この遺跡で人の活動が目立ち始めるのは、古墳時代前期の終わりごろです。古墳時代中期から後期にかけては、須恵器や土師器などの遺物が多量に見られ、人びとの活動が活発化したことがうかがえます。この時期の土器の中には、大阪府や愛知県で生産された須恵器のほか、関東地方の土器(鬼高式)をまねて作られたと考えられる、赤彩や黒彩が施された土師器の坏もみられ、海を介した広域交流の一端を担っていたことが分かります。
その後、平安時代末から鎌倉時代前期にかけては、この地で製塩が行われていました。発掘調査では2基の製塩炉が確認されています。古代・中世には東紀州地域の海岸部で塩が生産され、海運によって各地へ運ばれていたことを示す、重要な遺跡といえます。

製塩炉 平成10年度の調査状況
おもな時代:古墳時代前期から鎌倉時代前期
遺跡の所在地:北牟婁郡紀北町道瀬
発掘調査報告書のリンク:『道瀬遺跡(第1次)発掘調査報告』(1998年)
『道瀬遺跡(第2次)発掘調査報告』(2000年)