら、武四郎をほっておく手はありません。そんな様々な交友が、同館に詳しく展示されています。
 
 同館は、武四郎の名前を初めて聞く人にその存在を周知するとともに、かなり歴史に詳しくおおよその業績を知っている人には、知られざるエピソードなどをより詳しく伝えて真の偉大さを知ってもらうよう、情報発信を続けています。
 
 

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松浦武四郎と北海道

 
 松浦武四郎の功績をたった一言で言い表すときに用いられるのが、「北海道の名付け親」です。同館の入り口にある記念写真用の顔出しパネルにも書かれています。同館の山本命(めい)館長も、「武四郎については、本当はもっと多くのことを伝えたいのですが、まずはそちらを知っていただきたいと思い、キャッチコピーとして用いています」とおっしゃっていました。
 
 当然のことですが、そんな重要な歴史的役割を果たすことができる立場に、そう簡単に就けるわけがありません。江戸時代に蝦夷地と呼ばれた地域に新しい名前を付けるときに、明治政府が武四郎の進言を採用した前提には、武四郎が長年積み重ねた行動と実績が存在します。だからこそ幕末の英雄たちが武四郎に一目置きました。同館では、武四郎と北海道の関わりを、丹念にわかりやすく伝える展示がされています。
 
 中でも詳しく解説されているのが、武四郎がアイヌの人々と親密に交流を持ち、その豊かな文化に深い理解を有していた点についてです。複数回の訪問により、アイヌの人たちの生活や彼らとの交流を多く記録しています。それを積極的に本州の人たちに伝え、アイヌの存在を広く知らしめました。そして、武四郎を重く用いた大久保利通らによって、武四郎の考えが明治政府も動かしました。現在の北海道の地名に多くアイヌ語発祥のものがあることにも、武四郎の影響が強く及んでいます。
 
 鎖国が終わり日本を取り巻く状況が急変して、日本がその姿を大きく変えていった時代、翻弄されるアイヌの人たちの民族としての誇りを守ろうと、武四郎は奮闘しました。武四郎を「本土の中でたったひとり尊敬できる人」と評するアイヌの人もいるそうです。
 
 2019年に「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」(アイヌ新法)が制定され、アイヌの人たちが「先住民族」として正式に認められた現在、さらに武四郎の功績が注目されるに至っています。武四郎が縁となり、2020年に北海道と三重県は、「松浦武四郎をはじめとする北海道と三重県の交流連携に関する合意」を締結しました。アイヌ新法に基づく交付金を、北海道内の自治体以外で唯一受け取っているのが三重県松阪市です。北海道では多くの人が認める武四郎の存在とともに、彼が深く関わったアイヌの文化への理解を、彼の生まれ故郷の松阪市と三重県でも深く浸透させることは、同館の目指すところの一つです。
 
 

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「北海道以外」の松浦武四郎

 
 「北海道(蝦夷地)」に関する活動が光り輝く武四郎ですが、それ以外にもとてもマルチな活躍をしています。武四郎が探検をしたのは蝦夷地だけではありません。全国各地を旅して、様々な場所を訪れています。多くの山に登ったことでも知られ、「探検家」の次に「登山家」という肩書が続けられることがあります。大台ケ原などの三重の山にも登りました。古希(70歳)になってから、一日で富士山の頂上まで登ったそうです。5合目まで車で入れる現代とは違い、1合目からのスタートです。展示でそのときの興味深いエピソードが解説されていますので、ぜひご一読を。武四郎の功績の情報も注目ですが、人柄のなせる業でしょうか、展示に挿入される裏話が一つひとつ面白いです。
 
