織田信長が伊勢に侵攻し長島一向一揆に激しい攻撃を加える中で、加路戸砦も天正元年(1573年)に滝川一益によって攻略され、その後一揆側が奪い返したものの、翌年再び落城したと伝わっています。
砦のあった場所は、天正13年(1585年)に発生し東海地方に大きな被害をもたらした天正地震の際に地盤沈下を起こし、さらに津波が押し寄せて埋没したようです。そして、後の河川改修などもあり、現在は木曽川の中に沈んでいると思われます。そのため、砦の実態は不明です。
現在、木曽岬町では遺跡の存在がほとんど知られておらず、加路戸砦跡は貴重な存在です。とはいえ、江戸時代には木曽三川河口付近で新田開発が盛んにおこなわれ、人も多く住むようになるため、近世以降の遺跡は町内の各所に残されていると思われます。今後、こうした遺跡に残された情報から、この地での人々の生活や活動について、新たなことがわかってくるかもしれません。

木曽川対岸から砦跡付近を望む
おもな時代:室町時代後期(戦国期)から安土桃山時代
遺跡の所在地:木曽岬町加路戸
発掘調査報告書のリンク:『三重の中世城館 -開発集中地域中世城跡分布調査報告-』(1977年)