 武四郎は自分が旅した記録を何冊も出版し、多くがベストセラーになりました。名「編集者」です。文才も大変豊かで、「文筆家」の顔を持ちます。また、絵がとても達者です。旅の記録をたくさんスケッチしていて、その絵を見るだけで展示を見る価値があるほどです。本職の「画家」に全く引けをとりません。さらに「収集家」という肩書もあります。貴重な骨董品などをたくさん集めています。そのコレクション癖は動植物の資料にも及びます。「博物学者」です。もちろん、アイヌをはじめとする「民俗学(文化人類学)」の功績もあります。そんな風に、武四郎は多彩な面で才能を発揮しました。大変特技の多い人で、生活費を稼ぐ手段になったものもありました。何にでも興味を持つ人だったようです。好奇心の塊といってもいいかもしれません。同館では「~の達人」という表題でシリーズ化し展示しています。

 

 
 
 余談ですが、武四郎は、やはり大変な健脚でした。一日60㎞も歩いたとか。当時の一般的成人男子が一日に歩けるのは30~40㎞でしたから、倍も移動しています。
 
 何かと物騒な幕末・維新期、それだけ身体能力が高かったのであれば、剣の腕前はどうだったのでしょうか。同じく日本中を旅した坂本龍馬が大変な達人だったことなどから気になりました。しかし、学芸員さんに質問してみましたが、武四郎の剣の技量には何の記録もないそうです。展示にも「剣の達人」というコーナーはありません。
 
 これだけ多才で、何事にも積極的で、何よりとても心の強い人なので、個人的には非常に意外でした。見知らぬ土地を歩いたり、血気盛んな相手と交渉したりするとき、怖くなかったのでしょうか。もしかしたら、武四郎の一番の才能は、「勇気」なのかもしれません。

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松阪と武四郎

 
 松阪の各施設で顕彰される偉人たちには共通点があります。「勤勉さ」「学識の深さ」「経済的な名声」「視野の広さ」「公共心」などです。そしてその性質は、その人物が松阪に生まれたことで培われたものだと考えられています。地域に勤勉な人が多いことに加え、商業が発展する土壌があり、鋭い経済感覚を備えた人が多くいました。また、松阪には武士が少なく身分制度の縛りが緩かったことで、能力のある人が自由な活動を行うことができました。さらに、お伊勢参りで多くの人が通過する場所だったことから、全国の情報が集積され、視野の広さを手に入れるチャンスがある場所でもありました本居宣長記念館松阪市立歴史民俗資料館(小津安二郎松阪記念館)旧長谷川治郎兵衛家・原田二郎旧宅の各レポート記事参照)
 
 松浦武四郎についても、松阪の近隣で生まれ育ったことで、後に偉人となる基礎を作ったように感じられます。
 
 お伊勢参りの旅人を見て、武四郎は旅への憧れを育てました。探検家・旅行家の根本が作られました。さらに、旅行記のベストセラーを連発した武四郎は、文才に加え、非常に鋭い商才の持ち主でもあります。また、身分制度が流動化する幕末に、武四郎が身分に縛られず行動ができたことも、松阪の風土が無縁ではないように思います(剣の鍛錬に打ち込んだ形跡がないことも、もしかしたら松阪の土地柄の影響も・・・)。そして、何より、武四郎がアイヌの人たちに示したような、他文化に何の偏見もなく、弱い立場の人を助けようという姿勢は、松阪ならではの視野の広さや公共心そのものといえるのではないでしょうか。

 

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企画展示室


 松浦武四郎記念館では、武四郎のご子孫が代々大切に保管し、戦災や災害から守り抜いてきた武四郎ゆかりの品を、多数所蔵しています。それらは「松浦武四郎関係資料」として、一括して重要文化財として指定されました。国指定重要文化財が1505点、県指定有形文化財が223点あります。武四郎研究の中心的資料であると同時に、同時代のあらゆる歴史研究の資料であり、また、アイヌをはじめとする民俗学研究などの一級の資料でもあります。大変貴重な資料群です。
 
 それらの資料は、常に展示しておくことはできません。保存の観点から、一年のうち展示に供せる期間が法律で定められています。そこで、同館では、常設展示をパネル解説中心に構成し、実物を企画展示の形で展示することにしています。約2か月ごとにテーマを変え、豊富な所蔵品を順番に展示することにしています。
 
 たとえば、取材に訪れた時期に展示されていた下の絵は、武四郎自身が描いたものです。非常に大きな作品で、武四郎の画力がよくわかる資料になっています。パネル展示の解説も興味深い内容ばかりなのですが、武四郎の功績や人柄などを知る上で、やはり実物の持つ迫力は格別です。
 
 


 その時点での企画展の情報は松阪市の公式サイトで確認できますが、とくに予備知識なくぶらりと見に行っても、武四郎という人物の奥深さと、それを示す資料の充実ぶりからして、期待を裏切ることはないと思われます。

 

 

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リニューアルについて

 
 旧三雲町が松阪市に合併される前、平成6年に開館した松浦武四郎記念館ですが、その時点では、同じ建物に公民館が併設されていました。記念館の初代館長は、公民館の館長の兼任で、武四郎の専門家というわけではなく、学芸員でもありませんでした。
 
 そんな中でも、同館の学芸員さんたちは、武四郎の功績や人物の研究を確実に進めて成果を蓄積するとともに、顕彰活動に粘り強く取り組み、町民の皆さんの関心を高めていきました。平成17年に三雲町が松阪市に合併されてからは、やはり地道に松阪市民の皆さんに松浦武四郎の偉大さを伝えていきました。そして、アイヌ新法の成立や、三重県と北海道の連携合意があり、徐々に武四郎に光が当たる中、同館から公民館機能が切り離され、建物全体が武四郎の顕彰施設となりました。
 
 


 その結果、まず、展示が充実しました。リニューアルの目玉は、旅に明け暮れた武四郎が「終の住処(ついのすみか)」として東京神田に建てた「一畳敷(いちじょうじき)」の実寸模型です。「北海道」をはじめ広い野原を駆け巡った武四郎が、人生の終わりに辿り着いた「起きて半畳、寝て一畳」の境地でした。実際に一畳しかない狭い建物です。実物では、日本中を旅した武四郎らしく、全国の寺社や古民家などの由緒ある古材を使いました。そんな建物が完全再現され、靴を脱いで上がることもできます。

  


 平成6年の開館時点の同館は、今よりもずっと情報量が少なかったそうです。「北海道の名付け親」というワンフレーズを今より前面に押し出していて、展示資料も北海道旅行のものが中心でした。そこから研究を深め、全国に残される旅の足跡など、武四郎の北海道以外の側面も紹介するよう変えていきました。そのリニューアル前から徐々に目指していた方向性が、象徴的に結実したのが「一畳敷」でした。
 
 
 

 そして、リニューアルによってスペースが広くなった同館は、展示以上に、武四郎に関して来館者が交流できる会議室や、情報検索したり書籍を手に取ったりしてアイヌや武四郎のことを調べられる設備を充実させました。
 
 武四郎研究を深め顕彰していくことが同館の最大の使命であり、リニューアルを機にそれを加速させていこうとしています。

 

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館の概要


松浦武四郎記念館

松阪市小野江町383
近鉄伊勢中川駅下車タクシー7分/三交バス小野江下車徒歩約15分
0598-56-6847
 
9:00~16:30
休館日
月曜日(祝日の場合は翌日)
12月29日~1月3日、展示替え期間中
 
入館料   一般360円、6歳以上18歳以下230円
団体料金  一般230円、6歳以上18歳以下120円
 
記念館・誕生地共通入館券
19歳以上:410円 団体料金:290円
 
※20名以上は団体割引となります
※受付で障害者手帳ご提示の方、未就学のお子様は無料です
 
年間パスポート
一般:1,100円、6歳以上18歳以下:660円
※記念館のみ入場できます
 
同館の公式サイトはこちらから
県HPでのご紹介はこちらから

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本ページに関する問い合わせ先

三重県 環境生活部 文化振興課 〒514-8570 
津市広明町13番地
電話番号:059-224-2176 
ファクス番号:059-224-2408 
メールアドレス:bunka@pref.mie.lg.jp

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